学位論文要旨



No 124674
著者(漢字) 大野,陽子
著者(英字)
著者(カナ) オオノ,ヨウコ
標題(和) RNA結合タンパク質D8の個体レベルでの機能解析
標題(洋)
報告番号 124674
報告番号 甲24674
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3384号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 教授 高橋,直樹
 東京大学 教授 加藤,茂明
 東京大学 准教授 加藤,久典
内容要旨 要旨を表示する

序論

生体において遺伝子発現は様々な機構により調節されている。これまでに解明されてきた遺伝子発現の機構は転写制御に関するものが中心であったが、近年の精力的な研究により転写後調節に大きな注目が集まっている。例えばスプライシングの制御、mRNA 安定性の制御、mRNA からタンパク質への翻訳制御などがあげられる。また、20塩基前後のsmall RNA (miRNA) が標的遺伝子の発現を負に制御し、細胞増殖や分化の調節を担っていることが明らかになりつつある。

転写後調節がその発現制御に重要な役割を果たしている因子として、サイトカインがあげられる。サイトカインは免疫応答において細胞から分泌されるタンパク質で、細胞間の情報伝達を担っている。サイトカインは免疫応答に必須の因子であるが、不適切な場所や時間での産生は、組織障害をもたらし様々な疾患を引き起こす。例えば、炎症性サイトカインであるTNFαは生体防御機構において重要な働きをしているが、その持続的かつ過剰な産生は、関節リウマチや炎症性大腸炎の原因となることが知られている。 これらのことから、生体は、免疫系を効率的に活性化するだけでなく、逆に抑制するシステムも備えており、炎症反応が過剰にならないように巧妙に調節していると考えられている。

サイトカインのmRNAの3'-UTRには、シグナル特異的なmRNAの分解に関与するRNA配列が多く存在することが明らかになっており、その中でも最もよく研究が進められているRNA分解制御配列がAU-rich element (ARE)である。AREに結合しサイトカインの発現制御を行うRNA結合タンパク質が、これまでに複数報告されている。例えば、mRNAの分解を促進するものとしてTTPやAUF1が、翻訳の制御を行うものとしてHuRやTIA-1などが知られている。これらのRNA結合タンパク質については、AREに協同的にもしくは競合的に結合することなどが示唆されているが、標的遺伝子の発現制御機構については未だ不明な点が多い。

D8は当研究室において、p53とTGF-βによって発現誘導される遺伝子として単離された。D8は569アミノ酸からなるタンパク質で、N末端にRNA結合ドメインであるKHドメインを2つ持ち、C末端にタンパク質のユビキチン化に関わるRINGフィンガードメインを持つ。これまでに、D8がアポトーシス誘導因子BimのmRNAに結合し、安定化させることによってアポトーシスを誘導することが明らかになっている。

D8はこのように、RNAとの結合を通じて遺伝子発現の制御を行うRNA結合タンパク質である。またD8は線虫およびショウジョウバエにホモログが存在し進化的に保存されていること、さらにD8と相同性が高いD8関連タンパク質がヒト、マウスでは3種類存在しファミリーを構成していることから、これらのRNA結合タンパク質とRNAとの相互作用は、遺伝子発現の制御において普遍的に重要なメカニズムである可能性がある。

本研究ではD8の生理的機能をさらに明らかにするために、D8ノックアウトマウスの作製および解析を行った。

第一章「D8ノックアウトマウスの作製」

D8ゲノムを含むBACクローンを用い、D8のタンパク質コード領域をネオマイシン耐性遺伝子と置換することによりターゲティングベクターを構築した。ベクターをBALBc/A ES細胞にエレクトロポレーション法により遺伝子導入し、相同組換え体を単離、同定した。得られたポジティブクローンを用いてインジェクション法によりキメラマウスを作製した。

D8ノックアウトマウスはメンデルの法則に従って生まれ、野生型マウスに比べてやや体の大きさが小さい傾向があるものの、通常通り成育し繁殖能力もあることがわかった。そのため D8は発生段階及び生存においては必須ではないと考えられた。

