学位論文要旨



No 124659
著者(漢字) 大西,孝幸
著者(英字)
著者(カナ) オオニシ,タカユキ
標題(和) イネ転写因子OsNAC6は生物的および非生物的ストレス経路を統合する
標題(洋)
報告番号 124659
報告番号 甲24659
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3369号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堤,伸浩
 東京大学 教授 長戸,康朗
 東京大学 准教授 中園,幹生
 東京大学 准教授 高野,哲夫
 東京大学 准教授 吉田,薫
内容要旨 要旨を表示する

人口増加に伴うさらなる食糧需要の増大は, 作物の供給量を上回り, 深刻な食糧危機をもたらしている. 今後は, 作物栽培に向かない土地での作物生産が解決策の1つとして唱えられている. また, 地球規模での環境汚染が深刻化している. 環境汚染は, 作物の収量に甚大な被害を与えている. 環境劣化に対する植物の反応を理解し, 汚染が作物に与える影響への認識を深め, その被害を抑制させるための対応策を探ることも必要である. 植物のストレス応答を探求することは, 農業生産の域を超え, 広く医学・公衆衛生学などにも益するところが多い. 植物が備えているストレス耐性機構に関する理解を深めること, そして, ストレス耐性植物の作出することを目的に本研究を行った. 本研究では, モデル作物であるイネを用いて, ストレス応答性転写因子 OsNAC6 に着目し, イネのストレス応答の分子機構の解明を目指した.

OsNAC6 を含むNAC 遺伝子ファミリーは, NAM・ATAF・CUC 遺伝子に保存されている NACドメインと呼ばれる DNA結合ドメインを N 末側にもつ植物特異的な転写因子をコードする遺伝子ファミリーとして知られている. NAC 遺伝子は, 植物特異的な転写因子でありながら, 多数の遺伝子から構成される遺伝子ファミリーである. これまでに, NAC タンパク質として, シロイヌナズナで105 種類, イネで75 種類が報告されている. NAC タンパク質の特徴として, N 末端の領域はNAC ドメインを含みアミノ酸配列が保存されているのに対して, C 末端の領域のアミノ酸配列が多様化していることがある. NAC 遺伝子の担う機能は, 多岐に及ぶものであることが知られている.

植物の受けるストレスは, 大きく2種類に分類することができる. 1 つは, 非生物的ストレスで, 環境ストレスと呼ばれる塩・乾燥・低温・高温などのストレスがこれに含まれる. もう1つは, 生物的ストレスで, 害虫・細菌・ウイルス・傷害などによるストレスが含まれる. 植物のストレスシグナル伝達機構に関する研究結果から次のようなモデルが支持されている. ストレスセンサーと呼ばれる受容体が, シグナル伝達経路の発端に位置し, ストレスによる刺激を感知する機能を担っている. センサーによってストレス刺激が認識された後, その信号はリン脂質や Reactive Oxygen Speacies (ROS)・植物ホルモンのような低分子化合物といったシグナル伝達物質に形を変えて植物体全身に送られる. これらの物質を感知した各細胞内で MAPK や SnRK に代表されるリン酸化経路が活性化され, 転写因子, その下流の遺伝子と順に伝達されることで, 生物の自己防御システムや生存戦略が機能する. 乾燥ストレスや塩ストレスなどの非生物的ストレス条件下では, 植物体内で植物ホルモン ABA が蓄積し, ABA がシグナル伝達物質として植物の非生物的ストレス応答反応に重要な機能を担っている. また, 生物的ストレスに対する植物のストレス応答としては, 植物体内で植物ホルモンであるジャスモン酸 (JA) が合成され, シグナル伝達物質として機能することが知られている.

1.イネ転写因子OsNAC6 のストレス応答性

当研究室の菅原の実験結果から, OsNAC6 が非生物的ストレス応答性を示すことがすでに明らかになっていた. 本章では, OsNAC6 と相同性の高い遺伝子が生物的ストレスに応答性を示すことから, OsNAC6 の生物的ストレスに対する発現解析を行った. その結果, OsNAC6 が生物的ストレスおよび非生物的ストレスに応答することが明らかとなった. また, タンパク質レベルでも同様のストレス応答性を示すことを確認した. OsNAC6 のように ABA と JA という異種のストレスシグナル伝達物質に共通して応答性を示すような転写因子は, シロイヌナズナでAtMYC2・AtMYB2・AtBOS1の報告例があるのみで, イネでは初めての報告となった. シロイヌナズナの3つの遺伝子は, ABA 依存的ストレスシグナル伝達経路と JA 依存的ストレスシグナル伝達経路のクロストークに関与していることから OsNAC6 もこれらのクロストークに関与している可能性があると考えた.

