学位論文要旨



No 124692
著者(漢字) 進藤,克実
著者(英字)
著者(カナ) シンドウ,カツミ
標題(和) マツタケの人工栽培に関する研究 : 非滅菌環境下での菌根合成法の確立と界面活性剤による菌糸体成長促進作用の検討
標題(洋)
報告番号 124692
報告番号 甲24692
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3402号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宝月,岱造
 東京大学 教授 富樫,一巳
 東京大学 教授 丹下,健
 東京大学 准教授 松下,範久
 東京大学 講師 益守,眞也
内容要旨 要旨を表示する

マツタケ(Tricholoma matsutake)は,日本では古くから最も好まれてきた食用菌であり,現在では最も高価なきのこのひとつとして世界的に知られている.近年,マツタケの主要な生育場所であるアカマツ林の環境がマツタケの生育に適さなくなったことや,アカマツ林が減少したことにより,マツタケの国内生産量は激減し,国内需要の95%以上が国外からの輸入でまかなわれている状況である.そのため,マツタケの人工栽培に向けた研究は古くから数多く行われてきたが,マツタケの人工栽培法として確立された手法はまだない.マツタケはアカマツの根と菌根を形成する外生菌根菌であり,自然状態では宿主から養分を得て生活している.また,子実体を発生する際には,大量のマツタケの菌糸と菌根の集合体であるシロを形成している.これらのことから,アカマツの根にマツタケの外生菌根を人工的に形成させ,さらに形成させた菌根をシロに発達させる手法を確立することにより,マツタケの人工栽培が可能になると考えられている.実際には,アカマツの苗木の根にマツタケを接種して菌根を形成させた後に,その感染苗を林地に植栽してシロを発達させる方法や,林地のアカマツ成木の根にマツタケを接種して菌根を形成させた後に,その場所でシロを発達させる方法が考えられる.これまでに,無菌条件下においてアカマツの実生にマツタケ菌根を合成させる方法は確立されているが,苗木や成木にマツタケ菌根を人工合成する場合,無菌状態を保つことは不可能である.そこで,本研究では,非滅菌条件下での菌根合成方法を新たに確立することを目的として,大型苗木と成木への菌糸の接種方法を検討した.また,マツタケは培地上での菌糸成長が非常に遅いため,効率よくシロを形成させるためには,菌糸体成長を促進させる手法を確立することが重要である.そこで本研究では,マツタケ菌糸の成長促進効果が確認されている界面活性剤について,その促進効果を高めることを目的として,培地への添加方法を検討した.

非滅菌環境下での菌根合成法の確立

苗畑で栽培した苗木や,自然状態のアカマツのほとんどの根には,他種の外生菌根が形成されており,マツタケを接種するうえでの大きな障害となっている.そこで,空中取り木や成木への発根処理によって外生菌根菌非感染根を誘導し,大型宿主とマツタケとの菌根合成を試みた.また,中国の南西部に生育するマツタケは,マツ科樹種のほかに,ブナ科樹種を宿主とするとされているが,詳細は不明である.宿主域の異なるマツタケは,生理的な性質が異なる可能性が考えられるほか,ブナ科樹木を宿主とすることができれば,人工栽培において,利用可能な宿主の選択肢が拡がることになる.そこで,マツタケがブナ科樹木に外生菌根を形成する能力があるのかについても検討した.

アカマツの実生苗を用いて,非滅菌環境下でのマツタケ菌根合成に適した培土の選抜を行った.培土は2種類の土壌とパーライト,バーミキュライト,アカマツ樹皮を組み合わせた,4種類を使用した.人工気象室内で栽培した実生苗の根に,液体培地で培養したマツタケ菌糸を接種し,4種類の培土で栽培した.その結果,接種1ヵ月後には,いずれの培土を用いた場合でもマツタケの菌根形成が認められたことから,今回用いた培土はいずれもマツタケ菌根合成に用いることができると考えられた.

次に,9年生アカマツの1年生枝の部位に環状剥皮を行い,発根促進剤を塗布した後にミズゴケで保湿し,空中取り木を行った.得られた苗の根に,液体培地で培養したマツタケ菌糸を接種した.接種後は人工気象室内で栽培し,10週間後に接種部の細根の観察を行った.その結果,観察されたマツタケ菌根はまだ発達途上の若い菌根のみであり,菌根形成率も低かったが,いずれの苗にもマツタケ菌根が形成された.

約50年生のアカマツ成木の根を掘り出して洗浄し,表層に傷をつけた後に発根促進剤を塗布した.処理部をミズゴケで包んで埋め戻し,1年間置いた.得られた菌根菌未感染根に対して液体培地で培養したマツタケ菌糸を接種し,培土で包んで埋め戻した.10週間後に接種した根を採取し,観察を行った.その結果,接種を行った6カ所の根のうち5ヶ所でマツタケ菌根を合成することに成功した.