第二章「D8の発現組織の解析」

マウスの各組織でのD8の発現量をRT-PCR及びWestern blotting により検討した。その結果、D8はユビキタスに発現しているが、脳や精巣及び胸腺や脾臓などの免疫系の組織で特に高い発現が見られた。

第三章「D8の細菌感染における機能」

D8が免疫系の組織で高い発現を示すこと、またこれまでにサイトカインの発現調節を行うRNA結合タンパク質が複数報告されていることから、D8も免疫系においてサイトカインの発現調節を担っていることが考えられた。そこで、LPS(リポ多糖)を用い、細菌感染時のサイトカイン量の調節においてD8が果たしている役割について検討を行った。

LPSとはグラム陰性菌細胞壁外膜の構成成分であり、脂質及び多糖から構成される。 LPSは内毒素、エンドトキシンとも呼ばれ、このLPSが宿主細胞の細胞膜表面に存在するTLR4によって認識されることによって、細菌感染における免疫応答が開始される。LPSは炎症性サイトカインの分泌を促進し、サイトカインの産生は細菌を除去するための生体防御反応として行われるが、過剰になった場合には全身での炎症応答がおこりショック状態(敗血症)に陥ることが知られている。

D8ノックアウトマウスの腹腔にLPS(10mg/kg weight)を投与したところ、運動量の低下や結膜炎、立毛、下痢などの症状を示し、3日以内に半数以上が死亡した。一方野生型マウスは、症状は示すものの程度は緩やかであり、その後症状の回復が見られ多くは生存した。このことからD8が細菌感染において重要な役割を担っていることが考えられた。

D8が免疫系細胞の分化を制御している可能性を考え、D8ノックアウトマウスと野生型マウスにおける各免疫系細胞の割合をFACSにより解析した。その結果、胸腺や脾臓におけるT細胞、B細胞、マクロファージの割合に異常は見られなかった。

敗血症は過剰な炎症性サイトカインの分泌によって起こることが知られている。そこで、D8ノックアウトマウスにおける炎症性サイトカインの発現量を検討した。腹腔内マクロファージを初代培養し、LPS添加後の炎症性サイトカイン量をELISAにより検出した。その結果、D8ノックアウトマウスは野生型マウスと比較し、炎症性サイトカイン量が増大していることが明らかになった。

また、LPS刺激後のD8発現量をRT-PCRにより検討したところ、発現量の低下が認められた。この点においても、D8がLPSシグナルにおいて何らかの機能を担っていることが示唆された。

総括

D8ノックアウトマウスの解析から、D8が細菌感染後の免疫応答において重要な働きを担っていることが明らかとなった。また、D8がサイトカインの発現制御を行っていることを示し、D8の新たな機能を見出した。これまでに、RNA結合タンパク質であるAUF1やTIA-1のノックアウトマウスがD8ノックアウトマウスと似た表現型を示すことが報告されており、D8もサイトカインの発現制御を行う重要な因子であると考えられる。また、当研究室における解析によりD8とmiRNAとの関連が示唆されており、転写後調節について新たな知見が得られる可能性がある。今後、D8ノックアウトマウスをさらに詳細に解析することにより、サイトカインの発現制御機構を分子レベルで解明することが可能になると期待される。

審査要旨 要旨を表示する

D8ノックアウトマウスの解析から、D8が細菌感染後の免疫応答において重要な働きを担っていることが明らかとなった。また、D8がサイトカインの発現制御を行っていることを示し、D8の新たな機能を見出した。これまでに、RNA結合タンパク質であるAUF1やTIA-1のノックアウトマウスがD8ノックアウトマウスと似た表現型を示すことが報告されており、D8もサイトカインの発現制御を行う重要な因子であると考えられる。また、当研究室における解析によりD8とmiRNAとの関連が示唆されており、転写後調節について新たな知見が得られる可能性がある。今後、D8ノックアウトマウスをさらに詳細に解析することにより、サイトカインの発現制御機構を分子レベルで解明することが可能になると期待される。

