学位論文要旨



No 124633
著者(漢字) 湯澤,賢
著者(英字)
著者(カナ) ユザワ,サトシ
標題(和) リシン修飾をもつペプチドとD-アミノ酸を含む環状ペプチドの翻訳合成とその応用
標題(洋) Ribosomal Syntheses of Peptides with Lysine Modifications and Cyclic Peptides Containing D-Amino Acids and Its Application
報告番号 124633
報告番号 甲24633
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7067号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅,裕明
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 後藤,由季子
 東京大学 教授 鈴木,勉
 東京大学 准教授 上田,宏
内容要旨 要旨を表示する

序文

翻訳系の改変に関する研究の歴史は長く、その第一歩は私の知る限り1951年まで遡る。LevineとTarverはこの年、非タンパク質性アミノ酸であるメチオニンアナログ、エチオニンが実際にタンパク質に導入されることをJournal of Biological Chemistry誌に報告している。これは、WatsonとCrickが、DNAは二重螺旋構造をしているとNature誌で報告する数年前の話である。その後、1989年のSchultzら、Chamberlinらの研究を皮きりに、この研究分野は目覚しい発展を遂げた。現在では翻訳機構を巧みに利用して、複数種類の非タンパク質性アミノ酸をペプチドやタンパク質に同時に導入することも可能である。学位論文の第1章では、この技術を次世代遺伝学として注目を集めるエピジェネティクスの研究に応用した例を記述する。一方で、翻訳系はペプチドやタンパク質を基盤とした巨大な化合物ライブラリを扱うのに適している。その多様性は1012を越える。学位論文の第2章では、非タンパク質性アミノ酸であるD-アミノ酸を含む環状ペプチドライブラリから、様々な疾患に関わるとされる酵素に結合するペプチドリガンドを探索した結果を述べる。

本研究の柱は、遺伝暗号リプログラミングという遺伝暗号をつくり変える技術である。遺伝暗号リプログラミングによって翻訳系の改変は達成される。したがって、まず遺伝暗号リプログラミングについて概説した後、第1章、第2章についてそれぞれ具体的に述べる。

再構成無細胞翻訳系を利用した遺伝暗号リプログラミング

Uedaらは、開始因子や伸長因子、終止因子、さらにはリボソームやtRNA、アミノ酸など、大腸菌の翻訳系に必要な因子をそれぞれ精製し、再度混ぜ合わせることで翻訳系を構築できることを2001年、Nature Biotechnology誌に報告した(著者らはこの再構成無細胞翻訳系をPUREシステムと呼んでいる)。PUREシステムの最大の特徴は、翻訳系の組成を自由に変えられることである。

ここで、20種類のアミノ酸のうちイソロイシンを含まないPUREシステムを構築した場合を考えてみる(当研究室ではこの任意のアミノ酸を含まないPUREシステムをwPUREシステムと呼んでいる)。このwPUREシステムでは、mRNA配列中にイソロイシンのコドンがある場合、当然ながら翻訳は走らない。しかしながら、イソロイシンのコドンと塩基対を形成するアンチコドンをもつアミノアシルtRNAを系中へ加えれば、mRNA配列に対応するペプチドやタンパク質を翻訳合成することができる。この時、必ずしもイソロイシンをアシル化したtRNAを用いる必要はない。非タンパク質性アミノ酸をアシル化したtRNAを用いた場合でも、アミノ酸に依存するが、翻訳が走ることをわれわれを含め、Forsterら、Szostakらが報告している。この場合、イソロイシンのコドンは、イソロイシンではなく、非タンパク質性アミノ酸に割り当てられたことになる。このようにして遺伝暗号リプログラミングは達成される。

遺伝暗号リプログラミングに汎用性を与えるフレキシザイムシステム

遺伝暗号リプログラミングを行うには、非タンパク質性アミノ酸をアシル化したtRNAが必要である。われわれは、非タンパク質性アミノ酸のtRNAへのアシル化を触媒するリボザイム、フレキシザイムを開発し、2006年Nature Methods誌に報告した。フレキシザイムは、カルボキシル基が活性化されたアミノ酸の活性化基のみを認識するため、どのような側鎖をもつ非タンパク質性アミノ酸でも基質として利用することができる。tRNAに関しては、3'末端にある3塩基のみを認識する。したがって、フレキシザイムを用いれば、任意の非タンパク質性アミノ酸を望みのアンチコドンをもつtRNAにアシル化することができる。また、その操作が簡便であることもフレキシザイムを用いる手法の特徴であり、結果として遺伝暗号リプログラミングが容易になる。

