学位論文要旨



No 124658
著者(漢字) 伊藤,克彦
著者(英字) Ito,Katsuhiko
著者(カナ) イトウ,カツヒコ
標題(和) カイコ濃核病ウイルスに対する抵抗性遺伝子の単離と機能解析
標題(洋) Positional cloning and functional analysis of the resistance genes to Bombyx mori densoviruses
報告番号 124658
報告番号 甲24658
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3368号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 嶋田,透
 東京大学 教授 難波,成任
 東京大学 教授 永田,昌男
 東京大学 准教授 石川,幸男
 東京大学 准教授 勝間,進
内容要旨 要旨を表示する

カイコ濃核病ウイルスには1型(BmDNV-1)と2型(BmDNV-2)があり、いずれも養蚕業に被害を与えるウイルスとして古くから問題視されてきた。興味深いことに、カイコの系統の中には、ウイルスの接種量をどれだけ増やしても全く感染しない、完全抵抗性(非感受性)を示すものがあり、交配実験の結果、これらの抵抗性は、優性や劣性の遺伝子によって支配されていることが明らかになっている。BmDNV-1に対する完全抵抗性遺伝子としてはnsd-1とNid-1が、BmDNV-2対する抵抗性遺伝子としてはnsd-2とnsd-Zが、それぞれ報告されている。しかし、これらの抵抗性遺伝子は連鎖地図上にマップされているだけで、単離・同定には至っておらず、その遺伝子本体については未知であった。

近年カイコのゲノム解析が急速に進み、全ゲノムの塩基配列とcDNAの情報が整備されただけではなく、SNPマーカーなどのDNA多型の連鎖地図の構築も進んでおり、形質変異の原因遺伝子をポジショナルクローニングで単離することが不可能でなくなってきている。そこで、本研究では、カイコ濃核病ウイルスの感染機構と完全抵抗性遺伝子との関係を明らかにすることを目的として、2種類の濃核病ウイルスに対する宿主の抵抗性遺伝子の単離と機能解析に取り組んだ。

1.カイコ濃核病ウイルス2型抵抗性遺伝子nsd-2の単離と形質転換カイコを用いたウイルス抵抗性遺伝子としての機能証明

カイコゲノム情報と分子マーカーによる連鎖地図情報を利用したポジショナルクローニングにより、nsd-2の候補領域を第17連関群上の約400 kb内に限定することに成功した。さらにその領域内で、感受性のカイコには認められない約6 kb長の欠失領域が抵抗性のカイコに存在することを発見した。この欠失領域の有無について、3種類の抵抗性系統と7種類の感受性系統で、この欠失領域の有無を調べたところ、欠失は、抵抗性系統だけに認められる特徴であった。

+(nsd-2)系統に特異的に存在する6 kbの領域の塩基配列を、カイコ遺伝子アノテーションシステムKAIKOGAASおよびESTデータベースで解析した結果、1つの候補遺伝子が予想された。そこで、RACE法により、抵抗性型と感受性型の候補遺伝子の完全長cDNA配列をそれぞれ決定し、両配列を比較したところ、抵抗性では、転写領域の5分の3を占める1,120 bpの塩基配列が欠失していることが明らかになった。また、候補遺伝子のcDNAをそれぞれのゲノム配列に対応させて比較した結果、感受性型が14個のエクソンから構成されているのに対し、抵抗性型では、エクソンの5から13を欠いており、さらに、最後のエクソン14では、アミノ酸への翻訳枠がずれるために、終止コドンの位置がエクソン14の開始直後へと変化していた。種々の組織における遺伝子発現をRT-PCRで調べたところ、本遺伝子のmRNAは中腸のみで検出された。この結果は、本ウイルスの感染が中腸特異的であるというこれまでに報告されている病理学的知見と合致した。

単離した遺伝子の機能を推定するために、コードするアミノ酸配列の相同性検索を行った。感受性系統の完全型の遺伝子産物は、タバコスズメガの中腸内腔側の細胞膜に存在する2つのアミノ酸トランスポーターに約80%の相同性を示した。膜タンパク質予測プログラムであるSOSUIによって、本遺伝子の翻訳アミノ酸配列の2次構造を予測した。その結果、感受性系統の遺伝子産物は、細胞膜を12回貫通するタンパク質であると推定された。一方、抵抗性系統の遺伝子産物は、遺伝子内の部分的欠失により、先頭部分の3回の膜貫通構造のみを有していることが推定された。タバコスズメガにおける、12個の膜貫通領域をもつタンパク質は、単量体で特定のアミノ酸を輸送する機能を持つことから、カイコにおける+(nsd-2)候補遺伝子の産物も、おそらくアミノ酸の輸送を担う機能性タンパク質であろうと推測される。一方で、この遺伝子の内部を大きく欠く抵抗性の品種や系統が特に問題なく発育することから、本遺伝子は、カイコの生存に必須のものではないと考えられる。