2. イネのストレス応答における OsNAC6 の機能解析

OsNAC6 が生物的ストレスおよび非生物的ストレスに応答を示すことから, OsNAC6 が両方のストレス応答に関与していることが示唆された. 本章では, OsNAC6 がさまざまなストレス応答経路においてどのような機能を担っているのかを明らかにする目的で, OsNAC6 の発現量を変化させた形質転換イネを作成し, その解析を試みた. その結果, OsNAC6 を過剰発現させることで, 耐塩性が向上し, 発現抑制によって耐塩性が低下した. このことからOsNAC6 が塩ストレス耐性に対して重要な役割を担っていることが示唆された. また, マイクロアレイ解析によって, OsNAC6 の発現量を増加させることによって生物的ストレス応答性遺伝子および非生物的ストレス応答性遺伝子の転写が活性化されていることが示唆された. これまでのシロイヌナズナの ATAF サブファミリー遺伝子の ATAF1, ATAF2 の研究結果と比較して, OsNAC6 は, これらの遺伝子のもつ機能とは異なった機能を担っていることが明らかとなった. イネやシロイヌナズナでは, ABA 依存的ストレスシグナル伝達経路とJA 依存的ストレスシグナル伝達経路という 2つの経路は, 拮抗的に機能していることが報告されている. しかしながら, 本研究結果は, 転写因子 OsNAC6 を介してこれらの経路が協調的に機能していることを示唆している. このことは, 植物ストレス応答において初めての報告である.

3. OsNAC6 プロモーターの解析

本章では, OsNAC6 のプロモーター領域による器官ごと, およびストレス種ごとの遺伝子発現を解析する目的で, OsNAC6 の発現を制御しているプロモーター領域と考えられる転写開始点より上流 940 (bp) の配列に注目して研究を行った. より詳細にプロモーター領域の機能を探るために, OsNAC6 のプロモーター領域を5'端より欠損させた長さの異なるプロモーター配列に GUS (β-グルクロニダーゼ)レポーター遺伝子を繋いだコンストラクトを作製した. これらを導入した形質転換イネの解析から, OsNAC6 の傷害処理に対する応答は, 傷口の周辺に限定された局所的なものであり, 傷害処理に対する応答において主要な役割を果たしているシス領域が, OsNAC6プロモーターの -120 ~ 0 (bp) の領域に含まれていることが示唆された. さらに, OsNAC6 の ABA 処理に対する応答において主要な役割を果たしているシス領域が, -940 ~ -210 (bp) の領域に含まれており, JA 処理に対する応答において主要な役割を果たしているシス領域が, -210 ~ -120 (bp) の領域に含まれていることが示唆された. このことは, 同じコンストラクトを導入したイネ培養細胞 (OC-cell) における実験結果からも確認できた. これらの結果は, 傷害処理・ABA 処理・JA 処理によるストレスシグナルがそれぞれ異なった形式で OsNAC6 プロモーターに伝えられていることを意味し, それぞれのストレスシグナルが OsNAC6 に伝わるまでは独立していることを示唆している. 各種ストレスシグナルを受信した OsNAC6 プロモーターは一様にOsNAC6 の転写を活性化することがわかっているため, 独立していたストレスシグナル伝達経路が OsNAC6 の発現の活性化という形で統合されたと言える.

本研究を遂行する過程でOsNAC6 を過剰発現させた形質転換イネにおいて耐乾燥性・耐塩性・耐病性が向上することが別のグループによって報告された. この結果は, OsNAC6 が生物的および非生物的ストレスに耐性を付与する経路で機能していることを示唆しており, 本研究の結果と矛盾しない. 本研究結果から, OsNAC6 の下流のストレスシグナル経路は, 生物的および非生物的ストレスの両方に応答し, いずれの耐性にも寄与している可能性がある. このような経路の存在が明らかになればストレス耐性作物の作出に非常に有意義である.

植物は, 自然界においてさまざまな種類の環境ストレスを複合的に受けているため, ストレス耐性機能の開発においても特定のストレスに限った耐性を改良しても大きな効果を期待できない場合も多い. 非生物的ストレスと生物的ストレスの両方に耐性をもつ作物が作出できれば, 作物栽培に不適な地域を緑地化することで環境問題が改善し, かつ, 作付面積の拡大と収量増加を見込める.

審査要旨 要旨を表示する

ストレス条件下で生育できる作物品種を育成することは, 農業生産において非常に重要であり, かつ早急に解決しなくてはならない問題である. 本研究では, イネを用いて, ストレス応答性転写因子 OsNAC6 に着目し, イネのストレス応答の分子機構の解明を目指した.

OsNAC6 を含むNAC 遺伝子ファミリーは, 高度に保存されたNAC ドメインと呼ばれるDNA 結合ドメインを N 末側にもつ植物特異的な転写因子をコードする遺伝子ファミリーとして知られている.

