学位論文要旨



No 124598
著者(漢字) 竹野,唯志
著者(英字)
著者(カナ) タケノ,ユイシ
標題(和) 非ガウス型状態の時間領域量子テレポーテーションの研究
標題(洋)
報告番号 124598
報告番号 甲24598
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7032号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古澤,明
 東京大学 教授 五神,真
 東京大学 教授 永長,直人
 東京大学 准教授 香取,秀俊
 東京大学 准教授 井上,慎
内容要旨 要旨を表示する

量子情報処理や量子情報通信の分野は近年盛んに研究が行われており、量子力学に特有な「状態の重ね合わせ」や「量子エンタングルメント」などの性質を積極的に用いることで従来の古典力学の枠組みでは達成できない高速計算や大容量通信、原理的に盗聴不可能な通信など、様々な応用の実現が期待されている。その中でも量子テレポーテーションは特に重要なプロトコルであり、量子ネットワークや量子計算の実現に重要な役割を果たす技術であるとして注目されている。量子テレポーテーションとは、二者間で量子エンタングルメントを共有することによって可能となるプロトコルで、情報のキャリアを直接伝送することなく、古典的な情報通信によって任意かつ未知の量子状態を原理的には完全に伝送することができるというものである。最近になって量子テレポーテーションをベースとした量子計算の手法が提案され、量子テレポーテーションはますます重要な技術として注目されている。

量子情報処理においては扱う物理量によって離散変数と呼ばれる場合と連続変数と呼ばれる場合の二通りがある。離散変数を扱う実験では光子の偏光状態や電子のスピンといった二準位系が用いられる。それに対して連続変数を扱う実験においては調和振動子の位置と運動量といった共役な物理量の組が用いられる。光の実験では直交位相振幅と呼ばれる電場のsin成分とcos成分に対応する物理量が用いられる。量子テレポーテーションは既にどちらの場合においても実験的に実現されている。また現在までに光の量子状態にとどまらず、原子の量子状態に対する量子テレポーテーションや、光と原子の間での量子テレポーテーションが行われている。

一方、非ガウス型状態は2006年になって相次いで生成に成功したことが報告された。非ガウス型状態を生成するためには3次以上の高い非線形性が必要であることが知られている。しかし単一光子レベルの微弱な信号に対して、そのような高次の非線形光学過程を直接実現するような材料は未だ知られていない。その代わりに注目されているのが、「測定誘起型非線形過程」と呼ばれる手法である。これは量子エンタングルメントと光子検出器の性質を用いて、実効的に高次の非線形過程を誘起する方法である。光子検出は非ガウシアンな基底への射影測定を行うので、エンタングルした一方の系に対して光子検出を行い、その結果に応じて事後選択することで、他方の系に対して非ガウシアンな状態操作を行うことが可能となる。最近の報告例においてもこの手法が用いられており、偶数光子統計性を持つスクイーズド光からビームスプリッターによって一部取り出し、取り出したモードを光子検出し光子が検出された時にのみ残りのモードを測定することによって奇数光子統計性を持った非ガウス型状態の観測に成功している。この状態は特に「シュレーディンガーの猫状態」というマクロな状態の量子力学的な重ね合わせ状態に近い状態であることが知られている。非ガウス型で非古典的な状態であるだけでなく、量子力学の黎明期に思考実験として提案された状態がようやく実現されたという意味においても重要な進歩であったと言える。

本研究では光の直交位相振幅に対する量子テレポーテーションを、上記の例と同様にして生成した非ガウス型状態に対して実現した。前述のように非ガウス型状態を生成するためには光子検出を行う必要がある。そのために非ガウス型状態のモードは光子検出の時刻周辺に局在しており、時間領域でのみ定義される。ところがこれまでに報告されてきた量子テレポーテーションの実験においては光のサイドバンドの狭帯域な成分でモードが定義されており、周波数領域でのみ量子テレポーテーションが実現されてきた。したがって非ガウス型状態を転送するためには量子テレポーテーションを時間領域で行えるようにする必要がある。

さて連続量量子情報処理の領域において、量子情報処理の可能性を最大限に引き出すためには非ガウシアンな状態操作が必要とされており、量子テレポーテーションをベースとした量子計算のスキームにおいては非ガウシアンな基底での測定を行うことによって、または補助入力に非ガウス型状態を用いることによって達成される。前者は任意の状態に対して非ガウシアンな基底での測定を行うことが実験上の困難となることが予想される。後者は非ガウシアンな特性を状態準備に押し込めることができるという点で有利であると考えられる。したがって量子テレポーテーションで非ガウス型状態を扱えるようにすることは量子計算のユニバーサリティーを目指す上で重要であると言える。本研究では「シュレーディンガーの猫状態」に近い状態という特定の状態を扱ってはいるものの、量子計算のユニバーサリティーへ向けた大きな一歩であると言える。また量子テレポーテーションを含む大規模な実験系に光子検出器を取り入れることを可能としたという点も重要である。以下実験の具体的な内容について述べていく。

