学位論文要旨



No 124588
著者(漢字) 平山,康博
著者(英字)
著者(カナ) ヒラヤマ,ヤスヒロ
標題(和) パルス超強磁場を用いたスピン半導体中の二次元荷電励起子の磁気光学的研究
標題(洋)
報告番号 124588
報告番号 甲24588
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7022号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 嶽山,正二郎
 東京大学 教授 末元,徹
 東京大学 准教授 長田,俊人
 東京大学 准教授 町田,友樹
 東京大学 准教授 徳永,将史
内容要旨 要旨を表示する

1.研究背景と目的

半導体の結晶技術の急速な進歩は良質な半導体二次元電子系の作成を可能としてきた。その結果、様々な分野で精力的に二次元電子系の研究が行われ、数多くの興味深い報告がされてきた。光学測定の分野では、主に遮蔽効果や多体効果が現れるような高電子濃度(電子のフェルミエネルギーが励起子の束縛エネルギーよりもずっと大きい場合)での研究や、強いクーロン相互作用が現れるような低電子濃度(電子のフェルミエネルギーが励起子束縛エネルギーよりもずっと小さい)領域での研究が現在も精力的に行われている。

低電子濃度の半導体二次元電子系では、電子(正孔)-励起子の励起子複合状態である荷電励起子が観測される。負の荷電励起子は、二つの電子と一つの正孔によって構成されている。そのため、荷電励起子のスピン状態は直接的に正孔と電子のスピン分裂の影響を受ける。閃亜鉛鉱型の結晶中では、二つのスピン一重項と六つのスピン三重項が存在する。磁場下ではゼーマン分裂と荷電励起子の束縛エネルギーの磁場依存性によって、それぞれの荷電励起子のエネルギー状態の縮退が解ける。しかし荷電励起子発光の終状態は伝導帯であり、直接的に発光ピークエネルギーの議論からスピン分裂を議論することができないため、発光強度や吸収強度とあわせて議論する必要がある。これまでの報告では、強磁場下での束縛エネルギーの変化を中心に議論されているが、伝導帯と価電子帯と荷電励起子のスピン分裂の関係についての実験での詳しい報告はない。

希薄磁性半導体である(Cd,Mn)Teは、磁場と温度によって電子や正孔のスピン制御を期待できる物質である。低温磁場下では、局在するMnイオンと自由電子の間に働くs,p-d交換相互作用により、伝導帯や価電子帯に大きなスピン分裂が現れる。そのため(Cd,Mn)Te/(Cd,Mg)Teは非磁性の二次元電子系とはまったく異なる磁気発光スペクトルが現れ、強磁場下での伝導帯や荷電励起子のスピン分裂をより明確にする。しかしながら、これまでCdMnTeでの強磁場での荷電励起子発光の報告がまったくなかった。

そこで我々は、(Cd,Mn)Te/(Cd,Mg)Teを用いて強磁場での荷電励起子のスピン分裂に関する知見を得ること、及び(Cd,Mn)Te/(Cd,Mg)Teでの荷電励起子発光の振る舞いの統一的な知見を得ることを目的として、磁気発光及び吸収測定の温度依存性を測定した。

2.実験方法

本研究で用いた試料および、実験について概略を述べる。試料はポーランド科学アカデミーのG. Karczewskiらが作成した、希薄磁性半導体二次元電子系n-(Cd,Mn)Te/(Cd,Mg)Teの単一量子井戸である。磁場は非破壊ロングパルスマグネット(50 T前後)及び、一巻きコイル法(140 T)を用いて発生させ、各温度における発光スペクトル及び吸収スペクトルの磁場依存性を測定した。励起光源にはAr+レーザーを使用し、ファイバー光学系でクライオスタット内に設置した試料にレーザー光を導いている。

3.実験結果

図1はMn濃度1.8 %、電子濃度2.2×10(11) cm(-2)の試料における、磁気発光のストリーク画像である。磁場の増加に伴い、σ(-)の発光ピークはゼーマン分裂により即座に消失し、σ(+)の発光ピークだけが観測される。電子の充填率(ν)が1以上の磁場領域(B<9.4 T)ではランダウ準位間遷移が観測され、高濃度の半導体二次元電子系と似た磁気発光スペクトルを示す。一方で、ν<1の強磁場領域では励起子的な振る舞いを示す発光スペクトルとなり、鋭く強い発光ピークか観測される。2Kにおいて、5T前後から現れる発光ピークは、ゼーマン分裂量が最も大きいJ=+1/2のスピンを持つ三重項荷電励起子(Xt-(J=+1/2))の光学遷移によるものである。一方で、50 T付近からXt-(J=+1/2)の低エネルギー側に現れる発光ピークは、一重項荷電励起子(Xs-(J=+3/2))の光学遷移によるピークである。この二つの発光ピークのエネルギー差は約3.5 meVであり、Xs-(J=+3/2)とXt-(J=+1/2)の束縛エネルギー差に相当する。

