学位論文要旨



No 124656
著者(漢字) 大橋,学
著者(英字)
著者(カナ) オオハシ,マナブ
標題(和) 衛星機器産業のイノベーション・マネジメントに関する研究
標題(洋)
報告番号 124656
報告番号 甲24656
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7090号
研究科 工学系研究科
専攻 技術経営戦略学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 六川,修一
 東京大学 教授 松島,克守
 東京大学 教授 青山,和浩
 東京大学 教授 岩崎,晃
 東京大学 准教授 茂木,源人
内容要旨 要旨を表示する

1. はじめに

日本の宇宙産業の国家方針は、(1)国家の基幹産業として維持・成長を目指す、(2)政府支援の下で成長を目指す、(2)国際競争力の強化、新たな需要の創出により、産業としての活性化を目指すといった3つの点に集約される。3つ目の産業としての活性化はこれまでにない新たな国家方針であり、日本の宇宙産業は新たなステージへの移行期にある。ただ、実現に向けた産業としてのロードマップ及びその実現性の検証については、十分に言及されておらず、客観的かつ論理的な視点から今後の産業としての活性化の可能性を分析することが求められる。同時に、近年、イノベーションを創出することの重要性は益々増大し、イノベーションを効果的・効率的に生み出すための研究が近年盛んに行われている。多くの研究者の間で明確に認識されているように、イノベーションは新規価値創出、競争優位性確保のための有効な戦略である。

本研究では、宇宙情報産業の中でも衛星機器産業に焦点を当て、イノベーション・マネジメント理論の面から産業構造を捉え、イノベーション創出に向けた技術開発マネジメントのあり方を研究することを目的としている。

2. 日本の衛星機器産業における産業競争力強化の可能性

まず、日本の衛星機器産業が今後産業として活性化するための必要条件である産業競争力強化の可能性について評価を行った。

衛星機器は製品特性として、技術開発リスク、事業リスクが極めて大きく、従って世界的に政府主導になりやすい。日本の衛星機器産業の事業規模は、国家の宇宙開発予算と同じ傾向で減少しており、国内官需のみでは産業として成立することが困難にも関わらず、海外市場の開拓はほとんど進んでいない。日本の衛星機器産業は、技術実証衛星の開発・打上が中心となっており、現状では欧米事業者が、開発投資、技術実績、市場実績の面で、強い競争力を保有している。このため、日本の衛星機器産業は完全にハイリスク・ローリターン事業となっており、現状として産業として活性化しているとは言い難い。

日本の衛星機器産業が産業として活性化するためには、産業競争力を高めていくことが必要である。

衛星機器産業の産業競争力に影響を与える要因は、(1)国としての産業方向性の明確化及び強いリーダーシップ、(2)先端的技術開発、(3)ユーザーニーズを反映したミッション提案、(4)確立された衛星バス(統合化技術の蓄積・実績の確保)、(5)産業で求められる高い信頼性や、開発期間・コストの低減を実現する産業化技術への取り組みの5つである。

特に、安定した機能の実現、信頼性の獲得、開発コスト・期間の低減といった産業としての要求を満たすためには、衛星バスの確立が必要である。また、産業で求められる高い信頼性や、開発期間・コストの低減を実現する産業化技術への取り組みにおいては、これまでの製造・運用実績の影響が大きく、同時に、衛星バスの確立は、信頼性の獲得や開発期間の短縮につながる。

日本の衛星機器産業に対する国家の方向性は明確になっておらず、強いリーダーシップによる推進が充分にできているとは言いがたい。日本の衛星開発方針は、先端的な技術開発・実証に主眼が置かれているため、先端技術は確保される一方で、ユーザーニーズの反映や衛星バスの確立につながる開発になっていない。

日本の衛星機器産業は、統合化知識を蓄積した衛星バスの確立によって、安定した機能を高い信頼性で発揮することや、衛星バスを製品プラットフォームとして、設計・製造を効率的に進めることへの対応ができていない。衛星の設計・製造プロセスにおける産業化技術(コスト、開発期間、信頼性)への取り組みも不十分であり、衛星バスが確立されていないことの影響も大きい。これらは、これまでの開発・運用実績の差にも起因している。

