No | 124602 | |
著者(漢字) | 吉岡,直樹 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ヨシオカ,ナオキ | |
標題(和) | 凝集と破壊の統計物理学 | |
標題(洋) | Statistical Physics of Aggregation and Breakdown | |
報告番号 | 124602 | |
報告番号 | 甲24602 | |
学位授与日 | 2009.03.23 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(工学) | |
学位記番号 | 博工第7036号 | |
研究科 | 工学系研究科 | |
専攻 | 物理工学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | Boltzmann から始まった統計力学は、特に平衡状態について成功を納めた。一方、非平衡状態についてはというと、平衡近傍においてはGreen-Kubo 公式など深い理解が得られているものの、ガラス状態や長距離相互作用系など、平衡から遠く離れた状態では到底十分とはいえない。凝集過程と破壊現象は、そのような平衡から遠く離れた非平衡現象の典型例である。これらは見た目こそ違えど、物理現象としては、多くの準安定状態を持つ、同種の(非可逆) 過程(a+b ⇔ c) の順方向と逆方向として理解できる。本研究では、これら二つの非平衡現象について、主に数値計算を用いて研究を行った。 凝集過程については、特に双極子粒子系を対象として研究を行った。従来の凝集過程の研究で調べられているような熱揺動により駆動される系とは違い、双極子粒子のような相互作用が比較的長い距離まで届くような系では、引力や斥力により駆動される凝集過程も重要となる。そこで、熱揺動の効果を完全に無視した模型を考案し、その凝集過程を調べた。 破壊現象については、特に熱活性破壊と呼ばれる現象について研究を行った。このような破壊は、亜臨界破壊と呼ばれる破壊現象のメカニズムの一つとして最近提案されている。我々は、簡単な模型について調べることで、寿命やバーストサイズ分布などについて非自明な結果を得た。これらの結果は、材料設計や寿命の予測、非破壊診断などへの応用を期待できる。 1 双極子粒子系における凝集過程 冷たい大気中では水分子が集まることにより綺麗な雪の結晶ができあがる。水牛の乳を放置するとクリームが得られる。金のコロイドを水中に溶かすとやがて複雑な樹状構造を成す。宇宙ではチリが集まり微惑星となり、その微惑星が集まることにより惑星となる。これらは背景にある物理はそれぞれ異なってはいるが、いずれも「多くの粒子が集まり複雑な構造を形成する」という点で共通している。この現象は凝集と呼ばれ、物理学、化学、生物学、天文学といった分野の違いを越え、多くの研究者にとって興味の対象となっている。 近年のナノサイエンス、ナノテクノロジーの発展により、従来にはない機能を備えた物質が次々と生み出されている。その代表例が磁性流体(ferrofluids)や磁気粘性流体(magnetorheological fluids, MR fluids)と呼ばれるものである。これらは液体中に磁性微粒子が分散しており、外から磁場をかけることで流体の性質を容易に制御することができるという特徴を持つ。この性質を応用して磁性流体や磁気粘性流体はアクチュエータ、ダンパー、バルブなどに利用されている。この流体の機能性を向上させるためには、磁性微粒子が液体中でどのような振る舞いをするか、特に磁性微粒子の凝集過程の理解が重要である。ここに物理学やコロイド科学と工学との接点がある。 では、磁性微粒子の凝集は従来研究されている様々なコロイドの凝集と何か異なる点があるのだろうか。 コロイド間に働く力は特殊で、コロイド表面とコロイドから充分離れたところでは引力が働き、その中間では斥力が働く。この斥力の強さは電解質の濃度によって制御することができる。コロイドの凝集においては斥力の強さとコロイドの拡散との関係が重要となる。