図1(b)からわかるように、温度の増加に伴いXs-(J=+3/2)の発光強度は増大し、また今まで観測されなかった磁場領域(10~50 T)でも観測されるようになる。これは、弱磁場(2 Kで7 T以下、20 Kでは、13 T前後)でXs-(J=+3/2)とXt-(J=+1/2)のスピン交差が起きたことを示しており、2 K、20 Kともに、20~60 Tまでの磁場領域ではXs-(J=+3/2)のエネルギー状態はXt-(J=+1/2)のエネルギー状態よりも高エネルギー側にあることがわかった。

20 Kの場合でも、Xs-(J=+3/2)とXt-(J=+1/2)発光ピークのエネルギー差は10 T~ 50 Tの間で3.5 meV前後でほぼ一定であるが、40 Tを超えるとXs-(J=+3/2)の発光強度は磁場の増加に伴い増加していく事が確認される。これは50 T付近では、磁場の増加に伴いXs-(J=+3/2)とXt-(J=+1/2)のエネルギー差が減少しているためである。

荷電励起子のスピン分裂は、ゼーマン分裂と束縛エネルギーの磁場変化によって決定する。我々の試料の場合Xs-(J=+3/2)とXt-(J=+1/2)の束縛エネルギー差は、20~60 Tの範囲で3.5 meVでほぼ一定値を保っている。一方で、ゼーマン分裂はs,p-d交換相互作用と半導体中の裸の電子(正孔)のg因子によるゼーマン分裂(EZ(H)=gμBH)が存在する。これらを考慮した場合の荷電励起子と、伝導帯のスピン分裂の計算値を図2.に示す。2 Kでは、Xs-(J=+3/2)とXt-(J=+1/2)は3 T前後でスピン交差を起こし、Xt-(J=+1/2)が最低エネルギー状態になっているが、20 Tを超えると、Xs-(J=+3/2)とXt-(J=+1/2)のエネルギー差が減少していき、65 T前後で再びスピン交差が起きる事がわかる。また、温度の増加は、s,p-d交換相互作用の減少を招き、Xs-(J=+3/2)とXt-(J=+1/2)のエネルギー差を減少させることも説明できた。この単純な計算モデルでは、伝導帯も100 T付近でスピン交差を起こすと考えられる。そこで一巻きコイル法での発光と吸収測定を行った。

図3は20 Kにおける60 T以上での発光スペクトルを表している。60 T以上の強磁場でも束縛エネルギー差の変化は観測できず、また63 Tと82 Tの間でXs-(J=+3/2)とXt-(J=+1/2)の発光強度が入れ替わることから、二度目のスピン交差が起きた事がわかった。図4 (a)は、三重項荷電励起子の発光強度を、全発光強度で割ったものである。丸が実験値で実線が、図2で出したXs-(J=+3/2)とXt-(J=+1/2)のエネルギー分裂から得られる計算値を表している。60 T付近までは、30 T前後までは2 K、20 Kともに、実験値と計算値がほぼ一致している。しかし60 Tを超えると、計算値と実験値は大きくずれていく。このずれは、磁場の増加に伴い伝導帯のg因子が増加していることが原因であり、Xs-(J=+3/2)とXt-(J=+1/2)のエネルギー差が線形に変化しなくなるためである。図4 (b)は、図4(a)からもたらされる、伝導帯のスピン分裂を表している。図2の単純モデルの計算とは異なり、downスピンとupスピンのスピン交差は140 Tでも起こらず、140 Tでの二つのスピン間のエネルギー差は2 meV前後存在することがわかった。図4(c)は伝導帯電子のg因子の磁場依存性を示している。磁場の増加に伴い伝導帯電子のg因子は増加していることがわかった。BalkのGaAsの場合、伝導帯電子のg因子の増加量は0~100 Tで約0.45前後であり、我々の試料では伝導帯の裸の電子のg因子の増加量は100 T で0.46と似たような値を示している。

