学位論文要旨



No 124661
著者(漢字) 小林,奈通子
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,ナツコ
標題(和) アサガオにおける組織内マグネシウム濃度が関与する花成制御メカニズムについての研究
標題(洋)
報告番号 124661
報告番号 甲24661
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3371号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中西,友子
 東京大学 教授 米山,忠克
 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 教授 妹尾,啓史
 東京大学 教授 篠崎,和子
内容要旨 要旨を表示する

植物は花成を誘導することにより、栄養成長相から生殖成長相へと移行する。この、花成誘導のメカニズムに関する研究の歴史は古く、花成誘導能を持つ環境刺激や花成に影響する物質などが多様な植物から多数報告されてきた。さらに、シロイヌナズナの花成変異体を用いて、花成誘導を制御する遺伝子が次々と発見されてからは、花成誘導の開始(環境シグナルの受容)から終了(花芽の成熟)までを担う遺伝子ネットワークを解明することに研究の中心が置かれ、その結果、長らく正体不明であった花成ホルモン・フロリゲンに求められる性質を説明しうる遺伝子、FTとそのターゲット遺伝子であるFDが発見された。一方で、花成に関与が認められる遺伝子は現在でも刻一刻と増え続けており、多数の遺伝子が独特の、しかし部分的には冗長な役割を持ち、互いに影響を及ぼし合うという複雑な遺伝子ネットワークを形成している実態も明らかになってきた。最近では花成誘導の「全体像」の理解を目指し、この遺伝子ネットワークに、古くから研究されてきた物質(ジベレリン、サイトカイニン、ショ糖など)がどのように関係するのかについての研究も活発化している。

アサガオ(Pharbitis nil. cv. Violet)は光条件に非常に敏感な短日植物であり、過去の研究からCa(2+)の花成誘導への関与が認められている。さらに、申請者の過去の研究から、成長相移行の舞台となる茎頂部におけるMg(2+)濃度は光条件に応じて増減する現象も確認されている。そこで本研究では茎頂における花成誘導のメカニズムの一端を明らかにすることを目指し、Mg(2+)が花成制御メカニズムに対して果たす役割について追究した。

1.アサガオ茎頂内におけるMg(2+)の分布解析

本研究の実験系において花成がどのようなタイムコースで誘導されるのかを、光受容器官である双葉を切除する時間と花成誘導率の対比から検討した。その結果、本実験系では花成を誘導する16時間の暗処理が終了してから2時間後には、双葉で産生された花成シグナルが完全に茎頂に到達することが示された。そこでMg(2+)の茎頂内における分布解析の対象を、暗処理終了時点(花成誘導率12%)と終了後4時間目(花成誘導率100%)に定めて実験を行った。

Mg(2+)の分布解析法としては、蛍光染色法の採用を検討した。しかし、現在使用できるMg(2+)用蛍光試薬は全てCa(2+)にも反応し、Mg(2+)特異的な蛍光試薬はない。そこで、Mg(2+)とCa(2+)の両方に反応する蛍光試薬とCa(2+)特異的に反応する蛍光試薬を使用し、その染色差をMg(2+)分布として捉える方法を考案・試行した。その結果、葉原基と茎頂先端部にMg(2+)が比較的高濃度に局在している可能性が示された。特に、茎頂先端部の中でも中央部の数細胞には強い蛍光が認められ、この細胞群にMg(2+)が集積していることが示唆された。さらに、花成誘導がMg(2+)分布に与える影響を調べたところ、16時間の暗処理終了から4時間後の茎頂先端部中央のMg(2+)濃度が、周辺組織よりも低い状態にあることが示唆された。

これらの結果は、茎頂内における花成誘導のプロセスにMg(2+)が関与する可能性を示すものであると考えられた。そこで、Mg(2+)がどのように花成誘導に関与するのかについてMg(2+)の集積する組織の持つ生理学的性質を通して検討するため、アサガオ茎頂内の組織の同定を行うこととした。