この結果、現在のアーキテクチャに沿った持続的イノベーションによって競争力が向上する可能性は低く、新たなアーキテクチャへの変革など新たな戦略シナリオが必要である。

3. 小型衛星産業における破壊的イノベーション・ダイナミクスモデル

この新たなアーキテクチャへの変革において、小型衛星が大型衛星に対する破壊的イノベーションであり、その産業構造に変化をもたらしていることを分析した。

小型衛星は、衛星のアーキテクチャ、開発手法が大型衛星とは異なるため、低コスト・短期間での開発が可能である、打上・運用コストが低い、低い初期投資とリスクによって参入障壁が低いといった大型衛星にはない強みを持っている。小型衛星の開発主体は、大型衛星とは異なっており、ベンチャー企業や大学が主体となっている。

Surrey Satellite Technology Ltd. (SSTL) は、従来の衛星とは異なるマイクロ衛星プラットフォームの開発を基に市場に参入し、(1)航空宇宙・IT産業で既に開発された技術の統合、(2)技術の再利用の徹底、(3)汎用部品の活用、(4)極めて高い信頼性にこだわり過ぎない、(5)大学や研究機関とのアライアンスといった、これまでの大型衛星開発事業者とは異なる戦略により、コスト低減、短期開発を実現している。

SSTLは、まず宇宙後進国からの衛星受託開発により、災害監視衛星及び地球観測衛星を打ち上げてきた。これらの国々の初期の目的は衛星の保有であり、従って宇宙先進国と比較して要求する性能水準は厳しくない。これらの国々は、数億円のコストで、自前の衛星を保有することができる。この新しい市場は既存の大規模衛星の手がけている市場とは異なり、価格と利便性が評価された新市場型破壊である。次に、光学センサーを用いた地球観測衛星において、小型衛星の近年の性能向上は著しく、顧客ニーズを満たせる地表分解能を達成することで、中・大型衛星分野をローエンドから破壊している。また、小型衛星の優位性が活かせるコンステレーション技術を積極的に導入することで、宇宙後進国を中心とした7ヶ国コンソーシアムのDMCプロジェクトによる新市場型破壊、ドイツRapidEye社からの商業用地球観測マイクロサット5機の衛星バス受託によるローエンド型破壊を進め、欧州GPSガリレオ計画を基点に上位市場への進出を進めている。

これまでのSSTLによる小型衛星開発に基づく破壊的イノベーションは技術、衛星バスの開発を基盤にして有機的に結びついており、破壊的イノベーション・ダイナミクスモデルとして提案できることを示した。

4. 日本の衛星機器産業の産業ロードマップに関する研究

日本の衛星機器産業が産業として活性化するための産業化シナリオの策定、シナリオを実現するための各主体の役割・機能、アクションプランについて研究を行った。

短期的には、官公庁ニーズの集約によるユーザーニーズ対応力の強化、衛星バスの確立を進めることで、三菱電機、NECなど既存事業者にて大型衛星分野での産業化衛星の確立を目指す。

中長期的には、既存事業者を支援することで、まずは"先進小・中型衛星アーキテクチャ"の開発を行い、開発期間・開発コストの優位性を高め、次に大型衛星並みの性能を実現することで、欧米等の事業者に対する破壊的イノベーションを生み出す。同時に、大学・研究機関、新興事業者によって、多彩なアイデアを活用した新たなアーキテクチャ開発が推進される仕組みを構築し、国家が積極的にインキュベートすることで、次世代の破壊的イノベーションのシーズとする。

シナリオの実現のためには、プラットフォーム基盤確立が必須であり、オールジャパン体制で推進する。国家は要素技術・部品DBを統合的に構築する役割が期待される。既存事業者は、技術実証衛星で培った高信頼性技術、システム化技術を積極的に活用すると同時に、大学・研究機関、新興事業者によって検証された民間技術・部品を積極的に導入することが求められる。大学・研究機関、新興事業者は、民間技術・部品を積極的に活用することで、実証実験の役割を担う。

本研究で提案する産業化シナリオは、技術視点ではなく、産業化の視点から策定されており、産業としての活性化を実現するための各主体の産業における立ち位置、役割を明確にする共通のシナリオとして活用することが可能である。

各主体のアクションプランとして、国家は宇宙開発戦略本部に責任と権限を明確に与えた上で、一元的に衛星産業を推進していくべきである。特に需要情報の集約によって効率的なミッションを生み出し、開発を受託する事業者のユーザーニーズへの対応力を強化させるべきである。中長期的には、予算配分の最適化と同時に、国家レベルでの情報収集力の強化、技術・製品開発情報の集約化を行うべきである。既存事業者は、外部収益を獲得するために、ターゲット市場のユーザーニーズにあった提案、高機能を高い信頼性で安く早く実現できる衛星バスの確立、提案したミッションに対応した先端ミッション機器、土台となる技術開発に一貫性を持った戦略立案を行うことで、先進小・中型衛星アーキテクチャをベースにした事業戦略を進めるべきである。大学・研究機関、新興事業者は、国家に対して新たな衛星アーキテクチャの提案を実施することが必要であり、開発目的、アーキテクチャの独自性・優位性、将来の発展性、プラットフォーム基盤への寄与を具体的に指し示すべきである。

