学位論文要旨



No 124651
著者(漢字) 佐伯,誠一
著者(英字)
著者(カナ) サイキ,セイイチ
標題(和) 多糖類水溶液の放射線誘起ラジカルの反応挙動
標題(洋)
報告番号 124651
報告番号 甲24651
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7085号
研究科 工学系研究科
専攻 原子力国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 勝村,庸介
 東京大学 教授 寺井,隆幸
 東京大学 教授 長崎,晋也
 東京大学 准教授 工藤,久明
 東京大学 准教授 沖田,泰良
内容要旨 要旨を表示する

生体内で細胞の支持組織やエネルギー貯蔵物質として存在する多糖類は古くから繊維や紙、誘導体として人間社会において利用されてきた。近年環境問題が深刻化する中、カーボンニュートラルな生分解性材料として用途開発が進められている。放射線を用いた応用研究も進められており、低分子量化による植物生長促進作用(アルギン酸・カラギーナン)や抗菌抗カビ性の増進(キトサン)などが見出されている。多糖類は放射線分解型であり、低分子量化するのが一般的であったが、近年カルボキシメチルセルロース(CMC)などのカルボキシメチル化多糖が高濃度水溶液という条件下で放射線架橋することが発見された。この放射線架橋により得られるゲルは吸水性のあるハイドロゲルであり、環境に優しい放射線加工及び植物由来の原料を用いた機能性材料として応用研究が進められている。しかし、カルボキシメチル化多糖の架橋反応を含む放射線誘起反応については未だ詳細については明らかとなっていない。今後機能性材料としての用途開発を展開していく上で、放射線誘起反応に関する基礎的知見はゲル化制御等において非常に重要である。そこで本研究の目的をカルボキシメチル化多糖の放射線誘起反応機構の解明とし、ラジカル挙動追跡による放射線化学的アプローチを用いて研究を行った。

高分子水溶液の放射線誘起反応について以下のように考える。高分子水溶液に放射線照射した場合、水が放射線分解し、OH・水和電子・水素原子などのラジカルが生成する。既報の合成高分子水溶液及び単糖水溶液に関する報告においてOH生成量の増加する亜酸化窒素雰囲気下では放射線分解及び放射線架橋反応が促進されることから、それらの反応はOHに起因すると考えられている。生成したOHは高分子から水素原子を引き抜き、高分子ラジカルを生成する。高分子ラジカルは分解反応や不均化反応、架橋反応などを経て低分子量化やゲル化など目に見える現象として現れる。これらの高分子ラジカルの反応は高分子の特性・周辺環境など様々な条件により変化すると考えられる。

これら一連の流れを踏まえて、本研究では、(1)水の放射線分解ラジカルと多糖の反応評価、(2)OHとの反応により生成する多糖ラジカルの同定、(3)多糖ラジカルの減衰挙動、に焦点を当てた実験を行い、放射線誘起反応を明らかにすることとした。

1. 水の放射線分解ラジカルとの反応性評価

OH及び水和電子とカルボキシメチル化多糖との反応性を評価するため、パルスラジオリシス法によりナノ秒~マイクロ秒スケールにおける過渡吸収測定を行った。試料にはカルボキシメチルキトサン(CMCTS)及びカルボキシメチルセルロース(CMC)を用いた。CMCはセルロース主鎖にあるOH基の水素原子が部分的にカルボキシメチル化したもので、モノマーあたりのカルボキシメチル基平均個数のことを置換度という。CMCTSはCMCの2位の炭素にあるOH基がアミノ基もしくはアセトアミド基に置き換わった構造を有しており、アミノ基とアセトアミド基の割合の異なる2種類のCMCTSを用いた。