2.アサガオ茎頂内で発現する、組織および花成マーカー遺伝子の単離

組織の持つ性質を知るための鍵となるのはマーカー遺伝子であるが、アサガオではそのような遺伝子はほとんど単離されていない。そこで、他植物で報告のあるマーカー遺伝子のオーソログの単離を試みた。その結果、茎頂の成長と機能維持に中心的な役割を果たすとされているWuschel(WUS)とShootmeristemless(STM)のオーソログ候補遺伝子をディジェネレート法により、さらに、Clavata1(CLV1)、Fruitful(FUL)、Agamous(AG)のオーソログ候補遺伝子をESTライブラリを利用して単離した。アサガオ幼植物体を双葉、葉柄、茎頂、茎、根に、また、花を萼片、花弁、雄ずい、雌ずいに分けて各部位における全RNA 1ng当たりの各遺伝子のRNA蓄積量を定量的RT-PCRにより測定したところ、WUS様遺伝子は雄ずいに約500コピーと最も多く、幼植物体中では双葉・葉柄・茎頂に等しく約10コピーが蓄積していた。STM様遺伝子が最も多く蓄積していたのは茎であり約160コピー、次いで雌ずいに約100コピー、茎頂に約75コピーが蓄積していた。CLV1様遺伝子は茎と根に約1.3コピーずつ、茎頂には約0.4コピーが蓄積し、花では蓄積していなかった。また、FUL様遺伝子は萼片に約2100コピー、花弁に約650コピー蓄積し、雌ずいにも約230コピーの蓄積が見られ、幼植物体では茎頂、茎および根にわずかに蓄積していた。AG様遺伝子は雌ずいと雄ずいでのみ蓄積しており、それぞれ約8800コピーと約7500コピーであった。これらの発現/蓄積様態およびORFから予想されるアミノ酸配列の解析結果から、単離したWUS様遺伝子、STM様遺伝子、FUL様遺伝子はアサガオにおける各遺伝子のオーソログと判断した。また、AG様遺伝子はNitasakaが発表した遺伝子Duplicated (DP) と同一のものであった。CLV1様遺伝子は、アミノ酸配列はシロイヌナズナCLV1に75%の相同性を示したが、発現様態がCLV1とは異なっていたため、本実験からは同定に至らなかった。

3.遺伝子の発現と安定性に花成誘導が及ぼす影響の解析

単離した遺伝子のうち、茎頂の有効な組織マーカーとなり、なおかつ花成誘導への関与について近年特に注目を集めているWUS(PnWUS1. EU672818)、STM(PnSTM1. EU672819)、FUL(PnFUL1. EU672820)の茎頂内における発現組織をin situ hybridization(ISH)法により解析した。その結果、PnWUS1は茎頂先端部中央の表皮(L1層)から数えて5~6層目に位置する数個の細胞群で発現していた。PnSTM1は茎頂先端部の2~4層目に広く帯状の発現が認められた。また、PnFUL1は花成誘導後2日目の茎頂を用いてISHを行い、茎頂先端部の1~4層目と腋芽の先端部に発現していることが示された。これらの結果から、第1章で観察された、Mg(2+)が高濃度に局在する組織は未分化(茎頂メリステム)であり、花成誘導後2日目には花器官を形成する組織へと分化する細胞群であることが確認された。

次に、花成誘導時のPnWUS1、PnSTM1、PnFUL1、AG/DP、および最近遺伝子データベースに登録されたApetala1オーソログ遺伝子(PnAP1)の茎頂におけるRNA蓄積量を、定量的RT-PCRを用いて経時的に分析した。シロイヌナズナをモデルにした花成初期についての研究結果によると、WUSは花成誘導後AGの発現を誘導し、さらにAGによって転写が抑制される。FULは花成マーカーとしては誘導後最初に転写量が上昇する遺伝子の1つであり、AP1は花原基を決定付ける遺伝子である。したがって、これらの性質がアサガオにも共通すると仮定すれば、遺伝子の発現/蓄積状態とMg(2+)局在の変化の時間帯を対応させることで、Mg(2+)の果たす役割を推測することができると考えたためである。

分析の結果、PnFUL1は早くも16時間の暗処理終了時点で対照区の約18倍の蓄積が見られ、その後4時間で約65倍へと上昇していったが、PnAP1の発現は暗処理終了から8時間後に見られた。これは、アサガオ茎頂先端部は花成誘導後4時間目には未分化の状態から花器官の形成へと組織の性質を変化させつつあるが、成長相は完全には移行していない、過渡期にあることを示すものと考えられた。一方、PnWUS1、PnSTM1、AG/DPの、暗処理終了後48時間以内の蓄積量には大きな変化はなかった。

PnWUS1とPnSTM1が発現する茎頂メリステムにおいてMg(2+)濃度が変化することから、花成誘導に伴うMg(2+)の濃度変化は、メリステムにおいて生成されるタンパク質の量やその活性、あるいはmRNAの安定性などに影響を及ぼす可能性を想起した。特に、植物細胞内mRNAの安定性の調節は遺伝子制御機構の大きな柱である上、近年の研究により、Mg(2+)が直接的に影響することが示されている。さらに、WUSタンパク質については以前から、環境シグナルに迅速に対応するために、生成・分解のサイクル、つまり半減期が短いと言われている。そこで、Mg(2+)濃度が関わる具体的な生理活動としてmRNAの安定性の調節という可能性についてPnWUS1とPnSTM1をモデルに検討を行うこととし、両遺伝子のmRNAの半減期をin vivoで測定した。