量子テレポーテーションにおいて重要な役割を果たす量子エンタングルメントは、実験的には二つのスクイーズド光を直交する位相関係で合わせることで生成することができる。量子テレポーテーション装置の性能は量子エンタングルメントの相関の強さによって決まり、量子エンタングルメントの相関の強さは使用するスクイーズド光のスクイージングレベルによって決まるため、高レベルのスクイーズド光を生成することが重要となる。また本研究で用いた非ガウス型状態の生成には高い純粋度(purity)のスクイーズド光が必要である。したがって本研究においてスクイーズド光は最も重要なリソースであり、高レベルのスクイーズド光と純粋度の高いスクイーズド光という二通りのスクイーズド光の生成が求められる。スクイーズド光生成のためには従来からニオブ酸カリウム(KNbO3: KN)結晶が用いられてきた。しかしこの結晶を用いた場合、励起光由来の吸収などによる大きなロスが発生してしまい、高レベルなスクイーズド光も純粋なスクイーズド光もどちらも生成が困難であった。我々は周期分極反転燐酸酸化チタンカリウム(Periodically-Poled KTiOPO4: PPKTP)結晶を用いることで、最終的にはどちらの要求も満たすことが可能となった。PPKTP結晶を用いた場合には励起光由来のロスが非常に小さく、純粋なスクイーズド光を容易に生成することが可能となった。しかしながら高レベル化を望んだ場合には、ロスの問題が解決されることで新たに観測における位相揺らぎの問題が明らかとなった。つまりこれまではロスの影響で高レベル化が困難であり、位相揺らぎの影響が無視できるレベルであったが、ロスを大幅に低減できたことによって位相揺らぎの影響が支配的になったと言える。観測時に位相揺らぎが存在すると、位相揺らぎの大きさに応じてアンタイスクイーズされた成分がスクイーズされた成分の測定に混入してきてしまうため、観測されるスクイージングレベルが目減りしてしまう。この問題は単に測定時のみの問題ではなく、実際にスクイーズド光を利用する場合にも効いてくるために解決しなければいけない問題である。本研究ではPPKTP結晶の使用と、位相揺らぎの低減によってスクイーズド光の高レベル化にも成功した。

次に高い純粋度のスクイーズド光を用いて非ガウス型状態の生成を行った。手法はこれまでに報告されたものを踏襲しているが、時間領域で定義されたモードの低周波成分の寄与の大きさに注目し、レーザーノイズ除去の方法を工夫することでより低周波成分まで測定することで、これまで報告された状態よりもさらに非古典性の強い状態の生成に成功した。

上記で生成した非ガウス型状態を実際に量子テレポーテーションの入力状態とするために、時間領域の量子テレポーテーションを実現した。これまでの量子テレポーテーションが周波数領域のみでしか実現できなかったのは、ディテクターの帯域の問題、古典情報を送るための通信路の問題、位相ロックのための補助ビームに乗った変調信号の問題などによっている。これまでの量子テレポーテーションの実験では全てガウス状態を入力状態としており、状態を周波数領域で定義することが可能であった。したがってこれまでは量子テレポーテーションの装置全体がある特定の周波数成分でうまく動作していればよく、その周波数よりも低周波側や高周波側において量子テレポーテーションは実現されていなかった。本研究ではレーザーノイズの問題でDC付近はフィルタによって除去してはいるものの、量子テレポーテーション装置が非ガウス型状態の帯域全体にわたって同時に正しく動作するように改善した。これによって波束の転送が可能となり、時間領域で定義されたモードを転送できるようになった。この量子テレポーテーション装置に非ガウス型状態を入力し、出力状態においても非ガウシアンな特性を観測した。この非ガウシアンな特性は明らかに光子検出によって誘起されたものである。したがって非ガウス型状態の量子テレポーテーションを実現したと言える。

非ガウス型状態は一般にロスに対して脆弱であるため、本研究を発展させて量子計算を目指していく上ではさらに量子テレポーテーション装置の性能向上を追求する必要があるが、同時により質の高い非ガウス型状態の生成も必要となる。また今回は「シュレーディンガーの猫状態」に近い状態を使用したが、どのような非ガウス型状態によってどのような計算が可能となるのかについても今後追求していく必要がある。

