学位論文要旨



No 124578
著者(漢字) リム,チュエン ハン
著者(英字) Lim,Chuen Han
著者(カナ) リム,チュエン ハン
標題(和) 多波長量子もつれ配送光ファイバネットワークアーキテクチャおよびデバイスに関する研究
標題(洋) Research on Architectures and Devices for Multi-Wavelength Quantum Entanglement Distribution Optical Fiber Network
報告番号 124578
報告番号 甲24578
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7012号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菊池,和朗
 東京大学 教授 廣瀬,明
 東京大学 准教授 何,祖源
 東京大学 准教授 山下,真司
 東京大学 准教授 岩本,敏
内容要旨 要旨を表示する

近年、量子物理と情報理論の融合によって、「量子情報」という新しい分野が生まれた。それが理論および実験の研究に新たなモチベーションを与えている。量子計算、量子暗号、量子通信をはじめ、多粒子の量子系のコヒーレンス特性を用いた新しい概念が次々と提案され、これらが理論家の知的好奇心を刺激するのみならず、実用的な面でも多大な潜在的可能性を秘めている。この分野の進歩は非常に注目すべきである。なぜならば、その進歩のおかげで、我々が「なぜ量子なのか?」と「情報とは何か?」という二つの本質的な質問の答えに近づいていくと思われるからである。意欲的な実験家およびエンジニアが二つのチャレンジに直面している。その一つは、いかに量子情報を記憶し、そして処理するか、もう一つは、いかに量子情報を忠実に伝送するかである。本研究は後者の実現に関するものである。

二十年以上の目覚しい発展を経て、従来の古典情報の伝送のための光ファイバ通信技術が成熟しつつある。量子情報を現在の光ファイバネットワークで伝送できるかどうかを検討することはごく自然で、かつ時期としては適切である。しかし、古典情報とは違って、量子情報は外部からの擾乱を受けずに増幅される、あるいは、測定されることが原理的に許されないので、直接量子情報を光子状態に載せて、光ファイバ通信路で長距離伝送することはほぼ不可能だと考えられる。一方、空間を通さずに量子情報を忠実に伝える方法として、「量子テレポーテーション」と呼ばれる手法が発見された。これを実行するためには、送信者と受信者が予め「量子もつれ」を共有し、それを資源として消費しなければならない。共有もつれの一つの面白いかつ非古典的な特徴は、局所操作および古典通信(LOCC)でそれを作るあるいは増やすことができない点にある。だから、遠く離れている両者が量子もつれを共有するには、絶対に何らかの物理的な配送方法を要する。とすれば、もつれ共有を可能にするために、光ファイバ伝送路にもつれ配送チャンネルとしての役割を持たせると都合が良い。量子もつれが量子情報を運んでいるわけではないので、消費される前にLOCCによる純粋化が可能である。これで伝送チャンネルが不完全という問題点を克服できると考えられる。

今まで、もつれ配送の研究は主に物理的な視点で展開されてきた。工学的な関心はまだ少ない。その理由として、工学的なモチベーションが明確になっていないことが挙げられる。むろん、量子メモリあるいはもつれ純粋化プロトコルを実行するデバイス技術およびサブシステム技術は未熟ではあるが、現時点での理解と技術レベルを土台にして、工学的な観点から量子もつれ配送のためのアーキテクチャおよびデバイスを研究することで、システムやデバイスに対する要求を明確化できると考えている。これが更なる発展の可能性につながると期待される。本研究は、明確なモチベーションを与えるために包括的な枠組みを提案することと、帯域利用効率の高い多波長量子もつれ配送ローカルエリアネットワークの実現に向けた最初の数ステップを示すことを目標とする。

まず、広域およびローカルエリア規模のもつれ配送のための多波長量子ネットワークアーキテクチャの概念を導入する。光子対に載せた量子もつれは壊れやすく、それに、増幅できないため、光子の損失とプロトコルの失敗確率を最小限に抑える必要がある。そこで、量子ネットワークアーキテクチャを注意深く設計しなければならない。それと同時に、伝送帯域をフルに活用することにより、光子の伝送レートを最大にすべきである。これは、従来の光ファイバ通信にならって波長多重することで可能である。広域もつれ配送の場合では、波長多重かつチャンネルマッチングを導入した階層的なアーキテクチャが最終もつれ配送レートを大きく改善することを理論的に示した。また、ローカルエリアネットワークの場合では、光子波長変換および波長ルーティングデバイスを導入することで、柔軟な量子ネットワーク構成ができることを示した。ここに提案した量子ネットワークアーキテクチャがこれからの理論および実験の研究の枠組みになる。

提案したネットワークアーキテクチャを実現するために、まず光ファイバ伝送に適した高品質なもつれ光子対を発生する光源を実現する必要がある。本研究では、パルスポンプによる高品質な通信波長帯偏光もつれ光子対光源を新たに提案する。偏光ダイバーシティファイバループ構成に1mmの長さの周期分極反転ニオブ酸リチウム光導波路を使用することで、温度制御の要らない光源を実現している。低レートの領域では0.94の純度と0.96を超えたもつれ忠実度が観測された。提案した光源は非常に安定でかつ光子対発生レート可変なので、もつれ配送サービス提供者が動的にネットワーク回線を切り替えながら、多数のユーザの要望に応えるようなローカルエリアネットワークでの使用に適している。さらに、ネットワーク内の任意の二人のユーザに対して最適な光子対発生レートをもつれ配送者が簡単に計算できるような理論モデルを見出した。このモデルの有効性を82kmと132kmの光ファイバを使ったもつれ配送実験で確かめた。

