No | 124592 | |
著者(漢字) | 上村,淳 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | カミムラ,アツシ | |
標題(和) | 拡散および反応系の統計力学的研究 | |
標題(洋) | Statistical Mechanical Study of Diffusion and Reaction Systems | |
報告番号 | 124592 | |
報告番号 | 甲24592 | |
学位授与日 | 2009.03.23 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(工学) | |
学位記番号 | 博工第7026号 | |
研究科 | 工学系研究科 | |
専攻 | 物理工学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 1 導入 統計物理学の目的は、巨視的な物体すなわち莫大な数の個別の粒子からなる物体の性質を明らかにすることである。近年では、計算機の進歩によってその莫大な自由度を扱うことが可能となってきており、平衡近傍に加えて、特に非平衡系の挙動を調べる際に有効な手段となっている。非平衡系と一言にいっても考えられる系は様々であるが、興味深い系として化学反応系がある。非平衡状態における化学反応系の典型的な例として生命現象が挙げられる。地球上には多種多様な生命が存在し、それらは太陽からのエネルギーを吸収すると同時にそれらを散逸させながら、自らを維持・進化させている。20 世紀の生物学の進歩によって、その生命活動が非常に複雑な化学反応によって支えられていることが明らかとなり、個々の反応とそれに関与する酵素の遺伝情報までもが明らかになってきた。にもかかわらず、なぜ生命がそのような形態をとったのか、または別にそのような形態をとる必要はなく、たまたま地球上ではそうなっているのか、といった疑問は、古くはシュレディンガーなどにより興味がもたれているが、未だ十分な答えが得られていない。多数の反応が複雑なネットワークをなして進行してゆく非平衡現象として生命をとらえた場合、非平衡反応ネットワークの理解は生命現象の前では未だ不十分であるといわざるを得ない。 こうした問題に普遍的な性質を探ろうという先駆的な研究として、I.Prigogine による散逸構造理論があげられる。彼らはこのような系を、外界と物質やエネルギーのやりとりをすることによって平衡からは遠く離れた状態に駆動されている非平衡開放系としてとらえ、熱力学理論を拡張することにより研究した。その結果例えば、どのような系で秩序が形成されるかという問題の解明に道を拓いた。 以来さまざまな研究が展開されてきたが、熱力学・流体力学的な巨視的な扱いが主であった。非平衡反応ネットワークからの理解も、あらかじめ与えられた反応が、与えられた反応レートによって振舞う挙動がもっぱらに解析されてきた。また、近年、金子邦彦らによって生物を複雑系からの観点から研究が進められている。しかし、反応はナノスケールの分子のダイナミクスによって決定されるものであり、反応レートが上述の非平衡開放系の性質としての物質やエネルギーのやりとりとの関連からどのように与えられるのかという問題は未解決のままである。ナノスケールで少数の分子のみが関与する場合の多い生命現象では、巨視的な立場からの熱力学的な扱いで十分か否かも明らかではなかろう。また、合成や生産に必要な栄養成分や材料物質が有限であるような状況における拮抗は生命活動において重要な問題の一つであり、その有限性を陽に取り入れた解析は必要不可欠であろう。そのような背景から、統計物理学的なアプローチが必要となる。非平衡開放系における化学反応がどのように進行するかは生命現象の理解と応用の面から興味深い問題であるのみならず、化学工学・宇宙科学・原子力技術など幅広い分野にも直結する非平衡統計物理学の課題である。 このような動機のもと、ナノスケールでの挙動に基づき、統計物理学的に解明するため、確率モデルや分子動力学法を用いた剛体粒子シミュレーションを行った。 2 分子の少数性と栄養 個々の反応が外界からのエネルギーや物質の流れによって決定される確率モデルを提唱し、反応定数の反応エネルギー依存性を計算機シミュレーションおよび解析的な手法を使って理論的に解明した。 