学位論文要旨



No 124619
著者(漢字) 横山,孝理
著者(英字)
著者(カナ) ヨコヤマ,タカミチ
標題(和) ガス雰囲気下での熱蒸着によるペンタセン薄膜の大粒径化とトランジスタの高移動化の研究
標題(洋)
報告番号 124619
報告番号 甲24619
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7053号
研究科 工学系研究科
専攻 マテリアル工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鳥海,明
 東京大学 准教授 高井,まどか
 東京大学 講師 長汐,晃輔
 東京大学 講師 坂田,利弥
 東京大学 教授 齊木,幸一朗
内容要旨 要旨を表示する

有機薄膜トランジスタ(TFT)は機械的柔軟性を持っていること、低温プロセスが可能であること、大面積化した際の1素子当たりのコストが安いことなどの利点から、次世代のフレキシブルディスプレイなどへの適応が期待されている。有機TFTの特性は有機半導体薄膜、特にその絶縁膜界面により中心的に決定されるため、いかにキャリアが流れやすい、すなわち高移動度な薄膜を得るかが特性向上の鍵となる。

一般的に多結晶薄膜における移動度向上の基本原理は粒径を増大させることである。これは粒界が移動度を律速する主因だからである。有機TFTにおいても多結晶薄膜を用いた場合にはその原理は適応できることが報告されており、移動度を向上させるには粒径を増大させればよい。有機半導体薄膜を成長させるには真空蒸着法が用いられることが多く、この方法では粒径の増大は蒸着レートと基板温度を制御することにより実現される。しかし、粒径を大きくさせる蒸着条件は、分子の基板からの再蒸発も増えるため結晶成長の観点からは不安定となる。実際ある基板温度以上では薄膜内にクラックが発生し移動度が減少してしまう事が報告されている。

そこで、本研究では安定し粒径の大きな多結晶有機半導体薄膜の成長を実現させることを目的とし、蒸着法に圧力というパラメータを導入することを提案した。有機半導体材料としては現在最も研究されているペンタセンを選択した。結晶成長における圧力としては気相のペンタセン分圧、つまり蒸着レートを考えなければならないが、これを上げると核生成の頻度は増大するため粒径は小さくなる方向へと進む。そこで、本研究では分圧の代わりに全圧を上げることでクラックを抑制できないかと考えた。具体的には、ガスを導入し全圧を上げた雰囲気で蒸着することで再蒸発までの時間を遅くすることを試みた。これはガス分子が有機分子の再蒸発を阻害することを期待したからである。実験は(1)圧力によりクラックは抑制可能か、及び(2)導入するガス主により結晶成長及びTFT特性に差はあるか、の二つに大きく分けられる。

(1)圧力によるクラック抑制

真空中及び、窒素3Pa中、基板温度80度でペンタセン薄膜を蒸着し、原子間力顕微鏡(AFM)を用いて表面を観察した。その結果、真空中で蒸着した場合、従来の報告と同様に薄膜内にクラックが発生したのに対し、窒素中で蒸着した場合結晶は安定し成長し、長さは10um以上のグレインを得ることに成功した。またこの薄膜を用いたTFTの移動度は0.6 cm2/VsとこれまでSiO2上で得られてきた移動度の最高値に並ぶ値を安定して得ることにも成功した。

(2)雰囲気の違い

次に導入するガスにより差があるのかを検証するため、窒素に加え、酸化性の酸素、還元性の水素を導入し蒸着を行った。これは、還元性雰囲気中では圧力の効果に加え、分子の酸化が抑制され特性が向上することが期待できるからである。それぞれの雰囲気で蒸着した薄膜を用いてTFTを作製し特性を調べた結果、水素中で蒸着した薄膜を用いたTFTの移動度は他のものに比べ2倍に向上することが判明した。一方、有機TFTは酸素により特性が変化することが知られているが、酸素中で蒸着した場合は特性の劣化は起きないことも確認された。次に、移動度向上の理由を明らかにするため、AFMを用いて薄膜を観察した。その結果、真空中、窒素中、酸素中では粒径は同じであるのに対し、水素中で蒸着した場合粒径は2倍に増大することが確認され、これが移動度の向上に寄与していることが示唆された。これは、基板温度や蒸着レートに加え蒸着中の雰囲気もペンタセンの結晶成長におけるパラメータとなることを示した初めての結果である。

