学位論文要旨



No 124685
著者(漢字) 横山,敦
著者(英字)
著者(カナ) ヨコヤマ,アツシ
標題(和) 神経分化を制御するヒストン修飾因子複合体群の生化学的解析
標題(洋)
報告番号 124685
報告番号 甲24685
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3395号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,茂明
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 高橋,直樹
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 教授 後藤,由季子
内容要旨 要旨を表示する

第一章 序論

多細胞生物の正常な発生と臓器形成には、遺伝子発現の時期・組織特異的な制御が伴う。この遺伝子発現制御は、DNA結合性転写因子がリクルートする転写共役因子群によるクロマチン構造調節を介して行われている。

クロマチン構造調節は、ヒストンの翻訳後修飾と、ヌクレオソームの再構築とに大別され、それぞれ特異的な転写共役因子群によって担われている。ヒストンの修飾とは、ヒストンの主にN末端側がアセチル化やメチル化といった種々の修飾を受けたり除去されたりすることである。それぞれの修飾は、染色体活性化との関係性が証明されつつある。他方、ヌクレオソームの再構築は、ATP依存性クロマチンリモデリング因子により調節されている。

これらクロマチン構造調節の中でも、ヒストンのメチル化修飾はクロマチン構造調節のトリガーであると考えられておりその重要性が注目されている。また、ヒストンの脱メチル化については全く不明であったが、LSD1をはじめとするヒストン脱メチル化酵素の同定から、ヒストンメチル化修飾も動的に変動し得る事が明らかとなった。しかしながら、これらヒストン脱メチル化酵素は複数種存在することから、各々の酵素の生物学的な意義に関しては未だ不明な点が多い。

転写共役因子群は、核内で複合体を形成することで協調的に機能し、選択的なクロマチン構造調節を行うと考えられている。即ち、転写共役因子は、複合体を形成することで基質特異性や酵素活性、さらには複合体安定化等の多様な制御機構を獲得しているといえる1)。しかしながら、個々の複合体の制御機構や、生物学的意義は殆ど不明であり、複合体レベルでの生化学的な解析が待たれる。

この、クロマチン構造調節が関与する生命現象の一例として細胞分化が挙げられる。この過程では、染色体上の大部分の領域でクロマチン構造の再構築が行われる事が観察されてきたが、その制御を司る転写共役因子複合体に関しては未解明のままである。ヒストン修飾の関与の必須性と考え合わせると、細胞分化において、クロマチン構造調節のトリガーであるヒストンメチル化修飾の関与が予想されるが、その詳細な実態も不明である。

本研究では、神経細胞の分化系をモデルに、神経分化制御を担う転写共役因子複合体を生化学的手法で単離・同定しその機能を解析することを目的とした。そこで、まず神経系に特異的に発現する核内受容体TLX(NR2E1)に着目し、その転写共役因子複合体の精製・同定を行うことを試みた。続いて、同複合体の機能と神経分化の関係について神経前駆細胞株Neuro2aの分化系を用いて生化学的な観点から解析した。

第二章 オーファン核内受容体TLXの新規転写共役因子の同定と転写抑制機構の解明

TLXは構成的転写抑制能を持ち神経幹細胞の未分化維持に寄与することが知られるオーファン核内受容体である。TLXはその標的遺伝子の転写を抑制することで神経幹細胞の未分化性を維持していると考えられたが、TLXの機能を説明し得る転写共役因子の報告は存在しない。また、予備実験において、TLXは一般的な核内受容体の転写共役抑制因子であるNCoR/SMRT非依存的な転写抑制因子であったことから、新規転写共役抑制因子の存在が予想された。

そこで、TLXの転写抑制機構を解明する目的で相互作用因子の生化学的同定を試みた。その結果、網膜芽腫細胞株Y79より、ヒストン脱メチル化酵素LSD1、転写抑制因子CoREST、ヒストン脱アセチル化酵素HDAC1/2等の複合体構成因子群を同定した。LSD1は転写活性化に関与するヒストンH3K4、もしくは転写抑制に関与するH3K9のメチル基を脱メチル化する酵素であり、転写活性化型と転写抑制型それぞれの複合体の存在が示唆されているが、K4/K9の脱メチル化の基質特異性を規定する分子機構や、神経分化への関与も不明であったためこの因子に着目した。

そこで、LSD1がTLXの転写抑制能に与える影響について解析した。LSD1はTLXに直接結合し複合体を形成していた。更に、レポーターアッセイにおいてLSD1はヒストン脱メチル化活性を介してTLXの転写抑制能を促進したことから、TLXの転写共役抑制因子であることが明らかとなった。また、ChIPアッセイの結果、TLXはLSD1-CoREST-HDAC1/2複合体をPTENプロモーター上にリクルートし、ヒストンの脱アセチル化、H3K4の脱メチル化により標的遺伝子の転写抑制を維持していることが判明した。更に両者のRNAiにより細胞増殖能が抑制されることも観察された。