単離した遺伝子が、ウイルス抵抗性の原因遺伝子として機能していることを実証するために、piggyBacベクターを用い、感受性遺伝子;+(nsd-2)の候補遺伝子をnsd-2/nsd-2のカイコ系統に導入した形質転換カイコを作出した。導入した遺伝子の発現を、GAL4/UASシステムで制御した。形質転換カイコにウイルスを接種し、ウイルスに対する感受性を調査した。その結果、GAL4によって導入遺伝子を発現させたカイコだけが、ウイルス接種により濃核病に感染し、顕著な病状を呈した。一方、ウイルスを接種しない場合には、カイコの生育に全く影響が認められなかった。これらの結果より、単離した遺伝子をカイコ濃核病ウイルス2型抵抗性遺伝子nsd-2と決定した。

2.カイコ濃核病ウイルス1型抵抗性遺伝子nsd-1の単離と抵抗性遺伝子を発現させた培養細胞を使った機能解析

ゲノム情報をもとに作成したDNA多型マーカーを用いてカイコ濃核病ウイルス1型抵抗性遺伝子nsd-1のマッピングを試みた。すなわち、戻し交雑世代に1型ウイルスを接種し、生存個体のDNAを用いて連鎖解析を進めた結果、nsd-1の候補領域を第21連鎖群上の450 kb内に絞り込むことに成功した。絞り込んだ領域内の塩基配列をKAIKOGAASで解析したところ、5つの遺伝子が存在すると予測された。これらの遺伝子について、濃核病ウイルスの標的組織である中腸での発現の有無を調べた結果、そのなかの1つが中腸で特異的に発現していた。さらに、ウイルス抵抗性2系統と感受性2系統で当該遺伝子の塩基配列を比較したところ、ORF内に2箇所の塩基置換があり、2箇所ともアミノ酸の置換を引き起こしていることが明らかになった(K110E、G118R)。

nsd-1候補遺伝子のコードするアミノ酸配列は、既知のタンパク質に相同性を示さなかった。しかし、その配列をSOSUIで解析したところ、1回膜貫通型のタンパク質であると推定された。候補遺伝子をカイコの培養細胞BmNへ導入し、安定的に発現する細胞株を作成した。その結果、抵抗性系統、感受性系統いずれかの遺伝子の産物も、細胞の膜画分のみに検出された。また、大腸菌でNSD-1を発現させ、得られた組換えタンパク質を用いて抗NSD-1抗体を作成した。その抗体を用いた中腸切片の免疫染色において、中腸の円筒細胞の膜表面が強く染色された。この結果は、濃核病ウイルスが円筒細胞特異的に感染することと符合している。

また、候補遺伝子のコードするアミノ酸配列には、セリンまたはスレオニンの繰り返し配列を含む構造から多数のO結合型の糖鎖修飾サイトが存在することが予測された。この構造は、動物に広く存在する膜結合型のムチン様タンパク質と類似した特徴だった。上述の候補遺伝子を導入したBmN細胞において、遺伝子産物がSDS-PAGEでスメア状のバンドとして検出されたので、実際に糖鎖が付加している可能性がある。そこで、N型糖鎖とO型糖鎖をそれぞれ切断する酵素、PNGase FとO-Glycosidaseを用いて細胞の膜画分を処理したところ、どちらの酵素処理においても目的のタンパク質における分子量の減少が認められた。したがって、NSD-1は予想通り、両方の糖鎖修飾を受けていることが明らかとなった。

ウイルス抵抗性と感受性系統間で確認された2箇所のアミノ酸置換が、他のウイルス抵抗性および感受性カイコ間で保存されているのかどうかを知るために、品種・系統の数を増やして塩基配列を比較した。その結果、1型ウイルス感受性のカイコでは、例外なく118番目のアルギニン残基が保存されていた。また、SOSUIで解析したところ、このアルギニン残基は、ウイルスと接触する中腸内腔側に位置すると予想された。

以上より、このムチン様タンパク質の遺伝子がnsd-1の原因遺伝子であると結論した。このタンパク質は円筒細胞においてウイルスのレセプターとして機能している可能性があり、その118番目のアルギニン残基がウイルスの感染において重要な役割を担っているものと考えられる。

本研究では、2つのカイコ濃核病ウイルス抵抗性遺伝子nsd-2とnsd-1の単離に成功した。この成果は、ポジショナルクローニングによるカイコの突然変異遺伝子の単離に関する初めての成功例である。これによって、濃核病ウイルスの感染機構や、宿主昆虫側の抵抗性機構の一端を解明した。今後さらに細胞生物学的あるいは生化学的な研究などによって、濃核病ウイルス感染の分子機構の全体像が解明されてゆくことが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