斥力が弱ければ凝集過程のほとんどはコロイドの拡散過程となり、逆に斥力が強いとコロイドの拡散のダイナミクスはほとんど関係なくなり、コロイドが斥力を乗り越える過程が重要となる。これらはそれぞれ拡散律速クラスタ凝集(diffusion-limited cluster-cluster aggregation,DLCA)、反応律速クラスタ凝集(reaction-limited cluster-cluster aggregation, RLCA)というモデルとして知られている。大まかに言えばコロイドの凝集は電解質濃度に依存してDLCA とRLCA の間の振る舞いとして理解される。 一方、磁性微粒子は大まかには「棒磁石が埋め込まれた粒子」と見ることができる。さらに単純化して、その磁性は磁気双極子のみによって表現できるとして良いだろう。これまでの研究から、磁性微粒子の凝集の振る舞いは磁気双極子モーメントの強さによって大きく変わることが知られている。双極子モーメントが弱ければ、磁性微粒子の凝集はやはりDLCA によってよく記述される。しかし、双極子モーメントが強いときの振る舞いはコロイドの凝集とは異なりRLCA では表せない。磁気双極子間の引力の効果が重要となるからである。したがって、磁性微粒子の凝集は磁気双極子の強さに依存してDLCA とALCA(attraction-limited cluster-cluster aggregation)の間の振る舞いとして理解されるべきであろう。 しかしながら、これまでの研究ではALCA についてはほとんど調べられてこなかった。その理由としては、磁性微粒子のような系では熱揺らぎの効果は無視できず、純粋にALCA に対応するモデル実験系が無かったことが挙げられる。 我々は平面上の2成分双極子(イジング双極子)粒子系を対象として扱った。この粒子系は双極子モーメントの向きを平面に対して垂直に固定した2次元磁気双極子粒子系である。最近の報告にあるように、このモデル系は容易に実験を行うことができる。また、双極子の向きを垂直に固定したため、粒子間の相互作用は等方的となっている。結果として、この系はALCA を調べるための最も現実的かつ理想的な系と言えるだろう。 我々はこの系のALCA が(i) 偶数個の粒子からなるクラスタの数の減り方が奇数個の粒子からなるクラスタのそれよりもずっと速いこと、それから(ii) 粒子密度がある閾値より低ければ系の振る舞いが動的スケーリング理論により説明できることを見出した。しかしながら、(iii) 低密度極限でも二つのクラスタ間の衝突だけからダイナミクスを説明することはできず、遮蔽効果の影響が重要であることが示唆された。 2 熱揺動により誘起される破壊現象 物の破壊は、通常、ある強度を越える応力を掛けることで起こる。しかし、実際には、その強度より低い応力であっても、長時間掛けつづけることで破壊が生じることがある。このような破壊現象は亜臨界破壊と呼ばれ、様々な物理系や生物系などで見られる。亜臨界破壊における重要な問題としては、いつ巨視的に破壊が生じるかがわからない、ということである。亜臨界破壊における測定量の間の関係を理解することは、この巨視的な破壊の予知につながると期待でき、応用上非常に重要である。 亜臨界破壊の微視的なメカニズムとしては幾つか考えられる。例えば、物質の各構成要素(繊維状物質ならば各繊維)が粘弾性を持っており、荷重に対して歪みが時間依存している、あるいは、構成要素間に働く静止摩擦により、微小亀裂による周囲への荷重移動に時間がかかる、といったことが挙げられる。ところが、最近の研究から、熱による微小亀裂の生成が亜臨界破壊において重要な役割を果たすことがある、ということが分かってきた。 このような熱活性破壊における巨視的、微視的な性質を理解するため、我々はファイバーバンドル模型(fiber-bundle model, FBM) と呼ばれる模型を用いて考察した。この模型では、一辺の長さがL の正方格子上に並んだ並行なファイバーの束に、それらと同じ方向に応力を掛ける、という状況を考える。各ファイバーは歪みが一定の値を越えると壊れるように設定されており、その壊れたファイバーに掛かっていた荷重は、ある与えられた荷重再分配則に従って他のファイバーに移動する。