学位論文要旨



No 124634
著者(漢字) 赤川,賢吾
著者(英字)
著者(カナ) アカガワ,ケンゴ
標題(和) 固相担持ペプチド触媒を用いた水系溶媒中での不斉合成
標題(洋)
報告番号 124634
報告番号 甲24634
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7068号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 工藤,一秋
 東京大学 教授 小宮山,眞
 東京大学 教授 菅,裕明
 東京大学 准教授 橋本,幸彦
 東京大学 講師 石田,康博
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】

有機合成の反応溶媒として水を用いることができれば安全性・反応操作の簡便性という面で利点があり,また,水の高い誘電率や無機試薬をよく溶解させるという固有の特性を利用した独自の反応系の開発が期待できる。水中で機能する触媒の代表的なものとして酵素が挙げられるが,高効率・高選択的な反応を行うための最も重要な酵素の特徴は,水中に疎水的な反応場を形成しているということである。それを模範とし,疎水性・立体構造の制御が自在に行えるペプチドを用いて水環境下に疎水性反応場を形成してやれば様々な反応が効率的に行えるのではないかと考えた。一方,プロリンやイミダゾリジノンなどの有機触媒によって行われている数多くの有機触媒反応は,N末端にプロリン残基を持つペプチドを用いても可能であると期待される。しかしこれまでの報告例ではそのようなペプチド触媒の適用範囲は非常に限られている。その理由としては適切な反応環境が構築できていないためであると考えられる。本研究では水系溶媒中において反応中心の周囲の環境制御によっていかに効率的な反応が可能になるのか,あるいはこれまでにできなかったどのような反応系が可能になるのかを示すことを目的として研究を行った。

【実験と結果】

1. 不斉アルドール反応

例えば,疎水性の高いペプチド触媒を水系溶媒中で用いれば,疎水性相互作用で基質を触媒活性部位近傍に集めることによる反応促進が期待できるが,そのようなペプチドは溶媒へ不溶化してしまうという問題がある。そこで本研究では凝集・沈殿を防ぐために両親媒性のポリエチレングリコール-ポリスチレン(PEG-PS)樹脂上にペプチドを固定化して用いることとした。

2000年に報告されたプロリンを触媒とする不斉アルドール反応において,DMSO中で反応を行うと良好な選択性で生成物が得られるものの収率が中程度で,含水溶媒中ではエナンチオ選択性が大幅に低下してしまうことが知られている。PEG-PS樹脂上に固定した3残基のペプチドD-Pro-Tyr-Pheを触媒とし,含水溶媒中で反応を行うことで選択性を低下させることなく高収率で生成物を得ることができた(Scheme 1)。また樹脂固定化触媒は優れた再利用性を示し,反応後ろ過によって回収したペプチド触媒は最低5回繰り返して使用することが可能であった。

2.酸性樹脂・塩基性樹脂共存下でのone-pot連続反応

通常,酸触媒と塩基触媒は同一反応系内で用いると塩を形成して不活性化してしまう。これに関し,適切に活性点分離された触媒を用いることで同一系内で酸・塩基を共存させ,連続反応に用いることができることがいくつかの系で示されている。しかし生成物はアキラルまたはラセミ体でしか得られておらず,エナンチオ選択的段階を含むものは報告例がない。Scheme 1の不斉アルドール反応においてプロリル基は塩基性触媒としてはたらいているが,樹脂に固定されているため,強酸性樹脂のアンバーライトと共に同一系内での使用が可能になるのではないかと考えた。モデル反応として,酸触媒によるアセタール1の加水分解,続いて生成したアルデヒド2の塩基性プロリル触媒によるアルドール反応によるアセトンの付加をone-potで行った(Table 1)。強酸性樹脂の存在がエナンチオ選択性を低下させることなく二段階反応の生成物が得られ,また,反応後ろ過によって回収されたアンバーライトとペプチド触媒の混合物はそのまま繰り返し再利用することが可能であった。

3. 分子内Baylis-Hillman反応

酸・塩基触媒を用いた連続反応では異なる樹脂間で活性点が空間的に分離されていることを利用したが,単一の樹脂ビーズ内においても固定化された反応点が分散して存在していることに着目した。2-ホルミルシンナムアルデヒド(4)は分子内Baylis-Hillman反応を起こして環化体(5)を与える可能性があるが,通常の均一系触媒を用いると複雑な混合物を与えてしまう。PEG-PS樹脂担持触媒はプロリル基がある程度の空間的な間隔を保って存在しているためこの化合物の反応性を適切に制御することができ,分子内Baylis-Hillman型の反応によって水系溶媒中で効率よく生成物5へと変換できた。また,予備的な結果ではあるがエナンチオ選択的にも反応が進行することが分かった(Scheme 2)。

