学位論文要旨



No 124652
著者(漢字) 澤田,真一
著者(英字)
著者(カナ) サワダ,シンイチ
標題(和) 架橋フッ素高分子電解質膜における水・プロトン輸送機構に関する研究
標題(洋) Transport mechanism of water and proton in crosslinked-fluoropolymer electrolyte membranes
報告番号 124652
報告番号 甲24652
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7086号
研究科 工学系研究科
専攻 原子力国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 寺井,隆幸
 東京大学 教授 田中,知
 東京大学 准教授 工藤,久明
 東京大学 准教授 鈴木,晶大
 東京大学 准教授 沖田,泰良
内容要旨 要旨を表示する

1. 緒言

近年、地球温暖化や大気・海洋汚染などの環境問題が深刻化するのに伴い、クリーンかつ高効率のエネルギー変換システムとして、固体高分子型燃料電池が注目を浴びている。燃料電池の中枢部材はプロトン伝導性を有する高分子電解質膜である。代表的な電解質膜は、疎水性のポリテトラフルオロエチレン(PTFE)骨格と、先端にスルホン酸基が固定された側鎖をもつNafionである。ところが、Nafionは製造コストが高いという難点を抱えているため、新規代替電解質膜の開発が活発になされている。

Nafionにおいては、水とスルホン酸基が会合し、PTFE骨格から相分離して水クラスターが形成され、この中を水・プロトンは移動する。燃料電池の発電性能は電解質膜の水・プロトン輸送特性に左右されることから、膜内輸送現象に関する研究は盛んに試みられている。新規電解質膜についても、輸送機構に関する基礎的研究を行い、得られた知見を膜設計の場にフィードバックすることで、高性能膜材料の開発につながると期待できる。

最近、放射線グラフト法を利用して、架橋PTFEを基材とする電解質膜が新たに開発された[1]。この膜は、架橋構造をもつPTFE主鎖とポリスチレンスルホン酸グラフト鎖からなる。パーフルオロの架橋主鎖を有するとともに、Nafionでは一定だったイオン交換容量(IEC)を広範囲に渡り制御できることが、燃料電池膜として大きな特長である。

そこで本研究では、架橋PTFE電解質膜における水・プロトン輸送機構の解明を目的とした。電解質膜が組み込まれた燃料電池および水電解セルが高い性能を発揮するのを明らかにした後、この膜の優れた応用性の起源を探るため、水・プロトン輸送経路の迂回度と経路内における局所的な挙動の両方を検討した。

2. 電解質膜の応用性と課題

架橋PTFE電解質膜の合成は、既報に従い[1]、γ線・電子線で架橋したPTFE膜に対し、スチレンをグラフト重合した後、グラフト鎖をスルホン化するという手順で行った。得られた電解質膜は、IECを高めることで、Nafionと比べてプロトン伝導性が高く、かつ高IEC下でもメタノール透過性が低いことがわかった。この膜を用いて、図2に示すように、固体高分子型水電解(SPWE)セルと直接メタノール型燃料電池(DMFC)を組み立て、それらの性能を評価した。SPWEでは、セル内に高湿度空気を供給しつつ、定電圧を加えて水電解を行った。印加電圧が高いとき、架橋PTFE電解質膜を用いたセルの電流はNafionを用いたセルよりも約2倍高かった。この結果から、電解質膜の高い伝導性がSPWEの効率に寄与することがわかった。一方、DMFCでは、Nafionを用いた場合、電流密度が高くなると、プロトンと水和して膜を透過する水の量が増える(電気浸透流の増大)のでセル電圧は急激に低下した。架橋PTFE電解質膜のセルでは、Nafionの場合と比較して、高電流下でもセル電圧は高かった。この理由は、メタノールだけでなく、水の透過が抑制されたからであると考えられる。

以上の結果から、SPWEおよびDMFCの優れた性能は、架橋PTFE電解質膜の高いプロトン伝導性と低い水透過性に起因することが明らかとなった。このような優れた輸送特性の発現機構に迫ることは、基礎科学的観点から極めて重要である。

