学位論文要旨



No 124625
著者(漢字) 桜井,俊介
著者(英字)
著者(カナ) サクライ,シュンスケ
標題(和) 高保磁力を示すε-Fe2O3ナノ微粒子の合成及びその高機能化に関する研究
標題(洋)
報告番号 124625
報告番号 甲24625
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7059号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋本,和仁
 東京大学 教授 尾嶋,正治
 東京大学 教授 高木,英典
 東京大学 教授 大越,慎一
 東京大学 教授 長谷川,哲也
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

ε-Fe2O3相は酸化鉄の中でも極めて稀な相である.2004年に当研究室において初めてこの相の単相がナノ微粒子として得られ,室温において20 kOeという巨大な保磁力を示すことを報告している.この材料は巨大な保磁力に加えて,安価であり化学的安定性にも優れていることから,高密度磁気記録材料や電磁波吸収材料などへの応用が期待される.本研究では,ε-Fe2O3相の合成及びその磁気特性のメカニズムを解明し,さらなる高機能化への指針を示すことを目的とした.その結果,(1)ε-Fe2O3ナノロッド/ナノワイヤの成長メカニズムを明らかにした.(2) γ→ε →β→α-Fe2O3相変態を初観測し,ε-Fe2O3相の発現メカニズムを明らかにした.(3) ε-Fe2O3ナノロッド配向体を作製しその巨大保磁力を観測した.(4) In置換体ε-InxFe2(-x)O3ナノロッドを合成し,フェリ磁性-反強磁性転移を観測した.

2.逆ミセル-ゾルゲル法によるε-Fe2O3ナノロッド/ナノワイヤの成長メカニズム

[実験]ε-Fe2O3ナノ微粒子は,逆ミセル法とゾルゲル法の組み合わせを用いて合成された.まずFe(NO3)3とBa(NO3)3の混合水溶液を含んだ逆ミセル溶液を調整し,NH3水溶液を含んだ逆ミセル溶液と混合・反応させテトラエトキシラン(Si(C2H5O)4)を滴下した.24時間撹拌後,分離乾燥して得た粉末を約1000℃空気中で4時間焼成し,目的の粉末を得た.ミセル溶液の構造を小角X線散乱(SAXS)によって測定した.焼成後試料の観察を透過型電子顕微鏡(TEM)によって,結晶構造の同定をX線回折(XRD)によって行った.

[結果と考察]SAXSによって測定された逆ミセル溶液の水相の直径は,Fe(NO3)3及びBa(NO3)2を含んだ溶液では7.5±2.1 nmであり,もう一つのNH3を含んだ溶液では6.5±2.0 nmであった. これら二つの溶液を混合することによって水相でFe(OH)3ナノ微粒子が生成し,Si(C2H5O)4の加水分解重合反応によって生成したSiO2によって被覆された.TEMによって,5±1 nm のサイズにあるFe(OH)3ナノ微粒子がSiO2マトリックスに分散している様子が観測された. TEM観察およびXRDから,900 ℃に加熱するとFe(OH)3 は球状のε-Fe2O3 (Fd m, a = 8.35 Å) にサイズを変えずに変化したことが示された.これはSiO2によってFe2O3粒子の凝集が妨げられているためである.さらに1025 ℃まで加熱すると,ε-Fe2O3 (Pna21, a = 5.10 Å, b = 8.78 Å, c = 9.47 Å)ナノ微粒子へと変化した.Baの量を増加することによって,ナノ微粒子の形状は球状からロッド状へ変化してさらにアスペクト比の大きいワイヤ型へ変化した.ε-Fe2O3 ナノワイヤの長さは1.5 μmに達した.TEM-EDXの結果から,Baイオンがε-Fe2O3結晶の(001)面や(010)面に吸着することによって,ε-Fe2O3 ナノロッドのa軸方向への異方的な成長を促していることが示唆される.ナノワイヤ形のε-Fe2O3単結晶が得られたのは初めてである.

3.酸化鉄ナノ微粒子におけるγ→ε→β→α-Fe2O3相変態の観測

[実験]メソポーラスSiO2ナノ微粒子にFeSO4水溶液を含浸させ,乾燥後得た粉末を空気中4時間目的の温度で加熱した.その後NaOH水溶液によりSiO2を除去し,酸化鉄微粒子を得た.XRDにより結晶構造の決定,TEMにより粒子の観察を行った.

[結果と考察]加熱温度900℃ の試料からはシリカのメソ孔径に対応する粒径5±1 nm の粒子が観測された.加熱温度の上昇に伴い平均粒子サイズは19±6 nm (1100℃),34±13 nm (1200℃),45±18 nm (1250℃)と増加した.この粒径の増加はSiO2のガラス転移点(1000℃)以上で加熱することにより,粒子の凝集が加速されたためである.XRDからは加熱温度に応じて,γ-Fe2O3 (加熱温度900℃),ε-Fe2O3 (1100℃),β-Fe2O3 (1200℃),α-Fe2O3 (1250℃) と異なるFe2O3の結晶構造に対応するパターンが観測された.Fe2O3の結晶構造として知られている4つの相全て(γ, ε, β, α-Fe2O3)が,連続的に変化していく様子を観測したのは初めてである.ナノ微粒子においては表面エネルギーが自由エネルギーに大きく寄与するので,最安定相が粒径に応じて変化して4種類の相が得られたものと考えている.

