学位論文要旨



No 124684
著者(漢字) 山角,祐介
著者(英字)
著者(カナ) ヤマズミ,ユウスケ
標題(和) TGF-βシグナルにおけるD8の意義
標題(洋)
報告番号 124684
報告番号 甲24684
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3394号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 教授 高橋,直樹
 東京大学 教授 加藤,茂明
 東京大学 准教授 加藤,久典
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

TGFβは細胞増殖の制御を主とした様々な生理現象に関わる重要なサイトカインである。例えば、TGFβは造血性細胞や肝細胞、Tリンパ球に作用し、細胞周期の停止やアポトーシスを誘導する。また、多くの癌細胞では、TGFβ受容体やSmadsに変異があり、TGFβによる増殖抑制に抵抗性を示すことが報告されている。そのためTGFβシグナルは細胞癌化の抑制に重要であり、その機構を明らかにすることは細胞の癌化を理解する上で極めて重要であると考えられている。これまでに、TGFβによる細胞の増殖抑制に関しては非常によく研究されてきたが、TGFβのアポトーシス誘導機構に関しては未だ不明な点が多い。

D8は当研究室においてTGFβによって発現が誘導される新規遺伝子として同定された。D8タンパク質の特徴はN末端側にKHドメインを2つ有することである。これまでに、KHドメインタンパク質はRNAと結合し、スプライシング制御、翻訳阻害、mRNAの分解制御といった様々な転写後調節を行うことが報告されており、実際にD8もBim mRNAに結合し、Bim mRNAの安定化に寄与していることが当研究室での先行研究により明らかになっている。しかしながら、D8の標的となるRNAがBimのみとは考えにくく、さらなる標的RNAの探索を行う必要がある。

これまでに、D8の過剰発現によって癌細胞のアポトーシスが誘導されることや、DNAストレスによって誘導されるアポトーシスにD8が重要であることが明らかとなっている。本研究では、TGFβが細胞にアポトーシスを誘導する機能を持つことから、D8がTGFβによる細胞のアポトーシスに関与している可能性について検討した。またその過程で、D8の標的となるRNAの同定に成功した。

【第1章 TGFβシグナルによるD8の発現制御】

これまでに、マイクロアレイ法を用いた解析により、A549細胞にTGFβを添加するとD8のmRNA量が増加することが明らかとなっている。TGFβシグナルによる標的遺伝子の発現誘導は、主としてSmadsを含む転写因子複合体による転写活性化であることから、TGFβシグナルによってD8の転写が促進されている可能性が考えられた。本章ではその転写制御機構を詳細に解析するため、D8の転写制御領域の解析を行った。

D8プロモーターを用いたルシフェラーゼアッセイの結果、D8プロモーターがTGFβに応答することが明らかになった。さらにSmad抗体を用いたクロマチン免疫沈降実験の結果、TGFβ刺激依存的にSmadsがD8のプロモーター領域に結合することが明らかになった。以上の結果から、D8はTGFβシグナルの直接の標的遺伝子であることが明らかとなった。

【第2章 TGFβが誘導するアポトーシスにおけるD8の役割】

先行研究により、D8の過剰発現によって癌細胞のアポトーシスが誘導されることが明らかとなっている。また、前章でD8はTGFβシグナルの直接の標的遺伝子であることを明らかにした。D8がTGFβ誘導性アポトーシスに関与している可能性が考えられたため、本章ではまずTGFβによってアポトーシスが誘導されることが報告されているSNU16細胞を用い、D8の関与について検討した。さらに、SNU16細胞だけでなく初代培養肝細胞においてもTGFβによってアポトーシスが誘導されることがわかっていることから、当研究室で作製されたD8ノックアウトマウス由来初代培養肝細胞を用いて、TGFβ誘導性アポトーシスにおけるD8の重要性について検討した。

D8の発現を抑制したSNU16細胞、D8ノックアウトマウス由来初代培養肝細胞が共に、TGFβ誘導性アポトーシスに抵抗性を示したことから、D8が本経路で重要な働きを担っていることが明らかになった。

