学位論文要旨



No 124609
著者(漢字) 吉岡,真弓
著者(英字)
著者(カナ) ヨシオカ,マユミ
標題(和) 散水によるヒートアイランド緩和効果に関する実験および数値モデルの開発と定量評価
標題(洋)
報告番号 124609
報告番号 甲24609
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7043号
研究科 工学系研究科
専攻 地球システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 登坂,博行
 東京大学 教授 大垣,眞一郎
 東京大学 准教授 増田,昌敬
 東京大学 准教授 定木,淳
 東京大学 准教授 徳永,朋祥
内容要旨 要旨を表示する

ヒートアイランド現象(HI現象)は,世界各国の都市域を中心に拡大かつ深刻化している現象の1つである.その原因として,舗装面の増加や建物等による多重反射,人工排熱の集中などが挙げられており,近年では,夏期の冷房エネルギーの増大や熱中症患者の増加に繋がると指摘されている.緩和対策としては,植物を使う方法(屋上緑化など),水を使う方法(保水性舗装,散水),風を使う方法(都市河川の風の道としての利用等)などが挙げられるが,いずれも実用対策まで結びついていない.

本研究では,水を使う対策の1つである地表面への散水に焦点を当て,散水効果の定量評価を行なうための実験および評価ツールの開発を行った.具体的には,屋外での散水時の気温・地表面温度・地中温度変化の多点測定(散水実験),さらに詳細な地表面付近の微気象測定のための装置開発,そして数値モデルによる評価ツールの開発である.本研究の内容と成果は以下のようにまとめられる.

(1)三次元多点観測(散水実験)による屋外散水効果の検討

散水時の地表面付近の気温・地表面温度を詳細に測定するため,多数の温度センサー(合計128個)を空間的に配置し,連続的に測定可能な温度測定システムの構築を行った.このシステムを用いて,84点の気温(大気温度)と16点の地表面温度およびその他数点の温度(散水水温,基準地点の気温など)を連続測定し,その間に断続的な散水を行い,散水時の気温や地表面温度,湿度,地中温度の測定を行った.2004年から2006年の夏季に合計3回行った実験の結果は以下のようにまとめられる.

・3回の実験すべてにおいて,散水により非散水地点と比較して,地表面温度が5~15℃低下したことが確認された.

・地中温度は地表面温度よりも2~3時間遅れて変化しており,深さ約10cmの地点で最大10℃程度の低下が生じていることが確認された.

・3回の内2回の実験では,地表面温度の低下量が大きく,気温に関しても散水範囲内はその風上側と比較して,高さ1.5m地点において平均的に0.8℃程度低く測定されたが,それ以上の高さでは有意な気温低下は観測されなかった.また,比湿(高さ1.5m地点)に関しては散水範囲内外で測定精度を上回る差は認められなかった.

(2)微気象観測装置の開発と屋外観測結果の検討

散水実験において高さ1.5m程度以上では気温差が観測されなかった点を考慮すると,詳細な散水効果の検討のためには,よりスケールダウンした微気象観測が必要であると考えられる.しかし,都市内においてそのような地表面付近の熱・水環境は地域代表性に乏しく,多点かつ様々な条件下での観測データの蓄積が必要となる.そこで,鉛直方向の微気象(気温・相対湿度・風速)を観測可能であり,かつ扱いが簡便な自立・分散配置型微気象観測システムの開発を行った.

製作した微気象観測装置の性能を調べるため,(1)比較的障害物が少なく開けた空間での観測及び(2)樹木等の障害物等の多数存在する空間の2箇所で,合計7日間の微気象観測を行った.結果は以下のようにまとめられる.

・両地点の観測において,気温・湿度・風速の時間変化の傾向を捉えることができ,正常な動作が確認された.

・(1)の環境では,気温・相対湿度の定性的な鉛直分布の傾向を測定することができたが,(2)の環境では湿度の鉛直方向の分布に多少の乱れが生じていた.

・風速に関しては,両観測地点共に鉛直方向の変化の特徴を捉えるには至らなかったが,問題点・改良点が明確となった.

(3)大気-地表-地下連成系熱・水輸送数値モデルの開発

前述のような散水効果の定量評価のためには数値モデリングが不可欠であるが,現在までに十分なモデルは開発されていない.そこで,地表面近傍の大気(地上数m程度)から地下浅層部(地下数m程度)までの熱輸送・物質輸送プロセスを可能な限り詳細に表現する数理モデルの開発を行った.このモデルでは,以下の現象が考慮されている.