熱活性破壊の場合、Young 率が全てのファイバーについて等しい値であると仮定し、ファイバーにかかる荷重がある閾値よりも大きければ壊れるものとする。ただし、各ファイバーに掛かる荷重は外部応力と荷重移動に由来する項と熱揺動項からなり、熱揺動項は各時刻ステップごとに温度T を分散とする平均値0 の正規分布に従う独立な確率変数として与えられる。 FBM の利点としては、(i) 荷重再分配則として、全ての生き残っているファイバーに荷重が等しく分配される、Equal Load Sharing (ELS) 則を考えると、多くの状況で厳密解や近似解が比較的容易に得られる、(ii) より現実的な荷重再分配則(例えば、壊れたファイバーに掛かっていた荷重が、そのファイバーに近接している生き残っているファイバーにのみ移動する、Local Load Sharing (LLS) 則)でも、模型の単純さ故に、大規模なシミュレーションが容易である、といったことが挙げられる。 亜臨界破壊において、平均寿命は最も重要な測定量の一つであり、物の『壊れやすさ』の指標といえる。先行研究によると、ELS 則の場合、ファイバーの強度が一様ならば、平均寿命は応力と温度について、いわゆるArrhenius 則に従うことが知られている。 我々は、平均寿命に対する微小亀裂による応力集中の影響を調べるため、LLS 則の場合を考察した。まず、応力が十分に小さい場合、ファイバー1本のみが残った状況でも、そのファイバーのみで全ての荷重を支えることが可能である。この状況では、熱揺らぎの効果が破壊過程において支配的となり、応力集中の効果は重要ではなくなる。したがって、LLS 則とELS 則とでは違いはなくなる。このため、平均寿命は、ELS 則の場合と同様、Arrhenius則に従うと考えられる。 しかしながら、応力が大きくなると、荷重の再分配により、他の生き残っているファイバーの荷重が増加し、これによる新たな破壊が生じうるようになる。このとき、応力が十分に大きければ、最初のファイバー一つの破壊により、一瞬で全ファイバーが壊れることになる。このときの平均寿命は、システムサイズの-2乗で減少する。 さらに、パラメタの中間領域における平均寿命を調べるため、シミュレーションを行った。その結果、ファイバーの強度が一様な場合、平均寿命がシステムサイズの-z(T, σ) 乗で巾的に減少することを見出した。この指数z(T, σ) は上記の議論から期待できるとおり、0以上2以下となる。準静的破壊における『壊れやすさ』の指標である臨界応力は、FBM やその他の理論モデルから、システムサイズの対数の逆数で減少することが知られている。もちろん、平均寿命と臨界応力とは全く異なる物理量なので単純な比較をするのは危険だが、指標と言う意味では、熱活性破壊は通常の準静的破壊に比べサイズの影響をより強く受ける、と言えよう。 微視的なスケールにおいては、熱揺らぎにより壊れたファイバーは周囲のファイバーに掛かる荷重を増加させ、バーストを引き起こす。バーストのサイズを系が完全に壊れるまで記録しつづけ、その分布を調べると、しばしば興味深い結果が得られる。 我々は、熱活性破壊の場合についてバーストサイズの振舞を考察した。その結果、ELS 則の場合、平均バーストサイズの時間発展とバーストサイズ分布との間に成り立つ関係式を見出した。この関係式は、シミュレーションで得られる、指数-1 あるいは-2 の巾的なバーストサイズ分布をよく説明する。 また、LLS 則の場合についてもシミュレーションによりバーストサイズ分布を調べた。その結果、バーストサイズ分布は、バーストサイズの小さなところではGaussian、大きなところでは指数-1 あるいは-2 の巾分布が得られた。各巾分布はELS 則の場合のものと同じ条件で得られるため、ELS 則の場合と同じ物理によりバーストサイズ分布が形成されると考えられる。 通常、壊れたファイバーから成るクラスタ(以降、単に"クラスタ" と呼ぶ) は、系が完全に壊れる直前において、一つの巨大なクラスタと、それ以外の小さなのクラスタに分けられる。 この最大クラスタのサイズ、すなわち、最大クラスタに含まれるファイバーの数について、応力依存性、および温度依存性を調べた。