以上の結果から、LSD1複合体はTLXの転写共役抑制因子複合体として機能し、PTENをはじめとするTLX標的遺伝子の転写抑制を維持し細胞増殖を正に制御していることが示唆された2)。このことから、TLXによる神経幹細胞未分化維持の一端は、LSD1複合体を介した細胞の増殖維持であることが推察された。

第三章 ヒストン脱メチル化酵素LSD1複合体の神経分化における機能

TLXは神経分化刺激によりその発現が消失する一方、LSD1は分化過程を通じて発現が認められた。しかしながら、LSD1の神経分化における役割は不明であった。そこで、Neuro2a細胞においてノックダウン実験をしてみたところ、神経分化が抑制された。このことから、分化誘導時においては、LSD1は未分化維持ではなく分化促進に働いていると考えられ、神経分化の際にLSD1が転写抑制型から活性化型へ変換していることを予想した。

そこで、この詳細な分子機構を解析するために、Neuro2a細胞よりLSD1複合体の精製を試みた。FLAG-LSD1を安定的に発現するNeuro2a細胞より多段階精製で得たLSD1複合体をLC-MS/MS、およびMALDI-TOF/MSに供した。その結果、NZF2 (Neural Zinc Finger transcription Factor 2)を含む新規LSD1複合体構成因子を含む全構成因子の同定に成功した。

NZF2は、脳組織特異的に発現するDNA結合性の未知因子であり、Neuro2a細胞でNZF2をノックダウンすると神経分化の抑制が認められ、やはり分化に必須の因子であることが示唆された。また、NZF2は分化刺激依存的な神経分化の鍵因子であるMash1遺伝子の転写誘導に必要であることが判明した。このことから、分化刺激依存的にLSD1は、NZF2上で転写抑制型から転写活性化型に変換されていると考えられた。

さらに、分化の際のLSD1複合体の構成因子を詳細に調べると、分化刺激依存性に構成因子の一つにSUMO化修飾の変化が認められ、LSD1複合体構成因子変化への関与が予想された。

第四章 クロマチンテンプレートを用いたin vitro 転写系の構築

LSD1が転写抑制状態から転写活性化に転ずることを直接示すには、in vitroで精製複合体を用いた転写活性、転写抑制を評価する実験系が必要であると考えられた。そこで、クロマチンテンプレートを用いたin vitro 転写系の構築を試みた。

まず、強力なアクティベーター型転写因子であるGal4-VP16を使ったin vitro 転写系の構築を目指した。HeLa細胞由来ヒストンとショウジョウバエ胚S190画分によりクロマチンテンプレートをin vitro において再構築した。このクロマチンテンプレートとHeLa核抽出液を混合してもアデノウィルスプロモーター由来転写産物は検出されなかったことから、完全に抑制的なクロマチンが形成されていると判断した。この条件下において、Gal4-VP16を加え、バキュロウィルス由来ヒストンアセチル化酵素p300を加えると、p300の量依存性に転写産物が検出された。従って、完全なクロマチンテンプレートを用いたin vitro転写系が確立され、これはLSD1複合体の転写活性を評価可能な実験系であると考えられた。現在この系を使って更なる解析を進めているところである。

第五章 総合討論

本研究では、オーファン核内受容体TLX相互作用因子の生化学的同定系を確立し、視神経由来細胞からTLX転写共役抑制因子複合体として、ヒストン脱メチル化酵素LSD1複合体を同定した。これまで、核内受容体のリガンド依存的な転写活性化への関与が知られていたLSD1が、ある種のオーファン核内受容体にはリガンド非依存的な転写抑制因子として機能することを初めて明らかにすることができた。この事は、複合体構成因子群の組み合わせによりLSD1の転写共役活性が制御されることを示唆するものであった。

また、これまでTLXによる神経幹細胞の未分化維持機構の詳細はまったく不明であった。本研究から、TLXは、LSD1複合体を介してPTENをはじめとする標的遺伝子の転写を抑制することで、幹細胞性の一つの特徴である細胞増殖を維持していることが示唆された。また、生理的意義の不明であったLSD1複合体の神経幹細胞での機能が推察された。