各主体は産業化シナリオの考え方を共有化し、進捗状況の確認、事業環境に基づく改善を適宜進めることで、効果的に推進することが求められる。

本研究では、日本の衛星機器産業をイノベーション・マネジメント理論の視点から客観的かつ中立的に行った点にも大きな特徴がある。

審査要旨 要旨を表示する

日本の宇宙産業は国の基幹産業であり、近年は産業としての活性化を目指す新たなステージへの移行期にある。同時に、イノベーション・マネジメントの理論は近年大きく飛躍しており、産業を本視点から客観的に分析、提案する重要性は益々増大している。本論文では、宇宙情報産業の中でも衛星機器産業に焦点を当て、イノベーション・マネジメント理論を基に産業構造を捉え、イノベーション創出に向けた技術開発マネジメントのあり方を研究することを目的としている。

はじめに日本の衛星機器産業が今後産業として活性化するための条件である産業競争力向上の可能性の評価を行っている。まず、日本の衛星開発は、先端的な技術開発・実証に主眼を置いているため、先端技術の開発が進む一方で、ユーザーのニーズを反映した衛星開発、衛星バスの確立へとつながる動きになっていないこと、各部品・サブシステムを統合する高度な統合化技術が必要な衛星開発において、衛星バスの確立により、安定した機能を高い信頼性で発揮すること、及び衛星バスをプラットフォームとして、設計・製造を効率的に進めることへの対応ができていないこと、を明らかにしている。さらには衛星の設計・製造プロセスにおける産業化技術(コスト、開発期間、信頼性)への取り組みも不十分であり、このことが結果としてこれまでの不十分な開発・運用実績となっていることを述べている。これらの詳細な分析を踏まえ、わが国の機器産業においては現在のアーキテクチャに沿った持続的イノベーションによって競争力を向上する可能性は低く、新たなアーキテクチャへの変革など新たな戦略シナリオが必要であると結論づけている。

次に、この新たなアーキテクチャへの変革において、小型衛星が従来の大型衛星を中心とした衛星機器産業に対する破壊的イノベーションであり、その産業構造に変化をもたらしたことを明らかにしている。小型衛星は、衛星のアーキテクチャ、開発手法が大型衛星とは異なるため、低コスト・短期間での開発が可能であり、打上・運用コストも低い。このため、大型衛星に比べ、低い初期投資とリスクによって参入障壁が低いという強みを持っている。中でもSSTLによる小型衛星開発は、技術、衛星バスの開発を基盤にして新市場型破壊、ローエンド型破壊、ハイブリッド型破壊の3つの破壊的イノベーションモデルが有機的に結びついており、段階的に破壊的イノベーションを創出したダイナミクス・モデルとして提案できることを示した。

最後に、日本の衛星機器産業が産業として活性化していくためには、技術開発水準を維持するための従来の大型衛星機器開発(レイヤー1)、外部からの収益を確保するための産業化衛星の開発(レイヤー2)、参入障壁の低い小~中型衛星の開発(レイヤー3)といったレイヤー別デザイン戦略の導入が必要であることを提案している。このレイヤー別デザイン戦略においては、上位・下位レイヤーそれぞれとの関係性を明確にし、先端技術開発、衛星バスの確立を統合的かつ効果的に進めていく仕組みが必要であり、同時に、要素技術・部品情報の共有化を進めるためのプラットフォーム基盤の整備、他産業分野からの積極的な参入、開発技術の他産業への波及を可能にするオープン化の仕組みも必要であることを示した。さらに産業化衛星の確立には、技術ロードマップだけではなく、産業ロードマップを明確に定義することが必要であり、ターゲット市場(ユーザーニーズ)、衛星バス、ミッション機器、技術開発の縦のライン、民生技術・部品を導入する横のラインを構造的に分析し、一貫性をもった産業ロードマップを策定、推進していくことが重要であると結論づけている。

これら一連の研究を通じ、本論文はわが国衛星衛星産業のイノベーション論に基づく分析評価及び今後の技術ロードマップ指針に関する技術的発展に多大な貢献をしたと考えられる.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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