3. 水透過係数とプロトン伝導度

電解質膜の水・プロトン輸送特性として、飽和含水状態における水透過係数PWとプロトン伝導度σPを測定した。前者は重酸素水(H2(18)O)をトレーサーとして用いる透過試験、後者は2端子ACインピーダンス法により求めた。IECに対して、PW、膜内の体積含水率φWおよびσP、プロトン濃度CPをプロットしたのが図3,4である。PWとσPは直線的に増大するのに対し、φWとCPはIECが高くなると飽和する傾向を示した。このことから、一般的に言われるように、PW、σPそれぞれの決定因子はφW、CPのみではないことがわかる。そこで、水・プロトン輸送特性に影響を及ぼす他の因子を検討した。

電解質膜中の水・プロトンは、周囲との化学的相互作用と熱的揺らぎによりランダムウォークし、このときの運動性は、それぞれの自己拡散係数DW、DPで表わされる。また、水・プロトンは疎水性領域を迂回しながら動くので、電解質膜を通り抜けるには膜厚の 倍に相当する距離を移動しなければならない( を迂回度と呼称)。すなわち、自己拡散係数と迂回度という微視・巨視的な因子が輸送特性に影響すると考えた。このときPWとDPは以下の式で表わされる。

(1)

(2)

R:気体定数、T:絶対温度、Z:プロトンの荷数、F:ファラデー定数

4. 散逸粒子動力学(DPD)シミュレーションに基づくメソ構造

含水状態における架橋PTFE電解質膜の構造を明らかにするため、DPDシミュレーションを行った。DPD法は、原子集団を1つの粒子で表す粗視化モデルを用い、全原子分子動力学法よりも計算時間を大幅に短縮できる。そのため著者は、本研究で対象とする巨大な架橋高分子のダイナミクスを計算するのには適した手法であると判断した。

架橋PTFE電解質膜の分子構造に基づき、図5のように、-(CF2)6 -、-CH(C6H4SO3H)CH2-、7分子のH2Oをそれぞれ0.21 nm3の粒子A、B、Wと見なした。粒子間の相互作用であるFlory-Huggins理論のγパラメータは、各粒子間の混合エネルギーを求めることで推算した。架橋PTFEの架橋点密度に関する既報やγ線照射後のラジカル挙動の実験結果を基に、架橋PTFE鎖とグラフト鎖の構造を決定し、IEC の異なるモデル分子を作成した。

3次元周期境界をもつ立方体セル内に、モデル分子と飽和含水量に相当する水粒子Wをランダムに配置して初期構造をつくり、DPD法により系の時間発展を計算した。十分な時間経過後、いずれの系も平衡状態に到達した。飽和含水状態における電解質膜の平衡構造を図4に示す。Nafionの場合、既報[2]と同様に水粒子どうしが凝集して巨大な親水性クラスターが形成された。水粒子間の動経分布関数から見積もられた水クラスターの直径d0は3.4 nmであった。一方、架橋PTFE電解質膜では、粒子WはBと混在しながら凝集した。d0はIECに依存せずに一定値0.9 nmであり、Nafionよりも非常に小さい水クラスターが存在することが示唆された。

5. 輸送経路の迂回度

輸送経路のγを求めるため、4で得られた平衡状態下で再びDPD計算を行い、時間Δtの間に運動する粒子Wの平均自乗変位から自己拡散係数D(WP)を算出した。Δtが短いとき、粒子Wの動く範囲は狭いので、DW(Particle)は周囲粒子との相互作用のみで決まる。ところがΔtが長くなると、粒子Wは水クラスター以外の領域を避けて移動するので、DW(Particle)のΔt依存性には輸送経路の幾何学構造に関する情報が反映される。

すべての電解質膜において、Δtが長くなるほどDW(Particle)は低下し、Δt≧tC以上では一定値DW(Particle)(tC)に達した。ここで、(3)式に示すように、Δtが短いときに求めたDW(Particle)とDW(Particle)(tC)の比をとることでγを計算した。

(3)

IECが高くなるにつれてγは半分以下に低下した。これは、新たな輸送経路が形成されたことで、膜内の長距離移動が容易になることを意味する。すなわち、輸送経路のネットワークが密になったことと同義である。

6. 輸送経路における局所的な挙動

5で得られたγを(1),(2)式に代入してDW, DPを求めた。DWはIECに依らずにほぼ一定の値を示したのに対し、DPはIECとともに上昇することがわかった。

水の挙動は、スルホン酸基が経路内につくる静電場によって影響を受けると考えられる。そのため、輸送経路はDPD計算で求めた水クラスターのd0に等しい直径をもち、その内壁にスルホン酸基が均一に分布するとし、Poisson-Boltzmannモデルを用いて静電場の分布を求め[3]、次いで経路内の水分子に働く平均電場Eを計算した。すべてのIECをもつ膜においてEはほぼ一定であり、このためDWは変わらないと考えられる。