花成誘導処理後4時間目および対照区の茎頂をmRNA合成阻害剤処理し、各遺伝子のRNA蓄積量の減少量を定量的RT-PCRで測定したところ、PnWUS1 mRNAの半減期は対照区において約13時間と算出された。それに対し、花成が誘導された茎頂におけるPnWUS1 mRNAの半減期は約2.5時間と算出され、PnWUS1 mRNAは花成誘導によって安定性が1/5に低下していることが判明した。PnSTM1 mRNAの対照区における半減期は約11時間であったが、花成を誘導すると1/3の約4時間へと短縮した。このようなmRNAの安定性の低下にMg(2+)が直接関与しているかについてはin vitroの測定系による検証が必要であるが、in vivoでmRNAの半減期が遺伝子特異的に変化することを確認した本実験結果は、花成誘導期の複雑な遺伝子ネットワークの制御機構に、新しくmRNAの安定性の関与を提起するものである。

本研究は、花成誘導への関与が示唆されていたMg(2+)が具体的に果たす役割を、茎頂内局在の解析と、マーカー遺伝子の発現/蓄積量との相関から追究したものである。研究の中で、茎頂の機能解析に重要なWUSとSTMオーソログの単離に成功し、さらに、両遺伝子が花成誘導初期にmRNAの安定性を変化させていることを示した。今後、両遺伝子の機能がさらに解明されれば、mRNA安定性の変化という現象が持つ意味についても判明すると考えられる。また、Mg(2+)の果たす役割についても、細胞内Mg(2+)濃度の変動量を定量し、各mRNAの半減期に対するMg(2+)濃度の影響をin vitro測定系にて詳細に解析することで、より具体的に把握することができると期待される。

Natsuko I. Kobayashi, Keitaro Tanoi, Tomoko M. Nakanishi (2007) Journal of Radioanalytical Nuclear Chemistry, 271(2), pp329-332Natsuko I. Kobayashi, Keitaro Tanoi, Tomoko M. Nakanishi (2006) Canadian Journal of Botany, 84(12), pp1908-1916
審査要旨 要旨を表示する

アサガオ(Pharbitis nil. cv. Violet)は光条件に非常に敏感な短日植物であり、過去の研究からCa(2+)の花成誘導への関与が認められている。さらに、申請者は、成長相移行の舞台となる茎頂部におけるMg(2+)濃度が光条件に応じて増減する現象を確認した。そこで本研究では茎頂における花成誘導のメカニズムの一端を明らかにすることを目指し、Mg(2+)が花成制御メカニズムに対して果たす役割について追究した。

1.アサガオ茎頂内におけるMg(2+)の分布解析

花成を誘導する16時間の暗処理が終了してから2時間後には、双葉で産生された花成シグナルが完全に茎頂に到達することが示された。そこでMg(2+)の茎頂内における分布解析の対象を、暗処理終了時点(花成誘導率12%)と終了後4時間目(花成誘導率100%)に定めて実験を行った。

Mg(2+)の分布解析法としては、Mg(2+)とCa(2+)の両方に反応する蛍光試薬とCa(2+)特異的に反応する蛍光試薬を使用し、その染色差をMg(2+)分布として捉える方法を考案・試行した。その結果、特に、茎頂先端部の中でも中央部の数細胞には強い蛍光が認められ、この細胞群にMg(2+)が集積していることが示唆された。さらに、花成誘導がMg(2+)分布に与える影響を調べたところ、16時間の暗処理終了から4時間後の茎頂先端部中央のMg(2+)濃度が、周辺組織よりも低い状態にあることが示唆された。

これらの結果は、茎頂内における花成誘導のプロセスにMg(2+)が関与する可能性を示すものであると考えられた。そこで、Mg(2+)がどのように花成誘導に関与するのかについてMg(2+)の集積する組織の持つ生理学的性質を通して検討するため、アサガオ茎頂内の組織の同定を行うこととした。

