学位論文要旨



No 124597
著者(漢字) 高橋,優樹
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,ヒロキ
標題(和) 二光子検出による非ガウス状態の生成と連続量量子エンタングルメント蒸留に関する研究
標題(洋)
報告番号 124597
報告番号 甲24597
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7031号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古澤,明
 東京大学 教授 五神,真
 東京大学 教授 永長,直人
 東京大学 准教授 香取,秀俊
 東京大学 准教授 井上,慎
内容要旨 要旨を表示する

(本文)本研究では、スクイーズド光と呼ばれる非古典光を資源に光子検出とホモダイン検波を組み合わせて新奇な光の状態を生成し、測定評価した。その結果、二つの主要な実験成果を得た。一つは、スクイーズド光に2-photon subtractionと呼ばれる操作を施すことでシュレディンガーの猫状態と俗称される非常に非古典性の高い光の状態を実現したことである。他方の実験ではこの2-photon subtractionの手法をやはりスクイーズド光をもちいた2-modeの系に援用することで、その系の量子縺れを増加させることに成功した。以下、これら2つの実験のおのおのについて述べる。

1, 2-photon subtractionを用いたシュレディンガーの猫状態の生成

量子光学において"シュレディンガーの猫状態"(以下猫状態)とは、位相が互いに180度だけずれた二つのコヒーレント光の重ね合わせ状態のことを指す。特に構成するコヒーレント光の振幅値が大きい値をとる場合、この猫状態は古典的な状態からはかけ離れた状態となり、その違いは位相空間におけるWigner関数の振る舞いに顕著に反映される。このような状態は量子力学に於ける量子・古典境界の探索の見地などから80年代から注目を集めた。また、最近ではこれらの状態の量子情報処理における応用が発見され、実験的にこれらの状態を構成することがつとに望まれるようになった。しかし、このような猫状態を生成するには巨大な非線形効果を極めて低損失な環境で引き起こす必要があり、唯一共振器QEDにおけるリドベルグ原子との相互作用を利用してマイクロ波領域の共振器場について報告がある限りである。一方で、エンタングルメントを介して射影測定の効果を非破壊的に利用し、実効的に非線形な状態変化を実現するという方法が知られている。本研究の主題であるphoton subtractionはまさにこの手法にのっとり顕に高次の非線形過程を利用せず、線形光学素子と測定を組み合わせることで猫状態またはそれに付随した状態を生成する。photon subtractionはその名が示す通り光子を引き抜く過程に相当するが、具体的には、スクイーズド光のごく一部をビームスプリッターによる反射で取り出し、その部分に光子数測定を施すことでビームスプリッターの透過側の状態に変化を引き起こす。光子数測定の結果によって、生成される猫状態の振幅は変化するが、加えて光子数測定の結果の偶奇によって猫状態の光子統計性も変化する。すなわち、反射側で偶数個の光子が検出された場合は偶パリティの猫状態が生成され、奇数個の光子が検出された場合は奇パリティの猫状態が生成される。本研究以前においてすでに一光子検出をもちいたphoton subtraction、すなわちsingle-photon subtractionの成功例が数件報告されていた。この場合は、先の対応から奇パリティの猫状態に相当する状態が生成されたことになる。この度、我々はこの手法を二光子検出に拡張し、すなわちスクイーズド光からの2-photon subtractionを実現し、偶パリティの猫状態を生成することに成功した。single-photon subtractionからの基本的な変更点は光子検出の部分で、一台の検出器が使われていたところを二台の検出器の同時検出に置き換えるだけであるが、実験としては検出頻度が1/1000程度になるため格段の安定性が求められる。また、一光子検出から二光子の検出になったことでこれら二光子のおのおのが検出される時刻の時間差という新たな自由度が現れる。さらに、我々はこの時間差が生成される状態を本質的に変化させるということを見出した。検出される二光子の間に有限の時間差があると実効的に二つの独立な時間モードが励起され、そのどちらかから二光子が引かれるという状況ができる。そして、実際そのどちらかから光子がひかれたのかということは量子重ね合わせの意味で不確かとなっている。この事実は、生成される状態をこれらの時間モードで見た際に新たな重ね合わせの状態に置く。この効果を利用すれば二光子検出の時間差を選ぶことで、生成される状態の重ね合わせの具合を調節でき、猫状態の振幅を増やすことが可能となることがわかった。我々は、この時間差をふりつつ2-photon subtractionの実験を行い、生成された状態をホモダイントモグラフィーで再構成した。そして、実際に時間差によって猫状態が変化することを確認した。結果として、時間差が32nsの場合に、振幅値が1.4の猫状態に対応する状態を観測した。これは今まで、進行波で観測された猫状態としては最大の振幅値を持つものである。