次にプロトンの挙動を考える。酸性水溶液中のプロトンは、水和水を伴って動くVehicle機構、または水分子間の水素結合の解離・生成を通じて素早く動くGrotthus機構[4]により伝導すると言われる。上で求めた経路内の電位に対して、プロトンはBoltzmann分布に従い存在するとし、動経方向におけるプロトンの加重平均濃度CPを算出した。高いIECをもつ膜ほど、CPは低下した。既報によれば、プロトン濃度が低くなるにつれて、Grotthus機構による伝導が生じやすくなる[4]。このことから、IECが高くなるとき、Grotthus機構によるプロトン伝導の割合が増えたので、大きなDPを示したと解釈できる。

7. 水・プロトンの輸送機構に関する考察

5で述べたように、IECとともにγは低くなり、水・プロトンの輸送は活発になる。γの低下は、φW、CPの増大とともに、PW、σPの向上に寄与する。次に水・プロトンの自己拡散係数について考える。DWはIECに依らずにほぼ一定の値を示したのに対し、DPはIECとともに上昇した。そのため、両者の比R=DP/DWを検討した。IECが大きくなるとRは3.4から6.6に上昇し、これはNafionにおけるR=3.5と比較しても大きな値である。水と比べてプロトンの局所的運動が非常に速いことが、低い水透過性と高いプロトン伝導性の起源である。以上に述べた水・プロトン輸送機構を模式的に図7に示す。

8. まとめ

本研究では、架橋PTFE電解質膜が低い水透過性と高いプロトン伝導性を併せもつことを明らかにし、この優れた輸送特性の起源を探るため、輸送経路の迂回度と自己拡散係数という2つの因子を検討した。DPDシミュレーションにより電解質膜のメソ構造を予測し、得られた構造を解析することで輸送経路の迂回度を求めた。IECが高くなると、迂回度は著しく低下し、これが水・プロトンの輸送を促進させる。水の自己拡散係数はIECに依存しないことがわかった。一方、プロトンの自己拡散係数は、IECが大きい膜ほど高くなった。これは、Grotthus機構によるプロトン伝導が盛んに起きるからであると考えられる。

[1] T. Yamaki et al., Polymer, 45, 6569-6573 (2004).[2] S. Yamamoto et al., Polymer J., 35, 519-527 (2003).[3] T. Colinart et al., J. Electrochem. Soc., 155, B244-B257 (2008).[4] K.D. Kreuer et al., Chem. Rev., 104, 4637-4678 (2004).

図1: 架橋PTFE電解質膜の合成手順

図2: (a)SPWEと(b)DMFC発電の原理

図3: PW、φWとIECの関係

図4: σP、CPとIECの関係

図5: 架橋PTFE電解質のモデル分子

図6: DPD計算で予測した電解質膜の平衡構造

図7: 架橋PTFE電解質膜における水・プロトン輸送機構

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、放射線グラフト法により作製した架橋フッ素高分子電解質膜における水・プロトン輸送機構について検討し、その結果について述べたものであり、全体は9章で構成されている。

第1章は序論であり、本研究の背景と研究目的について述べている。近年、地球温暖化や大気・海洋汚染などの環境問題が深刻化するのに伴い、クリーンかつ高効率のエネルギー変換システムとして、固体高分子型燃料電池が注目を浴びている。燃料電池の中枢部材はプロトン伝導性の高分子電解質膜であり、膜の水・プロトン輸送特性が電池効率を左右する。ところが、膜内の水・プロトン輸送現象に関しては、これまでに詳細な知見が得られていない。そこで本研究では、最近開発された架橋フッ素電解質膜に対し、水・プロトンの輸送機構を解明することを目的としたとしている。

第2章では、本研究で用いる架橋フッ素電解質膜の合成実験とその結果について述べている。グラフト重合における前照射線量やモノマー濃度、グラフト時間を制御することにより、イオン交換容量を0.6~2.5meq/gの広範囲で制御した電解質膜を得ることができた。また、電解質膜内のスルホン酸基は膜厚方向に均一に導入されることを確認したとしている。

