学位論文要旨



No 124645
著者(漢字) 劉,文海
著者(英字)
著者(カナ) リュウ,ブンカイ
標題(和) キメラ受容体を用いた新規抗体ライブラリー選択法の開発
標題(洋)
報告番号 124645
報告番号 甲24645
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7079号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 菅,裕明
 東京大学 教授 後藤,由季子
 東京大学 准教授 上田,宏
 東京大学 講師 河原,正浩
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

抗体はその高い抗原特異性を利用して様々な物質に対する検出系に用いられており,任意の抗原に対する高い親和性を持つ抗体断片を簡便に得る方法の開発が望まれている.抗原を特異的に認識する抗体の獲得法として,動物への抗原の免疫やファージディスプレー法が用いられてきたが,前者は生体毒性の高い抗原を免疫できない,そのままでは単価抗原に対する抗体が得られない,時間がかかる,後者は非特異的結合クローンが取れやすく,操作が煩雑といった欠点がある.迅速且つ簡便な抗体ライブラリー選択法を開発するために,本研究で注目したのはサイトカインとサイトカイン受容体である.動物体内ではサイトカインと呼ばれる各種の蛋白質が,細胞膜表面にある受容体と結合することで細胞の増殖や分化をコントロールする役割を果たしている.当研究室では受容体のサイトカイン結合部位を抗体の抗原結合部位(抗体可変領域VH,VL)に置換したキメラ受容体を作製し,外部から加える抗原の量によって人為的に細胞の増殖を制御することに成功した.既往の研究で作製されたキメラ受容体は,erythropoietin receptor(EpoR)の細胞外ドメインD1,D2のうちD1ドメインを抗fluorescein(FL)抗体single-chain Fv(ScFv)で置換したが,抗原非存在下でも増殖シグナルが生じてしまった.そこで,本研究ではまずキメラ受容体の分子構築を再度行い,その中から抗原の結合によってのみ増殖活性を誘導可能なキメラ受容体の探索を行った.この研究をさらに進め,抗原の有無により細胞増殖のON/OFF制御ができたキメラ受容体の抗体部分をライブラリー化して細胞膜上に発現させ,任意の抗原を加えることにより,目的蛋白質と結合するFv-受容体キメラを膜に提示している細胞だけが細胞内に増殖シグナルを伝達して増殖できるが,それ以外の細胞は死滅するような系を構築し,抗体ライブラリーの中から,高い結合能を持つ抗体を増殖活性を指標として迅速且つ簡便にスクリーニングする手法を開発する.

2.抗体/EpoRキメラのドメイン構造及び配向性の変化によるシグナル伝達への影響

抗原の結合によってのみ増殖活性を誘導可能なキメラ受容体の探索を行うために,HAタグ/抗体/EpoRキメラ受容体のドメイン構造及び配向性の変化がシグナル伝達に及ぼす影響を調べた.具体的には,(1)ScFvをEpoRの細胞外D1D2ドメインに融合するキメラ受容体,D1またはD2だけを残す,またはD1,D2ともに削除するキメラ受容体を構築した;(2)細胞内ドメインの配向性を変化させるため,構築したキメラ受容体の膜貫通ドメインと細胞内ドメインの間のα-ヘリックス形成領域に1残基当たり約110°回転させる効果を有するアラニン残基を1~4個導入することを試みた.構築したキメラ受容体遺伝子をIL-3依存性マウスpro-B細胞株Ba/F3に導入後,キメラ受容体の抗原であるFL融合したBSA(BSA-FL)に対する応答性をgrowth assayで検討し,上述の分子デザインがキメラ受容体のシグナル伝達に及ぼす影響を考察した.その結果,(1),抗原BSA-FLはキメラ受容体の構造によってinverseagonistまたはagonistとして働いた.(2),Ala残基を導入することにより,BSA-FLに対する増殖依存性の変化があった.以上より,細胞外ドメイン及び細胞内ドメインのコンフォーメションが抗原応答性に大きく影響することが分かった.

