学位論文要旨



No 124691
著者(漢字) 松本,えみ子
著者(英字)
著者(カナ) マツモト,エミコ
標題(和) 好気的条件でPOPs農薬を分解する細菌の分離とその特性評価
標題(洋)
報告番号 124691
報告番号 甲24691
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3401号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小柳津,広志
 東京大学 教授 妹尾,啓史
 東京大学 准教授 横田,明
 東京大学 准教授 石井,正治
 東京大学 准教授 藤原,徹
内容要旨 要旨を表示する

第1章 序論

有機塩素系農薬のディルドリンおよびエンドリン(ドリン系農薬)は,殺虫剤として広範に使用されたが,強い毒性をもつとともに,高い化学安定性および土壌残留性のため,それらの農薬登録は1970年代に失効した。しかしながら,過去に農耕地で使用されたドリン系農薬は,使用禁止後30年以上経過した現在においても,農地表層土壌やキュウリ等の農作物に残留し,深刻な問題となっている。このような低濃度ではあるが広範囲に分布している残留実態を前に,浄化対策の適用が急務となっている。大量の低濃度汚染土壌の浄化処理法としては,低コストに抑えられ,処理後も土壌機能を維持することが可能なバイオレメディエーションに期待が寄せられている。

バイオレメディエーションの実現には,分解菌の性能が鍵を握るが,ドリン系農薬については,バイオレメディエーションに利用できる有用な好気性分解菌は未だに取得されていない。その主な原因は,高い分解能を有する好気性菌の単離が困難であることが挙げられる。これまでのドリン系農薬分解菌の探索は,土壌から培養可能な微生物を多量に単離し,それぞれについて分解能を調べるという,多大な時間と労力を要する非効率な方法でおこなわれてきた。そこで,本研究では,土壌からの好気性ドリン系農薬分解菌の効率的なスクリーニング方法の確立ならびにそれを用いた新規ドリン系農薬分解菌の取得を目的とした。スクリーニング方法の確立にあたり,ドリン系農薬のアナログ物質(類似構造物質)を資化する微生物がドリン系農薬を分解できるのではないか,という仮説をおいて検討を実施した。

第2章 非汚染土壌のPOPs農薬分解菌分離源としての利用可能性の検証

本章では,非汚染土壌がPOPs農薬分解菌,とりわけドリン系農薬分解菌の分離源となりえるかということを,複数の非汚染土壌マイクロコズムを用いた分解試験の結果より評価・考察した。

非汚染土壌は汚染土壌と比較してはるかに細菌相の多様性が高いため,これまでに検出・分離されていない分解菌が存在すると予測をたて,利用可能性の検証をおこなった。評価は,非汚染土壌にPOPs農薬を添加した土壌マイクロコズムを作製し,その中でのPOPs農薬残留率の経時的変化によりおこなった。また,それにともなう細菌相の変化を追跡した。

結果,POPs農薬で汚染されていない森林土壌を用いたマイクロコズム中において,ドリン系農薬の迅速な分解が認められた。本土壌は,30週間で,ディルドリンを39%,エンドリンを74%も分解する能力を有していた。温帯土壌におけるディルドリンおよびエンドリンの半減期は,およそ5年および12年と報告されている。したがって,本土壌におけるディルドリンおよびエンドリンの分解は極めて早いものと考えられた。さらに,本土壌は,HCH類やアルドリンに対しても高い分解能を有していることが確認された。また,16S rDNAクローン解析の結果から,本土壌中には,これまでに獲得されていない好気性分解菌が存在していることが示唆された。以上の結果より,非汚染土壌は,POPs農薬分解菌の新規分離源として大きな可能性を秘めていると考えられた。

一方,本土壌マイクロコズムのPCR-DGGE解析においては,ドリン系農薬の分解に伴うバンドパターンの変化は認められず,ドリン系農薬の分解はマイクロコズム中の細菌相を大きく変化させるようなものではなかった。これは,分解活性がみられた土壌においても,分解菌は必ずしも集積されていないことを意味しており,多種多様な微生物を有する非汚染土壌を分解菌の新規分離源として用いるには,そこからの分解菌の効率良い分離方法を開発することが必須であると考えられた。