4.ε-Fe2O3ナノロッド配向体の作製とその巨大保磁力

[実験]ε-Fe2O3ナノロッドを被覆しているSiO2層をNaOH水溶液及びHCl水溶液により除去し,沈殿を水中に分散させることでε-Fe2O3ナノロッドのコロイド水溶液を得た.この水溶液にSi(OCH3)4を混合し,20 kOeの磁場を印加,24時間静置した.Si(OCH3)4の加水分解反応によって溶液をゲル化させ,さらに乾燥させることにより,SiO2中に埋め込まれたε-Fe2O3ナノロッド磁場配向体を得た.配向状態をXRDおよびTEMにより測定した.磁気特性を超伝導量子干渉計(SQUID)により測定した.

[結果と考察]配向後試料の2θ/θ法によるXRDパターンからは,(200)面に対応するピークが強く観測された.またTEM像からはε-Fe2O3ナノロッドがマトリックス中で一方向に配向している様子が観測された.このことからε-Fe2O3ナノロッドが印加磁場方向に対し,長軸かつ磁化容易軸であるa軸にそって配向していることが示された.300 Kにおける磁場配向体の磁気特性を測定した.ε-Fe2O3ナノロッド長軸(a軸)配向方向に沿って測定したヒステリシス曲線の角型性が向上し,保磁力は23.4 kOeと金属酸化物最大の保磁力を更新した.一方,a軸に垂直な方向では16.7 kOeと保磁力は減少した.この保磁力の増大は,一軸異方性に基づく磁化回転過程を考慮したシミュレーションによりよく再現された.

5.ε-InxFe(2-x)O3ナノロッドにおける強磁性-反強磁性転移

[実験]ε-InxFe(2-x)O3(x= 0, 0.08, 0.19)ナノロッドの合成は,Fe(NO3)3,In(NO3)3,Ba(NO3)3の混合水溶液を用いた逆ミセル-ゾルゲル法で行った.

[結果と考察]XRDから結晶構造はいずれの試料も斜方晶(空間群: Pna21)であり,c軸方向に電気分極を有する焦電性結晶であった.TEM像からはロッド型のナノ微粒子が観測され,そのサイズは20±10 × 80±40 nm (x=0), 30±10 × 70±30 nm (x=0.08), 30±10 × 80±40 nm (x=0.19)であった.x=0, x=0.08, x=0.19についての磁化温度曲線を測定した.それぞれキュリー温度TC = 495 K (x=0), 456 K (x=0.08), 414 K (x=0.19)において,常磁性からフェリ磁性への転移による磁化の立ち上がりが観測された.さらに冷却すると,Tp= 102 K (x=0), 149 K (x=0.08), 180 K (x=0.19)における磁化の大きな減少が各試料について観測された.さらにx=0.08 および x=0.19は,Tp以下において反強磁性的な磁気ヒステリシス曲線を示した.つづいて各試料の保磁力の温度依存性を測定した.各試料ともに,TC以下で冷却とともにHcは上昇したが,その後Tp付近で急激に減少した.x=0の保磁力は21 kOe (200 K) から0.6 kOe (100 K)まで減少した.この保磁力の減少を伴う磁気相転移は,磁気双極子-磁気双極子相互作用と一イオン異方性の拮抗によって起こるスピン再配列現象と考えられる.またε-InxFe(2-x)O3(x= 0.08, 0.19)ナノロッドにおけるフェリ磁性から反強磁性への転移は,4配位サイトであるFe4における副格子磁化がTp以下で大きく変化したためと考えられる.一連のε-InxFe(2-x)O3はフェリ磁性から反強磁性へ転移を示す最初の焦電性磁性体の最初の例である.

[まとめ]

本研究ではε-Fe2O3ナノロッド/ナノワイヤの合成や,γ→ε→β→α-Fe2O3相変態の初観測に成功し,ε-Fe2O3相の発現における粒径制御の重要性を明らかにした.またε-Fe2O3ナノロッド配向体を作製しその巨大保磁力を観測したことにより,この材料が磁気記録材料として有力であることを示唆した.またIn置換体ε-InxFe(2-x)O3ナノロッドを合成し,フェリ磁性-反強磁性転移を観測した.この結果は合成が困難とされてきた相においても金属置換が可能であることを示すと同時に、金属置換がε-Fe2O3相の高機能化に有力な手法であることを示している.今後さらに優れた磁気特性や機能性を有する金属置換体が見出されると期待される.

審査要旨 要旨を表示する

ε-Fe2O3相は酸化鉄の中でも極めて稀な相である.この材料は室温において20 kOeという巨大な保磁力を示すことに加え,安価であり化学的安定性にも優れていることから,高密度磁気記録材料や電磁波吸収材料などへの応用が期待されている.本論文では,ε-Fe2O3相の合成プロセスおよびその磁気特性について検討を行い,さらなる高機能化への指針を示すことを目的としている.