4. 有機還元剤を用いた不斉還元反応

これまでは比較的単純な数残基のペプチドあるいはプロリンを樹脂に固定しただけの触媒を用いていたが,そのような触媒では適用範囲が限られてしまう。触媒活性部位であるプロリン残基の周囲の環境をさらに大きく変化させることで,単純なプロリン触媒では達成することができないような反応が可能になると考えられる。

2005年にHantzschエステル(6)を還元剤とし,イミダゾリジノン型の触媒を用いた有機溶媒中での不斉還元反応が報告されて以来,これに関連した研究がいくつか行われているが,いまだに水系溶媒中で高効率・高選択的な反応を可能とするような触媒の報告例はない。α,β-不飽和アルデヒドの還元反応をTHF/H2O = 2/1中で行ったところ,プロリン塩や樹脂に固定しただけのプロリン塩を用いてもほとんど反応が進行しなかったが(Table 2, entries 1, 2),高い疎水性をもつポリロイシン鎖をプロリンと樹脂の間に導入した触媒(7)を用いると反応はスムーズに進行した(entry 4)。このことはポリロイシン鎖によって水系溶媒中に形成される疎水的環境が反応促進に重要であることを示している。また興味深いことに,溶媒中の水の割合を増やし,THF/H2O = 1/2中で反応を行うとさらに反応速度が向上したが(entry 5),これは基質・還元剤・触媒間の疎水性相互作用が強まったためだと考えられる。

ポリロイシン鎖長と末端ペプチド配列の検討を詳細に行い,Pro-D-Pro-Aib-Trp-Trpの5残基ペプチドを25程度の重合度を持つポリロイシン鎖の末端に導入した触媒(8)を用いると水系溶媒中で高選択的な反応が可能であった(Scheme 3)。

また,ペプチドの構造と触媒能に関する検討も行い,ポリロイシン鎖は反応促進だけでなく活性中心近傍の構造維持にも重要であることが明らかになった。

5. 不斉Friedel-Crafts型アルキル化反応

α,β-不飽和アルデヒドへの不斉Friedel-Crafts型付加反応は,2-プロパノールなどのプロトン性溶媒存在下イミダゾリジノン型の触媒を用いたものが最初に報告されたが,いまだにプロリンやプロリン誘導体を用いた報告例はない。上記の不斉還元反応で有効だったポリロイシンを持つプロリン触媒なら水系溶媒中でこの反応が行えるのではないかと考えて検討を行った(Table 3)。末端にプロリル基を持つポリロイシン結合型触媒を用いた場合,THF中では反応は進行しなかったが(entry 1),水の添加によって反応が起こり,溶媒中の水の割合の増加とともに反応が加速された(entries 2, 3)。THF/H2O = 1/2中で,単純なプロリンを用いた場合ほとんど反応が進行せず,イミダゾリジノン型触媒の場合でも中程度の選択性でしか生成物が得られなかったが,ポリロイシン鎖が結合した5残基ペプチド触媒(8)を用いた場合は選択性良く生成物が得られた(entry 4)。

6. アルデヒドの不斉α-オキシアミノ化反応とone-pot二段階酸化反応への拡張

さらにポリロイシン結合型N-プロリル触媒の疎水場形成による反応促進と立体制御は全く別の機構で進行する反応に対しても有効であると考えた。2007年に金属塩と酸素を酸化剤としたアルデヒドの酸化的α位オキシアミノ化反応が報告されており,この反応は第二級アミン触媒とアルデヒドによって形成されたエナミンが金属イオンによって一電子酸化を受け,生じたラジカルカチオンにフリーラジカルのTEMPOがカップリングする機構で進行する。

ポリロイシン鎖を持つ5残基ペプチド触媒(8)はこの反応に対して非常に有効であり,触媒量を3 mol%にまで低減しても良い収率と高い選択性で生成物が得られた(Scheme 4)。

触媒量のTEMPOと金属塩を用いた酸素分子による酸化反応によってアルコールはアルデヒドへと変換できることが知られているが,Scheme 4の反応系が類似の条件であることから,アルコールを出発原料として系内でアルデヒドを生成させて不斉オキシアミノ化を行う二段階の酸化反応に応用できるのではないかと考えた。特に水系溶媒中で無触媒によるオキシアミノ化反応を防ぐことができ,高い選択性でアルコールを原料とした二段階酸化反応生成物を得ることができた(Table 4)。

【総括】

酵素が持つ重要な要素である水中での反応場形成という概念を積極的に取り入れることによって様々な反応が水系溶媒中で効率的に行えることを示した。本研究で示した両親媒性樹脂へのペプチド触媒の固定化という手法は水環境下での疎水性反応場形成に有効であり,完全水中での反応の実現に向けて重要な指針になるものと考えられる。また,単純なプロリル触媒では効果的に行うことができないような反応をプロリルペプチド触媒によって達成したことは,活性中心周囲の環境制御によって望みの反応を自在に行うための大きな知見になると期待される。

Scheme 1. Asymmetric aldol reaction in aqueous media

Table l. Reusability of catalysts.

