学位論文要旨



No 124601
著者(漢字) 森,徹平
著者(英字)
著者(カナ) モリ,テッペイ
標題(和) 一分子FRET法を用いた分子モーターキネシンの二足歩行メカニズムの研究
標題(洋) Single molecule FRET observation of motor protein kinesin
報告番号 124601
報告番号 甲24601
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7035号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 富重,道雄
 東京大学 教授 田中,肇
 東京大学 教授 須藤,和夫
 東京大学 教授 豊島,陽子
 東京大学 教授 酒井,啓司
内容要旨 要旨を表示する

キネシンは、ATPを加水分解しながら細胞内の微小管上を一方向に連続移動し、物質の輸送に寄与するモータータンパク質である。最近の研究により、キネシンはヒトが歩くように2足歩行運動をしていることが明らかになった(ハンドオーバーハンドモデル)。しかし、ATP加水分解より得られる化学エネルギーがいかにしてこのような精緻な2足歩行に変換されているのか、その仕組みについては理解が進んでいない。本研究は、1分子FRET法とよばれる蛍光観察手法を用いて「機能中の」キネシンの構造状態を詳細に解析することで、その2足歩行運動メカニズムの理解を目指した。

1. ATP結合待ちの構造状態解析

キネシンの運動を説明するモデルとしてハンドオーバーハンドモデルが広く受け入れられているが、運動中に現れる遷移構造やATP加水分解との対応関係は不明瞭であった。中でもATP結合待ちの構造状態は、2つ頭部が協調する仕組みを理解する上で重要とされ、両頭部結合状態説と片頭部結合状態説を巡って激しく議論されてきたが、両者は明確に区別されていなかった。

そこで私は、1分子FRET法(Tomishige et al NSMB 2006)を用いてATP結合待ち状態の直接観察を試みた。まず、2つの頭部の特定箇所に蛍光色素を導入し、色素間のFRET効率測定によって片・両頭部結合状態を区別する方法を確立した(図1)。続いて、この方法を用いて運動するキネシンを観察したところ、飽和ATP条件下ではほぼ両頭部結合状態にあるのに対し、低濃度ATP条件下(ATP結合が律速)では片頭部結合状態が長くなることが見出され、ATP結合待ちが片頭部結合状態であることが強く示唆された。さらに、片頭部結合状態にATPが結合すると、微小管に結合している頭部のネックリンカーが構造変化を起こして、浮いた頭部が後方から前方に移動することで次のステップが可能になることが示唆された。

2.浮いた頭部の再結合を防止する仕組み

キネシンが一定方向に運動するためには、ATP結合を待つ間(片頭部結合状態)に浮いた頭部が後方の微小管結合部位へ再結合してはならない。私はこの仕組みを説明するために、まず「ADP放出および微小管強結合状態へ遷移にはネックリンカーが後ろを向く必要がある」という作業仮説を立てた。これに従うと、ATP結合待ち状態では微小管に固く結合している頭部のネックリンカーは後ろを向くので浮いた頭部は後方に位置することになる。一方、浮いた頭部が後方の微小管結合部位に結合しようとしても、ネックリンカーが前に引っ張られるので微小管への結合が阻害される、というモデルが導かれる。

このモデルを実験的に検証するために、私は、ネックリンカー伸長変異体を作成した。ネックリンカーを伸長すると、内部負荷が低下するために、2つの頭部のネックリンカーは互いに自由な方向を向くことができると考えられる。よって、浮いた頭部が後方の微小管結合部位にアクセスした時にネックリンカーは容易に後ろを向くことができることになり、片頭部結合状態の維持が困難になると予想できる。実際に観察を行ったところ、挿入するグリシンの数を増やすにつれ片頭部結合をとる時間(割合)が減少し、7つまで増やしたところでほぼ両頭部結合にとどまることが見出された(図2)。又、この時2つの頭部のネックリンカーは共に後ろを向いていた。これらの結果は上述のモデルは支持するものである。

3.両頭部結合状態における前後関係認識の仕組み

キネシンが一定方向に二足歩行するためには、1)ATP結合が起こった後に浮いた頭部が前方へ移動して両頭部結合状態へ遷移し、2)後ろ頭部が先に解離することが必要である。これらの仕組みを理解するためには、加水分解前後の遷移構造を詳しく調べる必要があるが、時間分解能の制約から非常に困難であった。