本論文は以下の7章から構成されている.

第1章は序論であり,本研究の背景である金属酸化物磁性体の過去の研究概要,Fe2O3の各結晶構造とその特徴、ε-Fe2O3についての過去の研究の概要が紹介され,本研究の目的および概要について論じられている.

第2章ではε-Fe2O3単相の合成法である逆ミセルゾルゲル法における合成プロセスの詳細な解析により,ε-Fe2O3ナノロッドの生成メカニズムの解明が試みられている.合成時に添加されるBaの量が増加することによって,ナノ微粒子の形状が球状からロッド状へ変化し,さらにアスペクト比の大きいワイヤ型へ変化することを見出している.ε-Fe2O3 ナノワイヤの長さは最大で1.5 μmに達している.またBaイオンがε-Fe2O3結晶の(001)面又は(010)面に吸着することによって, a軸方向への異方的な成長を促していることが示されている.ナノワイヤ形のε-Fe2O3単結晶が得られたのは本研究が初めてである.

第3章では,酸化鉄ナノ微粒子の粒径制御を行うことにより,粒径と結晶構造との関係について研究されている.メソポーラスSiO2ナノ微粒子にFeSO4水溶液を含浸させ,乾燥後加熱することによって一連の酸化鉄ナノ微粒子が得られている.加熱温度の上昇に伴い平均粒子サイズは5±1 nm(900℃)から45±18 nm (1250℃)へと増加し,各試料の結晶構造がそれぞれε-Fe2O3 (加熱温度900℃),ε-Fe2O3 (1100℃),ε-Fe2O3 (1200℃),ε-Fe2O3 (1250℃) と変化する様子を観測している.Fe2O3の結晶構造全て(γ,ε, β, α-Fe2O3)が,連続的に変化していく様子が観測されたのは本研究が初めてである.ナノ微粒子においては表面エネルギーが自由エネルギーに大きく寄与するので,最安定相が粒径に応じて変化して4種類の相が得られたものと考察されている.

第4章では,ε-Fe2O3ナノロッドの配向体作製及びその磁気特性の向上を目指した研究について述べられている.ε-Fe2O3ナノロッドのコロイド水溶液にSi(OCH3)4を混合し,20 kOeの磁場を印加することにより,SiO2中に埋め込まれたε-Fe2O3ナノロッドの長軸 (a軸)方向への配向体が得られている.この配向体における保磁力は23.4 kOeと観測され,金属酸化物最大の保磁力を更新している.この保磁力の増大は,一軸異方性に基づく磁化回転過程を考慮したシミュレーションにより再現されている.

第5章では,ε-Fe2O3ナノロッドの磁気特性の起源を明らかにするために,その温度依存性の測定結果について述べられている.磁化-温度曲線からはTC = 495 Kのフェリ磁性体であることが示されたが,さらに冷却することにより154 K, 及び100 Kを中心とした異常な磁化の減少を観測している.また300 Kで20 kOeもの高い値を示した保磁力が,200 Kで最大値22 kOeを示した後,100 Kで0.6 kOeと異常な減少を示すことを明らかにしている.この保磁力の温度変化のメカニズムを、磁気双極子-双極子相互作用と一イオン異方性という二つの機構による磁気異方性が拮抗し,100 K付近(= Tp)で打ち消しあうと仮定することにより,定性的に説明している.これによりε-Fe2O3ナノロッドの室温高保磁力に磁気双極子双極子相互作用が大きく寄与していることが示されている.

第6章では,ε-Fe2O3相の金属置換による磁気特性制御を目的とした,ε-InxFe(2-x)O3ナノ微粒子の合成及び磁気特性の評価について報告されている.逆ミセル法とゾルゲル法の組み合わせによってε-InxFe(2-x)O3ナノロッド (x = 0, 0.08, 0.19) が合成されている.異常な磁化の減少が観測された温度Tpは102 K (x = 0), 149 K (x = 0.08), 180 K (x = 0.19)とxに伴い増加した.またε-InxFe(2-x)O3 (x = 0.08, 0.19) ナノ微粒子は,T > Tpにおいて保磁力を伴う通常の強磁性ヒステリシスループを示したが,T < Tpにおいてはε-Fe2O3 (x = 0) では観測されない反強磁性的振る舞いを示すことが明らかにされている.ε-InxFe(2-x)O3 (x = 0.08, 0.19) は温度変化に伴い強磁性から反強磁性への転移を示す焦電性強磁性体の初めての例である.

第7章では本研究の総括と,今後の研究の展望が論じられている.

以上、本研究ではε-Fe2O3ナノロッド/ナノワイヤの合成や,γ→ε →β→α-Fe2O3相変態の初観測に成功し,ε-Fe2O3相の発現における粒径制御の重要性を明らかにしている.またε-Fe2O3ナノロッド配向体を作製しその巨大保磁力を観測している.さらにIn置換体ε-InxFe(2-x)O3ナノロッドを合成し,フェリ磁性-反強磁性転移を観測している.本研究の成果から,今後さらに優れた磁気特性や機能性を有する金属置換体が見出されることが期待される.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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