・地表面付近の乱流熱・水蒸気輸送

・地表面からの顕熱・潜熱輸送

・地表面からの蒸発および地下内部での蒸発

・地中への水の浸透とそれに伴う圧力変化

・散水時の地表面熱収支の変化

・地下における水・空気・熱の移動

上記プロセスを表現するために,(1)圧力,(2)水飽和度(散水された水についても飽和度で表現する),(3)水蒸気量,(4)固相温度(特に土壌や地下に存在),(5)気相温度,(6)液相(水層)温度を解析対象とした.温度を固相・液相・気相に分け,個別に解くことにより,夏季の高温な地表面への冷水の散水時の温度変化についても,より精密に追跡することが可能である.上記の6つの未知数に対して,(1)気相の物質収支式,(2)液相の物質収支式,(3)水蒸気の物質収支式,(4)固相の熱収支式,(7)液相の熱収支式,(8)気相の熱収支式の6つの方程式を構成し,同時陰的差分解法により解くシミュレーションモデルの構築を行った.

開発した数値シミュレーションモデルの検証のため,既存シミュレーションモデルとの比較や理論解との比較,室内実験の再現計算などを行い,個々の現象の再現性や結果の妥当性,プログラムの基本的動作の確認を行った.その結果,(1)本モデルにより,地表面近傍の大気の流動を適切に表現することができ,得られた温度・比湿分布は対数則による分布とも整合性があること,(2)地下での熱伝導過程は理論解とよい一致を示すこと,(3)地下への水の浸透過程の計算は既存モデルにより得られた結果とよい一致を示すこと,(4)土壌面からの蒸発速度測定実験を非常によく再現できること,が確認された.

(4) 屋外散水実験の再現性の検討

開発したモデルを用いて,先に述べた散水実験時の気象条件・観測条件を数値モデルの条件に適用するように平均化・単純化し,2次元モデルによる初期化シミュレーション,再現シミュレーションを行った.結果は以下のようにまとめられる.

・非散水地点(実験では散水範囲の風上側)における地中温度.地表面温度の観測結果の再現性を検討した.その結果,既存研究と整合的なパラメータ・物性値を組み合わせることで,気温・地下温度の観測値と定性的・定量的に調和的な計算結果を得た.

・実験時と同様の散水効果を与えた計算では,実験時の断続的な散水に伴う細かな地表面温度の変化や気温変化が表現され,実験結果とよい整合性が見られた.

・鉛直方向の気温低下の範囲には,観測値と計算値で違いが見られ,(1)数値モデルに応じて基本設定を単純化したこと(2次元化や風速の平均化),(2)取り扱う現象の不足(散水によるアルベド変化など),(3)温度測定方法の問題(日除けの影響や地表面温度の測定法など)や散水方法の問題(散水時の飛散による気温低下)などが考察された.

(5)実スケールにおける都市散水効果の定量的評価の試み

より広範囲(想定される実用スケール)における異なる散水条件での散水効果に関する試算を行った.ケース設定として,散水継続時刻・散水開始時刻の違いによる散水効果,保水性舗装への散水,を考え,それらの効果について検討した.また,散水による黒球温度変化についても試算を行った.その結果は以下のようにまとめられる.

・散水継続時間が長い方が地表面温度および地表面近傍の気温(0.15m)の低下継続時間が長い.

・夜間や明け方の散水に比べて,日中に散水を行うことで地表面温度が大きく低下するという結果を得た.

・保水性を有する舗装への散水を想定した計算では,地表面付近に水が保持されている時間が長い程,地表面温度の低下継続時間が長い.

・散水の効果としての体感変化を考察するための黒球温度の試算では,散水により2~4℃の黒球温度の低下が求められた.このことは,散水により気温低下が生じない場合でも,地表面温度の低下やアルベド変化などにより人が涼感を感じる可能性が十分にあることを示唆していると考えられる.

本研究の成果である新たな数理モデルや,微気象観測装置,散水実験における知見は,今後の都市散水実用化における効果予測,最適設計のために活用できるものと考えられる.実施が想定されるサイト(地区)で費用に見合った低減効果(例えば,気温低下,体感の変化,地表面放射の抑制など)が得られるかどうかは,大がかりな屋外実験・観測をせずとも本数理モデルによる数値実験からおおよそ判断できよう.また,微気象観測装置などによる簡易な予備的モニタリングも評価信頼性の向上に貢献できるであろう.

将来的には,メソスケール大気モデルや地下水モデルと組み合わせ,広域での散水効果やその他の対策(風道の利用やクールアイランド)との相乗効果についても議論できるように高度化を図りたいと考えている.