以上のように,アカマツの苗木や成木に,マツタケ菌根を形成させる手法が確立された.苗木や成木を用いた場合,実生と比較して多量の光合成産物がマツタケへ供給できるため,実生を用いた場合よりも短期間で子実体発生に必要な量のシロを発達させることが可能であると推測される.また,同様の手法を用いて成木に対してアカハツ菌根を合成することにも成功したことから,成木への接種方法は,他の外生菌根菌の人工栽培においても有効であると考えられる.

また,中国雲南省の3ヶ所の森林にあったマツタケのシロを採取し,含まれている根の解剖観察によって樹種の推定を行った.採取地の林相は,2ヶ所がブナ科樹種の優占する広葉樹林で,それぞれにマツ科樹種が混交していた.一方,残りの1ヶ所はウンナンマツの優占する針葉樹林で,一部にブナ科樹種が混交していた.解剖観察の結果,ブナ科樹種の優占していた2ヶ所の森林のシロでは,根の木部に導管が観察されたことから,マツタケが広葉樹を宿主としていることが確認された.一方,マツ科樹種の優占していた森林のシロでは,根の木部に樹脂道が観察されたことから,マツ科樹種が宿主となっているものと考えられた.これら宿主の異なるマツタケの培養菌糸片をブナ科樹種に接種し,非滅菌下で1ヶ月間栽培したところ菌株の元の宿主にかかわらず,菌根が形成された.このことから,マツタケの人工栽培において,ブナ科広葉樹を宿主として利用できる可能性が考えられた.

マツタケの菌糸体成長に物質添加が及ぼす影響

マツタケは,土壌中にシロを形成しながらコロニーを拡大する.したがって,シロを人工的に形成させることが人工栽培にいたる重要なステップである.これまでに,非イオン系界面活性剤を培地に添加することにより,マツタケ菌糸体の成長が促進されることが明らかにされている.そこで本研究では,マツタケ菌糸の成長促進効果が確認されている界面活性剤のTween80について,その促進効果を高めることを目的として,培土とTween80の滅菌方法を検討した.

滅菌法にはオートクレーブ滅菌とガンマ線滅菌を用い,Tween80と培土をそれぞれの方法で滅菌して組み合わせ,マツタケ菌糸体成長に及ぼす影響を調べた.その結果,Tween80および培土を個別にガンマ線滅菌し,混合した培土が,マツタケの菌糸体成長には最も適しており,Tween80を添加しない場合に比べて菌糸体量が6.4倍にもなることがわかった.また,宿主の異なる中国雲南省産のマツタケ菌株と,日本産のマツタケ菌株の生理的性質の違いを比較するため,Tween80添加培土での菌糸体成長量の比較を行った.その結果,すべての菌株においてTween80添加の有無や滅菌法に対する応答は共通していたことから,中国雲南省産のマツタケと日本産のマツタケは,同様の生理的性質を持っているものと考えられた.また,同じ培土で外生菌根菌4種を培養した結果,ほとんどの菌株,処理の組み合わせで菌糸体成長がみられたことから,Tween80の添加による菌糸体成長促進作用は外生菌根菌全般に共通していると考えられた.

マツタケを宿主へ接種し,菌根合成を行う際には,宿主へのTween80の及ぼす影響を把握しておく必要がある.そのため,培土へのTween80添加がアカマツ実生の生育へ及ぼす影響を調べた.Tween80の添加は地上部,地下部の双方において,アカマツのバイオマスに負の影響を及ぼした.一方,培土の滅菌法を比較すると,ガンマ線滅菌法のほうがオートクレーブ処理よりもアカマツの地下部のバイオマスが大きいことがわかった.これらの結果から,マツタケ感染苗作製の際に,Tween80をそのまま添加することはできず,菌糸体の増殖部と菌根形成部を分離するなどの方法を検討する必要があると考えられた.

マツタケ人工栽培に向けて

マツタケの人工栽培には,宿主に菌根を形成させ,さらに形成させた菌根をシロに発達させる必要があると考えられている.本研究では,取り木苗および成木の根にマツタケ菌根を形成させることに成功し,苗木や成木を用いたマツタケ人工栽培の最初のステップを実現することができた.また,ガンマ線滅菌したTween80 および培土の組み合わせにより,マツタケの菌糸体成長を6倍以上促進できることを明らかにした.本研究で成功した取り木苗や成木での菌根形成は,感染率が低いこと,形成された菌根の発達が悪いことなど,解決しなければならない課題を残してはいるが,マツタケの人工栽培を行ううえでの有効な手法になるものと考えられる.また,現段階ではシロの形成にまではいたらなかったが,本研究で得られた菌根形成法と菌糸体の増殖法は,シロ形成に向けた今後の研究の出発点になるものと期待できる.