キメラ受容体のコンフォメーション変化のシグナル伝達に対する影響を調べるために,ダイマー化を誘導するBSA-FL,Epo,13merの回文配列FL標識オリゴDNAをアニーリングさせて作製したFLdimer-13,mouseanti-HA抗体と,オリゴマー化を誘導するmouseanti-HAplusanti-mouseIgGF(ab')2などのリガンドを使って刺激した.キメラ受容体によるシグナル伝達に強く関与している細胞内蛋白質のJanus kinase2(JAK2),signal transducer and activator of transcription 5(STAT5)とERK2のリン酸化レベルを調べた.リン酸化レベルの特徴をまとめると,(1),多くの受容体におけるJAK2,STAT5,ERK2のリン酸化レベルは細胞内ドメインの角度が約220°変わるごとにピークがみられる傾向があった.(2),それぞれのリガンドはそれぞれの受容体において異なる刺激効果を与えた.

3.厳密にリガンド依存性を持つフルオレセイン応答性キメラ受容体の構築

前項のHAタグ/抗体/EpoRキメラでは,抗原非存在下での増殖バックグランドが存在した.そこで抗原の結合によってのみ増殖活性を誘導可能なキメラ受容体を構築するために,構築した19種類のキメラ受容体の細胞内ドメインをEpoR細胞内ドメインからgp130細胞内ドメインに置換して新しいキメラ受容体を構築し,Ba/F3細胞に導入した.キメラ受容体の抗原BSA-FLに対する応答性をgrowth assayで検討した.その結果,細胞外ドメインはScFvのみ,膜貫通ドメインはEpoR細胞膜貫通ドメイン,細胞内ドメインはgp130細胞内ドメインの構造を持つキメラ受容体SgがBSA-FLに対して厳密なリガンド依存性を示した.

4.キメラ受容体を用いた抗SOD(Superoxide dismutase)抗体ライブラリーの選択

本研究では抗原として家族性の筋萎縮性側索硬化症の原因遺伝子であるヒトSOD(hSOD1)を選んだ.hSOD1を使って免疫したマウスの脾臓細胞からPCR法を用いてScFv部分ライブラリー(Anti-hSOD1 ScFv Library),VHまたはVL部分のみのライブラリー(Anti-hSOD1 VH LibraryとAnti-hSOD1 VL Library)を増幅した.兵庫医科大学藤原範子先生との共同研究).これらのライブラリーをSgのScFv部分に組み込み,抗体キメラ受容体ライブラリーを構築し,Ba/F3細胞表面で発現させ,hSOD1に応答して増殖する細胞のクローンを回収した.取得したクローンはいずれも抗原非存在下でも増殖シグナルが生じてしまったが,SODの添加により増殖促進効果があったことから,キメラ受容体の抗体部分は抗原SODに結合していることが示唆された.

これらの細胞を回収して,ゲノムPCRによりhSOD1に結合性を示した抗体部分を増幅した.これを発現プラスミドに組み込み,COS-1細胞での一過性発現系を用いて,VH,VLまたはScFvの形で分泌型抗体を調製した.ここで分泌型抗体のN末端にHA-tag,C末端にHis-tagが付くように発現プラスミドを設計し,回収した培養上清の中に含まれる抗体濃度および獲得したクローンのhSOD1に対する結合性をELISA法により検証した.その結果,取得したクローンのうち6クローンにおいて弱いながらもSODに対する結合性が観察された.

