学位論文要旨



No 124618
著者(漢字) 土屋,敬志
著者(英字)
著者(カナ) ツチヤ,タカシ
標題(和) ナノイオニクス型Cu2Sスイッチングデバイスの固体電気化学的研究
標題(洋)
報告番号 124618
報告番号 甲24618
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7052号
研究科 工学系研究科
専攻 マテリアル工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山口,周
 東京大学 教授 鈴木,俊夫
 東京大学 教授 鳥海,明
 東京大学 教授 渡邊,聡
 東京大学 教授 光田,好孝
 東京大学 教授 榎,学
内容要旨 要旨を表示する

近年, 次世代型不揮発性メモリーへの応用に向け遷移金属酸化物を金属電極で挟んだキャパシター構造を持つ抵抗変化型不揮発性メモリー(ReRAM)や同様の構造で硫化物を用いた原子スイッチなどのナノスイッチング素子の開発が進められている[1-3]. これらはいずれも構造中に金属/半導体ヘテロ接触界面が存在しスイッチング動作への界面特性の影響が示唆されているものである. これらのスイッチング素子における最大の特徴は電圧印加, すなわち分極により電気的特性に不揮発的抵抗変化を生じる点にあり, 分極下のヘテロ接触界面における不揮発的変化が関与するものと考えられている. しかしながら, ヘテロ接触界面における金属/半導体間の電荷移動により形成されるショットキー障壁に見られるような電子欠陥の分極による変調は一般に非常に短い緩和時間しか示さない. これに起因する電気的特性も界面を構成する半導体の伝導キャリア及び電子構造により決定されると考えられるため,単独での不揮発的変化の発現は考えにくい. 通常の半導体とイオン移動が可能なイオン-電子混合導電体の最も重大な相違点は半導体ではイオンが輸率・移動度を持たないという点にある. イオンが有限の輸率・移動度を持つ実際の系においては空間電荷層や外部電圧によって生じる分極による電界によってイオンおよびイオン欠陥の拡散が起こるため, イオン欠陥と電子欠陥の競合的拡散によるナノスケールで生じる緩和現象であるナノイオニクス現象を考慮する必要がある. 本研究では分極により生じる特異な不揮発性の起源を明らかにするために, これまで議論されてこなかった混合伝導性による電気的特性への寄与, すなわち電子欠陥/イオン欠陥による競合的緩和現象に注目し, 新たに不定比性キャリア変調(Nonstoichiometry-Induced Carrier Modification, 以下NICM)という概念を導入し検討を行う. NICMは, 金属/混合伝導体ヘテロ接触界面, 及びバルクのキャリア濃度がイオン欠陥の局所平衡により変調される現象として定義される. この混合伝導性とは一定のイオン伝導性を有する半導体を指す. 本研究では特異な不揮発性を有するスイッチングデバイスにおいてNICMが電気的特性に与える影響について電気化学測定に加えてX線光電子分光, X線吸収分光, 紫外可視赤外分光といった分光学的手法によって検討し, ナノイオニクス現象の電子構造に立脚した描像を得, その理解への実践的指針を示すことを目的とする.

第1章においては本研究が取り扱う原子スイッチの開発背景, 動作機構に関する問題点, 及び周辺技術であるReRAMについて概観するとともに, 問題点を明確にして本研究の目的を示した.

第2章では原子スイッチの動作機構において最も基礎となる局所的な導電パスの存在, 及び(2)固体電気化学的プロセスによるスイッチングについて検討した. 走査型プローブ顕微鏡を用いて分極状態におけるCu2S/Cu表面の電流像観察を行い, 原子スイッチにおいて生じる低抵抗状態での伝導パスが局所的構造であることを確認した. 本研究結果よりCu2S表面において, 周辺領域が数nA以下の非常に低い電流値しか示さないのに対して1μAを超える高い電流値を示す領域が局在することがわかった. またこの領域はより大きな正電圧印加によって消失するという挙動を示した. これにより原子スイッチにおける抵抗スイッチング現象はCu架橋と思われる局所的な低抵抗パスの生成・消滅を動作原理としていることが示唆された.

第3章では様々な電極を不活性電極側に成膜した不活性金属電極/Cu2S/Cu電極2端子セルを用いた電気化学的特性の調査と原子スイッチの動作機構に関する固体電気化学的検討を行った. 金属架橋生成時においては電気特性はオーミック的であることが想定されたため, 特に架橋の生成していない状態における電気特性に注目して直流分極, 並びに直流電圧印加状態での交流インピーダンス測定を行った. この結果より, 電流-電気特性に顕著な整流性が認められるが, 不活性金属電極に代えてCu電極を用いた場合には整流性が観察されないことを見出した. また直流分極においてイオンによる緩和を示唆する電流値の経時変化を観察した.