次に、Neuro2a細胞を用いた分化実験でLSD1が分化促進に必要であることから、この因子は細胞系譜によって相反する分化の方向性-未分化維持と分化促進-を規定していると考えられた。このことは、LSD1がヒストンH3K4とH3K9という転写に対して相反するエピジェネティックマークを脱メチル化の基質にし得ることに関連していることを予想させた。そこで、LSD1の活性制御を司る分子機構を解析する目的で、神経細胞特異的なLSD1複合体を精製・同定した。さらに、同定された新規LSD1相互作用因子の一つNZF2が、神経分化の鍵因子Mash1の転写誘導に必要であり、LSD1による転写活性化に伴う神経分化促進に関与することを示唆した。また、神経細胞の分化に伴ったLSD1複合体構成因子の変化を見出した。このことから、LSD1の基質特異性の変化と神経細胞分化との関連が強く示唆された。

本研究では、神経細胞の未分化維持や分化過程におけるクロマチン構造調節に関わる転写共役因子複合体として、ヒストン脱メチル化酵素LSD1を同定した。また、LSD1複合体の神経細胞の分化刺激依存性の複合体構成因子の変換を見出した。

以上、本研究では、神経分化という生命現象の分子機構の一端を複合体レベルで明らかにした。

1) Takezawa S, Yokoyama A, Okada M, Fujiki R, Iriyama A, Yanagi Y, Ito H, Takada I, Kishimoto M, Miyajima A, Takeyama K, Umesono K, Kitagawa H, Kato S. EMBO J, 26, 764-74(2007)2) Yokoyama A, Takezawa S, Schule R, Kitagawa H, Kato S. Mol Cell Biol, 28, 3995-4003(2008)
審査要旨 要旨を表示する

多細胞生物の正常な発生と臓器形成には、遺伝子発現の時期・組織特異的な制御が伴う。この遺伝子発現制御はDNA結合性転写因子がリクルートする転写共役因子複合体によるクロマチン構造調節を介して行われている。

クロマチン構造調節は、ヒストンの翻訳後修飾と、ヌクレオソームの再構築とに大別され、それぞれ特異的な転写共役因子群によって担われている。転写共役因子群は、核内で複合体を形成することで協調的に機能し、選択的なクロマチン構造調節を行うと考えられている。即ち、転写共役因子は、複合体を形成することで基質特異性や酵素活性、さらには複合体安定化等の多様な制御機構を獲得しているといえる。しかしながら、個々の複合体の制御機構や、生物学的意義は殆ど不明であり、複合体レベルでの生化学的な解析が待たれる。本研究では、神経細胞の分化系をモデルに、神経分化制御を担う転写共役因子複合体を生化学的手法で単離・同定しその機能解析を試みている。

第一章の序論に引き続き、第二章では視神経由来細胞株を用いて、神経転写共役因子複合体の生化学的な同定を試みている。具体的には、神経幹細胞特異的に発現し未分化維持に働くことが知られるオーファン核内受容体TLXをベイトとし結合因子を生化学的に探索した。その結果、ヒストン脱メチル化酵素として知られる因子LSD1(Lysine specific demethylase 1)を同定した。また、レポータープラスミドを染色体に組み込んんだクロマチンルックアッセイ、クロマチン免疫沈降アッセイ等の解析により、LSD 1複合体がTLXの転写抑制活性を担う転写共役抑制因子複合体であることを明らかにした。

第三章では、Neuro2a細胞を用いた分化系において、LSD1が分化過程を通じて発現することを見出し、LSD1の神経分化過程における機能について解析している。その結果、LSD1は神経分化時には分化促進に働くことを見出した。また、LSD1による分化促進を説明する因子取得のために、Neuro2a細胞を用いたLSD1相互作用因子の生化学的探索を行い、LSD1相互作用因子として転写因子としての機能が予想される因子NZF2(Neural zinc finger factor 2)を見出し、NZF2がやはり神経分化に必須の因子であることを見出している。また、マウス各臓器由来cDNAを用いたリアルタイムPCRによりNZF2が脳組織特異的に発現することを見出した。さらに、Neuro2a細胞でのクロマチン免疫沈降アッセイにより、NZF2の標的遺伝子の一つとして神経分化の鍵因子であるMash1を見出し、NZF2による神経分化促進の一端はMash1遺伝子の誘導であることが示唆された。最後に、免疫沈降実験から、NZF2を含んだLSD1複合体の構成因子が分化過程において変化する可能性を示している。

第四章では、転写共役因子の複合体としての機能を解析するための実験系として、クロマチンテンプレートを用いたin vitro転写系の構築を行っている。フランスIGBMCのLaszlo Tora博士との共同研究により、再現性よくin vitroにおいクロマチンテンプレートを用いた転写反応を行う実験系の構築に成功した。

本論文は、神経細胞の分化系をモデルとした生化学的な解析から、クロマチン構造調節を担うヒストン修飾因子複合体の同定に成功した。本研究は、神経細胞を材料とした生化学的解析の新たな試みであり、生体内における時期・組織特異的な転写制御における染色体構造調節の理解に繋がるものであると期待される。以上より、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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