2, photon subtractionを用いた連続量量子エンタングルメント蒸留

エンタングルメントは量子情報処理の根幹をなすものである。特に、量子通信の分野では離れたパーティーの間で純度の高いエンタングルメントを共有することがしばしば必要となる。例としては、量子暗号通信やそれに付随した量子中継器がある。またほとんどの場合、通信の手段としては光を用いた通信路が用いられる。しかしながら、通信路における不可避の損失のためにエンタングルメントはその分配の過程で必ず劣化してしまう。そのため、分配後にエンタングルメントの純度を取り戻す"エンタングルメント蒸留"と呼ばれる手続きが考案され、研究されている。エンタングルメント蒸留では、複数の劣化したエンタングルド状態に対してそれらを保有するそれぞれのパーティーで局所的に量子操作を行い、またパーティー間で古典通信を行うことで少数のよりエンタングルしたペアを取り出す。qubitを用いた系においてはエンタングルメント蒸留の実証実験はすでに複数件行われているが、一方連続量系ではいまだに本質的な実証は報告されていない。それは、連続変数系ではガウス操作のみによりガウス状態のエンタングルメントを上昇させることが不可能であるため、その実証には実験的により困難な非ガウス操作が必要となるためである。今回我々は、1で確立したphoton subtractionの手法を2モードのガウス状態に適用し、その前後でのエンタングルメントの量を測定した。まずスクーズド光を50/50のビームスプリッターで分割することで2モードのエンタングルした状態を作る。スクイーズド状態はガウス状態の一種であるので、分割して生成される状態もガウス状態となる。この2モードのおのおのから一光子を引き抜くとその作用により2モードにわたる非ガウス状態が生成される。さらに理論計算から、あるスクイージングの領域においてはこの過程の前後で2モードの状態が有するエンタングルメントの量が増加することが示される。今回我々はそれを実証すべく実験をおこなった。実験系は2モードの片方に関しては以前の2-photon subtractionのものを流用し、それと対称的にもう片方のモードのための光学系を準備した。この実験においては2モードの状態のトモグラフィーが必要となる。シングルモードの場合と比べて2モードの状態の空間は次元が高いため通常であれば必要となるデータの量は急激に多くなるが、今実験の場合は状態のもつ対称性のためにそのデータ量を抑えることができ、結果として測定に要する時間をシングルモードの実験と同程度にすることが可能となった。ただし、二箇所のホモダイン検出においてそれぞれの位相を同調しつつ独立にロックし、なおかつそれらのロックのポイントを任意に設定できる必要があった。これらを従来のアナログ回路で実装すると実験上の手続きが非常に煩雑になってしまうので、FPGAを導入しPCから適宜コントロールできるようにした。この作業は、実験の負担を減らすとともに誤りを防ぎ、手順だって実験を進めることを可能にした点で実験そのものの成功に大きく寄与したと言える。これらの準備の後、光子検出で条件づけられた状態のトモグラフィーを行い、エンタングルメントのネガティビティの計算を行った。その結果、photon subtractionによるエンタングルメントの上昇を確認した。

審査要旨 要旨を表示する

90年代初頭からの量子情報科学の勃興に伴い、量子光学実験の分野においては新奇な量子状態を生成し観測する研究が精力的に行われてきた。特に、連続量を用いた量子情報の文脈ではスクイーズド光に代表されるガウス状態を用いた研究が大きく進展してきたが、一方でガウス状態のみに限定された場合の本質的な限界が認識され、近年では非ガウス状態を実験的に生成する試みがいくつか行われている。一般の光学的な量子計算における困難と同様、非ガウス状態を生成する際の問題は高次の非線形過程を実現する困難に起因する。論文提出者は測定誘起型非線形過程と呼ばれる、エンタングルメントを介した射影測定の反作用を利用して確率的に非ガウス状態を生成する手法を用いた。光子の引き抜き (photon subtraction) はこの手法に法りスクイーズド光からシュレディンガーの猫状態(コヒーレント状態の重ね合わせ状態)を近似的に生成する技法として知られており、本研究以前には一光子を引き抜く実験が行われていたが、本研究ではそれをより高精度化するとともに二光子を引き抜く実験を行った。一光子の引き抜きが奇パリティ(奇数個の光子の重ね合わせ)のシュレディンガーの猫状態を生成するのに対して、二光子の引き抜きは偶パリティ(偶数個の光子の重ね合わせ)のシュレディンガーの猫状態を生成する。偶奇のシュレディンガーの猫状態を両方生成する能力を得るということはコヒーレント光を用いた量子計算の観点から非常に重要であると考えられる。