審査要旨 要旨を表示する

量子力学に特有な現象を積極的に利用して情報処理や情報通信を行う手法が盛んに研究されている。情報処理においては、特定の用途について従来の古典力学に基づいた計算機では実現できない高速な量子アルゴリズムが提案されており、量子アルゴリズムを実装可能な量子計算機の実現が期待されている。また情報通信においては、原理的に盗聴が不可能とされている通信プロトコルが多数提案されている。本研究のテーマである量子テレポーテーションは、量子エンタングルメントの生成、状態の測定とそれに基づいた状態操作を行うことによって、任意の、そして未知の量子状態を転送する。また量子計算機の構成要素としての応用が期待されている。本研究は量子光学の手法を用いて、電磁場の直交位相振幅を量子情報として取り扱い、量子テレポーテーションの研究に取り組んだものである。

将来的に量子計算機を構成するために、本研究では量子テレポーテーションの系で非ガウス型状態を扱えるようにすることを目指している。そのためにまず、直交位相スクイーズド状態の高レベル化を行った。次に量子テレポーテーションの広帯域化を実現し、時間領域で定義された量子状態(波束モード)を転送できるようにした。そして非ガウス型状態を生成し、それを入力として量子テレポーテーションを行った。

本論文は七章で構成される。以下に各章の内容を要約する。

第一章では量子情報及び量子テレポーテーションに関する研究など、本研究の背景について述べ、その上で本研究の目的を提示している。さらに本論文の構成について述べている。

第二章では本研究を行う上で用いた量子光学の理論について述べている。まず電磁場を量子化し、本研究で取り扱う量子状態について述べている。そして量子状態を測定し可視化する方法について述べている。また光の量子状態について述べている。さらに本研究で重要なリソースとなるスクイーズド状態の生成とそのモードについて述べている。

第三章ではスクイーズド状態生成実験について述べている。まず過去に行われたスクイーズド状態生成実験についてまとめ、本研究の位置付けを述べている。次に実験系の概要と各要素の詳細を述べている。そして生成したスクイーズド状態の測定結果を示し、理論との比較を行っている。本研究では従来を上回る-9.0 dBのスクイージングレベルを観測している。

第四章では量子テレポーテーションに関する理論を述べている。まず量子エンタングルメントについて述べ、次に量子テレポーテーションについて述べている。そして量子テレポーテーションを評価する方法について述べている。

第五章では時間領域量子テレポーテーションの実験について述べている。まず過去に行われた量子テレポーテーション実験における問題点を列挙し、時間領域で定義された量子状態を量子テレポーテーションするための課題を明確にしている。次に実験系の概要と各要素の詳細を述べ、前述した問題点を解決したことを述べている。そして時間領域での測定手法について述べ、実際に時間領域で真空状態の量子テレポーテーションを行った結果について述べている。最後に理論との比較を行い、今後の課題について述べている。本研究では初めて波束モードの量子テレポーテーションを行うことに成功しており、また0.70という高いフィデリティーも達成している。

第六章では非ガウス型状態の量子テレポーテーション実験について述べている。まず入力とする非ガウス型状態の生成方法と測定結果について述べており、過去の実験を上回る強い非古典性を保持した量子状態の生成を実現している。次にそれを量子テレポーテーションするための実験系について述べ、出力状態の測定結果を示している。そして出力状態の非ガウス型特性について議論し、定量的に評価を行っている。出力状態が非ガウス型の特性を保持していることから、本研究は非ガウス型状態に対する量子状態操作に初めて成功している。

第七章では本研究の結果をまとめ、最後に課題と今後の展望について述べている。

以上のように、本研究は量子光学の手法を用いることによって連続変数の量子テレポーテーション実験を行った。スクイーズド状態の生成実験においては従来を大きく上回る結果を得た。時間領域量子テレポーテーション実験においては、時間領域で定義された量子状態(波束モード)に対して量子テレポーテーションを実現している。また0.70という高いフィデリティーを達成している。そして非ガウス型状態の量子テレポーテーションを行い、出力側でも非ガウス型の特性を観測することに成功している。

本研究では、従来は周波数領域で定義された量子状態しか扱うことができなかった量子テレポーテーションを発展させることによって時間領域でも取り扱うことを可能とし、その上で非ガウス型状態に対する状態操作を行っており、これは時間領域での量子状態操作という新たな知見を与えた点で重要な意義があり、物理工学の発展への寄与は大きい。

よって、本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認める。

UTokyo Repositoryリンク