学位論文要旨



No 124627
著者(漢字) 松井,亨
著者(英字)
著者(カナ) マツイ,トオル
標題(和) 金属-DNA複合体におけるプロトン移動反応の理論的研究
標題(洋) Theoretical study of proton transfer reactions in metal-DNA complex
報告番号 124627
報告番号 甲24627
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7061号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平尾,公彦
 東京大学 教授 藤田,誠
 東京大学 准教授 中嶋,隆人
 東京大学 准教授 牛山,浩
 お茶の水女子大学 教授 鷹野,景子
内容要旨 要旨を表示する

本論文は「Theoretical study of proton transfer reactions in metal-DNA complex(金属-DNA複合体におけるプロトン移動反応の理論的研究)」と題し、全6章からなっている。DNAは塩基、リン酸、糖から成り立っており、DNAを構成する塩基はアデニン(A:Adenine)、グアニン(G:Guanine)、チミン(T:Thymine)、シトシン(C:Cytosine)である。AT対は2つの水素結合を形成し、GC対は3つの水素結合を形成する。本論文はDNAや金属-DNAの塩基対間の水素結合系におけるプロトン移動反応を理論的に解明したもので、DNAの理解に新たな知見を提供したものである。

第1章は序論であり、理論化学の現状、特にこれまでの生体分子、DNAやRNAへの理論化学、計算化学の応用がまとめられ、本論文の目的が述べられている。

塩基対を成すAT, GC間の水素結合系にプロトン移動が起こると通常のGやCなどとは異なる物性を示す塩基が生じうる。GCペア間の例では、N1 (G)-N3 (C)間の水素のみが動き、電荷の分離を伴う単一プロトン移動 (SPT)反応ともう一つのO6 (G)-N4 (C)間の水素も同時に動く二重プロトン移動 (DPT)反応の2 種類がある。第2章では金属錯体がない場合のプロトン移動反応の挙動を理論計算から明らかにしている。2 塩基以上のプロトン移動反応については弱い相互作用であるスタッキング効果を含むために電子相関の寄与が無視出来ない。申請者は密度汎関数法(DFT)に弱い相互作用効果を定量的に見積もることのできるALL汎関数を利用して、スタッキング効果を正確に導出し、プロトン移動反応を定量的に評価した。その結果、2 塩基対で起こりうるプロトン移動反応においては、GC/GCでは、DPT反応が段階的に起こることを明らかにし、その反応障壁は15-20 kcal/mol程度で、反応後の構造の方が不安定であると結論づけている。一方CG/GCの場合、上下の塩基対でSPT反応を起こして安定化し電荷分離した形(以下、C+G- /G-C+と表記する)となって安定化することを明らかにした。C+G- /G-C+の安定性は電荷の偏りに伴う静電相互作用、電荷移動、分極の効果によるものである。さらに電荷分離した構造はスタッキングの効果だけでなく、クーロン相互作用も非常に重要な役割を果たしている。C+G- /G-C+の構造ではクーロン相互作用が働くために面間距離が短くなるため、電気を流しやすくなると考えられる。しかしこれらの安定化の効果を加えたとしても反応障壁は依然として高いためにこのような変化を行うためには何らかの化学的な修飾が必要であることを示唆している。

第3章では化学修飾の例として塩基に直接金属錯体が配位する金属-DNAでのプロトン移動反応を扱っている。制ガン剤に用いられるPt錯体の一つであるシスプラチン(PtCl2(NH3)2)は水溶液中で配位子をH2OやNH3に変え、グアニン(G)やアデニン(A)の窒素7 位(N7)に配位して安定化し、DNAの構造を大きく歪めることが知られている。この変化が細胞死を誘起する。Gの方がAよりも結合しやすいことを理論計算からも明らかにしている。シスプラチンがGに配位した1 塩基対のGCペアに関してのプロトン移動ではSPT反応が起こり、反応障壁が3 kcal/mol程度と大幅に小さくなっている事を明らかにした。金属がDNA内の電子移動反応の有用な触媒として作用しうることを示している。

近年DNAに類似した塩基と糖・リン酸のバックボーン分子を持つ人工DNAの合成が注目を浴びている。2003年には、[H-Cu(2+)-H] (H: Hydroxypyridone)を5個並べた銅イオンを含む人工DNAのduplexを合成できることが報告されている。第4章では[H-Cu(2+)-H]二量体において最安定構造での銅イオン間の距離と相互作用エネルギーの関係を研究している。1塩基対(dP=CH3基)における[H-Cu(2+)-H]と銅イオンのない[H-2H+-H]の違いについて比較し、理論面からさまざまな検討を加えている。構造最適化により、金属イオンを含まないH-H2-Hは通常のDNAと同様に水素結合により安定化し、解離エネルギーはおよそ 15 kcal/mol 程度であると結論している。この値はアデニン-チミン間の水素結合エネルギーに相当する。2塩基対でのスタッキングエネルギーは9.1 kcal/molであるが、[H-2H+-H]においてもスタッキングエネルギーも9.5 kcal/molであり、[H-Cu(2+)-H]の場合とほぼ同じ値である。人工DNAにおいても塩基対間ではスタッキングが安定化に寄与していることを明らかにした。

第5章では通常のDNAと比べて、プロトン移動したDNAや金属イオンを含む人工DNAの電気伝導度がどれくらい変化するかを見積もっている。電気伝導の計算にあたって、バリスティック伝導を仮定した上でLandauerの公式を用いている。透過係数は電極と結合する硫黄間の電子遷移によって決まるものと仮定している。これを用いることで、C+G- /G-C+型の構造では通常のCG/GC型よりも10倍程度電流を流しやすくなることを数値計算から示している。さらに、金属イオンを含む人工DNAにおいても、C+G- /G-C+型と同程度の電気伝導性を示すことを明らかにしている。

