学位論文要旨



No 124665
著者(漢字) 大塚,淳
著者(英字)
著者(カナ) オオツカ,ジュン
標題(和) ホスファチジルエタノールアミン生合成系の酵素ECTのX線結晶構造解析
標題(洋)
報告番号 124665
報告番号 甲24665
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3375号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 祥雲,弘文
 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 准教授 永田,宏次
内容要旨 要旨を表示する

背景と目的

ホスファチジルエタノールアミン(PE)は真核生物の生体膜を構成するグリセロリン脂質の一種である。PEは単なる生体膜成分にとどまらず、GPIアンカーの材料であり、一部の膜タンパク質の活性発現に必須であり、また、真核細胞の食作用に必須であることも知られている。さらに、PEは他のリン脂質に比べて極性部が小さいため、他のリン脂質とは異なる物性を有する。真核生物におけるPEの生合成は、ホスファチジルセリン(PS)が脱炭酸によりPEに変換される経路(図1下部の右方向の矢印で示す)と、エタノールアミンから3段階の酵素反応でPEが合成される経路(CDP-Etn経路またはKennedy経路と呼ばれる。図1の下方向の矢印3本で示す)の2つの経路が存在する。真核生物は、真核生物に特有なCDP-Etn経路を主要経路としてPEの生合成をおこなっている。

酵素CTP:phosphoethanlamine cytidylyltransferase(ECT)は、CDP-Etn経路の2段階目の反応を担い、この経路を制御する鍵酵素と考えられている。本研究では、 ECTの触媒機構および活性制御機構を解明することを目的とし、酵母Saccharomyces cerevisiae由来ECTのX線結晶構造解析を行った。

1.基質CTPとの複合体構造

大腸菌を宿主とする発現系を用い、N末端にヒスチジンタグを付加したS. cerevisiae由来ECT(以下ECTと表記)を大量発現させた。菌体破砕液からアフィニティー精製、ヒスチジンタグの切除、ゲルろ過クロマトグラフィーにより、ECTを精製した。結晶化条件の探索の結果、基質CTPを含む溶液条件でECTとCTPの複合体結晶を得た。Photon Factoryのビームラインを利用し、X線回折データを収集した。セレノメチオニン置換体結晶の回折データを同様に収集し、Se-単波長異常分散法(SAD)法によって位相と初期構造を決定した。その後、モデル構築、精密化を進め、ECT・CTP複合体構造を分解能2.1 Aで決定し、ECTと基質CTPとの結合様式を明らかにした。

アミノ酸配列から予想された通りECT分子はN末端側とC末端側の2つのシチジル基転移酵素様ドメインから構成されていたが、予想に反しN末端側ドメインにのみ活性部位が存在することが明らかになった(図2)。

2.反応産物CDP-Etnとの複合体構造

上記1と同様にECTを精製し、反応産物CDP-Etnを含む溶液条件でECTとCDP-Etnとの複合体結晶を得て回折データを収集した。上記のECT・CTP複合体構造をモデル分子として分子置換法で位相を決定し、ECT・CDP-Etn複合体構造を分解能2.1 Aで決定した。反応産物CDP-Etnの結合様式を決定し、活性部位近傍に位置するループ(酸性ループ)が基質CTP結合型では開構造を、反応産物CDP-Etn結合型では閉構造をとることを示した(図3)。

3.反応産物複合体CDP-Etn・Mg・PPiとの複合体構造

上記1と同様にECTを精製し、2つの基質CTPとO-phosphoethanolamine(P-Etn)を含む溶液条件で、複合体結晶を得て回折データを収集した。ECT・CTP複合体構造をモデル分子として分子置換法で位相を決定し、ECT・CDP-Etn・Mg・PPi複合体構造を分解能2.1 Aで決定した。結晶中で反応が進行し、得られた複合体構造ではECTに2つの反応産物CDP-EtnとPPiが活性部位に結合していた。

活性部位近傍の酸性ループはECT・CDP-Etn複合体構造と同様に閉構造をとっていた。他の複合体構造ではECTのC末端に存在するαヘリックス(塩基性ヘリックス)の電子密度が不明瞭だったが、ECT・CDP-Etn・Mg・PPi複合体ではほぼ全領域の構造を決定できた。非対称単位中のECT 2分子のうち、一方の分子では塩基性ヘリックスが1本の長いαヘリックスを形成し、溶媒領域へ向かって伸びていた。もう一方のECT分子では塩基性ヘリックスが途中で折れ曲がってN末端側ドメインの活性部位に近接し、反応産物PPiとの相互作用が見られた。このことから塩基性ヘリックスがPPiと相互作用することにより、ECTの反応や活性制御に関与しうることが示唆された。