そこで私は、加水分解反応ステップが遅いR203K変異体(Klumpp et al JBC 2003)の運動を解析することで、加水分解前後の遷移構造状態に対する知見を得ることを試みた。まず単頭R203Kの構造状態を調べたところ、ATP存在下でも微小管に固く結合し、ネックリンカーは後向きのままであった。続いて、野生型ホモダイマーよりも10倍程遅い速度で連続運動するR203K/WTヘテロダイマー(Thoresen et al Biochemistry 2008)の運動を観察した。このヘテロダイマーが飽和ATP存在下で運動する様子を1分子FRET法により観察したところ、律速段階はR203K頭部が後ろで野生型が前にある両頭部結合状態であり、野生型頭部がR203K頭部を追い越す遷移ステップは正常に起きていることが分かった(図3)。又この律速段階において、R203K頭部の解離を待つ野生型頭部のネックリンカーは後ろを向いていた。これらの結果は、ネックリンカーの構造変化は、浮いた頭部の前方移動に寄与するというよりは、加水分解およびそれに続く微小管からの解離に必要であることを示唆するものである。さらにこの示唆を元に、両頭部結合状態では前頭部のネックリンカーは後ろに引っ張られて前に向くことができないために加水分解および解離が抑制される、というモデルを提案した。

本研究の成果を以下にまとめる。

1-1) 富重らによって開発された1分子FRET法によるキネシンの構造検出手法を発展させて、 頭部結合状態を区別する方法を確立し、ATP結合待ち状態が片頭部結合構造であることを示した。

1-2) ATPが結合すると、微小管に結合した頭部のネックリンカーが前を向いて浮いた頭部は前方に移動し、次のステップが可能になることが示唆された。(Mori T, Vale RD, Tomishige M Nature 2007)

2) ネックリンカーを人工的に伸ばすと、ATPなし条件下で片足結合状態が維持できなくなった。 又この時、微小管に結合する2つの頭部のネックリンカーは共に後ろを向いた。(Makino T, Mori T et al 投稿準備中)

3) ATP加水分解が遅い変異体の構造状態を観察したところ、ネックリンカーのドッキングは浮いた頭部の移動に必須ではなく、むしろ後ろ頭部を解離させるために必要であることが示唆された。(Mori T et al 投稿予定)

図 1: 一方の頭部と前端と他方の頭部の後端の距離を1分子FRET法により計測することで、片・両頭部結合状態を区別できる

図 2: ネックリンカーを人工的に伸ばすと、ATP待ち状態で片頭部結合を維持できなくなった

図 3: R203K/WTヘテロダイマーが運動中には、R203K頭部が後ろで野生型が前にいる両頭部結合状態にとどまる時間が長かった

図 4: キネシンの協調的2足歩行メカニズムのモデル

審査要旨 要旨を表示する

キネシンは、ATPを加水分解しながら細胞内の微小管上を一方向に連続移動し、物質輸送に寄与するモータータンパク質である。最近の研究により、キネシンは2つの頭部を交互に踏み出して2足歩行することが明らかになった。しかし、ATP加水分解により得られるエネルギー(化学反応)がどのように2足歩行運動(力学運動)に変換されるのか、という点については理解が進んでいない。具体的には、2つの頭部が加水分解に伴う微小管への結合・解離のタイミングを協調させて、(i)後ろ頭部を先に解離させ、(ii)浮いた頭部を前方へ結合させる、という仕組みは明らかになっていない。本論文は、このような2頭部間協調の仕組みを理解することを目標とし、1分子FRET法という蛍光観察手法を用いて「生きた」キネシンの構造状態を詳細に解析した結果をまとめたものである。