これらの結果に基づき, ギャップレス型原子スイッチにおける可逆的スイッチングの動作機構を矛盾なく説明できるモデルとして, 分極下におけるイオン欠陥の再分配に起因して誘起されるNICMに着目し考察した. またNICMによって抵抗変化を生じる系のインピーダンススペクトルに特徴的に現れる容量性半円について議論し, 抵抗成分が非常に長い緩和時間を持って交流電圧に追随することが理由となっていることを明らかにした.

次に, 電気化学測定に基づき議論した原子スイッチ内におけるNICM, すなわちイオン欠陥の再分布による電子欠陥濃度の変調に起因した電気特性変化について解析的手法を用いて検証を行った. 本研究ではPattersonらの用いた直流電圧印加下, 定常状態を仮定し混合伝導体層内における電位・活量分布を求める手法により検討した. また, 直流分極による電流-電圧特性について金属/半導体ヘテロ界面における障壁モデルとの対比を行い, 本系における電気特性の特徴について明らかにした. こうした議論を基に原子スイッチの金属Cu架橋の生成・切断による可逆的スイッチング原理について考察した.

第4章では, 電気化学的特性に対応して分極によって変化すると予想される金属/Cu2Sヘテロ接触界面の電子構造に注目し, 電子分光及び光学分光測定による検討を行った. Cu活量の異なるCu2S/Cu, 及びCu2S/Auを参照試料とした軟X線光電子分光, 吸収分光を行い両者について比較し, S2p1/2, 3/2占有軌道における化学シフト, 及びCu2p占有軌道から3d空軌道への励起過程において生じるS3sへの電荷移動に起因するサテライト構造の変化を観察した. また硬X線光電子分光においても, 軟X線分光法と整合性のある結果を確認した. 次にPt/Cu2S/Cu非対称2端子セルを用い, 分極下における光電子分光測定を行った. ここでは, 分極によって誘起されるS1s軌道の化学シフト, および励起過程において生じるフェルミ準位近傍での電子-正孔対の生成によるエネルギー損失に起因したスペクトル形状変化について議論した.

さらにバンドギャップ近傍の電子構造変化が光エネルギーによるバンド間遷移過程に影響を及ぼすことに注目し光学的検討を行った. 電子分光で用いたCu2S/Cu, Cu2S/Auを参照試料としたFT-IR測定において自由電子キャリアのプラズマ散乱反射に起因した反射率差を確認するとともに, 絶対反射率法を用いたNIR測定における価電子帯頂上のDOSの違いにより生じる反射率の変化を観察した. 透明電極としてITOを用いた分極下での反射率測定では反射率の分極に対する指数関数的な増大を観察した. この変化は長い緩和時間を持ち, イオン輸送の関与が示唆されるが、想定した変化とは異なった傾向を示し, ITO/Cu2S界面に形成されたpn接合の形成による界面での電荷移動及びITO電極側における緩和による影響が考えられる.

第5章では, 微細レベルにおける破壊現象に対して高い検出能力を持った非破壊の計測技術として知られているアコースティックエミッション測定を用いて, 原子スイッチにおけるミクロスコピックな変化の観察を行った. Au電極/Cu2S/Cu対極, Au電極/Cu2S/Au対極, 及びCu電極/Cu2S/Cu対極セルを用いたAE測定によって, NICMに起因するCu2S格子の歪み, 及び不活性金属電極/Cu2S, Cu電極/Cu2Sヘテロ接触界面における金属Cuクラスター析出・溶解反応に伴うAE信号検出について検討した. NICMに起因するCu2S格子の歪みに伴うAE信号はCuの析出・溶解反応と比較してより低い周波数領域に分布していることが示唆され, 両者が判別可能であることを示した.

第6章では, 本研究における検討内容について総括するとともに今後のナノイオニクスデバイスの可能性について検討した.

審査要旨 要旨を表示する

本研究ではCu2Sを用いたギャップレス型原子スイッチの動作特性を電気化学的方法,分光学的方法,ならびにアコースティックエミッション法により実験的に追求し,ヘテロ接触界面におけるナノイオニクス現象に基づいた固体電気化学的解析による検討を行い,そのスイッチング機構のモデルを提案した.

第1章では,本研究で取り扱う原子スイッチの開発背景,動作機構に関する研究の総括とその問題点,ならびに関連する周辺技術であるReRAMについて概観するとともに,具体的な研究の対象としたイオン/ホール混合伝導体であるCu2Sを用いた原子スイッチデバイス研究の問題点と未解明の部分を明らかにした.特に,デバイスの基礎特性とスイッチング現象を理解するための基礎概念に関する問題意識を明確化して,本研究の目的を明示した.