負電荷をもつ2つの反応産物CDP-EtnとPPiの間に正電荷をもつMgイオンが位置して、活性部位に収まっていた(図5)。MgイオンはCDP-EtnとPPiの静電的な反発を中和していたが、ECTとはまったく相互作用してなかった。

本複合体構造は、ECTのordered bi bi反応(図6)において、2種類の反応産物が結合した反応中間状態の構造に相当する(図6のstage 4)。ヌクレオチジル転移酵素ファミリーに属する酵素で、この反応中間状態の結晶構造はまだ報告されておらず、本構造が最初の例である。

4.Ordered bi bi反応

過去の酵素学的研究において、ラット由来ECTの反応機構がordered bi bi反応であると提唱されている。提唱されたモデルによると、基質CTPが第一基質として結合し、さらにP-Etnが第二基質として活性部位へ結合し、シチジル基の転移反応が起こる。そして、活性部位に生成された2つの反応産物CDP-EtnとPPiのうち、PPiが先にECTから解離し、最後にCDP-EtnがECTから解離する。

3種類の複合体の結晶構造中に見られたリガンド結合様式から、酵母ECTもラットECTと同じordered bi bi反応機構により反応を触媒することが示された。上記1、2、3の複合体構造は、ordered bi bi反応の5つの段階のうちの3つの段階に対応すると考えられる(図6においてECT・CTP複合体はstage 2、ECT・CDP-Etn・Mg・PPi複合体はstage 4、ECT・CDP-Etn複合体はstage 5に対応する)。酵母ECTの反応機構をordered bi biと判断した根拠は次の通りである。基質CTPは活性部位の奥深くに結合しており、もう1つの基質P-EtnがCTPより先にECTに結合すると立体障害によりCTPの結合を阻害するため、基質の結合順序はCTPが先、P-Etnが後となる。また、2つの反応産物CDP-EtnとPPiの配置から、反応産物の解離の順序はPPiが先、CDP-Etnが後であることが示された。以上、3種類の複合体構造から、ECTの基質認識機構、反応中間状態、反応産物認識機構の詳細が明らかになり、反応が進行する様子を可視化できた。

5.ECTの構造変化

複数のリガンド結合状態におけるECTの結晶構造中に、2つの興味深い構造変化が観察された。(1)ECTの活性部位近傍に位置する酸性ループは、反応の進行にともなって開構造から閉構造に変わることが示された。閉構造においては活性部位の出入り口が閉じられていたことで反応産物CDP-Etnの解離が妨げられていた。この現象は可溶性酵素ECTから内膜系に存在する膜酵素EPT(図1)にCDP-Etnを効率よく受け渡すための仕組みの一部であると推測している。(2)C末端に存在する塩基性ヘリックスは、ECT・CTP複合体およびECT・CDP-Etn・Mg・PPi複合体構造中で、2種類のコンホメーション(真っ直ぐな形状と約73°折れ曲がった形状)を有していた。このことから、塩基性ヘリックスはリガンドの結合状態によらずヒンジ運動ないしスイング運動を行っていると示唆された。塩基性ヘリックス上のArg315とLys319が反応産物のPPiと相互作用していたことから、塩基性ヘリックスが反応産物PPiの活性部位からの引き抜きに寄与すると推測している。

総括

S. cerevisiae由来ECTの結晶構造を、CTP結合型、CDP-Etn・Mg・PPi結合型、CDP-Etn結合型の3状態で決定した。その結果、ECTの活性部位がN末端側ドメインにのみ存在することが明らかになった。3種類の複合体構造から、ECTの基質認識機構、反応中間状態、反応産物認識機構の詳細が明らかになり、酵母由来ECTもラット酵素と同じくordered bi bi反応機構を有することを示し、反応が進行する様子を可視化できた。また、触媒部位近傍の酸性ループが反応の進行とともに開構造から閉構造に変化しCDP-Etnの解離を妨げることが示唆された。これは反応産物CDP-Etnを次段階の膜酵素EPTに効率よく受け渡すための仕組みの一部であると考えられる。一方、C末端の塩基性ヘリックスは反応産物PPiの引き抜きに関与すると結晶構造から示唆され、変異体の活性測定からもこのことが支持された。