次に本研究において発見された水素中の蒸着による粒径増大のメカニズムを明らかにするため、二つの実験を行った。一つ目は水素の特徴である「還元性のガスであること」と「最も軽いガスであること」のどちらが粒径増大に寄与するのかを明らかにすることを目的とし、ペンタセンをヘリウム中、及び重水素中で蒸着しそれらの粒径を比較した。重さが同じであるが、それぞれ不活性と還元性であるヘリウム、重水素を比較することで還元性の寄与を明らかにでき、一方、これらの軽いガスと窒素及び酸素の結果を比較することで重さが重要であるかを判断することができる。二つ目は水素が結晶成長におけるどのパラメータを変えているのかを明らかにすることを目的とし、粒密度の温度依存性を調べた。

一つ目の実験の結果、ヘリウム及び重水素中でも水素と同様の粒径増大(=粒密度の減少)が観測されることが判明した。これは粒径増大に、当初予測した水素の還元性は実は寄与しておらず、ガスの重さが軽いことが重要であることを示唆している。一方、二つ目の実験である粒密度の温度依存性の結果、表面拡散エネルギーは真空中と水素雰囲気中のどちらの場合も同じであることが明らかとなった。従来基板を変えた場合などに観察される粒密度の違いは基板の表面拡散エネルギーの違いで説明されてきたが、この結果は、水素は蒸着による結晶成長において新たな因子を加えるものであることを意味する。本研究ではこの因子の解釈として、ペンタセンの結晶成長過程において、一部の結晶核が熱力学的に安定な核に成長する前にガス分子の衝突により解離される、というモデルを提案した。ガス分子は軽いほど基板への衝突確率が上がるため、このモデルは一つ目の実験結果ともよく整合する。

有機TFTの移動度を向上させるため従来用いられてきた方法の一つとして、octadecyltrichlorosilane (OTS)による化学的な基板表面処理がある。最後に水素中の蒸着をOTS処理基板上に適応した。その結果、OTS上に作製したTFTにおいても水素中で蒸着することにより移動度が向上することが確認された。移動度は基板温度が室温で蒸着した場合1.27 cm2/Vs、更に基板温度を上げて蒸着した場合には5.0 cm2/Vsという値となった。この移動度は、これまでOTS上に作製されたペンタセンTFTでは最も高い値であり、本研究で発見した水素中で蒸着する、という方法が移動度向上に対し極めて有効であることを示す結果である。また、水素の効果は基板によらず起きると考えられるため、OTS処理基板だけでなくポリマーなどのフレキシブルな基板上でも同様に移動度が向上することが期待できる。

本論文では、更に酸素による特性の劣化という外因的なTFTの特性決定要因についても議論した。また、移動度と並び重要なパラメータであるしきい値電圧の制御方法についても提案を行った。これらは、ガス中で蒸着したTFTの特性を議論するために必要となる、有機TFTに対する基礎的理解という位置づけでもある。

以上の結果より、本研究で提案した蒸着中にガスを導入するという方法は、クラックの抑制が可能であるだけでなく、導入するガスにより粒径および移動度を向上させることも可能であることが分かり、従って有機TFTの特性を向上させる方法としてきわめて有効であることが示された。また、高真空を必要としない本研究の蒸着方法はコストの面からも利点が大きく、有機TFTの実用化に大きく貢献するものと考える。

審査要旨 要旨を表示する

有機薄膜トランジスタ(TFT)は機械的柔軟性を持っていること、低温プロセスが可能であること、大面積化した際の1素子当たりのコストが安いことなどの利点があるため、次世代のフレキシブルディスプレイなどへの応用が期待されている。課題の一つは電流駆動力の小さいことがあげられ、有機TFTの研究においては、いかに高移動度な薄膜を作製するかが大きな焦点となっている。多結晶薄膜における移動度向上の基本原理は粒径を増大させることであり、有機TFTにおいてもその原理は適応できることが報告されてきた。

