学位論文要旨



No 124593
著者(漢字) 久保,拓矢
著者(英字)
著者(カナ) クボ,タクヤ
標題(和) ペロブスカイト型Mn酸化物の高ホール濃度域における結晶構造と軌道秩序の相関及び強磁性を誘発するBサイト置換効果
標題(洋)
報告番号 124593
報告番号 甲24593
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7027号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 朝光,敦
 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 教授 宮野,健次郎
 東京大学 准教授 求,幸年
 東京大学 准教授 佐藤,卓
内容要旨 要旨を表示する

ペロブスカイト型マンガン酸化物は、1994 年に巨大磁気抵抗効果(CMR) が再発見され[1]て以来、応用面・理論面の両方から各地で盛んに研究が行われてきており、その成果として光誘起金属絶縁体転移[2]、軌道秩序[3]、相分離現象[4]などさらに多くの物理を生み出してきた。こうした活発な研究によりこの系の物性物理的描像はかなりの部分が明確に把握され、次第に研究もまとめの段階へと突入してきたと言える。また、近年ではMnサイトへ他の金属元素を置換した不純物系について、高性能物質の探索の面からの研究も行われるようになってきた。それにより保磁力の増大やリラクサー強磁性体の電場スイッチングなど、不純物系特有の現象が多く見つかっている。

本研究では、こうした流れを受けて、ペロブスカイト型マンガン酸化物及び不純物置換した系において、未だ結論の出ていないいくつかのテーマに対し、体系的な視点から実験を行った。研究テーマは以下で詳細を述べるように全部で4つあり、それらを章分けして論文に掲載した。

テーマI 高ホール濃度域における格子と軌道秩序の関係

ペロブスカイト型マンガン酸化物R(1-x)SrxMnO3は高ホール濃度域(0.5<x<0.6)においてMnイオンのeg電子軌道が結晶のab面内に広がった配列をし、その面内ではスピンは強磁性的、面間では反強磁性的に配列することで電子の伝導性に異方性が生じ、二次元的な金属になるA-type反強磁性相が出現することが知られている。この軌道秩序相では軌道と格子のカップリングが強く表れ(ヤーンテラー効果)、そのためAサイトのイオン半径の違いにより、室温(常磁性)と低温(A-type反強磁性)共にorthorhombicの結晶構造を取るA1相と、室温でtetragonalで低温でmonoclinicの結晶構造を取るA2相との二つが存在する。この二つの構造の違いに注目した研究報告はこれまでに例が無く、本研究ではこれら結晶構造の違いも考慮した高ホール濃度域の全体相図を作成することにより、格子と軌道秩序の関係の統一的な理解に迫った。また、この二つの相境界直上に位置し低温でA1-A2の間の転移が起こる物質(Pr(0.4)Sm(0.6))(0.45)Sr(0.55)MnO3を発見し、その性質を詳細に調べることで構造が与える低次元電子相への影響を調べた。その結果、これら二つの構造のわずかなボンド角の違いにより抵抗が上昇し、二次元電子相は絶対零度で金属から絶縁体へと変化することが分かった。

テーマII 室温軌道秩序に対するCr置換効果

結晶構造の影響というのは、低温の磁気秩序相のみならず、室温付近での常磁性相においても短距離電荷整列相や一次元軌道整列相などの電子状態の違いとなって現れる。これらは電気伝導などの物性にはほとんど関与しないために研究報告例は少ないが、A-2相の室温域にあるI4/mcmの構造ではヤーンテラー効果に伴う酸素八面体のc軸方向への大きな歪が存在していることが構造解析からも確認される。(Pr(0.4)Sm(0.6))(0.45)Sr(0.55)MnO3では低温は単相であるが、室温ではI4/mcmとPnmaの二つの構造の相分離が観測される。通常エントロピーの関係から考えると低温が単相で高温が相分離というのは考えにくい。そこで、この原因がI4/mcm相の軌道秩序とPnma相の短距離電荷整列相の競合にあると考え、Mn(3+)イオンを軌道を持たないCr(3+)イオンへ置換することで構造への影響がどう表れるかを調べた。その結果、酸素八面体のtiltingによりI4/mcmからPnmaへの構造転移が起こり、その後再びI4/mcmへと構造が近づくというリエントラントな振る舞いが見られた。また、その転移の途中では低温において磁気的に異常な振る舞いが観測された。