5.結言

本研究では,まず抗体/EpoRキメラ受容体における細胞外ドメイン構造及び細胞内ドメインの配向性がシグナル伝達に与える影響について検証した結果,両方のファクターが共に抗原応答性に大きく影響を及ぼすことが分かった.しかし,抗原結合時のみ増殖活性を持つキメラ受容体が得られなかったため,細胞内ドメインをgpl30に置換したキメラ受容体を構築して機能解析を行った結果,細胞外ドメインはScFvのみで,EpoR細胞膜貫通ドメインとgp130細胞内ドメイン持つキメラ受容体SgがBSA-FLに対して厳密なリガンド依存性を示した.続いて,キメラ受容体SgのScFv部分を抗SOD抗体ライブラリーに置換したライブラリーを構築した.細胞表面に抗体ライブラリーキメラ受容体を発現させ,抗原SODを添加して培養し,増殖したクローンを回収して,抗体断片をゲノムPCRにより増幅しCOS-1細胞を用いて抗体を発現させた.取得したクローンのSODに対する結合性をSandwich ELISAで評価した結果,6クローンにおいてSODに対する結合性が示唆された.本研究では抗体可変領域Fvが抗原存在下で安定な複合体を作ることと,受容体が二量体を形成して増殖シグナルを伝達するという性質を利用し,目的蛋白質に対する抗体Fvを膜表示している細胞だけを短時間にスクリーニングできる系を開発できる可能性を示した.

審査要旨 要旨を表示する

抗体はその高い抗原特異性を利用して,様々な物質に対する免疫測定系や抗体医薬として用いられており,任意の抗原に対する高い親和性を持つ抗体断片を簡便に得る方法の開発が望まれている.抗原を特異的に認識する抗体の取得法として,動物への抗原の免疫法やファージディスプレー法が用いられてきた.前者には生体毒性の高い抗原を免疫できない,ハプテン抗原に対する抗体が得られない,抗体取得に数ヶ月かかるなどの問題点が,また、後者には非特異的結合クローンが取れやすく,操作が煩雑といった欠点がある.本論文は,サイトカイン受容体がサイトカインと結合することにより二量体化して細胞増殖シグナルを伝達する機構を参考に,種々の抗体-受容体キメラを構築し,抗原存在下での増殖シグナル伝達活性を評価することにより,抗原依存的細胞増殖の厳密なON/OFF制御可能な抗体-受容体キメラの取得を目指したものである.さらに,その抗体-受容体キメラの抗体部分をライブラリー化し,このライブラリーの中から抗原に対して高い結合能を持つ抗体部分を,抗体-受容体キメラを発現する細胞の増殖活性を指標として迅速且つ簡便にスクリーニングする技術の開発を行ったものである.

本論文は,全7章から構成されている.

第1章では,本論文の目的について述べている.

第2章では,本論文の意義を明確にするために,背景について述べている.

第3章では本論文で用いた実験材料などについて述べている.

第4章では,抗体- erythropoietin receptor(EpoR)キメラの細胞外ドメインおよび細胞内ドメインがシグナル伝達に与える影響について述べている.これまでに構築された抗体-受容体キメラでは,リガンド非添加での増殖(バックグラウンド増殖活性)が見られた.このような抗体-受容体キメラを用いてライブラリー選択すると,抗原非依存的に細胞が増殖する.細胞の生死による抗体-受容体キメラのライブラリー選択を行うためには,バックグラウンド増殖活性が無い抗体-受容体キメラを構築する必要がある.そこで本論文では,モデル系としてサイトカイン受容体の一つであるEpoRとフルオレセイン修飾牛血清アルブミン(BSA-FL)に対する抗体のScFvをベースとして種々の抗体-受容体キメラを構築している.バックグラウンド増殖活性の無い抗体-受容体キメラを構築するために,最初に,EpoR細胞外ドメインの構成および細胞内ドメインの配向性が,増殖シグナル伝達に与える影響を調べている.すなわち,まず3種類のEpoR細胞外ドメイン構造(D1ドメインのみ,D2ドメインのみ,D1とD2両方)を持つ抗体-受容体キメラを構築している.これらの抗体-受容体キメラをベースにして,さらに細胞内ドメインの配向性を変えるために,膜貫通ドメインと細胞内ドメインの間にAla残基を挿入した抗体-受容体キメラも構築している.これらの種々の抗体-受容体キメラを細胞膜上に発現させたプロB細胞BaF3に対して,抗原であるBSA-FLに対する細胞の増殖依存性を評価している.その結果,ここで構築した全ての抗体-受容体キメラにおいて,抗原依存的な細胞増殖の厳密なON/OFF制御を行うことはできなかったものの,EpoR細胞外ドメインの構造の違いにより, 細胞増殖の抗原濃度依存性が大きく変化することを見出している.さらに,構築した抗体-受容体キメラの細胞外ドメインの異なる部位に結合するerythropoietin,抗原,抗タグ抗体など,複数のリガンドを使った刺激実験を行い,それぞれのリガンド刺激による抗体-受容体キメラのコンホメーション変化がシグナル伝達に与える影響を,EpoRのシグナル伝達経路にある蛋白質JAK2, STAT5とERK1/2のリン酸化状況を調べることにより評価している.その結果,同じリガンドを加えても,構築した抗体-受容体キメラの種類によってシグナル伝達効果が大きく異なったことから,抗体-受容体キメラの細胞外ドメインの構造の違いが抗体-受容体キメラの活性に大きな影響を持つと結論づけている.またAla残基の挿入によっても抗原に対する細胞増殖の応答性,シグナル伝達効果が大きく変化したことより,細胞内ドメインの配向性も抗体-受容体キメラのシグナル伝達活性に大きな影響を持つと述べている.