有機半導体製膜には真空蒸着法が用いられることが多く、粒径の増大は蒸着レートの低減と基板温度の増加により実現されてきた。しかし、粒径を大きくさせる蒸着条件は、核形成頻度を増加させる,あるいは基板から分子の再蒸発も増えるため、結晶成長の観点からは不安定となる。

そこで、本研究では安定に粒径の大きな多結晶有機半導体薄膜の成長を実現させることを目的とし、有機半導体材料としては現在最も研究されているペンタセンを用い、蒸着法に雰囲気ガスを導入するという新しい手法を提案している。真空蒸着法による結晶成長において、固相/気相の平衡状態を考えた場合、圧力は有機分子の気相の分圧、すなわち蒸着レートであるが、これを上げると核生成の頻度は増大するため粒径は小さくなる方向へと進む。本研究では、外部よりガスを導入し全圧を上げた雰囲気で蒸着することで再蒸発までの時間を遅くすることを試みている。特に、雰囲気ガスが多結晶粒径、TFT移動度に及ぼす影響を詳細に調べている。

本論文は7章からなる。第1章は序論であり、有機半導体の特徴、ペンタセンという材料の選択に関して述べた後に、本研究の目的と位置づけを明確化している。

第2章は本研究を進めるにあたっての、ペンタセン薄膜材料の形成手法およびTFTの作製手法、評価手法について詳述している。製膜には熱蒸着法を用い、また膜の結晶性に関してX線回折、膜中のグレインの大きさの評価に対して原子間力顕微鏡(AFM)を用いている。

第3章は、有機半導体の特徴である外部雰囲気によって特性が劣化するという現象に関して、特にその傾向の強い電子伝導型有機半導体であるフッ素化ペンタセンを用いて酸素の影響について調べた結果を議論している。そこでは酸素に晒すことが劣化を引き起こすというよりも酸素雰囲気下での素子の動作、つまり酸素が存在するもとでの電子の存在が特性を大きく劣化させていることを実験的に明確化しており、さらにそのメカニズムについて議論している

第4章はペンタセン膜の成長とTFT移動度の関係を調べている。粒径を大きくするために高温で膜成長を行うと、クラック成長は促進される結果、ある程度以上になると移動度が急激に劣化してしまう。それを抑制するための手段として、意図的に真空度を落として製膜することでクラック形成を抑制し移動度の急激な劣化を抑制できることを確認している。また本論文の主題である真空度を下げて蒸着という研究から、移動度を決定しているのは第一層目の粒径を大きくすることが重要であることを実験的に示している。

第5章では第4章で行った低真空蒸着における移動度向上に基づき、ガス種による効果を調べた結果を詳細に述べている。特に、H2、02、N2および真空を比較し、H2中おける蒸着は他の場合に比べて第一層目の粒径が倍以上に増加することを発見した。このことによって、H2中での製膜をしたTFTにおける移動度は倍程度向上することが示されている。上記のような事実に関する報告例は無く、きわめて新しい実験結果である。さらに、粒径増大メカニズムを解明するために、D2あるいはHe中での蒸着も行い、いずれの場合も粒径の,増加が認められ、メカニズムがケミカルなものではなく軽い分子量による物理的なものであることを明らかにしている。この事実はペンタセンに限らず、ガス分子支援の粒成長という観点で極めて斬新であり、工学的にも重要な発見であるといえる。さらに本手法をオクタデシルトリクロロシラン処理したSiO2上への蒸着に適用して、室温で移動度が1.27cm2/Vsecという高い値を得ている。さらに水素雰囲気下でかつ基板温度を上げた状態で蒸着を行うことで、移動度は5cm2/Vsecを超える非常に高い値を得ることを示している。

第6章は移動度とともにTFT特性として最も重要な特性量であるしきい電圧の制御手法に関して、新たな方法を提案しその実証結果について述べている。

第7章は以上の総括である。

以上を要するに、本研究は有機薄膜の成長過程に遡って調べることによって、有機TFTの最も重要な量としての移動度としきい電圧を大きく改善できることを示したものである。特に水素雰囲気下での蒸着という新しく提案された手法によって、界面での粒径を飛躍的に増大させ、その結果移動度を飛躍的に向上できることを実験的に示したものであり、有機半導体エレクトロニクス分野だけでなく材料工学の観点からも意義は大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる

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