テーマIII Cr置換による強磁性転移機構の統一的解釈

ペロブスカイト型マンガン酸化物R(1-x)SrxMnO3はホール濃度xを変化させることで、強磁性金属、CE型電荷軌道整列相、A-type反強磁性相、C-type反強磁性相など様々な磁気秩序相を作り出すことが良く知られているが、過去の文献を調べてみるとこれらのいずれの磁性相に対してもMnをCrで数%置換することで強磁性へと転移していることが分かる(母物質が強磁性の場合はそのまま強磁性を保つ)。しかし、過去の報告の大半はそれらの磁性相に単発的にCr置換したときの物性に対する効果を議論しており、そのため母物質の磁気秩序相が置換後の強磁性相にどのように影響するかについては注目されてこなかった。そこで、本研究では高ホール濃度域で母物質の相境界を跨いで連続的にホール濃度を変化させた試料を作り、その影響について詳細に調べた。その結果、母物質の磁性相の違いは低ドープ域におけるCr周囲の強磁性クラスターの広がりの速さや磁気アニール効果といった一部の物性にのみ現れ、それは主に母物質磁性相の持つ構造の違いに起因するものだという事が理解された。また、これまであまり議論の対象とされて来なかったCrを高濃度置換したときの磁気状態についても詳細に調べた。その結果、Cr高濃度域ではCr-Crの隣接サイトの増加により系のフラストレーションが増加し、それが強磁性金属-反強磁性絶縁体転移を誘発することが分かった。またその転移濃度近傍では低温で外部磁場を印加することでCMRが観測されることを発見した。これは、従来不純物系で報告されてきた低ドープ域の相分離状態で見られるものとは全く機構の異なる新しいCMRである。

テーマIV Ru置換による強磁性転移

最後のテーマはRu置換効果についてである。RuはCrと同じようにMnサイトへ置換してやることで反強磁性絶縁体-強磁性金属転移を誘発することが知られている。しかし、4d電子系であるためCrほどその機構は単純ではなく、そのためこれまでに多くの対立する諸説が存在する。それの例として、(i)価数の問題、(ii)スピン配置の問題、(iii)Mnとのスピン相互作用の問題、など根幹的な部分で未だ決着がついていない。そこで本研究ではテーマIIIで理解が深まったCr置換効果と同じ組成の物質を高品質で作り、その物性を詳細に比較検証することでそれらの問題や強磁性転移の機構についての一つの考えを示した。その結果、いくつかの物性から本系ではRu(3+)イオンが存在していることが示唆された。そこで、この伝導に寄与しないRu(3+)イオン同士の超交換相互作用はCr(3+)-Cr(3+)間のそれとは異なり強磁性的であるため、Ru(3+)同士の隣接サイト間にフラストレーションが発生せず、系は高不純物濃度(~50%)まで強磁性状態を保っていると結論付けた。

[1] A. Urushibara, Y. Moritomo, T. Arima, A. Asamitsu, G. Kido, and Y. Tokura, Phys. Rev. B 51, 14103 (1995).[2] K. Miyano, T. Tanaka, Y. Tomioka, and Y. Tokura, Phys. Rev. Lett. 78, 4257 (1997).[3] Y. Tokura and N. Nagaosa, Nature 288, 462 (2000).[4] E. Dagotto, Science 309, 257 (2005).
審査要旨 要旨を表示する