第5章では,構築したEpoR細胞内ドメインを持つ抗体-受容体キメラから得た知見に基づいて,さらにEpoR細胞内ドメインをgp130細胞内ドメインに変えた種々の抗体-受容体キメラを構築している.その中で, ScFvを直接EpoR膜貫通ドメインに融合したgp130細胞内ドメインを持つ抗体-受容体キメラSgが,抗原による細胞増殖の厳密なON/OFF制御を可能とするシグナル伝達活性を持つことを見出している.さらにEpoR細胞内ドメインを持つ抗体-受容体キメラの場合と同様に,gp130細胞内ドメインを持つ抗体-受容体キメラにおいても,EpoR細胞外ドメインの構造の違いにより細胞増殖の抗原濃度依存性が大きく変化すること,細胞内ドメインの配向性が抗体-受容体キメラのシグナル伝達活性に大きな影響を与えることを明らかにしている.

第6章では,筋萎縮性側索硬化症の原因変異蛋白質として知られ,生理的条件下でダイマー状態になるヒト活性酸素消去酵素(hSOD1)を抗原として使い,キメラ受容体を用いた抗体ライブラリー選択法の実現可能性を検証している.hSOD1を使って免疫したマウスから,抗hSOD1抗体ライブラリーVH鎖とVL鎖を増幅して得られたScFvライブラリーを,抗原依存的細胞増殖のON/OFF制御が可能であった抗体-受容体キメラSgのScFv部分と置換して,Anti-hSOD1抗体-受容体キメラライブラリーを構築している.この抗体-受容体キメラライブラリーをBaF3細胞膜上で発現させ,hSOD1を添加して数日間培養し,抗原依存的増殖を示した細胞クローンの選択に成功している.取得した細胞クローンの表面上キメラ受容体の発現,およびhSOD1に対する結合性をフローサイトメトリー方法により確認している.さらに,取得した細胞クローンのゲノム中に挿入されている抗体-受容体キメラ遺伝子から抗体遺伝子を増幅し,この抗体遺伝子発現プラスミドを導入したCOS-1細胞を用いて抗体断片の発現生産を行い,hSOD1に対する抗体断片結合活性をSandwich ELISAで評価した結果,hSOD1に対する結合性を持ついくつかの抗体クローンの迅速かつ簡便な取得に成功したと述べている.

第7章では,本研究のまとめと展望について述べている.

以上,本論文は, EpoR細胞外ドメインの構造,細胞内ドメインの種類と配向性を変えた種々の抗体-受容体キメラを構築し,その中から抗原依存的細胞増殖を厳密にON/OFF制御可能な抗体-受容体キメラを選択し,さらに,ScFv部分をライブラリー化した抗体-受容体キメラを発現するBaF3細胞の抗原依存的増殖活性を利用して,抗原結合性を持つ抗体クローンを迅速かつ簡便に取得する新規な技術を開発したものである.これらの成果は,免疫測定用,医薬用抗体の開発をはじめとする化学生命工学分野の発展に寄与するところが大きい.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/34236