第3章 ドリン系農薬分解菌群の効率的取得方法の開発

本章では,ドリン系農薬分解菌の選択的な培養基質としてアナログ物質が有用であるかを検証した。

土壌から好気性のドリン系農薬分解菌を効率的に分離する手法を開発することを目的として,ドリン系農薬に対して分解能を示す森林土壌から,アナログ物質や糖類を用いて集積培養をおこない,各培養菌群についてドリン系農薬分解能を評価した。その結果,1,2-エポキシシクロヘキサン(ECH)を基質として集積培養した菌群がドリン系農薬に対して高い分解能を有していることが明らかとなった。本培養菌群は,その分解過程において,ECHをcyclohexanediolに代謝していることから,ドリン系農薬の分解には,エポキシド加水分解酵素がかかわっている可能性,すなわちドリン系農薬はジオール体へ代謝されている可能性が示唆された。また,ECH培養菌群の構成をPCR-DGGE法によって解析した結果,Burkholderia属,Cupriavidus属,およびAlcaligenes属に分類される菌種が優占化していることが明らかとなった。これらの属の菌については,ドリン系農薬分解菌としての報告はなく,新規分解菌の存在が強く示唆された。

以上の結果より,ドリン系農薬のアナログ物質であるECHを基質として用いた集積培養は,ドリン系農薬分解菌の選択的培養法として非常に有用であると考えられた。本知見は,好気性ドリン系農薬分解菌の選択的培養法に関するはじめてのものである。

第4章 ドリン系農薬分解菌の分離・同定およびそれらの特性評価

本章では,ドリン系農薬に対して高い分解活性を有することが確認されたECH集積培養菌群から主要構成菌を分離し,どの菌が分解に寄与しているのかを明らかにするとともに,その分解特性を評価した。

ECH集積培養菌群の構成菌が,いずれもドリン系農薬分解菌として分離されていない菌種であったことから,この菌群の中でドリン系農薬の分解に寄与している細菌を特定することを目的として,主要な構成菌の分離を試み,それらのドリン系農薬分解能を評価した。

結果,ドリン系農薬分解菌群の主要構成菌であるBurkholderia属菌,Cupriavidus属菌,およびAlcaligenes属菌の3菌種,すべての分離に成功した。この3種の主要構成菌のうち,ドリン系農薬分解活性は2菌種(Burkholderia属菌MED-7株およびCupriavidus属菌MED-5株)に認められた(Fig. 1)。ECHおよびドリン系農薬を炭素源として添加して14日間培養をおこなった条件においては,MED-7株およびMED-5株は,ディルドリンを49 %および38 %,エンドリンを51 %および40 %も分解する能力を示した。本分解能は,過去に報告されたドリン系農薬分解菌と比べても非常に高いものであった。さらに,MED-7株とMED-5株は,ドリン系農薬のみを炭素源とする条件下においても分解能を発揮することが明らかとなった。これらの分解菌は,ドリン系農薬を炭素源とすることができる細菌としてはじめて見出されたものである。また,本試験結果は,ECHで集積された3種の主要菌株のうち2菌株が,ドリン系農薬に対して高い分解能を有していることを示した。したがって,前章で提案したECHによる集積培養法は,ドリン系農薬分解菌を高選択的に培養可能であり,分解菌獲得のための非常に有用な方法と考えられた。さらに,ECHはMED-7株とMED-5株の分解活性を向上させる能力を有していることが本結果から示唆された。これは,ECHがドリン系農薬の分離培養基質として有用であるだけではなく,分解促進剤としても利用可能性が高いことを期待させるものであった。一方,MED-7株とMED-5株は生育菌体だけではなく,休止菌体においてもドリン系農薬分解活性を示した。さらに興味深いことに,MED-7株とMED-5株の培養上清にも高いドリン系農薬分解活性が認められた。これは,分解酵素の菌体外への放出を示唆するものであるとともに,MED-7株とMED-5株のドリン系農薬分解機構の解明へつながる結果と考えられた。

最後に,MED-7株とMED-5株の詳細な分類性状を調べた結果、MED-7株はBurkholderia terrae,そして,MED-5株はCupriavidus necatorと同定された。これら2種には,これまでにドリン系農薬に対する分解能は報告されておらず,本結果はそれぞれの菌種において新しい知見を与えるものであった。

第5章 総括

本研究により,ドリン系農薬の好気性分解菌の選択的培養が可能な基質としてECHをはじめて見出し,それを用いる分解菌の効率的な分離培養方法を確立するとともに,新規分離源としての非汚染土壌の有用性を明らかにした。今後は,本法をドリン系農薬汚染土壌や他の非汚染土壌に適用することにより,その汎用性を確認するとともに,新たなドリン系農薬分解菌の獲得が期待される。