第1章

ヒストンH3は、DNAとともに染色体を構成するタンパク質の1つであり、N末端側を構成するテールドメイン(ヒストンH3テール)とC末端側を構成する球状ドメインからなる。これまでの研究から、ヒストンH3のメチル化は、4番目、9番目、27番目、36番目のリシン残基など、そのほとんどがヒストンH3テールで起こることが知られている。また、リシン側鎖が受けるメチル化には、モノメチル化、ジメチル化、トリメチル化があり、それらメチル化の状態によってもヒストンH3が細胞に与える影響が異なることが次第に明らかになっている。例えば、ヘテロクロマチンプロテイン1は、ヒストンH3の9番目のリシン残基のトリメチル化を特異的に認識して結合し、近傍のDNAの転写を抑制することが報告されている。その他にも、WDR5など、いくつかのタンパク質がリシン残基の位置、メチル化の状態特異的に結合し、様々な細胞機能を制御することが明らかになってきた。

これまで述べてきた研究では、固相合成法によって合成された15~20残基のヒストンH3テールを用い、タンパク質との相互作用解析を行っている。固相合成法により、目的の位置にメチルリシンを含むヒストンH3テールを合成できるからである。しかしながら、ヒストンH3テールの全長は40残基程度であり、現在用いられているヒストンH3テールはその半分の長さに相当する。これは、一般的にペプチドの長さが20残基を越えると、その合成が非常に困難になるためである。そこで、われわれは、翻訳系がもともとタンパク質の合成系であるという利点を生かし、遺伝暗号リプログラミングにより、任意の位置にモノメチルリシン、ジメチルリシン、トリメチルリシンを含む全長のヒストンH3テールを翻訳系で合成する手法の開発を試みた。

ヒストンH3テールは、イソロイシン、トリプトファン、フェニルアラニン、アスパラギンなどを除く11種類のアミノ酸で構成されている。そこで、イソロイシンのコドンをモノメチルリシンに、トリプトファンのコドンをジメチルリシンに、フェニルアラニンのコドンをトリメチルリシンに割り当てた。また、ヒストンH3テールのリシン側鎖はアセチル化されることも知られているので、アスパラギンのコドンをアセチルリシンに割り当てた。その結果、目的の位置に修飾リシンを最大で4つ含むヒストンH3テールの翻訳合成に成功した。

次に、翻訳系により合成したヒストンH3テールが、先に述べたヘテロクロマチンプロテイン1(HP1)との相互作用解析に利用できるかを表面プラズモン共鳴解析により検討した。その結果、期待通り、HP1の結合には9番目のリシン残基のトリメチル化が重要であることを定性的、定量的に確認できた。

第2章

ヒトトランスグルタミナーゼ2(TG2)は、カルシウム濃度に依存して、グルタミン側鎖のアミド基と求核性の官能基との反応を触媒する酵素である。これまでの研究から、TG2は、欧米では100人に1人が悩まされているセリアック病やハンチントン病、アルツハイマー病などの神経疾患、ある種のがんとの関わりが指摘されており、重要な薬剤標的として注目を集めている。そこで本研究では、mRNAディスプレイを用いてヒトトランスグルタミナーゼ2の阻害剤の探索を試みた。