系内で起こる反応として、細胞内における遺伝-代謝の関係を示す最も単純なものとして提唱されている2 種相互触媒複製系を採用した。これは金子邦彦・四方哲也によって提唱されたモデルであり、細胞内における短い時間スケールで増殖する種および長い時間スケールで増殖する種の関係を端的に表した系である。この反応がレート方程式の仮定である反応物の濃度の積に比例して起こるとして、空間的に一様であると仮定した。またエネルギーや物質(以下、まとめてエネルギー、J と称する)が外界から系に定常的に流入するような状況を考え、系に蓄えられたエネルギーによって反応を進める。これによりエネルギーの外界からの流入および反応による消費・散逸によって系に蓄えられたエネルギーが揺らぎ、その揺らぎによって反応の進行が決定され、反応定数が決まる。 特に長い時間スケールで増殖する種について、その反応定数の反応エネルギー依存性に興味深い非平衡挙動が発見された(図1)。エネルギーの流入量ΔJが小さいときは平衡近傍で成り立つことが知られるアーレニウスの式に従う。この模型にはどこにも温度はなく何らの熱揺らぎもあらかじめ導入されていないにも係わらずにである。この場合にはエネルギーの流入速度、すなわち平均散逸速度の2乗が温度に相当する。さらにエネルギーの流入量が増加すると、反応エネルギーに対して指数関数的に小さくなるアーレニウスの式から冪乗に変化することが示された。また分子の少数性によって冪が変化することもわかった。これらの振る舞いは、計算機シミュレーションにより発見された後、エネルギーに関する保存則およびマスター方程式による解析によって説明できた。生物学的な観点から、この結果は、複製は難しいが生存には欠かせない分子を作る反応が、平衡近傍のアーレニウスの式よりも起こりやすいべき乗である非平衡領域を抽出し、そのような分子を生物が効率よく作っていることの一つの表れであると考えられる。 また、マスター方程式による解析から、この反応に特有の挙動ではなく、複雑な反応ネットワークで一般に見られる挙動であることが明らかとなった。実際、系内で起こる反応として、多種触媒ネットワーク系に適用した場合も、同様の振る舞いが見られることがわかった。また、我々のモデルでもこれまで知られていた多種触媒ネットワーク系における分子数のゆらぎがlog-normal 分布に従うことも見出した。 3 粒子シミュレーションと空間相関 空間相関を取り入れた粒子シミュレーションでは、空間次元依存性や流れのある場合の反応拡散過程を解析し、低次元性に起因する特異な振る舞い、拡散過程の異常性や反応の平均場からのずれなどを観測した。 分子や粒子が空間的に分布している場合、それらは一般にもとの場所にはとどまらず、拡散する。分子は一般に密度が高いところから低いところへ拡散し、拡散の度合いは拡散定数で表される。これらは空間次元に依存するであろう。特に空間次元と拡散に関連した問題として、低次元における異常発散がある。平衡近傍では、拡散定数は平衡状態での速度相関関数の積分で表されるが、相関関数が十分速く減衰しないと、熱力学極限でその積分が発散、つまりマクロに拡散定数が定義できない理論的問題がある。特に剛体粒子系ではロングタイムテールと呼ばれる相関関数の遅い冪減衰が知られている。このような背景のもと、実際に線形密度勾配があるような非平衡シミュレーションを行うことにより、この効果が見られるのかを確かめた。その結果、粒子サイズの数十倍から数百倍程度の大きさでこの効果が見られることがわかり、整合的なシステムサイズ依存性を見せることを発見した。 続いて、反応がある場合にどのような効果をもたらすかを調べた。最も簡単な例として、A+A→C+CおよびA+B→C+Dを採用した。最も簡単なモデル化として剛体粒子系にA、B などの色づけを行い、反応する粒子同士の衝突によって反応物に変化するというシミュレーションを行った。まず、全方向周期境界条件を課した孤立系について、A+A→C+Cでは、3 次元では平均場と整合的な反応物の濃度減衰を見せたのに対して、2 次元では、平均場よりも遅いlog の補正が加わった形での減衰を見せた。A+B → C+D では、平均的にA とB の濃度が同じであるが、空間的な分布のゆらぎに起因して、AまたはBだけのドメインを形成する効果が見られ、さらなる濃度減衰の遅れを見せた。