学位論文要旨



No 124666
著者(漢字) 勝田,亮
著者(英字)
著者(カナ) カツタ,リョウ
標題(和) 生物活性を有する微生物二次代謝産物の合成研究
標題(洋)
報告番号 124666
報告番号 甲24666
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3376号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡邉,秀典
 東京大学 教授 浅見,忠男
 東京大学 教授 片岡,宏誌
 東京大学 准教授 作田,庄平
 東京大学 准教授 石神,健
内容要旨 要旨を表示する

近年の医学の発展により、様々な疾病の分子機構が徐々に明らかになりつつある。現在、多くの科学者によって作用機構に基づいた医薬(mechanism-based drugs)の研究が進められている。これにより病気に特異的に作用し、効果的かつ副作用の少ない医薬を開発することが可能である。

本論文では微生物の二次代謝産物としてもたらされる天然有機化合物に焦点を当て、感染症の治療薬として期待されるSch 642305、およびIGF-1 依存性ヒト乳がん細胞に選択的な抗腫瘍活性を有するTyroscherinの合成、構造訂正ならびに生物活性について論じる。

1.バクテリアのDNAプライマーゼ阻害活性およびHIV-1 Tat転写抑制活性を有するSch 642305の合成

Sch 642305 (1)は2003年にChuらによりPenicillium verrucosumの培養液から単離、構造決定された化合物でバクテリアのDNAプライマーゼに対する阻害活性を有している。DNAプライマーゼはDNAの複製に必要であるため、この酵素の阻害剤は感染症に対する治療薬となりうる。また2005年にはJayasuriyaらがHIV-1 Tatの転写を抑制する化合物としてSeptofusidiumの一種 から単離し、そのほか数種の微生物からの単離例が報告されている。

Sch 642305はシクロへキセノン環とトランスに縮合した10員環ラクトンという特徴的な構造を有している。筆者はユニークな活性と構造に興味を持ち本化合物の全合成を行なうこととした。

この際、当研究室で開発されたパン酵母還元により得られるキラルビルディングブロック 2を出発原料に用い、β-ケトスルホキシド 7 の位置および立体選択的な二重結合導入とアルキル化を鍵反応として効率的に 1 を合成しようと考えた。

はじめにキラルビルディングブロック2 の水酸基を保護し、エステル部分は1炭素増炭したアルコール 5 へと導いた。アセタールの除去によりケトンを再生し、フェニルスルファニル基の位置選択的導入と続く酸化により、β-ケトスルホキシド 7へと導いた。

β-ケトスルホキシド 7 のジアニオンとヨウ化物8のカップリング反応は立体選択的に進行し、スルホキシドの脱離を経て、望む立体化学を有する 9 を選択的に得ることができた。

シクロヘキセノン9を環化前駆体である 11 へと変換し、山口法によるラクトン化を経て目的とするSch 642305を合成することに成功した。

以上のように、DNAプライマーゼの阻害活性およびHIV-1 Tat転写抑制活性を有するSch 642305をβ-ケトスルホキシドのジアニオンを用いた立体選択的アルキル化と二重結合導入、ならびに山口法によるマクロラクトン化を用いて合成することに成功した。総収率は18工程、11%であった。また本合成経路では、カップリング時に異なるアルキル化剤を用いることによりラクトン環部分を改変した類縁体の合成も可能であり、立体選択的かつ効率的な合成経路を確立できたと考えている(1))。

2.IGF-1依存性ヒト乳がん細胞に対し選択的な抗腫瘍活性を有するtyroscherinの合成、構造訂正および生物活性

Tyroscherinは2004年、早川らによりPseudallescheria属の一種から単離された化合物でIGF-1依存性ヒト乳がん細胞に対して選択的な増殖抑制活性を有している。IGF-1レセプターを介したシグナル伝達はがん細胞の生存、増殖に重要な役割を果たしているため、この過程を選択的に阻害する化合物はIGF-1依存性のがんに対する治療薬として期待できる。早川らによる構造解析の結果tyroscherinには2R,3R,8S,10Sの立体化学を有する構造12が提唱された。筆者は生物活性試験への試料提供と構造活性相関研究を目指し本化合物の合成研究に着手した。