OH・水和電子とカルボキシメチルキトサン(CMCTS)の反応について反応速度定数を評価し、水和電子では(1.1~1.4)×107 [M(-1)s(-1)]、OHでは(1.4~1.7)×109 [M(-1)s(-1)]と算出された。CMCとOHの反応については1.4×109 [M(-1)s(-1)]と算出され、水和電子との反応については既報の報告において4.0×106 [M(-1)s(-1)]と算出されている。以上よりOHは水和電子より100倍ほど反応性が高く、置換基の種類によらず反応速度定数が変わらないことから非選択的な攻撃性を表していると考えられる。負の電荷を帯びた水和電子は正の電荷を帯びたアミノ基や極性により局所的にやや負電荷を帯びるアセトアミド基のケト基の部分などとのクーロン相互作用の影響によりアミノ基及びアセトアミド基が多いほど、反応速度が大きくなっていると考えられる。

酸化性ラジカルとの比較のため、硫酸ラジカル・炭酸ラジカルとの反応性も評価した。CMCTSとの反応速度定数をそれぞれ(4.9~8.8)×107 [M(-1)s(-1)], (3.9~4.5)×105 [M(-1)s(-1)]と算出し、OHと比べ酸化力の弱いラジカルに応じた反応性が示された。

さらに亜酸化窒素雰囲気下におけるパルスラジオリシス実験において、OHとの反応により生成したCMCラジカルの吸収スペクトル測定を行った。紫外域の235 nm付近に吸収ピークを有するスペクトルが観測され、その寿命は照射後数百マイクロ秒においても安定であった。照射後試料に対する紫外可視分光計による測定により数十分から以上にもわたる非常にゆっくりとした減衰挙動を確認し、長寿命CMCラジカルの存在を確認した。

既報の文献においてCMCラジカルの吸収スペクトルはカルボキシメチル基置換度に応じて235 nm付近の吸収ピークが増加することが確認されており、6員環上のラジカルとともにカルボキシメチル基上のラジカルの存在が示唆されている。

2. OHとの反応により生成したCMCラジカルの同定

OHラジカルと反応直後から数秒後までの時間スケールにおいて存在するラジカルを測定可能な実験系を構築し、CMCラジカルの水溶液中における直接観測に初めて成功した。OH生成源には過酸化水素の光分解を利用し、生成物の滞留を防ぐためフローシステムを採用した。観測されたESRスペクトルは約1.8 mTほど大きく2つに分裂した形状を示した。左右2つのスペクトルは似ているがやや異なる形状を示し、複数のラジカルの存在が示唆された。超微細結合定数や重ね合わせのシミュレーションにより、観測されたスペクトルはTriplet×DoubletとDoubletの重なりであると解析され、それぞれ6位に連なるカルボキシメチル基炭素上のラジカル、2位及び3位に連なるカルボキシメチル基炭素上のラジカルであると同定された。

3. 長寿命CMCラジカルの減衰挙動観測

電子線照射後に観測された長寿命CMCラジカルに対し、紫外可視吸収スペクトル測定及びESR測定を行い、減衰挙動を観測した。紫外可視吸収スペクトル測定においては、吸収スペクトルの減衰成分について測定時間毎に吸収ピーク位置で規格化するとスペクトルは全て一致し、減衰成分は同一化学種による減衰であると考えられる。またピーク波長235 nmにおける吸光度減衰は50 mMと比較して100 mMの場合速く減衰し、吸光度の対数プロットにおいては直線性を示す。これはCMC濃度に対する擬一次反応である可能性が示唆された。続いてESR測定においては紫外可視吸収測定では不可能であった高濃度領域での実験が可能となる。まず希薄濃度領域における測定において得られたESRスペクトルは前項で得られたOHとの反応により生成したカルボキシメチル基炭素上ラジカルの場合と一致し、同定された。ESRスペクトルのピーク位置における経時変化は紫外可視吸収測定と同様にスペクトル強度の対数プロットにおいて直線的に減衰し、濃度増加とともに減衰速度が増加した。これは減衰挙動がCMC濃度に対する擬一次反応であることを示し、カルボキシメチル基炭素上から6員環炭素上へのラジカル移動であると考えられた。高濃度領域における測定においては減衰挙動の対数プロットにおける直線性もやや失われ、グラフの挙動から推測されるラジカルの初期収量も希薄濃度領域からかなり低下した。照射直後から測定開始までの時間に分解反応以外の反応パスにカルボキシメチル基炭素上のラジカルが消費されたことを示し、これが架橋反応であると考えられる。