審査要旨 要旨を表示する

1970年代ごろから夏季の"ヒートアイランド現象"が日本および世界各国の大都市で顕著化し、都市環境問題の1つと考えられるようになった。これは、都市における舗装面積の拡大による地表での水循環の遮断、人間活動の集中化による排熱の増大、さらには気候の温暖化傾向も加わった問題と考えられその緩和のために様々な方策が研究されてきているが、実対策まで結びついていない状況にある。

本研究は、一つの有力な対策と考えられる"都市内舗装面散水"による緩和効果の基礎的評価手法の確立に焦点をあてたものである。散水は大きな都市改造などを伴わずに実施できること、何より"打ち水"として親しまれてきて市民も直感的に受け入れやすい所がある。しかし、いつ、どこで、どの程度の範囲に散水を行えば、どのような緩和・涼感効果が得られるか(或いは得られないか)、逆効果はないのか、については科学的・定量的に明らかではなく、実システムの設計・施工の評価手法は確立されていない。以上を背景に、本論文では屋外散水実験・気象観測から詳細な数理モデルの開発・解析まで一貫した検討が行われている。

まず、屋外における散水時の気象変化を知るための実験・観測が行われ大量の気象観測データが取得されている。観測システムは100以上の温度センサーを水平鉛直方向に10m程度のスケールで三次元多点に配置したもので、地表面・大気・地下温度・湿度の散水時変化が観測された。その結果,3回行われた実験すべてにおいて,(1)散水により地表面温度が5~15℃低下し、(2)内2回の実験では散水範囲内の地表面上1.5m程度の位置でも平均的に0.8℃程度低く測定されたこと、(3)実験時の風速と気温低下量の間には明らかな相関は認められず、比湿に関しても散水範囲内外で測定精度を上回る差は認められなかったこと、(4)地下10cm程度の温度は10℃程度低下し,地表面温度より2~3時間程度の遅れを伴って変化したこと、などがまとめられている.

次に、よりダウンスケールした微気象多点観測装置の開発について述べられている。これは温度・湿度・風速センサーを組み合わせ、散水による地表面付近の鉛直微気象変化を捉えるための自立・分散型装置である。この装置を用いて,大学構内のオープンスペースや団地公園内での障害物等の多数存在する空間での微気象観測が行われ、装置の動作・精度などの確認が行われると共に、観測された地表面近傍の温度プロファイルなどの知見は後述の数理モデリングに利用されている。

以上の実測的検討結果を踏まえ、散水効果定量化のための詳細な数理モデリング手法が論じられている。具体的には、(1)地表面付近大気の接地境界層、地表面(各種舗装面や土壌面)、地下多孔質体を考慮し、(2)地表面の短波・長波輻射収支、大気中の空気の移動、熱・蒸気の移流拡散(乱流輸送)、地表や地下間隙中での液相・気相間の相変化(蒸発・凝縮)、地下間隙中の2相状態の流れと地下非定常熱伝導、などを考慮した定式化が行われている。プログラムでは、未知状態量として圧力、水飽和率、比湿、大気温度、水相温度、固相温度をとり、全ての支配方程式を完全連成させて解く手法が利用されている。また、開発した数値モデルに対し各種の検証が行われ,解の妥当性が示されている。

次に、開発されたモデルを用いて散水実験観測値の再現計算が行われている.実験をできる限り模せるように周辺気象条件・境界条件を与え、初期化シミュレーション(散水前の状態再現)、散水時再現シミュレーション(非散水地点、散水地点の気温、地表面・地中温度の再現計算)が行われた。その結果、(1)非散水地点の地表面・地下温度観測値の変動傾向を微気象学・水理学的に妥当なパラメータにより調和的かつ定量的に良く再現することができること、(2)間欠散水や連続散水を入力した計算においても、観測された地表面温度・地下温度の変動に追随するよい再現性が得られている.

最後に、開発された数理モデルの適用性を示すため、想定される実用スケールでの散水や、水量、時間、地表面物性などを変化させた場合のケーススタディ(数値実験)が試みられている。例えば、(1)散水継続時間と地表面温度低下継続時間の関係、(2)夜間や明け方の散水と日中の散水の効果の違い、(3)保水性を有する舗装での地表面温度の低下継続時間、(4)散水の体感効果を考察するための黒球温度、などが考察され、モデルの汎用性、将来の活用の方向性・展望が示されている。

以上のように、本研究では屋外実験から評価手法の開発までが総合的に行われており、ここで提案されている数値モデルは実用散水システムの効果予測・最適設計の上で非常に有用であり、自立・分散型微気象観測装置は予備調査や実施段階の微気象モニタリングに活用できるものと考えられる。また、これらの成果は今後の都市ヒートアイランド対策立案への貢献のみならず、より一般的な都市環境評価の手法としても応用範囲の広いものと考えられる。

よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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