第2章では,走査型プローブ顕微鏡を用いて分極状態におけるCu2S/Cu表面の表面形状像と電流像観察を行い,原子スイッチにおいて生じる高伝導状態を実現する高伝導パスの空間的分布を調べた.Cu架橋によると思われる局所的な高伝導パス生成は粒界付近などに生じ,比較的広範囲に広がっていること,多くの高伝導パスは可逆的に形成・消滅を繰り返すが,複数回のスイッチングにより高伝導パスの可逆性が失われるものが存在することなど,高伝導パスの基本特性を確認した.

第3章では,不活性電極として様々な金属電極をスパッタ法などにより成膜して不活性金属電極(M)/Cu2S/Cu電極2端子型原子スイッチを作製し,その電気特性測定と固体電気化学的解析を行った.直流分極によるI-V測定とバイアス電圧印加(直流分極)条件下における交流インピーダンス測定を行い,不活性金属を用いたブロッキング電極をアノードとした非対称セルの場合には顕著な整流性が認められること,アノードをCu可逆電極とした場合には整流性が観察されないことを見出した.これが直流電圧印加(分極)下におけるイオン欠陥の再分配に起因して誘起された不定比性によるキャリア変調(Nonstoichiometry Induced Carrier Modification: NICM)であるとするモデルを提案し,これに基づいてI-V特性ならびに交流インピーダンス特性解析を行い,Cu2S中に形成されるイオン欠陥濃度の分布,すなわち濃度分極によって,ホール濃度分布が生じるために反ショットキー型の整流特性や遅い抵抗緩和が現れることを明らかにした.また,このモデルから導出される局所的な銅イオン活量の推定に基づいて,原子スイッチの金属Cu架橋の生成・切断による可逆的スイッチング原理がCu2S中に生じる酸化・還元雰囲気によるものとする新しい固体電気化学的原理に基づいたスイッチング機構を提案した.

第4章では,第3章で提案したモデルから予想される濃度分極を実験的に検証することを目的として,電圧印加に伴う電気化学的分極によって金属/Cu2Sヘテロ接触界面に生じると予想される電子構造変化の直接観察に挑戦している.具体的には,電子分光及び光学分光測定によるin-situ分極測定の可能性を検討するため,Pt/Cu2S/Cu非対称2端子セルを作製し,直流分極下における硬X線光電子分光測定を行った.この測定では,分極によって誘起されるS1s軌道の化学シフトとスペクトル形状の変化を観察し,これらの印加電圧依存性について検討した.Pt電極直下のCu2S中には電極間に印加した電圧の約30%程度の直流電圧が加わっていることをピークの化学シフトから推定した.またわずかに還元側に分極することによりピーク形状の非対称性と半値幅,並びに化学シフトが大きな変化を可逆的に示すことが明らかになり,Cu活量の上昇による過飽和度の変化に対応している可能性を指摘した.この光電子分光実験と同様のセルを用い,分極下における遠赤外光領域光学吸収測定による検討を行い,全反射率の変化が現れることを明らかにした.

第5章では,アコースティックエミッション法を用い,Pt/Cu2S/Cu非対称二端子セルでは原子スイッチ動作時に異なる2種類の音響(AE)信号が現れることを初めて明らかにした.さらに Au電極/Cu2S/Cu対極,Au電極/Cu2S/Au対極,及びCu電極/Cu2S/Cu対極セルを用いたAE測定を行い,これらの2種類の信号が NICMに起因する還元反応に伴うCu2S格子の歪みによる継続型音響信号と, Cuクラスター析出・溶解によると思われる突発型信号の2種類に分類されることを明らかにした.これらの信号は,前者では分極電圧印加直後の短期間のみ信号が観察されるのに対し,後者は直流分極を維持するとその信号が断続的に継続することが明らかになり,NICMモデルから予想される現象と一致することがわかった.

第6章においては本研究を総括するとともに,今後の原子スイッチ開発の展望を示した.

以上を要すると,Cu2Sを用いた原子スイッチについて多様な実験手法を利用してその基礎特性を解明すると共に,ナノスケールでのイオン移動による電荷密度変調とこれに伴う酸化・還元状態の分布により駆動されたCuフィラメント架橋の還元析出・成長と酸化溶解によるスイッチングという原子スイッチデバイス作動原理モデルを提案したものであり,固体イオニクスならびに材料化学の進歩に対する貢献は大きい.したがって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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