第6章は本論文のまとめであり、将来への展望が述べられている。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「Theoretical study of proton transfer reactions in metal-DNA complex(金属-DNA複合体におけるプロトン移動反応の理論的研究)」と題し、全6章からなっている。DNAは塩基、リン酸、糖から成り立っており、DNAを構成する塩基はアデニン(A:Adenine)、グアニン(G:Guanine)、チミン(T:Thymine)、シトシン(C:Cytosine)である。AT対は2つの水素結合を形成し、GC対は3つの水素結合を形成する。本論文はDNAや金属-DNAの塩基対間の水素結合系におけるプロトン移動反応を理論的に解明したもので、DNAの理解に新たな知見を提供したものである。

第1章は序論であり、理論化学の現状、特にこれまでの生体分子、DNAやRNAへの理論化学、計算化学の応用がまとめられ、本論文の目的が述べられている。

塩基対を成すAT, GC間の水素結合系にプロトン移動が起こると通常のGやCなどとは異なる物性を示す塩基が生じうる。GCペア間の例では、N1 (G)-N3 (C)間の水素のみが動き、電荷の分離を伴う単一プロトン移動 (SPT)反応ともう一つのO6 (G)-N4 (C)間の水素も同時に動く二重プロトン移動 (DPT)反応の2 種類がある。第2章では金属錯体がない場合のプロトン移動反応の挙動を理論計算から明らかにしている。2 塩基以上のプロトン移動反応については弱い相互作用であるスタッキング効果を含むために電子相関の寄与が無視出来ない。申請者は密度汎関数法(DFT)に弱い相互作用効果を定量的に見積もることのできるALL汎関数を利用して、スタッキング効果を正確に導出し、プロトン移動反応を定量的に評価した。その結果、2 塩基対で起こりうるプロトン移動反応においては、GC/GCでは、DPT反応が段階的に起こることを明らかにし、その反応障壁は15-20 kcal/mol程度で、反応後の構造の方が不安定であると結論づけている。一方CG/GCの場合、上下の塩基対でSPT反応を起こして安定化し電荷分離した形(以下、C+G- /G-C+と表記する)となって安定化することを明らかにした。C+G- /G-C+の安定性は電荷の偏りに伴う静電相互作用、電荷移動、分極の効果によるものである。さらに電荷分離した構造はスタッキングの効果だけでなく、クーロン相互作用も非常に重要な役割を果たしている。C+G- /G-C+の構造ではクーロン相互作用が働くために面間距離が短くなるため、電気を流しやすくなると考えられる。しかしこれらの安定化の効果を加えたとしても反応障壁は依然として高いためにこのような変化を行うためには何らかの化学的な修飾が必要であることを示唆している。

第3章では化学修飾の例として塩基に直接金属錯体が配位する金属-DNAでのプロトン移動反応を扱っている。制ガン剤に用いられるPt錯体の一つであるシスプラチン(PtCl2(NH3)2)は水溶液中で配位子をH2OやNH3に変え、グアニン(G)やアデニン(A)の窒素7 位(N7)に配位して安定化し、DNAの構造を大きく歪めることが知られている。この変化が細胞死を誘起する。Gの方がAよりも結合しやすいことを理論計算からも明らかにしている。シスプラチンがGに配位した1 塩基対のGCペアに関してのプロトン移動ではSPT反応が起こり、反応障壁が3 kcal/mol程度と大幅に小さくなっている事を明らかにした。金属がDNA内の電子移動反応の有用な触媒として作用しうることを示している。

近年DNAに類似した塩基と糖・リン酸のバックボーン分子を持つ人工DNAの合成が注目を浴びている。2003年には、[H-Cu2+-H] (H: Hydroxypyridone)を5個並べた銅イオンを含む人工DNAのduplexを合成できることが報告されている。第4章では[H-Cu(2+)-H]二量体において最安定構造での銅イオン間の距離と相互作用エネルギーの関係を研究している。1塩基対(dP=CH3基)における[H-Cu(2+)-H]と銅イオンのない[H-2H+-H]の違いについて比較し、理論面からさまざまな検討を加えている。構造最適化により、金属イオンを含まないH-H2-Hは通常のDNAと同様に水素結合により安定化し、解離エネルギーはおよそ 15 kcal/mol 程度であると結論している。この値はアデニン-チミン間の水素結合エネルギーに相当する。2塩基対でのスタッキングエネルギーは9.1 kcal/molであるが、[H-2H+-H]においてもスタッキングエネルギーも9.5 kcal/molであり、[H-Cu(2+)-H]の場合とほぼ同じ値である。人工DNAにおいても塩基対間ではスタッキングが安定化に寄与していることを明らかにした。

第5章では通常のDNAと比べて、プロトン移動したDNAや金属イオンを含む人工DNAの電気伝導度がどれくらい変化するかを見積もっている。電気伝導の計算にあたって、バリスティック伝導を仮定した上でLandauerの公式を用いている。透過係数は電極と結合する硫黄間の電子遷移によって決まるものと仮定している。これを用いることで、C+G- /G-C+型の構造では通常のCG/GC型よりも10倍程度電流を流しやすくなることを数値計算から示している。さらに、金属イオンを含む人工DNAにおいても、C+G- /G-C+型と同程度の電気伝導性を示すことを明らかにしている。

第6章は本論文のまとめであり、将来への展望が述べられている。

以上のように本論文はDNAや金属-DNAの塩基対間の水素結合系におけるプロトン移動反応を理論的に解明したもので、DNAの構造と安定性、物性の理解に新たな知見を提供したものであり、理論化学、物質科学に貢献するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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