次に、波長多重もつれ配送の概念を提案する。今まで実現されたもつれ光子対光源はすべて、光ファイバがもつ数百nmの伝送帯域に比べて、比較的狭帯域のものである。光ファイバの伝送帯域資源をフルに活用しようとすれば、サービス提供者が多数の狭帯域光源を用意し、波長多重をしなければならない。これは、コスト的な面で優れた方法とは言えない。本研究では、波長多重もつれ配送に適した広帯域もつれ光子対光源を提案する。これが可能なのは、従来の波長分割多重(WDM)光通信と違って、もつれ配送は各ユーザからもらった量子情報を伝送する必要がないからである。実際に、44個の独立な波長チャンネルをサポートできるような広帯域光源を実験的に示した。さらに、波長多重したもつれ配送を初めて実験で示した。44チャンネルの高品質なもつれ光子対を10kmの光ファイバにわたって配送した。本研究によって、もつれ配送システムの設計に関するいくつかの知見を得ることができた。

最後に、多波長量子もつれ配送光ファイバネットワークにおける光子波長変換の役割について論じる。和周波発生および四光波混合で光子波長変換を実現できることを示す。

量子もつれ配送光ファイバネットワークが実現されて、そして、実用的になるまでに、今後数十年がかかるかもしれない。にもかかわらず、本研究が提示した包括的な枠組みと実験結果は現時点における理解と技術レベルを向上させたと言える。また、本研究の成果はこの分野のさらなる発展に影響を与えることであろう。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,"Research on Architectures and Devices for Multi-Wavelength Quantum Entanglement Distribution Optical Fiber Network (多波長量子もつれ配送光ファイバネットワークアーキテクチャおよびデバイスに関する研究)" と題し,英文で執筆され,7章からなる。

近年,量子物理と情報理論の融合によって,"量子情報"という新しい研究分野が生まれた。そこでの技術的課題は,"いかに量子情報を記憶し処理するか"および"いかに量子情報を忠実に伝送するか"であり,本研究は後者に関するものである。従来の古典情報の伝送のための光ファイバ通信技術は,20年以上にわたる発展を経て成熟しつつあり,量子情報を現在の光ファイバネットワークで伝送できるかどうかを検討することは重要である。空間を通さずに量子情報を忠実に伝える方法として,"量子テレポーテーション"と呼ばれる手法が発見されたが,この方法を実行するためには,送信者と受信者が予め"量子もつれ"を共有しなければならない。遠く離れている両者が量子もつれを共有するには,光ファイバ伝送路にもつれ配送チャンネルとしての役割を持たせれば良いと考えられる。本論文では,帯域利用効率の高い,多波長量子もつれ配送ローカルエリアネットワークに関して,アーキテクチャおよびデバイス両面から研究を行っている。

第1章は"Introduction"であり,研究の背景と本論文の構成が述べられている。

第2章は"Quantum Information and Its Transfer"と題し,量子情報,量子もつれ,量子テレポーテーションなどの基本原理がまとめられている。

第3章は,"Multi-Wavelength Quantum Network Architecture"と題し,量子もつれ配送のための多波長量子ネットワークアーキテクチャの概念を導入している。広域もつれ配送の場合では,波長多重かつチャンネルマッチングを導入した階層的なアーキテクチャが,最終的なもつれ配送レートを大きく改善することを理論的に示した。また,ローカルエリアネットワークでは,光子波長変換および波長ルーティングデバイスを導入することで,柔軟な量子ネットワーク構成ができることを示した。

第4章は,"Generation and Distribution of Entangled Photon-Pairs"と題し,光ファイバ伝送に適した高品質なもつれ光子対を発生する光源を実現する方法として,パルスポンプによる高品質な通信波長帯偏光もつれ光子対光源を新たに提案している。偏波ダイバーシティファイバループ中に1mmの長さの周期分極反転ニオブ酸リチウム光導波路を挿入することにより,温度制御の要らない光源を実現した。低レート領域では,純度0.94以上,忠実度0.96以上という優れた性能が達成された。提案した光源は非常に安定で光子対発生レートが可変なので,もつれ配送サービス提供者が動的にネットワーク回線を切り替えながら,多数のユーザの要望に応えるようなローカルエリアネットワークでの使用に適している。

第5章は,"Wavelength-Multiplexed Entanglement Distribution"と題し,光ファイバ伝送路の広帯域性を活用した,波長多重もつれ配送の概念を提案している。実際に,44波長チャンネルの高品質なもつれ光子対を,10kmの光ファイバにわたって配送することに成功している。

第6章は,"Photon Wavelength Conversion"と題し,多波長量子もつれ配送光ファイバネットワークにおける光子波長変換の役割について論じたのち,和周波発生および四光波混合により光子波長変換を実現できることを示している。

第7章は,"Conclusion and Outlook"と題し,本論文の結論と将来展望をまとめている。

以上のように本研究では,量子もつれ配送のための多波長光ファイバネットワークアーキテクチャを提案し,その実現に向けて,分極反転ニオブ酸リチウム光導波路を用いた偏波ダイバーシティ構成の高品質もつれ光子対発生器を開発して,44波長チャンネルのもつれ光子対を光ファイバを用いて10km配送することに成功した。本研究は,将来の量子情報伝送技術の発展に寄与し,電子工学への貢献が多大である。

よって本論文は,博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/28079