将来的な構造活性相関研究を見据えて左側アミノアルコール部分および右側アルキル部分は合成の終盤に二重結合形成反応により結合することが望ましい。そこでScheme 3に示すにように、D-チロシンを出発原料に3炭素伸長したケトン14を調製し、立体選択的還元反応を用いて、syn-アミノアルコールとした。これをスルホン16へと変換し、one-pot Juliaカップリングを用いてE選択的に17を得た。窒素上のメチル基の導入と脱保護を経てtyroscherinの提唱された構造を有する化合物12を合成した。

しかしながら、天然物と合成した12の間で1H NMRスペクトルなどが一致せず、構造決定に誤りがある可能性が指摘された。各種スペクトルの比較の結果、天然物の2,3-位の相対立体配置をantiと推定し、4種の2,3-anti-体、およびその混合物の合成を行なった。

以下に(2S,3R,8R,10R)-体 (19) の合成経路を示す。L-チロシンから誘導したアルデヒド21に対しanti-選択的アルキル化を行ない、次いでスルホン23へと変換した。これをone-pot Juliaカップリングにより(E)-オレフィンとし、続く脱保護を経て効率よく19を合成することに成功した。

同様の手法を用いて他の立体異性体も合成したが、(2S,3R,8R,10R)-体 (19) がすべてのデータにおいて天然物と一致したことから、tyroscherinの真の絶対立体配置を2S,3R,8R,10Rへと訂正することが出来た2)。

Tyroscherinおよび立体異性体の合成に成功したため、これらのIGF-1依存性ヒト乳がん細胞に対する選択的増殖抑制活性を調べた。すべての類縁体のうちで19は最も高い選択性を示し、また2S,3Rの立体化学を有する類縁体は比較的高い選択的増殖抑制活性を示すこという結果が得られた。

以上のようにIGF-1依存性ヒト乳がん細胞に対し選択的な増殖抑制活性を示すtyroscherinの立体化学を2S,3R,8R,10Rへと訂正し、世界初の全合成を達成した。また、活性試験により2S,3Rの立体化学が活性発現に重要であることが明らかとなった。

本論文ではDNAプライマーゼ阻害活性を有するSch 642305の効率的合成、およびIGF-1依存性ヒト乳がん細胞に対し選択的な増殖抑制活性を示すtyroscherinの合成、構造訂正、生物活性に関する研究について述べた。作用機構に基づいた医薬の開発における、有機化学的手法の有用性を示したと考えている。

1) Ishigami, K.; Katsuta, R.; Watanabe, H. Tetrahedron 2006, 62, 2224-2230.2) Katsuta, R.; Shibata, C.; Ishigami, K.; Watanabe, H.; Kitahara, T. Tetrahedron Lett. 2008. 49. 7042-7045.

Scheme 1. Reagents and conditions; (a) TBSOTf, 2,6-lutidine, CH2Cl2, quant.; (b) DIBAL, CH2Cl2, 94%; (c) TsCl, TEA, DMAP, CH2Cl2, 89%; (d) NaCN, DMSO, 93%; (e) DIBAL, CH2Cl2, 93%; (f) NaBH4, EtOH, 99%; (g) p-TsOH, Me2CO, quant.; (h) TESCl, TEA, CH2Cl2, quant,; (i) LDA, PhSO2SPh, THF, -78 ℃; (j) MCPBA, CH2Cl2, 60% in 2 steps.

Scheme 2. Reagents and conditions; (k) LDA, 8, THF, -78 ℃; (l) CaCO3, toluene, reflux, 49% in 2 steps; (m) HF, CH3CN, 98%; (n) Dess-Martin periodinane, CH2Cl2, 84%; (o) NaClO2, 2-methylbut-2-ene, NaH2PO4, tert-BuOH, H2O, 90%; (p) MgBr2・Et2O, ether, quant.; (q) 2,4,6-trichlorobenzoyl chloride, TEA, THF then DMAP, toluene, reflux, 73%; (r) TBAF, HOAc, THF, 87%.