この結果、広い温度範囲において、最大クラスタが応力のみに依存することがわかった。さらに、最大クラスタが円形、すなわち、最大クラスタの周縁にあるファイバーに掛かる荷重がどれも等しいと仮定することで得られるサイズの応力依存性に、係数を除いて一致することを確かめた。 また、小さなクラスタについて、そのサイズ分布を調べた。その結果、ある応力において3 桁以上の幅で、クラスタサイズの-τ乗で現象するpower-lawの形になること、そして、その応力から離れた値では指数関数的な減少をすることがわかった。また、平均クラスタサイズのサンプル平均は、ある応力においてピークを持つことがわかった。このような小さなクラスタの性質は、ある応力で転移が起きていることを意味する。特に、クラスタサイズ分布における指数が、通常の2 次元サイトパーコレーションでの指数187/91と非常に近いことから、これは2次元サイトパーコレーション転移と同等のものであるということがわかった。 さらに、本系におけるパーコレーション転移点にあたる応力の温度依存性を調べた。その結果、調べた温度領域では、パーコレーション転移点は温度の単調増加関数となることがわかった。この振舞は磁場中のIsing model などで知られるKertesz線と同様に説明される。応力が0のときは、系が完全に壊れる直前では、系はファイバーが1本のみ残った状態になる。したがって、全ての温度で系はパーコレーション相にあるといえる。一方、応力がファイバーの閾値に近づくと、ファイバーが1本でも壊れると次の瞬間に系の全てのファイバーが壊れることになる。したがって、全ての温度で系は非パーコレーション相にあることになる。このため、パーコレーション転移点は温度に依存して変わらなければいけない。 | |
審査要旨 | 統計物理学の目的は、物質の性質・挙動を構成分子に基づいて理解することである。マクスウェルやボルツマン・ギプスらによる黎明期から百余年を経て、熱平衡状態とそのまわりの線形非平衡状態については分子運動に基づいて扱うことが可能となった。現在、非線形非平衡状態に研究の軸足が移りつつある。 非線形非平衡状態の統計物理学的研究には、大別して2つ方向がある。1つはポリマーや蛋白質などの複雑な分子内部の運動が巨視的な流れと非線形に結合して生じる現象を解明しようとするものであり、もう1つは単純な分子からなる物質が極限的な状態で見せる非線形なふるまいを解明しようとするものである。 本論文は、後者の立場での非線形非平衡現象の研究であり、あまたある対象現象のなかから、凝集現象と破壊現象とを研究した。 凝集に関しては、2次元イジング型双極子相互作用粒子系、すなわち運動面に垂直な上向きあるいは下向きのどちらかの向きを向いた3次元双極子をもつ弾性円盤からなる系の低温極限での凝集過程を扱った。双極子粒子系の物性は、その多様性の魅力と応用上の必要とから精力的な研究がおこなわれているが、本研究の系は面白さを損ねないように単純化した系として注目される。研究の結果、低密度でのクラスタ凝集過程および高密度での結晶化がどのように進むのかをランジュバンノイズ下と粘性抵抗とを受ける運動方程式を計算機シミュレーションにより解析し、対応する実験を再現し、説明することに成功した。 破壊に関しては、1軸負荷下での熱励起破壊をファイバーバンドルモデルにより計算機シミュレーションにより解析した。破壊応力以下の負荷でも、一定の時間の後に材料が破壊する現象は工学上基本的であるが、その機構の解明は、より良い材料の開発や劣化の診断・破壊の予防につながると期待される。本研究の結果は、熱励起破壊の寿命が材料の大きさに対して冪乗則を示す可能性が明らかとなるなど、熱励起破壊の機構の解明を大きく進めたものと評価できる。 本論文の研究は、凝集と破壊のモデル解析を通して、個々の現象の解明と応用の進展のみならず非線形非平衡現象の研究、特に計算統計物理学に新たなる局面を提示するものとして高く評価できる。博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 | |
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