高濃度において架橋反応パスにラジカルが流れる原因はラジカル間距離が縮まったことにより架橋反応確率が増加したからではないかと推測した。そこで試料溶液のpHを酸性に変化させてカルボキシメチル基をH化させ、カルボキシメチル基間の電気的反発の消失、かつ水素結合による引力を生じさせ、ラジカル間距離を縮めることとした。希薄濃度領域において減衰挙動をESR法にて測定した結果、アルカリ・中性領域においては希薄濃度領域と同様な傾向を示したが、酸性領域においては対数プロットの直線性の喪失、ラジカルの推定初期収量の低下といった高濃度領域と同様の傾向を示し、さらにゲル化を生じた。これにより架橋反応条件にはラジカル間距離が重要なファクターであることを見出した。

以上の結果からCMC水溶液の放射線誘起反応は以下のように考察された[図参照]。

CMC水溶液に放射線が照射されると、水の放射線分解により、e(aq-)、OHなどのラジカルが生成し、特に反応性の高いOHは反応速度定数(1.4~1.7)×109 [M(-1)s(-1)]においてCMCから非選択的に水素原子を引抜き、カルボキシメチル基炭素上ラジカルと6員環炭素上ラジカルの2種類のラジカルが生成すると考えられる。6員環炭素上ラジカルは水溶液中ではms以内の寿命で基本的にグリコシド結合の開裂など分解反応に寄与し、それによって生成するラジカルは数多の生成物へと変化していくと考えられる。

一方、長寿命であるカルボキシメチル基炭素上ラジカルは水溶液中においてゆっくりと6員環炭素上へとラジカル移動していると考えられた。なお、長寿命である理由は負電荷を帯びるカルボキシメチル基間の電気的反発によると推定される。しかし、高濃度になると高分子鎖間の距離が縮まり、ラジカル移動が主たる反応であったカルボキシメチル基炭素上ラジカルは架橋反応へのパスに流れ始める。このメカニズムにより高濃度領域において架橋反応が進行し、ゲル化現象が見られると考えられた。

図 CMC水溶液の放射線誘起反応機構

審査要旨 要旨を表示する

多糖類は、生体内で細胞の支持組織やエネルギー貯蔵物質として存在し、古くから繊維や紙等として利用されてきた。近年環境問題が深刻化する中、生分解性材料として用途開発が進められおり、放射線を用いた低分子量化による植物成長促進作用や抗菌活性の増進等が見出されている。多糖類は放射線により分解することが一般的であったが、近年カルボキシメチルセルロース(CMC)等のカルボキシメチル化多糖が高濃度水溶液という条件下で架橋することが発見された。この放射線架橋により得られるゲルは吸水性に優れ、低環境負荷の放射線加工・機能性材料として応用研究が進められている。しかし、カルボキシメチル化多糖の架橋反応を含む放射線誘起反応については未だ詳細については明らかとなっていない。そこで本研究では、その解明を目的とし、ラジカルの挙動を放射線化学的手法により追跡している。

本論文は全6章から構成される。

第1章は緒言であり、高分子水溶液の放射線誘起反応および既往の関連研究について概要を述べている。高分子水溶液に放射線照射した場合、水が放射線分解し、OH・水和電子・水素原子などのラジカルが生成するが、OH生成量の増加する亜酸化窒素雰囲気下では放射線分解及び放射線架橋反応が促進されることから、それらの反応はOHに起因すると考えられていること、生成したOHが高分子から水素原子を引き抜き、高分子ラジカルを生成すること、高分子ラジカルが分解反応や不均化反応、架橋反応などを経て低分子量化やゲル化などマクロな現象として現れること、これらの高分子ラジカルの反応は高分子の特性・周辺環境などの条件により変化することなどが述べられている。