【第3章 D8の下流因子の同定】

第1章および第2章では、D8がTGFβによって誘導されるアポトーシスにおいて重要な働きを担っていることを明らかにした。しかしながら、D8にはアポトーシスを直接誘導できるような既知の機能ドメインが含まれていないため、D8によるアポトーシス誘導は別のタンパク質を介している可能性が高いと考えられた。またこれまでに、D8によるアポトーシス誘導にはRNA結合ドメインであるKHドメインが必要であること、そしてD8がKHドメインを介してアポトーシス誘導因子であるBimのmRNAに結合し、mRNAを安定化させることでアポトーシスを誘導していることが明らかになっている。これに加えて最近、BH3-only proteinであるBim、BmfがTGFβによって発現誘導され、かつTGFβ誘導性アポトーシスに重要であることが報告された。こうした知見から、TGFβによって誘導されるアポトーシスにおいて、D8の下流でBimやBmfなどのアポトーシス誘導因子が機能している可能性が考えられた。本章では、これらのアポトーシス誘導因子のうち、D8の下流で働いている因子の同定を試みた。

TGFβによって発現が誘導され、かつD8の発現抑制によってその発現誘導が抑えられるような遺伝子を探索した結果、Bmfがこの条件を満たすことがわかった。さらにD8ノックアウトマウス由来初代培養肝細胞では野生型マウス由来初代培養肝細胞と比較して、TGFβの添加によるBmfの発現量の増加が抑制されていることが分かった。以上の結果から、D8の下流でBmfが機能していることが強く示唆された。

【第4章 D8によるBmfの発現制御機構】

第3章において、D8がBmfのmRNA量を制御することでアポトーシスを誘導していることが明らかになったことから、D8によるBmf mRNAの制御機構として、転写促進、RNAの安定化などの機構が考えられた。そこで本章ではそれらの可能性について検討した。

ActinomycinDを添加して転写を止めた際のBmf mRNAの分解速度を調べたところ、D8の発現を抑制するとBmf mRNAの分解速度が速くなることがわかった。この結果から、D8によるBmfの発現制御には少なくともBmf mRNAの安定化が関与していることが示唆された。

【総括】

本研究では、TGFβの新規標的遺伝子としてD8を同定した。また、D8がBmf mRNAの安定化を介してアポトーシスを誘導することを明らかにした(モデル図)。TGFβシグナル標的遺伝子で、RNAの転写後調節に関与している遺伝子の報告はTTP遺伝子以外なく、しかもアポトーシスに関連した標的遺伝子はD8が初めての報告である。したがって、本研究により見出した経路は極めて新規性が高いと考えられる。また、TGFβによって誘導されるアポトーシスは組織の恒常性の維持や癌化の抑制に重要であると考えられており、本研究によって得られた知見はこれらの生命現象を詳細に解明するために必要な新規の研究領域を提示するものである。すでに当研究室ではD8ノックアウトマウスが作製されており、本研究によって見出された経路の生理的意義を調べる実験が進行中である。今後の展開に期待がもたれる。

(1) TGFβがレセプターに結合

(2) SmadによるD8の転写の促進

(3) D8によるBmf mRNAの安定化 or 翻訳促進

(4) アポトーシスの誘導

審査要旨 要旨を表示する

TGFβは細胞増殖の制御を主とした様々な生理現象に関わる重要なサイトカインである。多くの癌細胞では、TGFβ受容体やSmadsに変異があり、TGFβによる増殖抑制に抵抗性を示すことが報告されている。そのためTGFβシグナルは細胞癌化の抑制に重要であり、その機構を明らかにすることは細胞の癌化を理解する上で極めて重要であると考えられている。これまでに、TGFβによる細胞の増殖抑制に関しては非常によく研究されてきたが、TGFβによるアポトーシス誘導機構に関しては未だ不明な点が多い。