mRNAディスプレイは1997年にSzostakら、Yanagawaらによって開発された技術である。概念的に説明すれば、翻訳をin vitroで行うファージディスプレイである。この技術では、遺伝型が表現型であるペプチドにピューロマイシンを介して結合しており、ペプチドが系中に数分子あれば、PCRで増幅することができる。したがって、1012を越える極めて多様なペプチドライブラリを扱うことができる。本研究では、D-アミノ酸を含む環状ペプチドライブラリを用いることにした。D-アミノ酸を含む環状ペプチドは、生体安定性や細胞膜透過性の向上が期待できるからである。この特殊な環状ペプチドライブラリを構築するために、クロロアセチル基をもつ非タンパク質性アミノ酸、ClAc-DYをメチオニンのコドンに割り当てた翻訳系を利用した。クロロアセチル基は、分子内にチオール基がある場合、速やかに反応してチオエーテル結合で環状化したペプチドを与えることをわれわれはこれまでに明らかにしている。われわれはおよそ10(12)の多様性をもつこの環状ペプチドライブラリを用いて、TG2に対するペプチドアプタマーのセレクションを行った。その結果、ClAc-DYLLLPR(Y/F)XnHXC (n = 2 or 3)、もしくはClAc-DYXPLLX4HXCという共通配列をもつペプチドの濃縮が確認できた。表面プラズモン共鳴解析で後者の共通配列をもつ環状ペプチドのTG2への結合を検討解析したところ、約130 nMの解離定数をもつことが確認された。しかしながら、得られた環状ペプチドは、TG2の酵素活性を阻害しなかった。おそらく、触媒活性をもつタンパク質ドメインには結合していないのだろう。

阻害剤として機能しなかったのは残念であるが、改変翻訳系においてmRNAディスプレイが行えたことは、まぎれもない事実である。今後は、この技術をさらに改良することでペプチド薬剤を迅速に創製するための技術にしていきたい。

審査要旨 要旨を表示する

申請者である湯澤氏は、博士研究において改変翻訳系を用いた2つの研究を行った。1)修飾リシンを使用できる改変翻訳系の構築、及びその翻訳系を利用したヒストンコード仮説の新しい検証法について、2)α位のアミノ基がクロロアセチル化されたD体のチロシンを使用できる改変翻訳系の構築、及びその翻訳系とmRNAディスプレイを組み合わせた系を利用したヒトトランスグルタミナーゼ2のペプチドリガンドの探索についてである。

序章では、約50年に渡る翻訳系の改変の歴史についてその流れを明確にしながら述べ、博士課程において行った研究の歴史的位置付けを行っている。

第1章では、1)の研究に関する成果がまとめられている。1)の研究の背景として、リシン側鎖が任意に修飾された長いペプチドを簡便に合成する方法がないという点が挙げられる。湯澤氏はこの課題を解決する方法の1つとして、修飾リシンを使用できる改変翻訳系の構築を目指し、見事にこれを達成した。また同氏は、この方法により構築したリシン側鎖が複雑に修飾されたヒストンH3テールのライブラリが、次世代遺伝学として注目されるエピジェネティクスの重要課題、ヒストンコード仮説の検証に利用できることを証明した。ヒストンコードが存在するか否かは、主に研究の背景で述べた問題により未だ明らかになっていない。1)の研究の成果は、この難問を解決する新たな方法として大いに期待できる。

第2章では、2)の研究に関する成果がまとめられている。2)の研究の背景として、研究者が取り組むべき課題の1つである医薬品の候補化合物を迅速に探索する方法の開発が挙げられる。mRNAディスプレイと翻訳系を組み合わせることで、1兆を越える規模のペプチドライブラリが扱えることは、医薬品の候補化合物を探索する上で利点となる。しかしながら、いわゆる通常のペプチドは生体安定性が極めて低く、医薬品にはなり得ないと一般に考えられている。湯澤氏はこの課題を解決する方法の1つとして、α位のアミノ基がクロロアセチル化されたD体のチロシンを使用できる改変翻訳系の構築を目指し、これを達成した。この翻訳系では、上記のチロシンによって翻訳が開始され、システイン残基を含むペプチドであれば、自発的に反応してD体のチロシンを含む環状ペプチドを与える。湯澤氏は、この系をヒトトランスグルタミナーゼ2のペプチドリガンドの探索に利用し、実際に高い親和性をもつ環状ペプチドリガンドを単離した。市場に出回っているペプチド医薬品の特徴として、D体のアミノ酸を含むこと、環状構造を有することが挙げられるので、2)の研究の成果は、医薬品の候補化合物を迅速に探索する方法として期待できる。

総括では、第1章、第2章の研究を要約し、展望を述べている。

これらの成果は、何を研究対象とすべきか判断する力、その対象に適した実験系を注意深く組み立てて実行する技術、また研究を展開させていく上で必要な情報収集能力、考察力、想像力を同氏が有していることを端的に示している。本論文提出とあわせ、平成21年1月27日に提出者に対し口頭試験を行った結果、本人は博士(工学)の学位を受けるに十分な能力を有するものと判定した。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として認められる。

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