2.アサガオ茎頂内で発現する、組織および花成マーカー遺伝子の単離

他植物で報告のあるマーカー遺伝子のオーソログについて、茎頂の成長と機能維持に中心的な役割を果たすとされているWuschel(WUS)とShootmeristemless(STM)のオーソログ候補遺伝子をディジェネレート法により、さらに、Clavata1(CLV1)、Fruitful(FUL)、Agamous(AG)のオーソログ候補遺伝子をESTライブラリを利用して単離した。アサガオ幼植物体を双葉、葉柄、茎頂、茎、根に、また、花を萼片、花弁、雄ずい、雌ずいに分けて各部位における全RNA1ng当たりの各遺伝子のRNA蓄積量を定量的RT-PCRにより測定したところ、WUS様遺伝子は雄ずいに約500コピーと最も多く、幼植物体中では双葉・葉柄・茎頂に等しく約10コピーが蓄積していた。同様な他の遺伝子の発現蓄積様態およびORFから予想されるアミノ酸配列の解析結果も合わせ、単離したWUS様遺伝子、STM様遺伝子、FUL様遺伝子はアサガオにおける各遺伝子のオーソログと判断した。また、AG様遺伝子はNitasakaが発表した遺伝子Duplicated(DP)と同一のものであった。

3.遺伝子の発現と安定性に花成誘導が及ぼす影響の解析

単離した遺伝子のうち、茎頂の有効な組織マーカーとなり、なおかつ花成誘導への関与について近年特に注目を集めている確認(PnWUS1.EU672818)、STM(PnSTM1.EU672819)、FUL(Pnful1.EU672820)の茎頂内における発現組織をin situhybridization(ISH)法により解析した。その結果、第1章で観察された、Mg(2+)が高濃度に局在する組織は未分化(茎頂メリステム)であり、花成誘導後2日目には花器官を形成する組織へと分化する細胞群であることが確認された。

次に、花成誘導時のPnWUS1、PnSTM1、PnFUL1、AG/DP、および最近遺伝子データベースに登録されたApetala1オーソログ遺伝子(PnAP1)の茎頂におけるRNA蓄積量を、定量的RT-PCRを用いて経時的に分析した。

分析の結果、PnFUL1は早くも16時間の暗処理終了時点で対照区の約18倍の蓄積が見られ、その後4時間で約65倍へと上昇していったが、PnAP1の発現は暗処理終了から8時間後に見られた。これは、アサガオ茎頂先端部は花成誘導後4時間目には未分化の状態から花器官の形成へと組織の性質を変化させつつあるが、成長相は完全には移行していない、過渡期にあることを示すものと考えられた。一方、PnWUS1、PnSTM1、AG/DPの、暗処理終了後48時間以内の蓄積量には大きな変化はなかった。

PnWUS1とPnSTM1が発現する茎頂メリステムにおいてMg(2+)濃度が変化することから、花成誘導に伴うMg(2+)の濃度変化は、メリステムにおいて生成されるタンパク質の量やその活性、あるいはmRNAの安定性などに影響を及ぼす可能性を想起した。そこで、Mg(2+)濃度が関わる具体的な生理活動としてmRNAの安定性の調節という可能性についてPnWUS1とPnSTM1をモデルに検討を行うこととし、両遺伝子のmRNAの半減期をin vivoで測定した。

花成誘導処理後4時間目および対照区の茎頂をmRNA合成阻害剤処理し、各遺伝子のRNA蓄積量の減少量を定量的RT-PCRで測定したところ、PnWUS1mRNAの半減期は対照区において約13時間と算出された。それに対し、花成が誘導された茎頂におけるPnWUS1mRNAの半減期は約2.5時間と算出され、PnWUS1mRNAは花成誘導によって安定性が1/5に低下していることが判明した。PnSTM1mRNAの対照区における半減期は約11時間であったが、花成を誘導すると1/3の約4時間へと短縮した。このようなmRNAの安定性の低下にMg(2+)が直接関与しているかについてはin viroの測定系による検証が必要であるが、in vivoでmRNAの半減期が遺伝子特異的に変化することを確認した本実験結果は、花成誘導期の複雑な遺伝子ネットワークの制御機構に、新しくmRNAの安定性の関与を提起するものである。

本研究は、花成誘導への関与が示唆されていたMg(2+)が具体的に果たす役割を、茎頂内局在の解析と、マーカー遺伝子の発現/蓄積量との相関から追究したものである。研究の中で、茎頂の機能解析に重要なWUSとSTMオーソログの単離に成功し、さらに、両遺伝子が花成誘導初期にmRNAの安定性の変化させていることを示した。今後、両遺伝子の機能がさらに解明されれば、mRNA安定性の変化という現象が持つ意味についても判明すると考えられる。また、Mg(2+)の果たす役割についても、細胞内Mg(2+)濃度の変動量を定量し、各mRNAの半減期に対するMg(2+)濃度の影響をin vitro測定系にて詳細に解析することで、より具体的に把握することができると期待される。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/32553