図1 PE生合成系

図2 ECTの全体構造

図3 酸性ループの構造変化

図4 塩基性ヘリックス

図5 反応産物複合体

図6 ECTのordered bi bi 反応

審査要旨 要旨を表示する

本論文は真核生物のボスファチジルエタノールアミン生合成系『CDP-Etn経路』の制御に重要とされている酵素CTP:phosphoethanolamine cytidylyltransferase(以下、ECT)が持つ2つのドメインの役割および反応機構の詳細を立体構造解析の立場から示したもので、ECTに見られたダイナミックな構造変化に関する考察を展開した。本論文の構成は第1章の『序論』、第2章の『ECT・CTP複合体構造』、第3章の『ECT・CDP-Etn複合体構造』、第4章の『ECT・CDP-Etn・PPi複合体構造』、第5章の『総合討論』の5章からなる。

第2章では、ECTと基質CTPの複合体の結晶構造を決定している。大腸菌で組換え体ECTを発現させる段階から精製、結晶化、構造決定の流れと、決定した結晶構造から基質CTPの認識機構の詳細を解説している。精製においてECTが不安定であったという問題、および構造決定における空間群の誤解釈の問題を見事に解決し、ECTの結晶構造を決定したことは評価に値する。アミノ酸配列から予想されていたように、ECTが2つの構造が似たドメインから構成されることを立体構造から明らかにした。2つのドメインの構造を比較することにより、N末端側ドメインだけに活性部位が存在するということを示した。本論文以前には、ECTが2つのドメインに活性を持つという説が唱えられていたが、本研究の結晶構造から活性部位の所在が初めて明らかにされたと言える。

第3章ではECTと反応産物CDP-Etnの複合体の結晶構造を決定している。CTPとの複合体構造との比較をおこない、活性部位が開構造と閉構造を取ることを示した。そしてこの構造変化が、活性部位に結合しているリガンドの種類によって決定されているというメカニズムを提唱している。

第4章ではECTと2つの反応産物CDP-Etnおよびピロリン酸(以下、PPi)との複合体の結晶構造を決定している。この複合体中において、ECTの反応に必須とされるマグネシウムイオンの結合様式も決定している。このECT・CDP-Etn・PPi複合体構造はECTの反応中間体として非常に価値の高い結晶構造である。この複合体構造から、ECTのC末端に存在するαヘリックスが大きな構造変化を起こすことを示し、このαヘリックスが反応産物PPiの認識に関わることを示した。第2章で活性部位がN末端側ドメインに存在することを示したが、N末端側ドメインには含まれていないC末端のαヘリックスがECTの活性に関わるという結果は、ECTの酵素反応において非常に興味深い結果である。また、シチジル基の転移反応におけるマグネシウムイオンの役割は、基質や反応産物の問に起こる静電気的な反発を干渉することにあると本研究以前から予想されていたが、本論文で見られたマグネシウムイオンの結合は、このようなマグネシウムイオンの役割を直接的に示す初めての成果である。

第5章の総合討論では、得られた複数の結晶構造を用いて、ECTの反応機構であるorderedbibiを可視化した。構造生物学の使命の一つとして生命現象を原子レベルで視覚的に明らかにすることが挙げられるが、本論文ではorderedbibi反応の様子を見事に可視化している。そして、第3章と第4章で明らかにした2つの構造変化がorderedbibi反応の中でどのような役割を担っているかを明らかにしたことは、ECTの反応機構に関する研究という以上に、構造生物学に携わる人間に夢を与えるユニークな成果である。

本論文は1つの酵素に対して徹底的な結晶構造解析を行ったことにより、複数の反応ステップに対応する結晶構造を決定した。したがって本論文で述べられた結果は酵素の構造解析という分野において質・量ともに高い評価を受けるに値する。また、本論文に述べられた実験方法、構造情報の解釈、そしてECTに関する既知の知見を踏まえた考察は論理性に富み、かつ魅力的である。以上のことから、本論文は学術的に価値が高いと判断できる。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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