また、光子の引き抜きを2モードの系に適用することにより、ガウス型のエンタングルメントを局所操作により増加させることが可能であることが分かっている。これはエンタングルメント蒸留と呼ばれる量子操作の一種と見なせるが、ガウス型の操作のみではガウス型のエンタングルメントを増強することが不可能なことが証明されており、光子の引き抜きによるエンタングルメント蒸留は代表的な非ガウス操作の応用と考えられている。本研究ではこのエンタングルメント蒸留の実験を行った。

本論文は以下の8章からなる。以下に各章の内容を要約する。

第1章では、導入として本研究の背景について述べ、その上で本研究の概略を示し、さらに本論文の構成について述べている。

第2章では、後続の章を通じて必要となる基本的な量子光学の理論について述べている。代表的な量子状態の特性とその表現を紹介している。また、ガウス状態とガウス型操作の概念を共分散行列およびシンプレクティク変換を導入して説明している。その他、ホモダイン測定および最尤推定法による量子状態の再構成についても述べている。

第3章では、前章の内容を下敷きとして実験と直接対応する理論モデルを与えている。具体的には共振器を用いたスクイーズド状態生成と光子引き抜き操作について詳細な計算を行っている。

第4章では、実験系および実験に用いられた種々の技術について述べ、また補足的な実験データを示している。全体の実験図を示した後、主たる非線形光学デバイスである光パラメトリック発振器と第二高調波生成用外部共振器についてそれぞれ述べている。次に、光の相対位相をロックする方法の一般論について述べている。ホモダイン検出器の特性に触れた後、実際にスクイーズド状態を生成した結果を示し、実験結果と理論との比較をして前章で与えたモデルの妥当性を確認している。次に、APD前に構築された、フィルター共振器系の記述が続き、最後にFPGAを用いた位相ロックの手法について述べている。

第5章では一光子引き抜きの実験とその結果について述べている。まず、光パラメトリック発振器から生成されるスクイーズド光の周波数特性を考慮したより詳細な理論モデルを与えている。次に実験方法を述べ、さらに実験結果について述べている。

第6章では二光子引き抜き実験とその結果について述べている。前章同様、まず詳細な理論モデルの記述を行うがその際、二つの光子引き抜きのイベントの時間差に依存して非自明な量子干渉が起こることを説明している。次に実験手法を説明した後、イベントの時間差に応じて形状の異なるWigner関数が得られた結果を示し、議論している。

第7章では光子引き抜きを用いたエンタングルメント蒸留の実験について述べている。エンタングルメントおよびエンタングルメント蒸留の一般論を説明し、光子引き抜きを用いた場合の状態の計算を行っている。それを踏まえて、2モードの状態のトモグラフィーを効率的に行う指針を示し、その手法について述べている。続いて実験結果を示し、そのエンタングルメントの評価について述べている。とくに、密度行列の次元に依存した評価エラーについての考察を行っている。その結果低ポンプの領域においてはエンタングルメントの増加が観測されたと結論している。

第8章では、本研究の結果をまとめ、最後に課題と今後の展望を述べている。

以上のように、本研究は、光子引き抜きという共通の実験技法を基盤として、シュレディンガーの猫状態の生成とエンタングルメント蒸留という二つの実験を行った。前者においては、まず従来の一光子の引き抜きを改善するとともに初めて二光子の引き抜きの実証に成功した。さらに、イベントの時間差によって量子干渉効果が観測されることを発見した。後者では、ガウス型操作のみでは不可能である量子操作の典型例として長らく手付かずであったガウス型エンタングルメントの蒸留に初めて試み、肯定的な結果を得た。両者ともに、量子光学における量子状態の準備、操作をいまだ未開拓の非ガウス領域に拡張し成功した点で重要であり、光を用いた量子情報処理に向けて次なる実験研究の基礎を築いた点からも物理工学の発展への寄与は大きい。

よって、本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認める。

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