ペロブスカイト型Mn酸化物は、1994年に巨大磁気抵抗効果(CMR)が再発見されて以来、実験・理論面から精力的に研究が進められており、その成果として光誘起絶縁体金属転移、軌道秩序、相分離現象など多くの物理を生み出してきている。こうした活発な研究によりこの系の物性物理学的描像はかなりの部分が明確に把握され、次第に研究もまとめの段階へと進捗してきたといえる。しかしながら、近年ではMnサイトへの不純物置換によって生じる不純物系特有の新機能性(たとえば、保磁力の増大やリラクサー強磁性体)やその発現機構の解明に再び注目が集まっている。このような状況を踏まえ、本論文は、とくに多彩な磁気・軌道秩序相を有するMn酸化物高ホール濃度域における不純物置換効果に着目し、結晶構造変化と軌道秩序の相関および誘起された強磁性金属相の発現機構について実験的研究を行ったものである。

本論文は全8章よりなる。

第1,2章はペロブスカイト型Mn酸化物の基礎物性と過去の研究について概説し、本論文の構成・目的が述べられている。

第3章は実験方法であり、試料作成・評価方法、基礎物性測定(電気抵抗、磁化率、圧力効果)、および粉末X線結晶構造解析手法について詳細に述べられている。

第4章は高ホール濃度域における結晶構造と軌道秩序の関係について調べたものである。R1-xSrxMnO3の高ホール濃度域(0.5<x<0.6)では、A-typeと呼ばれる磁気・軌道秩序相が出現することが知られているが、Aサイトイオン半径の違いにより室温結晶構造はA1(orthorhombic)相とA2(tetragonal)相が現れる。この違いに着目し、Cr不純物置換による結晶構造変化(特にMn-O-Mnボンド角)を詳細に追跡することにより、不純物効果が軌道秩序を抑制するためにA1相が広い範囲に広がること、すなわちA2相は(平均イオン半径のみならず)軌道秩序によって安定化されているとのメカニズムを明らかにした。

第5、6章は、Cr不純物置換効果を数十パーセントの高ドープ域まで調べ、室温軌道秩序に対する効果と強磁性転移機構の統一的に考察したものである。母物質がCE-typeと呼ばれるMn酸化物にCr5%程度のドープをした場合、強磁性金属相が誘起されることはよく知られているが、その発現機構として、いわゆるドミノモデル(CrスピンがMnスピンと反強磁性的に結合し強磁性クラスタを生じる)が今までに提唱されている。本研究では母物質がA-typeのときに誘起される強磁性金属相について、低Crドープ域では基本的に同じ機構で強磁性クラスタができるが、Cr10%以上の高ドープ域では、Cr-Cr隣接サイトの増加により系のフラストレーションが増大し、それが強磁性金属-反強磁性絶縁体転移を誘発することが明らかにされている。また、その転移濃度近傍では低温において、Cr-Cr相互作用によって誘起された磁壁による保磁力の増大や、磁壁由来と考えられるCMR効果を発見している。

第7章は、Ruイオン置換効果である。RuはCrと同じく反強磁性絶縁体-強磁性金属相転移を誘発することはよく知られているが、Ru置換によってむしろ強磁性転移温度が上昇するなど興味深いふるまいを示すが、その機構は単純ではなく、そのため多くの対立する説が存在する。主に、(i)Ruの価数の問題、(ii)スピン状態の問題、(iii)Mnとのスピン相互作用の問題、などが挙げられよう。本章では、磁気測定、熱起電力測定などから上記の問題について一つの矛盾のない解答を与え、また、電気伝導機構についてMn-O-Mnボンド角がRuドープにつれてより歪んでいくことによってトランスファーの増大を与え、ひいては強磁性転移温度が上昇することに寄与している、との結論を与えている。

第8章はまとめと今後の展望である。

以上を要するに本論文は、ペロブスカイト型Mn酸化物R1-xSrxMnO3の高ホール濃度域(x>0.5)における不純物効果を詳細かつ系統的に調べることによって、軌道秩序と結晶構造安定化の問題と不純物誘起強磁性金属相について統一的な理解が可能であることを実験的に示し、Mn酸化物における不純物による物性制御の基礎となる物性物理学的な理解と指針を与えたものと考えられる。

これらの点で、本研究は物性物理学、物理工学の進展に寄与するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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