植物の受けるストレスは, 大きく2種類に分類することができる. 一つは, 非生物的ストレスで,塩・乾燥・低温・高温などのストレスがこれに含まれる. もう一つは, 生物的ストレスで, 害虫・細菌・ウイルス・傷害などによるストレスが含まれる. 乾燥ストレスや塩ストレスなどの非生物的ストレス条件下では, 植物体内で植物ホルモン ABA が蓄積し, ABA がシグナル伝達物質として植物の非生物的ストレス応答反応に重要な機能を担っている. また, 生物的ストレスに対する植物のストレス応答において, 植物ホルモンであるジャスモン酸 (JA) が, シグナル伝達物質として機能することが知られている. 本論文では,OsNAC6の機能に関して概ね以下の3項目について新たな知見を得た.

1.イネ転写因子OsNAC6 のストレス応答性

所属する研究室のこれまでの実験結果から, OsNAC6 が非生物的ストレス応答性を示すことがすでに明らかになっていた. 本章では, OsNAC6 と相同性の高い遺伝子が生物的ストレスに応答性をもつことから, OsNAC6 の生物的ストレスに対する発現解析を行った. その結果, OsNAC6 が生物的ストレスおよび非生物的ストレスに応答することが明らかとなった. また, タンパク質レベルでも同様のストレス応答性を示すことを確認した. OsNAC6 のように ABA と JA という異種のストレスシグナル伝達物質に共通して応答性を示すような転写因子は, イネでは初めての報告となった. OsNAC6 がABA 依存的ストレス伝達経路と JA 依存的ストレス伝達経路のクロストークに関与している可能性がある.

2. イネのストレス応答における OsNAC6 の機能解析

OsNAC6 が生物的ストレスおよび非生物的ストレスに関与していることが示唆された. 本章では, OsNAC6 がさまざまなストレス応答経路においてどのような機能を担っているのかを明らかにする目的で, OsNAC6 の発現量を変化させた形質転換イネを作成し, その解析を試みた. その結果, OsNAC6 を過剰発現させることで耐塩性が向上し, 発現抑制によって耐塩性が低下した. このことからOsNAC6 が塩ストレス耐性に対し重要な役割を担っていることが示唆された. また, マイクロアレイ解析によって, OsNAC6 によって生物的ストレス応答性遺伝子および非生物的ストレス応答性遺伝子の転写が活性化されていることが示唆された. 本研究結果は, 転写因子 OsNAC6 を介してABA 依存的ストレスシグナル伝達経路とJA 依存的ストレスシグナル伝達経路が協調的に機能していることを示唆している.

3. OsNAC6 プロモーターの解析

本章では, OsNAC6 のプロモーター領域による遺伝子発現を解析する目的で, OsNAC6 のプロモーター領域と考えられる転写開始点より上流 1 kb の配列に注目して研究を行った. より詳細にプロモーター領域の機能を探るために, OsNAC6 のプロモーター領域を5' 端より欠損させた長さの異なるプロモーター配列に GUS (β-グルクロニダーゼ)レポーター遺伝子を繋いだコンストラクトを作製した. これらを導入した形質転換イネとイネ培養細胞 (OC-cell)の解析結果は, 傷害処理・ABA 処理・JA 処理によるストレスシグナルがそれぞれ異なった形式で OsNAC6 プロモーターに伝えられていることを示唆し, それぞれのストレスシグナルが OsNAC6 に伝わるまでは独立していることを意味している. 各種ストレスシグナルを受信した OsNAC6 プロモーターはOsNAC6 の転写を活性化することがわかっているため, 独立していたストレスシグナル伝達経路が OsNAC6 の発現の活性化という形で統合されたと言える.

本研究を遂行する過程でOsNAC6 を過剰発現させた形質転換イネにおいて耐乾燥性・耐塩性・耐病性が向上することが別のグループによって報告された. この結果は, OsNAC6 が生物的および非生物的ストレスに耐性を付与する経路で機能していることを示唆しており, 本研究の結果と矛盾しない. 本研究結果から, OsNAC6 の下流のストレスシグナル経路は, 生物的および非生物的ストレスの両方に応答し, いずれの耐性にも寄与している可能性がある.

以上,本論文はイネのストレス応答性転写因子OsNAC6が,生物的ストレス,非生物的ストレスの双方に応答すること,また,これらのストレスのシグナル伝達がOsNAC6遺伝子のプロモーター部分で統合されることを明らかにした.これらの知見は,学術的意義が高いばかりではなく,将来のストレス耐性作物の作出にも応用することが可能であり,将来の農業生産の効率化にも寄与するものである.よって審査員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた.

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