図5.は、60 T以上の強磁場での吸収スペクトルを表している。荷電励起子の吸収強度は伝導帯の電子数を反映するため、伝導帯電子のスピン分裂量を知る手がかりとなる。図5.からわかるように、強磁場下で三つの吸収ピークが観測さる。発光ピークと照らし合わせた結果、Xt-(J=+1/2)、J=-3/2の一重項荷電励起子Xs-、J=+1/2の軽い正孔の荷電励起子Xlh-の吸収ピークである。Xs-(J=+3/2)の吸収ピークは120 Tでも観測されないことから、伝導帯のupスピンとdownスピンのエネルギー差は大きく、upスピンの電子がほとんど存在しない事がわかった。

また以上の結果は、Mn濃度が異なる試料でも同様の振る舞いが現れており、Mn濃度1~3 %の試料での強磁場下での荷電励起子発光を定量的、または定性的に説明することに成功した。

4.総括

本論分では、希薄磁性半導体二次元電子系n-(Cd,Mn)Te/(Cd,Mg)Teを用いて、強磁場下での発光測定及び吸収測定から荷電励起子および伝導帯のスピン状態について議論した。s,p-d交換相互作用と裸の電子のg因子を考慮し、伝導帯の電子及び価電子体の正孔によるスピン分裂の和で荷電励起子のスピン分裂を定量的に説明できることがわかり、強磁場での(Cd,Mn)Te/(Cd,Mg)Teにおける荷電励起子発光の振る舞いが解明された。また同時に、伝導帯電子のg因子の磁場依存性を、荷電励起子の発光強度の磁場依存性から求めることに成功した。

図1. (a) 2 K, (b) 20 Kにおける磁気発光のストリーク画像。励起強度は5 W/cm2である。

図2. 荷電励起子及び、伝導帯のスピン分裂の単純モデルによる計算。実線は2 K、点線は20 Kの場合を表している。

図3. 強磁場での発光スペクトル

図4. (a)Xt-(J=+1/2)の発光強度比の磁場依存性。(b)伝導電子のスピン分裂。(c) g因子の磁場依存性。赤は2 K、青が20 Kの場合を表している。

図5. 強磁場での吸収スペクトル

審査要旨 要旨を表示する

半導体量子構造ではその低次元性故に光励起下での励起子効果がひと際強い。近年、励起子に更に電荷が付随した荷電励起子が盛んに観測されるようになり、理論的解明も進んできた。これまでSiやGaAs等のIII-V族化合物半導体を用いた低次元量子構造での荷電励起子の報告が多いが、極性が強く励起子効果が顕著であるII-VI族半導体低次元系においても荷電励起子に関する多くの研究が盛んになされている。荷電励起子の光学スペクトルは構成電荷のスピン状態により大きく影響される。従って、荷電励起子は強磁場環境ではその系のスピン状態に応じて一重項及び三重項荷電励起子に分類され多様な振る舞いを示す。また、荷電励起子はその励起状態だけでなく基底状態のスピン状態にも大きく作用される点が励起子とは異なるところであり、荷電励起子光学スペクトルを詳細に調べることにより、基底状態のスピン情報をも得ることに繋がる。

磁場下での荷電励起子光学スペクトルは、ゼーマン分裂と束縛エネルギーの変化に大きく作用される。荷電励起子の束縛エネルギーはその種類に大きく依存し、強磁場での一重項及び三重項荷電励起子の束縛エネルギーに関しては、それぞれ実験及び理論の詳細な研究がなされている。結局は、荷電励起子を構成する3体問題とクーロン遮蔽に寄与する電子相関の強磁場での問題に帰着することになる。