カイコ濃核病ウイルスには1型と2型が存在し、いずれも養蚕上の被害をもたらす1本鎖DNAウイルスである。興味深いことに、カイコの系統の中には、ウイルスの接種量をどれだけ増やしても全く感染しない完全抵抗性(非感受性)を示すものがあり、交配実験の結果から、これらの抵抗性が、優性や劣性の遺伝子によって支配されることが明らかになっている。濃核病ウイルス1型に対する完全抵抗性遺伝子はnsd-1とNid-1が、2型に対する抵抗性遺伝子はnsd-2とnsd-Zが、それぞれ報告されている。しかし、これらの抵抗性遺伝子は単離、同定に至っておらず、その遺伝子本体については未知であった。

近年カイコのゲノム解析が進んだため、形質変異の原因遺伝子をポジショナルクローニングで単離することが可能になってきた。本研究は、カイコ濃核病ウイルスの感染機構と完全抵抗性遺伝子との関係を明らかにすることを目的として、2種類の濃核病ウイルスに対する宿主の抵抗性遺伝子の単離と機能解析に取り組んだものである。

1.カイコ濃核病ウイルス2型抵抗性遺伝子nsd-2の単離と機能証明

カイコゲノム情報と分子マーカーによる連鎖地図情報を利用し、遺伝子の存在領域を第17連関群上の約400 kb内に限定した。そして、この領域内で、抵抗性のカイコにのみに約6 kb長の欠失が存在することを明らかにし、さらに、欠失領域上で候補遺伝子を発見した。抵抗性カイコのORFは、ゲノム上の欠失の影響を受けて、転写領域の5分の3を欠いていた。

この遺伝子がコードするアミノ酸配列の相同性検索を行ったところ、感受性カイコの完全型の遺伝子産物は、昆虫の中腸内腔側の細胞膜に存在するアミノ酸トランスポーターに約80%の相同性を示した。膜タンパク質予測プログラムSOSUIによって、本遺伝子の翻訳アミノ酸配列の2次構造を予測したところ、感受性系統の遺伝子産物は、細胞膜を12回貫通するタンパク質であると推定されたのに対し、抵抗性系統の遺伝子産物は、遺伝子内の欠失により、先頭部分の3回の膜貫通構造のみを有していることが推定された。さらに、種々の組織における遺伝子発現を調べたところ、本遺伝子のmRNAは中腸のみで発現していた。これらの結果から、本遺伝子産物は、中腸の細胞膜上で機能しており、その構造の違いがウイルス感染性に関与していると推測された。

本遺伝子が、ウイルス抵抗性の原因遺伝子として機能していることを実証するために、piggyBacベクターを用い、感受性遺伝子;+(nsd-2)の候補遺伝子をnsd-2/nsd-2のカイコ系統に導入した形質転換カイコを作出した。導入した遺伝子の発現を、GAL4/UASシステムで制御した。形質転換カイコにウイルスを接種し、ウイルスに対する感受性を調査した結果、GAL4によって導入遺伝子を発現させたカイコだけが濃核病に感染し、顕著な病状を呈した。以上の結果から、単離した遺伝子がカイコ濃核病ウイルス2型抵抗性遺伝子nsd-2であることを証明した。

2.カイコ濃核病ウイルス1型抵抗性遺伝子nsd-1の単離と機能解析

前項と同様の方法により、nsd-1の候補領域を第21連鎖群の400 kb内に絞り込み、その領域内に1つの候補遺伝子を発見した。この遺伝子は、ウイルスの標的組織である中腸で特異的に発現しており、さらに、ウイルス抵抗性と感受性カイコ間で、ORF内に2箇所のアミノ酸の置換が存在していた。ウイルス感受性系統では、例外なく片方のアミノ酸置換がアルギニン残基で保存されていた。さらにSOSUIで解析したところ、このアルギニン残基は、ウイルスと接触する中腸内腔側に位置すると予測された。

この候補遺伝子のコードするアミノ酸配列は、SOSUIにより、1回貫通型の膜タンパク質であると推定された。そこで、大腸菌で本遺伝子を発現させ、得られた組換えタンパク質を用いて抗体を作成した。その抗体を用いた中腸切片の免疫染色において、中腸の円筒細胞の膜表面が強く染色された。この結果は、濃核病ウイルスが円筒細胞特異的に感染することと符合していた。

以上要するに、本研究はカイコの濃核病抵抗性遺伝子nsd-2およびnsd-1のポジショナルクローニングに成功するとともに、それら遺伝子の構造等から濃核病ウイルスの感染機構や宿主の抵抗性機構を考察したものである。これらの成果は、抵抗性蚕品種の育成などの応用へ展開できる可能性があり、また一方では昆虫ウイルスの感染機構解明へ向けて新たな切り口を開いたものである。このように、本論文は学術上、応用上、重要な知見を明らかにしているので、審査委員一同は、博士(農学)の学位論文として価値があるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/33493