Scheme 2. Intramolecular Baylis-Hillman reaction

Table 2. Transfer hydrogenation in aqueous media

Scheme 3. Enantioselective transfer hydrogenation in aqueous media

Table 3. Friedel-Crafts type alkylation

Scheme 4. a-Oχyamination of aldehyde

Table 4. One-pot two-step oxidation of alcohol

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,水系溶媒中で機能する固相担持ペプチド型不斉触媒の開発について述べたものであり,4章より構成されている。

第1章は序論であり,まず水系溶媒中で機能する不斉触媒の開発意義について述べている。次に酵素の水中での高い触媒能を活性中心近傍の疎水場の存在によるものと位置づけ,そのような構造の模倣が有効であるとの立場から,有機分子触媒としての機能のあるプロリンをN末端にもち,かつ疎水性アミノ酸残基を有するペプチドを触媒の構造として提案している。

第2章第1節では,水系溶媒中での直接的不斉アルドール反応に有効なペプチド触媒の開発について述べている。まず,疎水性アミノ酸の割合が多いペプチドが反応系中で凝集・不溶化してしまうという問題の解決方法として,ペプチド固相合成用の担体であるポリエチレングリコール-ポリスチレン(PEG-PS)樹脂上にペプチドを固定化させたまま触媒反応を行うとよいことを見出している。次に反応の最適化を行い,D-Pro-Tyr-Phe-PEG-PSを触媒としてテトラヒドロフラン/水=1/1中室温で反応を行うと良好な収率,選択性でアルドール生成物を与えることを明らかにした。さらに,固定化触媒の一般的な利点である,反応混合物からの分離の簡便性と再利用性なども合わせて示している。

第2章第2節では,このペプチド触媒をエナンチオ選択的なステップを含むone pot酸触媒-塩基触媒連続反応へと適用している。別々の樹脂に固定化された塩基性触媒と酸性触媒を同一反応系内で用いることで,触媒種が互いに失活することなく効率的に脱アセタール化-不斉アルドールの二段階反応を進めることを見出した。この反応でも,樹脂固定化触媒が混合物のまま繰り返し利用可能であることを明らかにしている。

第3章では,プロリン触媒の固定化が副反応の回避に有効であることを述べている。水系溶媒中で2-ホルミルシンナムアルデヒドに対して触媒量のプロリンあるいはピロリジンを作用させると複雑な混合物を与えるのに対し,同じ基質に樹脂固定化プロリンを作用させた場合には,副反応が抑制されて高収率で分子内Baylis-Hillman反応生成物である2-ホルミル-1H-インデン-1-オールが得られることを見出している。

第4章では,樹脂固定化N末端プロリルペプチド触媒を,これまで水系溶媒中では成功例がなかったいくつかの不斉反応へと展開している。

第1節では,水系溶媒中でのイミニウムイオン中間体を経由するα,β-不飽和アルデヒドへの不斉ヒドリド共役付加に対してPro-D-Pro-Aib-Trp-Trp-(Leu)n-PEG-PS (-n = 25.4)が高エナンチオ選択的な触媒として機能することを見出している。触媒種ならびに関連化合物の赤外吸収スペクトル測定の結果から,ポリロイシン鎖がα-へリックス構造,N末端側の5残基ペプチドがターン構造をそれぞれとっていることを明らかにしている。部分的にアミノ酸の立体配置を逆転させたペプチド触媒を用いた対照実験の結果から,ポリロイシン鎖の役割が疎水的環境形成による反応促進と活性中心近傍のペプチド二次構造の安定化の二点であることを明らかにしている。

第2節では上記のペプチド触媒を水系溶媒中でのインドールやピロール誘導体のα,β-不飽和アルデヒドへの共役付加による不斉炭素-炭素結合生成反応へと応用している。

第3節では,同ペプチド触媒をエナミンの1電子酸化体を経由するアルデヒドの不斉α位オキシアミノ化反応へと適用した結果について述べている。ペプチド触媒,鉄(II)または銅(I)塩存在下,空気または酸素雰囲気下で反応を行うと,水系溶媒中で高効率・高選択的に反応が進行することを見出している。さらに,アルコールを出発物質として,アルデヒドへの酸化とその不斉α位オキシアミノ化の二段階の反応をone potで進行させることにも成功している。

最後に,総括として本論文における研究成果の意義と今後の展望について述べている。

以上要するに本論文において筆者は,適切なアミノ酸配列を選ぶことで樹脂担持N末端プロリルペプチド触媒が水系溶媒中での多様な反応に対して効果的な不斉触媒となることを明らかにし,また,固定化触媒の利点を利用してone pot連続反応への適用などにも成功した。その成果は有機合成化学ならびに有機工業化学の進展に寄与するところ大である。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/23896