Scheme 3. Reagents and conditions; (a) SOCl2, MeOH, reflux, quant.; (b) BnBr, DIPEA, DMF, 0 ℃, 97%; (c) MOMCl, K2CO3, CH3CN, 95%; (d) MeNHOMe, i-PrMgBr, THF, -20 ℃ to rt, 93%; (e) TBS(CH3)2I, tert-BuLi, ether, -78 ℃ to rt, 86%; (f) NaBH4, MeOH, EtOH, -20 ℃, 99%; (g) TBSOTf, 2,6-lutidine, CH2Cl2, 78%; (h) H2, Pd-C, EtOH, EtOAc, 92%; (i) (Boc)2O, THF, 94%; (j) Dowex-50, MeOH, 71%; (k) PTSH, DEAD, PPh3, THF, 99%; (l) (NH4)6Mo7O24, H2O2, EtOH, 85%; (m) KHMDS, 18, THF, -78 ℃ to rt, 76%, E:Z = 7:1; (n) Dowex-50, MeOH, 96%; (o) EVE, PPTS, CH2Cl2, quant.; (p) NaH, MeI, THF, reflux, quant.; (q) HCl, MeOH, 99%.

Scheme 4. Reagents and conditions: (a) SOCl2, MeOH; (b) NaOH, H2O; then (Boc)2O, THF; (c) MOMCl, DIPEA, CH2Cl2, 99% in 3 steps; (d) MeNHOMe, i-PrMgBr, THF, -20 ℃ to rt, 73%; (e) NaH, MeI, DMF, -20 ℃, 95%; (f) LiAlH4, ether; (g) I(CH2)3OTBS, tert-BuLi, THF; (h) TBSOTf, 2,6-lutidine, CH2Cl2, 59% in 3 steps, dr = 13 : 1; (i) Dowex-50, MeOH, H2O, 82%; (j) PTSH, DEAD, PPh3, THF; (k) (NH4)6Mo7O24, H2O2, EtOH, 62 % in 2 steps; (l) KHMDS, ent-18, THF, -78 ℃ to rt, 70%; (m) TFA, THF, MeOH, H2O, 50 ℃, 87%.

審査要旨 要旨を表示する

微生物の二次代謝産物には様々な活性を有するものが存在し、有機合成化学者にとって魅力的な標的物質となっている。しかしこれらの多くは天然から微量にしか得られず、その生物活性の研究には有機化学的手法を用いた大量供給が必須である。またこれら化合物の構造の決定や構造活性相関研究は分子標的医薬創製の点から非常に重要であると言える。本論文は、医薬としての応用が期待される生物活性を有する微生物二次代謝産物の合成、構造訂正および生物活性の研究について論じたものである。

第一章の序論に続き第二章では、バクテリアのDNAプライマーゼ阻害活性等を有するSch 642305の合成研究を行なっている。本化合物は感染症の治療薬などへの応用が期待されており、立体選択的かつ効率的な合成法の確立は後の研究の実施を容易とする上で意義深いoSch642305は高度に官能基化されたシクロヘキセノン環と10員環ラクトンとが縮合した特異な構造を有している。微生物を用いた立体選択的還元により得られるキラルビルディングブロックを出発原料として、本化合物の合成を行った。合成に際して、β-ケトスルホキシドのジアニオンに対する位置および立体選択的アルキル化と二重結合導入、さらに山口法によるマクロラクトン化を鍵反応として用いている。本合成の選択性、総収率はともに高く、きわめて効率的なSch 642305の合成経路を確立したと言える。またジアニオンを効果的に用いた反応は有機合成化学的にも評価に値する。

第三章ではIGF-1依存性ヒト乳がん細胞に対し選択的な増殖抑制活性を有するtyroscherinの合成、構造訂正および生物活性に関する研究を行っている。Tyroscherinの提唱された構造を有する化合物を合成した結果、天然物とは種々のデータが一致しなかったことから構造決定の誤りを指摘した。さらに数種の立体異性体の合成によりtyroscherinの立体化学を訂正するとともに、世界初の全合成を達成している。この際用いた合成経路は出発原料として安価なチロシンを用いJuliaカップリングを鍵反応とするものであるが、立体選択性も高く効率的である上、構造活性相関研究を指向した各種類縁体の合成にも応用可能である。実際に種々の類縁体合成を行い、IGF-1依存性ヒト乳がん細胞に対する選択的増殖抑制活性に関する生物活性試験を行った。その結果、2S,3Rの立体化学がtyroscherinの選択的な活性発現に重要であることを解明している。

以上本論文は、バクテリアのDNAプライマーゼ阻害剤Sch 642305の効率的合成と、がん細胞に対して選択的増殖抑制活性を示すtyroscherinの合成、構造訂正および生物活性に関する研究をまとめたものであり、学術上ならびに応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/25265