D8はTGFβによって発現が誘導される新規遺伝子として同定された。D8タンパク質の特徴はN末端側にKHドメインを2つ有することである。これまでに、KHドメインタンパク質はRNAと結合し、スプライシング制御、翻訳阻害、mRNAの分解制御といった様々な転写後調節を行うことが報告されており、実際にD8もBim mRNAに結合し、Bim mRNAの安定化に寄与していることが明らかになっていた。しかしながら、D8の標的となるRNAがBim以外見つかっておらず、さらなる標的RNAの探索を行う必要がある。

これまでに、D8の過剰発現によって癌細胞にアポトーシスが誘導されることが明らかとなっていたため、D8がTGFβ誘導性アポトーシスに関与している可能性が考えられた。本論文ではその可能性を検証するとともに、D8の標的RNAの同定を試みている。

マイクロアレイ法を用いた解析により、TGFβ刺激によってD8の発現が誘導されることが明らかになっていたが、その詳細な発現誘導機構はわかっていない。TGFβシグナルによってD8の転写が促進されている可能性が考えられたため、D8の転写制御領域の解析を行った。D8プロモーターを用いたルシフェラーゼアッセイおよびSmad抗体を用いたクロマチン免疫沈降実験の結果、D8プロモーターがTGFβ刺激に応答し、かつTGFβ刺激依存的にSmadsがD8のプロモーター領域に結合した。これらの結果から、D8はTGFβシグナルの直接の標的遺伝子であることが示された。

また、D8がTGFβ誘導性アポトーシスに関与している可能性が考えられたため、TGFβ誘導性アポトーシスに感受性の高いSNU16細胞、初代培養肝細胞の2種の細胞を用い、この可能性を検証した。D8の発現を抑制したSNU16細胞、D8ノックアウトマウス由来初代培養肝細胞が共に、TGFβ誘導性アポトーシスに抵抗性を示したことから、D8が本経路で重要な働きを担っていることが明らかになった。

D8がmRNAの安定化を介してアポトーシスを誘導していることが明らかになっていたため、いくつかのアポトーシス誘導因子に絞り、D8の下流で働いている因子の同定を試みた。TGFβによって発現が誘導され、かつD8の発現抑制によってその発現誘導が抑えられるような遺伝子を探索した結果、Bmfがこの条件を満たすことがわかった。さらにD8ノックアウトマウス由来初代培養肝細胞では、野生型マウス由来初代培養肝細胞と比較して、TGFβ刺激によるBmf mRNA量の増加が抑制されていることがわかった。以上の結果から、D8の下流でBmfが機能していることが示された。

D8がmRNAの安定化機能を有することから、D8によるBmf mRNAの制御はmRNAの安定化を介していると考えられた。この可能性を検証するため、actinomycinDを添加して転写を止めた際のBmf mRNAの半減期を調べたところ、D8の発現を抑制するとBmf mRNAの半減期が短くなることがわかった。また、D8ノックアウトマウス由来初代培養肝細胞では、野生型マウス由来肝細胞と比較してBmf mRNAの半減期が短くなっていた。これらの結果から、D8はBmf mRNAの安定化を介してBmf mRNA量を制御していることが示された。

本研究では、TGFβの新規標的遺伝子としてD8を同定し、D8がBmf mRNAの安定化を介してアポトーシスを誘導することを明らかにした。TGFβシグナル標的遺伝子で、RNAの転写後調節に関与している遺伝子の報告はTTP遺伝子以外なく、しかもアポトーシスに関連した標的遺伝子はD8が初めての報告である。したがって、本論文で見出された経路は極めて新規性が高いと考えられる。また、TGFβによって誘導されるアポトーシスは組織の恒常性の維持や癌化の抑制に重要であると考えられており、本研究によって得られた知見は、これらの生命現象を詳細に解明するために必要な新規の研究領域を提示するものである。なお、本論文は鯉沼代造、塚原(河村)由布子、大野陽子、秋山徹との共同研究であるが、いずれも論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の単位論文として価値あるものと認めた。

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