本論文では希薄磁性半導体(Cd,Mn)Te量子井戸構造を用いて、超強磁場での一重項及び三重項荷電励起子の振る舞いを明らかにしようとした。Mnスピンによる内部磁場を外部磁場で打ち消すことにより電子のゼーマン分裂を限りなく零に抑えることができる。このことを上手く利用して超強磁場下での一重項及び三重項荷電励起子の同時観測を実現した。これまで強磁場の発光過程では、後者のゼーマン分裂による低エネルギーシフトが障害となり前者の観測は困難であった。変調ドープされたn型の量子井戸(Cd,Mn)Te/(Cd,Mg)Teでは磁場印加により多彩な磁気発光スペクトルが観測される。本論文では先ず超伝導マグネットを用いて定常磁気発光及びピコ秒時間分解発光から得られるダイナミクスから多様に現れる磁気発光スペクトルの同定を行った。さらに、強磁場領域を調べるために非破壊ロングパルス強磁場及び一巻きコイルショートパルス超強磁場を用いた発光及び吸収スペクトルの高精度測定の技術開発を進め、系統的な測定と解析を行った。ここで、量子井戸の僅か10 nm1層という微小領域からの発光及び吸収測定を1 □秒というこれまでの1000分の1の露光時間での光計測を超強磁場下で可能にしたことは特筆に値する。超強磁場までの全磁場領域での発光ピークの同定を行った結果、弱磁場では一重項荷電励起子、及び最低ランダウ準位間遷移の発光が観測され、7 T 以上では三重項荷電励起子遷移が強くなることを確認した。電子の充填率ν<2の強磁場極限では最低ランダウ準位の「隠れた対称性」が顕在化し、電子・正孔間の実質的クーロン相互作用が強くなり、これらの束縛エネルギーの増大が見られ、発光スペクトルが単純になる。このことにより磁気発光スペクトルは単純な2本の線に集約する。そこで、50 T以上の強磁場では再び一重項荷電励起子の発光が観測されるようになり、100 T以上で一重項荷電励起子発光が支配的になることを明らかにした。ここで、一重項及び三重項荷電励起子の「隠れた交差」が起きていることを示した。さらに一重項及び三重項荷電励起子発光の同時観測をうまく利用して基底状態である伝導帯電子のランデ因子を決定することに成功し、100 Tを超える超強磁場までの振る舞いを明らかにした。これにk・p摂動計算を拡張しスピン交換相互作用を取り入れた修正ピッジョン・ブラウンモデル(PB)を適用し、実験結果とのよい一致をみた。最後に、超強磁場の一重項及び三重項荷電励起子の束縛エネルギーに関する情報を得た。これから磁場とともに一重項荷電励起子の束縛エネルギーが増大することを示した。このことは既存の理論では予測されていない。超強磁場によって電子の実効的量子閉じ込めが弱くなったことが原因であると結論付けた。本論文は以下の構成からなる。

第1章では、これまで半導体二次元電子系で行われてきた磁気光学的研究について広く述べている。 特に、強磁場下での荷電励起子の光学的特徴を紹介し、未解決の問題を指摘し、本研究の動機を示した。 第2章では、半導体二次元電子系における基礎的な光物性と、希薄磁性半導体(Cd,Mn)Teの特性を述べ、ここで実現する荷電励起子についてのこれまでの研究を述べている。また、電子スピン状態の摂動計算のため修正PBモデルを用いた計算を行った。 第3章では、使用した試料の詳細、作成した非破壊型ロングパルスマグネットについて、また、より強磁場発生のための非破壊パルスマグネット「一巻きコイル法」と、これによる構築した磁気光学測定系の詳細を述べている。 第4章では、10 T以下の弱磁場領域での磁気発光測定と時間分解分光測定の結果を示し、多様に現れる磁気光学スペクトルの発光線の同定を試みている。 第5章では、パルス強磁場での磁気発光測定について述べている。磁気発光スペクトルの温度依存性から強磁場領域での発光線の同定を行い、強磁場で三重項だけでなく一重項荷電励起子遷移も観測されることを示した。また100 Tを超える超強磁場での発光ピークエネルギーから、一重項荷電励起子の束縛エネルギーについての新たな知見を得ている。一重項、三重項荷電励起子の発光強度比からこれらのスピン分裂を決定した。この荷電励起子のエネルギー状態は、伝導帯のスピン分裂と束縛エネルギーで決まることを示した。また、一重項及び三重項荷電励起子の強磁場発光過程から伝導帯電子のスピン状態を決めることを行い、修正PBによる伝導帯のスピン分裂の計算と比較検討している。さらに、直接的に伝導帯のスピン分裂の様子を探るため荷電励起子の励起過程、すなわち吸収測定を行った。その結果、吸収測定で得られる伝導帯のスピン分裂の情報は発光測定から得られた結果と一致することを示した。最後に、第6章で本研究をまとめている。

以上のように、本論文では複雑な実験システムの工夫により、希薄磁性半導体量子構造における2次元電子系を用いて100 Tを超える超強磁場までの磁気光学測定を成功させた。ここで、自由電子が高濃度状態であっても超強磁場環境では荷電励起子束縛状態が安定化し、これによる光遷移が支配的になることを示した。また、ここで実現する一重項荷電励起子の束縛が磁場とともに強くなることを明らかにし、光励起で実現する電子・正孔の超強磁場での3体及び多体問題に関する新しい知見を得ることに成功したといえる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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