本論文は、以下の6章から構成され、英文で書かれている。

第1章では、キネシンについて明らかになっている事実および未解決問題をまとめた上で、本研究の概要が述べられている。

第2章では、研究に用いた実験試料の調製法および、全反射顕微鏡や1分子FRET観察などの測定技術の原理・方法が説明されている。

第3章では、キネシンのATP結合待ち状態の構造解析結果について述べられている。2頭部間協調の仕組みを理解する上で、ATPが結合する前の構造が片・両頭部結合状態のどちらであるかを明確に区別することは根本的かつ重要な課題である。そこで申請者は、1分子FRET法を用いてATP結合待ち状態の構造を直接検出することを試みた。まず、2つの頭部の特定の場所に一つずつ蛍光色素を結合させ、それらの間のFRET効率を測定することにより片・両頭部結合状態を検出する方法を確立した。続いて、この方法を用いて微小管上を連続運動するキネシンの構造状態を観察したところ、飽和ATP濃度存在下ではほぼ両頭部結合状態にあるのに対し、低濃度ATP存在下(ATP結合が律速)では片頭部結合状態をとる時間が長いことが見いだされた。さらに、片頭部結合状態から両頭部結合状態への遷移は、ATP結合によってトリガーされており、具体的には、微小管に結合している頭部のネックリンカーがATP結合に伴い頭部に「ドッキング」することで、浮いた頭部が前方に移動させられ次のステップに進む、ということが明らかにされた。

第4章では、ATP結合待ち状態での片頭部結合構造がいかにして維持されるのか、その仕組みが議論されている。申請者はこれを説明するために、「キネシン頭部がADPを放出して微小管に強く結合するためには、ネックリンカーが後ろを向く必要がある」という仮説を立てた。これを元に「ATP結合待ち状態では、微小管に固く結合する頭部のネックリンカーは後ろを向くので浮いた頭部は後方に位置して前方へのアクセスが阻害される一方、浮いた頭部が後方の微小管にアクセスしてもネックリンカーが前に引っ張られるのでADP放出および微小管への結合が禁止される」というモデルを考えた。このモデルを実験的に検証するために、ネックリンカー部位をポリグリシン挿入により伸長させた変異体の構造状態を1分子FRET法により観察した。その結果、ヌクレオチドがほとんど存在しない条件ではネックリンカー伸長変異体は両頭部結合構造をとり、しかもこの状態で2つ頭部のネックリンカーが共に後ろを向いていることが分かった。これらの結果は、前述のモデルを強く支持するものである。続いて、ネックリンカー伸長変異体のATP加水分解速度と運動特性を調べたところ、加水分解速度は野生型とほぼ変わらないのに対し、運動速度は低下することが分かった。これらの結果から、ATP加水分解エネルギーを効率よく2足歩行運動に変換するためには、ATP結合待ち状態で片頭部結合を維持することが必要であり、これが可能となるようにネックリンカーの長さは十分に短く設計されている、ということが明らかにされた。

第5章では、キネシンの運動方向性を決める上でネックリンカーがはたす役割が議論されている。そのために、ATP結合は正常に起こるが加水分解が遅い変異体(203番目のアルギニン残基をリジンに置換)の構造状態を詳細に解析した。まず、単頭の変異体キネシンの構造状態を観察したところ、ATP存在下でも微小管に固く結合したまま解離することができず、又ネックリンカーがドッキング状態を安定にとれないことが見出された。続いて、野生型よりも10倍以上遅い速度で連続運動する変異体頭部と野生型頭部からなるヘテロダイマーの構造状態を観察した。すると、このヘテロダイマーの運動中には、野生型頭部が変異体頭部を追い越して前方に結合するステップは極めて短時間に起きるものの、後ろに位置した変異体頭部が微小管から解離するのに時間がかかる、ということが分かった。これらの結果から、ネックリンカーのドッキングは、従来考えられてきたように浮いた頭部を前方へ移動させる役割というよりも、むしろ後ろ頭部の加水分解やそれに続く微小管からの解離に重要な役割を担っている、ということが示唆された。

第6章では、本研究で得られた成果をもとにキネシンの2頭部間協調のモデルが提案されている。

以上のように、申請者は1分子FRET法を用いてキネシンの構造状態を詳細に解析することにより、キネシンがATP加水分解のエネルギーを効率的に使って2つの頭部を交互に動かすための具体的な仕組みを実験的に実証することに成功した。これは、キネシンの運動機構の理解に大きく貢献するにとどまらず、タンパク質内部で複数ドメインにおける加水分解反応を互いに協調させて効率よく方向性を持つ運動を生み出す、という生命のエネルギー変換メカニズムの本質に迫るものであり、その学術的価値は高い。よって本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認められる。

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