第2章では、水の放射線分解ラジカルとの反応性評価について、OH及び水和電子とカルボキシメチル化多糖との反応性を評価するため、パルスラジオリシス法によりナノ秒からマイクロ秒スケールにおける過渡吸収測定を行っている。OH・水和電子とカルボキシメチル多糖の反応について反応速度定数を評価し、OHは水和電子より100倍ほど反応性が高く、反応速度定数が置換基の種類によらず変わらないことから非選択的な反応性を有していることが示された。酸化性ラジカルとの比較のため、硫酸ラジカル・炭酸ラジカルとの反応性も評価し、OHと比べ酸化力に応じた反応性が示された。さらに、OHとの反応により生成したCMCラジカルの吸収スペクトル測定では、紫外域にある吸収ピークは照射後数百マイクロ秒においても安定であり、照射後試料に対する紫外可視分光計による測定により数十分以上にもわたる非常にゆるやかな減衰挙動を示し、長寿命CMCラジカルの存在を確認した。

第3章では、OHとの反応により生成したCMCラジカルを同定している。OHラジカルと反応直後から数秒後までの時間スケールにおいて存在するラジカルを測定可能な実験系を構築し、CMCラジカルの水溶液中における直接観測に初めて成功した。OH生成源には過酸化水素の光分解を利用し、生成物の滞留を防ぐためフローシステムを採用した。観測されたESRスペクトルから複数のラジカルの存在が示唆された。超微細結合定数や重ね合わせのシミュレーションにより、6位に連なるカルボキシメチル基炭素上のラジカル、2位及び3位に連なるカルボキシメチル基炭素上のラジカルの重ね合わせであると同定した。また、シミュレーションから、ラジカルの運動性及びラジカル数に関して、2位及び3位よりも6位に連なるカルボキシメチル基炭素上のラジカルは側鎖が炭素1個分長いことに対応して運動性が高いこと、2位及び3位のラジカルが6位のラジカルの約11倍多いことが明らかになった。

第4章では、長寿命CMCラジカルの減衰挙動を観測している。電子線照射後に観測された長寿命CMCラジカルに対し、紫外可視吸収スペクトル測定及びESR測定を行い、減衰挙動を観測した。紫外可視吸収スペクトル測定においては、吸収スペクトルの減衰成分について測定時間毎に吸収ピーク位置で規格化するとスペクトルは全て一致し、減衰成分は同一化学種群による減衰であると考えられる。またピーク波長における吸光度減衰から、擬一次反応であることが示唆された。ESR測定においては、紫外可視吸収測定では不可能であった高濃度領域での実験が可能となる。ESRスペクトルのピーク位置における経時変化はカルボキシメチル基炭素上ラジカルであると同定し、そのゆるやかな減衰過程は6員環炭素上へのラジカル移動であると考えられた。

第5章では、以上の結果からCMC水溶液の放射線誘起反応を総合的に考察している。CMC水溶液に放射線が照射されると、水の放射線分解により、水和電子・OH等のラジカルが生成し、特に反応性の高いOHはCMCから非選択的に水素原子を引抜き、カルボキシメチル基炭素上ラジカルと6員環炭素上ラジカルの2種類のラジカルが生成する。6員環炭素上ラジカルは水溶液中では分解反応に寄与する。一方、カルボキシメチル基炭素上ラジカルは長寿命であり水溶液中においてゆるやかに6員環炭素上へとラジカル移動する。高濃度になると高分子鎖間の距離が縮まり、ラジカル移動が主たる反応であったカルボキシメチル基炭素上ラジカルは架橋反応への経路に流れ始める。この機構により高濃度領域において架橋反応が進行し、ゲル化現象が認められる。

第6章は、結言であり、本研究の結論とともに、今後の展望を述べている。

以上を要するに、本研究ではCMCを中心として多糖類水溶液の放射線誘起ラジカルの反応挙動を、パルスラジオリシス法により水の放射線分解ラジカル等との反応速度定数を評価し、その結果生成する長寿命ラジカルをESR法によって同定・定量し、紫外可視吸収分光分析及びESR法により減衰挙動を検討したものであり、放射線・量子ビーム利用分野への寄与は大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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