D8は当研究室において、p53とTGF-βによって発現誘導される遺伝子として単離された。D8は569アミノ酸からなるタンパク質で、N末端にRNA結合ドメインであるKHドメインを2つ持ち、C末端にタンパク質のユビキチン化に関わるRINGフィンガードメインを持つ。これまでに、D8がアポトーシス誘導因子BimのmRNAに結合し、安定化させることによってアポトーシスを誘導することが明らかになっている。D8はこのように、RNAとの結合を通じて遺伝子発現の制御を行うRNA結合タンパク質である。本論文は、D8ノックアウトマウスの作製および解析から、D8の生理的機能をさらに明らかにすることを試みたものである。

まず、D8ゲノムを含むBACクローンを用い、D8のタンパク質コード領域をネオマイシン耐性遺伝子と置換することによりターゲティングベクターを構築した。ベクターをBALBc/AES細胞にエレクトロポレーション法により遺伝子導入し、相同組換え体を単離、同定した。得られたポジティブクローンを用いてインジェクション法によりキメラマウスを作製した。D8ノックアウトマウスはメンデルの法則に従って生まれ、野生型マウスに比べてやや体の大きさが小さい傾向があるものの、通常通り成育し繁殖能力もあることがわかった。そのためD8は発生段階及び生存においては必須ではないと考えられた。

次にマウスの各組織でのD8の発現量を検討したところ、D8はユビキタスに発現しているが、胸腺や脾臓などの免疫系の組織で特に高い発現が見られた。これまでにサイトカインの発現調節を行うRNA結合タンパク質が複数報告されていることから、D8も免疫系においてサイトカインの発現調節を担っていることが考えられた。そこで、LPS(リポ多糖)を用い、細菌感染時のサイトカイン量の調節においてD8が果たしている役割について検討を行った。

LPSはグラム陰性菌細胞壁外膜の構成成分で、脂質及び多糖から構成される。LPSは内毒素、エンドトキシンとも呼ばれ、このLPSが宿主細胞の細胞膜表面に存在するTLR4によって認識されることによって、細菌感染における免疫応答が開始される。LPSは細菌を除去するための生体防御反応として炎症性サイトカインの分泌を促進するが、過剰な促進がおこった場合には全身での炎症応答がおこりショック状態(敗血症)に陥ることが知られている。

D8ノックアウトマウスの腹腔にLPSを致死未満量投与したところ、運動量の低下や結膜炎、立毛、下痢などの症状を示し、3日以内に半数以上が死亡した。一方野生型マウスは、症状は示すものの程度は緩やかであり、その後症状の回復が見られ多くは生存した。このことからD8が細菌感染後の免疫応答において重要な役割を担っていることが考えられた。

敗血症は過剰な炎症性サイトカインの分泌によって起こることが知られている。そこで、D8ノックアウトマウスの腹腔内マクロファージを初代培養し、LPS添加後の炎症性サイトカイン量を測定した。その結果、D8ノックアウトマウスは野生型マウスと比較し、TNFαの産生量が増大していることが明らかになった。IL1βやIL6の産生量には差が見られなかったことから、D8がTNFα特異的に産生量の調節を行っている可能性が考えられた。さらにTNFαのmRNA量及びmRNAの安定性を比較したところ、野生型マウスとD8ノックアウトマウスで差が見られなかったことから、D8がTNFαの翻訳を調節している可能性が考えられた。

また、LPS刺激後のD8発現量を検討したところ、発現量の低下が認められた。この点においても、D8がLPSシグナルにおいて何らかの機能を担っていることが示唆された。

以上、本論文はD8が細菌感染に対する生体防御機構において重要な役割を果たしていることを個体レベルで明らかにしたもので、学術上、応用上貢献することが少なくない。なお、本論文は岡部勝、安居輝人、菊谷仁、秋山徹との共同研究であるが、いずれも論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。よって審査委員一同は、本論分が博士(農学)の単位論文として価値あるものと認めた。

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