また,本研究ではECHを用いた分離培養法により,非常に高い分解能を有する2株のドリン系農薬分解菌を取得した。今後,両菌を含め,分解菌を土壌中において有効に機能させるための制御技術について研究をおこなうことで,ドリン系農薬汚染土壌のバイオレメディエーションの実用化に貢献するものと期待される。

Matsumoto, E., Kawanaka, Y., Yun, S.-J., Oyaizu, H., Isolation of dieldrin- and endrin-degrading bacteria using 1,2-epoxycyclohexane as a structural analogue of both compounds. (2008) Applied Microbiology and Biotechnology 80: 1095-1103

Fig. 1 Degradation rates of dieldrin and endrin by strains MED-1, MED-5, and MED-7 in the medium to which dieldrin, endrin, and ECH were added together (a) and that in which dieldrin and endrin were added togerther (b). Drin: dieldrin and endrin.

審査要旨 要旨を表示する

有機塩素系農薬のディルドリンおよびエンドリン(ドリン系農薬)は,殺虫剤として広範に使用されたが,強い毒性を示し化学的に安定で土壌残留性が高いため,1970年代に農薬登録が失効し,その後使用が禁止された。しかしながら,過去に農耕地で使用されたドリン系農薬は,登録失効後30年以上経過した現在においても,農地表層土壌に残留しキュウリ等の農作物に混入し,深刻な問題を起こしている。このような低濃度ではあるが広範囲に分布している残留実態を前に,浄化対策の適用が急務となっている。

本論文はドリン系農薬汚染土壌のバイオレメディエーション技術の開発を試みるため,基礎的研究を進めたもので,5章より成っている。第1章の序論に続く第2章ではドリン系農薬が土壌中でどのような速度で分解されるか,いくつかの地点で採取した非汚染土を用いて試験した。その結果,東京都三鷹市で採取された森林土壌が著しく高い分解力を示すことを見出した。次に,この森林土壌の細菌相をドリン系農薬分解過程においてPCR-DGGE法で経時的に分析したところ,細菌相の大きな変化は観察されなかった。これは,分解活性がみられた土壌においても,分解菌は必ずしも集積されていないことを意味しており,分解菌を分離するには集積培養が必要であると考えられた。

第3章では,ドリン系農薬分解菌の選択的な培養基質としていくつかの構造類似物質を用いて集積培養を試みた。その結果,1,2-エポキシシクロヘキサン(ECH)を基質として集積培養した細菌群がドリン系農薬に対して高い分解能を示した。ECH培養菌群の構成をPCR-DGGE法によって解析した結果,Burkholderia属,Cupriavidus属,およびAlcaligenes属に分類される菌種が優占していることが明らかとなった。

第4章では,ドリン系農薬分解微生物を集積培養から純粋分離することを試みた。その結果,ドリン系農薬分解菌群の主要構成菌であるBurkholderia属菌,Cupriavidus属菌,およびAlcaligenes属菌の3菌種,すべての分離に成功した。この3種の主要構成菌のうち,ドリン系農薬分解活性は2菌種(Burkholderia Cupriavidus属菌MED-5株)に認められた。 ECHおよびドリン系農薬を炭素源として添加して14日間培養を行った条件において,MED-7株およびMED-5株は,ディルドリンを49%および38%,エンドリンを51%および40%も分解する能力を示した。この結果は,過去に報告されたドリン系農薬分解菌と比べても非常に高いものであった。さらに,MED-7株とMED-5株は,ドリン系農薬のみを炭素源とする条件下においても分解能を発揮することが明らかとなった。これらの分解菌は,ドリン系農薬を炭素源とすることができる細菌として初めて恩出されたものである。一方,MED-7株とMED-5株は性育菌体だけではなく,休止菌体においてもドリン系農薬分解活性を示した。さらに興味深いことに,MED-7株とMED-5株の培養上清にも高いドリン系農薬分解活性が認められた。最後に,MED-7株とMED-5株の詳細な分類性状を調べた結果,MED-7株はBurkholderia terrae,MED-5株はCupriavidus necatorと同定された。これら2種には,これまでにドリン系農薬に対する分解能は報告されておらず,本結果はそれぞれの菌種において新しい知見を与えるものであった。

以上,本論文はドリン系農薬汚染土壌のバイオリメディエーション技術の開発を目指し研究を行ったものであり,審査委員一同は学術上,応用上価値あるものと認め,博士(農学)の学位論文として十分な内容を含むものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/25055