審査要旨 要旨を表示する

マツタケ(Tricholoma matsutake)は、日本では古くから最も好まれてきた食用菌であるが、近年、マツタケの国内生産量は激減し、国内需要の95%以上が国外からの輸入でまかなわれており、現在では高価なきのこのひとつとして世界的に知られている。マツタケの人工栽培に向けた研究は古くから数多く行われてきたが、マツタケの人工栽培法として確立された手法はまだない。大型のアカマツ苗や成木の根にマツタケの外生菌根を人工的に形成させ、さらに形成させた菌根をシロに発達させる手法を確立することにより、人工栽培が可能になると考えられる。しかし、これまでに、無菌条件下においてアカマツの実生にマツタケ菌根を合成させる方法は確立されているが、苗木や成木でのマツタケ菌根の人工合成は成功していない。そこで、本研究では、非滅菌条件下の大型苗木と成木に菌根を形成させる方法を検討している。また、マツタケは培地上での菌糸成長が非常に遅いため、効率よくシロを形成させるためには、菌糸体成長を促進させる手法を確立することが重要である。本研究では、マツタケ菌糸の成長促進効果を持つ界面活性剤について、培地への効果的な添加方法も検討している。

第一章では、マツタケ生産の歴史的変遷と人工栽培研究の現状を概観している。

第二章では、非滅菌環境下での菌根合成法の確立に向けた研究成果を述べている。苗畑で栽培した苗木や、自然状態のアカマツのほとんどの根には、他種の外生菌根が形成されており、マツタケを接種するうえでの大きな障害となっていることから、空中取り木や成木への発根処理によって外生菌根菌非感染根を誘導し、大型宿主とマツタケとの菌根合成を試みている。まず、9年生アカマツの1年生枝の部位に環状剥皮を行い、発根促進剤を塗布した後にミズゴケで保湿し、空中取り木を行った。得られた苗の根に、液体培地で培養したマツタケ菌糸を接種した。接種後は人工気象室内で栽培し、10週間後に接種部の細根の観察を行った。その結果、観察されたマツタケ菌根はまだ発達途上の若い菌根のみであり、菌根形成率も低かったが、いずれの苗にもマツタケ菌根が形成された。次いで、約50年生のアカマツ成木の根を掘り出して洗浄し、表層に傷をつけた後に発根促進剤を塗布した。処理部をミズゴケで包んで埋め戻し、1年間置いた。得られた菌根菌未感染根に対して液体培地で培養したマツタケ菌糸を接種し、培土で包んで埋め戻した。10週間後に接種した根を採取し、観察を行った。その結果、接種を行った6カ所の根のうち5ヶ所でマツタケ菌根を合成することに成功した。なお、同様の手法を用いて成木に対してアカハツ菌根を合成することにも成功している。以上のように、実生と比較して多量の光合成産物がマツタケへ供給できるアカマツの苗木や成木に、マツタケ菌根を形成させる手法が確立された。

第三章では、マツタケの菌糸体成長を促進するTween80の効果的添加方法が検討されている。マツタケのシロを人工的に形成させることが人工栽培にいたる重要なステップである。これまでに、非イオン系界面活性剤を培地に添加することにより、マツタケ菌糸体の成長が促進されることが明らかにされている。本研究では、マツタケ菌糸の成長促進効果が確認されている界面活性剤のTween80について、その促進効果を高めることを目的として、培土とTween80の滅菌方法を検討している。Tween80と培土の滅菌法に、オートクレーブ滅菌法とガンマ線滅菌法を用い、滅菌方法の違いがマツタケ菌糸体成長に及ぼす影響を調べた。その結果、Tween80および培土を個別にガンマ線滅菌した後に混合した培土が、マツタケの菌糸体成長には最も適しており、菌糸体成長量が混合後に滅菌したものに比べて5.4倍、Tween80無添加の場合に比べて6.4倍に増加した。以上のように本章では、マツタケ菌では、Tween80と培土を個別にガンマ線滅菌した後混合すると、Tween80添加による菌糸体成長促進作用が格段に増大することを明らかにしている。また、中国雲南省の広葉樹林産のマツタケ菌株および他の外生菌根菌4種についても同様の実験を行った結果、すべての菌株においてTween80添加の有無や最適な滅菌法が共通していることも示している。

第四章では、以上の結果をもとに、マツタケの菌根とシロの人工合成について、総合的な考察を行っている。

以上のように本研究では、取り木苗および成木の根にマツタケ菌根を形成させることに成功し、苗木や成木を用いたマツタケ人工栽培の最初のステップを実現することができた。また、Tween80 および培土をガンマ線滅菌後に混合することにより、マツタケの菌糸体成長を6倍以上促進できることも明らかにした。得られた知見は、マツタケ人工栽培研究の中で、先駆的意義が大きい。従って、本研究は応用上、学術上の貢献が極めて大きく、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/25050