続いて、反応物がマクロに流れている場合について計算を行った。化学工学などにおける反応チャネルなどでは、しばしば反応物は流れながら反応していく場合が多く、そのような状況下での反応物の分布などの知見は重要である。実際、異なる密度の粒子浴を系の両端につけることによりそのような流れを実現でき、上記の低次元性においてみせるlog 補正やドメイン形成を観測した。図2がA+B の場合のスナップショットである。反応物(白・黒)が分離しながら左から右側に流れていく様子が見られる。 また、こうした研究の派生として、剛体球モデルを使った熱拡散のシミュレーションも行った。熱拡散とは、混合粒子に温度勾配をつけると、一部の成分が高温側あるいは低温側に集まるという現象であり、同位体の分離など応用上重要な現象である。しかしながら、そのミクロスケールからの理解は十分ではなく、相互作用などにも敏感に依存する。質量の異なる2 種剛体粒子混合系に温度勾配をつけることにより、重たい成分が低温側に集まることが見出され、その度合いを表すソーレ係数の見積もりを行った。また、熱拡散効果に深く関連した課題として、近年、熱電気素子の効率向上が注目されている。これに対し、さらなる効率向上がキャリアやデバイスの内部自由度によりもたらされる可能性が指摘されており、実際にキャリアが内部自由度をもつような系について、効率向上が見込める結果を得た。 4 結論と展望 本研究では、統計力学的なモデルを用いて、ミクロなスケールのダイナミクスから主に反応および拡散系について研究を行った。その結果、分子の少数性、小さな系での揺らぎ、空間相関の影響といった観点から、平均場的な扱いとは本質的に異なる振る舞いを見せることがわかった。以上の結果は、非常に複雑な非平衡反応系の解析には、従来の平均場・熱平衡分布とは本質的に異なる扱いが必要であることが示唆されるものと考えられる。 | |
審査要旨 | この物質世界の様々な現象を分子運動に基づいて記述し、理解し、制御し、設計することを目標とする統計物理学も黎明期のマクスウェルやボルツマン・ギブスらの研究から百余年を経た今日、平衡状態およびそのまわりの線形非平衡現象については基本的な問題は解決しつつある。とはいえ現実の現象の多様性を前にすると、これまでの成果は今後の非線形非平衡研究への序番であったと思わざるを得ない。 この世界に見える多様性は、従来の熱統計物理学でよく扱かってきた熱力学的極限とは対極の巨視極限に位置すると考えられる。熱力学的極限は同じようなものが莫大な数集まってできる巨視世界を想定しているのに対し、多様性はそれぞれは少数ながら莫大な種類の異質なものが集まってできる巨視世界とする扱いが必要と思われるのである。 多様な現象の代表は生物であろう。1つの細胞が生きているという状態は、数千数万の遺伝子に制御された莫大な種類の分子の運動と反応として記述される筈である。 本論文はこうした問題意識を背景に、生物細胞を念頭に、ナノスケールでの反応系を分子動力学シミュレーションにより解析した結果を取りまとめたものである。その成果はまずはマイクロメートル以下の細胞内での現象を念頭においたナノスケール・メソスケールでの拡散過程・流れ・反応の再検討に始まる。3次元以下の空間でみられる異常ふるまいから、基本的な拡散反応系だけでも多様なふるまいが見られることを実証した。 さらに、熱ゆらぎに支配される分子が意味と機能とを獲得して素朴な熱ゆらぎでは容易には予想し得ないふるまいへと脱してゆくことを明らかにした。非平衡反応ネットワークを分析し、こうしたふるまいの鍵が相互触媒反応系であることを示した。この成果を踏まえ、たった2種類の分子からなる生物のモデルを提唱し、細胞の自己増殖をこのモデルの拡散反応系の枠内で説明することに成功した。 本論文の研究は、原子・分子の物理理論および熱統計物理学を、計算科学の手法および非平衡反応ネットワークの数理により、生物学に代表されるような多様性をもった複雑な非線形非平衡現象を扱う問題へと結びつけるものとして高く評価できる。博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 | |
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