第3章では、架橋フッ素電解質膜を用いた固体高分子型水電解試験および直接メタノール型燃料電池(DMFC)試験の結果について述べている。架橋フッ素電解質膜を用いたセルでは、いずれの場合においても従来膜Nafionを凌駕する性能が得られた。これは、電解質膜の優れた水・プロトン輸送特性に起因することが示唆された。特に、DMFC試験においてフラッディングが抑えられたのは、架橋フッ素電解質膜では水の輸送量が低いからであると推測している。

第4章では、電解質膜の水・プロトン輸送特性の指標として、水透過係数とプロトン伝導度を測定した結果について述べている。前者は重酸素水(H218O)の透過試験、後者はACインピーダンス法によって求めた。イオン交換容量が高いほど、水透過係数・プロトン伝導度ともに上昇した。2.4meq/gの膜では、伝導度は0.16S/cmであり、これはNafion(0.072S/cm)の約2倍に相当するが、水透過係数はNafion(2.6×10(-10)m2/s)よりも低く2.3×10(-10)m2/sであった。したがって架橋フッ素電解質膜は、高いプロトン伝導性と低い水透過性を併せもつことがわかった。このことが、DMFCセルにおいてフラッディングが生じなかった理由である。この結果を受けて、電解質膜における水透過係数とプロトン伝導度の決定因子として、以後の章では輸送経路の迂回度と局所的な自己拡散係数という2つのファクターを調べることにしたとしている。

第5章では、散逸粒子動力学ΦPD)シミュレーションによる電解質膜のメソスケールにおける構造予測とその結果について述べている。はじめに分子構造を基にし、-(CF2)6-、-CH(C6H5SO3H)CH2-、7H20をそれぞれ粒子A,B,Wと見なし、これら粒子を用いてイオン交換容量1.4,1.9,2.4meq/gのモデル電解質を作成した。モデル電解質と飽和含水状態に相当する量の粒子Wを3次元周期境界をもつセルにランダムに配置して初期構造とし、DPD法によって時間発展を計算した。系が平衡状態に到達すると、粒子Wは凝集して水クラスターを形成した。架橋フッ素電解質膜内では、イオン交換容量に依らず、直径1.8nm程度の非常に小さな水クラスターが存在することがわかったが、これは、Nafion内における直径6.8nmのクラスターと比較して非常に小さいことが特徴的であるとしている。

第6章では、理論モデルおよびDPDシミュレーションを用いて、輸送経路の迂回度を定量的に評価した結果について述べている。架橋フッ素電解質膜の場合、ミクロ・マクロの両スケールにおける迂回度を求めた。マクロスケールの迂回度はPragerの理論により求め、一方ミクロスケールの迂回度はDPDシミュレーションから求めた。その結果、イオン交換容量が大きくなるほど、迂回度が減少することがわかった。本研究のように、Nafion以外の電解質膜において経路の迂回度を評価した研究は過去に前例がない。

第7章では、経路内における水・プロトンの局所的な自己拡散係数を求めた結果について述べている。イオン交換容量が1.4meq/gから2.4meq/gに大きくなるとき、水の拡散係数は9×10(-10)m2/sで一定であるのに対して、プロトンの拡散係数は41×10(-10)m2/sから56×10(-10)m2/sへと上昇した。水の挙動については、クラスターサイズが非常に小さいため(直径1.8nm)、閉じ込め効果によって運動が支配されることが示唆された。クラスター直径はイオン交換容量に依らないため、水の拡散係数もほぼ一定値であると考えられる。一方、プロトンの挙動については、イオン交換容量が高くなるほど、経路内におけるプロトン濃度が低下することがわかった。このため、Grotthuss機構によるプロトン伝導が盛んに起こるため、プロトンの拡散係数は向上したと考えられる。

第8章では、水・プロトン輸送特性の発現機構について議論している。イオン交換容量とともに水透過係数・プロトン伝導度が上昇するのは、主として経路の迂回度が低下したことによると結論している。

第9章は、本論文のまとめである。

以上を要するに、本論文は放射線グラフト法により作製した架橋フッ素高分子電解質膜における水・プロトン輸送機構について検討し、その結果について述べたものであり、学術上有益な知見を多く含むとともに工学的な利用価値も極めて高い。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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