学位論文要旨



No 124700
著者(漢字) 北島,聡
著者(英字)
著者(カナ) キタジマ,サトシ
標題(和) 太平洋熱帯・亜熱帯海域における窒素固定性シアノバクテリアの生態に関する研究
標題(洋)
報告番号 124700
報告番号 甲24700
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3410号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古谷,研
 東京大学 教授 福代,康夫
 東京大学 准教授 武田,重信
 東京大学 准教授 津田,敦
 東京大学 准教授 小畑,元
内容要旨 要旨を表示する

熱帯・亜熱帯海域の大部分は、成層が発達して表層の栄養塩類濃度が極めて低い貧栄養状態にあるが、このような海域では窒素固定能をもつ生物が重要な基礎生産者となっている。海洋の窒素固定研究は、群体を形成するシアノバクテリアTrichodesmium属に集中して進められてきたが、2000年代に入り、ピコ・ナノプランクトンサイズの窒素固定者が広範に分布していることが発見され、海洋に多様な窒素固定者が存在することが注目されてきた。しかし、これら小型の窒素固定者の生態学的知見は極めて乏しい。とくに、Trichodesmium spp.の現存量が多い海域として知られている西部北太平洋では、小型窒素固定者に関する研究は全く無く、知見の空白海域となっている。本研究は太平洋熱帯・亜熱帯海域において、小型窒素固定者の生態を、マイクロプランクトンサイズの窒素固定者と比較しながら明らかにすることを目的として行った。

窒素固定活性の測定法にはアセチレン還元法と重窒素法があるが、本研究ではアセチレン還元法を採用した。本法はアセチレン中に夾雑するエチレンのために重窒素法に比べて感度が低いとされてきたが、本研究では純度99.9999%のアセチレンを使うことで、生成するエチレン濃度の検出限界を2.1 nmol C2H4 L(-1)まで下げることに成功した。この方法で12時間培養をおこなった場合、窒素固定活性は1.5 nmol N L(-1) d(-1)まで検出することが可能となった。

観測は西部北太平洋熱帯・亜熱帯海域、東部太平洋熱帯・亜熱帯海域、および夏季の東シナ海で実施し、水温、塩分、栄養塩濃度、窒素固定活性、植物プランクトン現存量を測定した。西部北太平洋熱帯・亜熱帯海域と東シナ海では、全水試料に加えてTrichodesmium spp. とRichelia intracellularis を10 μmおよび2 μmのメッシュでろ過除去した試料についても窒素固定活性を測定した。培養は、表面海水かけ流し式水槽で24 時間行った。窒素固定活性は種によって、日周変動性が異なることから、気相中のエチレン量の測定を、培養開始および終了時に加えて、日没ないし日出時にも測定して昼夜の窒素固定活性を区別して求めた。

西部北太平洋熱帯・亜熱帯海域、および東シナ海では全測点で窒素固定活性が認められたのに対し、東部太平洋熱帯・亜熱帯海域では、活性が検出された測点はハワイ近傍の2点のみであり、その他の測点、特に南太平洋亜熱帯海域では全測点で検出限界以下であった。先行研究の結果と併せると、太平洋熱帯・亜熱帯海域の窒素固定は西高東低の分布を示すことが明らかになった。

西部北太平洋熱帯・亜熱帯海域では、黒潮および黒潮続流の南縁から北赤道海流域の塩分フロントの北縁までの亜熱帯循環域で、周辺海域に比べ高い窒素固定量が存在することが初めて明らかになった。この海域では、シミュレーションで見積もられたダスト降下量が、より南方の海域と比べて高かったことから、ダストによる鉄供給を受けて窒素固定が高められたことが示唆された。この窒素固定活性の高い海域ではリン酸塩が<100 nMと周辺海域と比べて極めて低濃度であったが、これは固定された窒素を利用する過程でリン酸塩が活発に消費された結果であると考えられる。さらに、この海域の窒素固定には季節変化が認められ、冬季の方が夏季よりも高かったが、これは、リン酸塩供給の季節変化を反映したものと考えられる。すなわち、リン酸塩濃度は夏季にはほぼ枯渇状態にあり、窒素固定がリン制限を受けていた可能性があったが、冬季にはマイクロモルレベルで検出限界以上の濃度が存在しており、これが冬季の高い窒素固定を支えていたといえる。当該海域では表層のリン酸塩は主として下層から供給されるが、冬季には表面混合層が深くなり、活発な鉛直混合により下層からのリン酸塩の供給量が高かったのに対して、夏季は発達した成層のため下層からの供給量は低下したためである。

この窒素固定の高い海域では、窒素固定活性は主に10 μm以小の画分に存在した。この画分の窒素固定活性はナノプランクトンサイズの単細胞性シアノバクテリア(以下、ナノシアノバクテリア)の現存量と有意な相関を示したことから、ナノシアノバクテリアが主要な窒素固定者であることが明らかになった。この相関から求めたナノシアノバクテリア1細胞あたりの活性は、培養株で得られた既報値の範囲にあったが、冬季が夏季よりも高く、冬季の好適なリン酸塩供給を反映していることが示唆された。また、この相関関係から、ナノシアノシアノバクテリア現存量がゼロでも有意な窒素固定があることが認められ、同画分にはナノシアノバクテリア以外の窒素固定者が存在することが示された。

夏季の東シナ海でも主要な窒素固定者は<10 μm の画分にあった。活性は昼夜ともに認められたが、ナノシアノバクテリアの現存量は、夜間の活性と強い相関を示し、夜間の活性がナノシアノバクテリアに由来することを示した。興味深いことに<10 μm画分は、昼間も活性を示し、この画分の活性は、むしろ昼の方が高かったことから、この海域にはナノシアノバクテリア以外にもピコ・ナノプランクトンサイズの未知の窒素固定者が存在して、窒素固定に対して大きく寄与していることが示された。

Trichodesmium spp.とR. intracellularisは、調査を行った西部北太平洋熱帯・亜熱帯海域と東シナ海では、夏季に高い現存量を示し、冬季には殆ど分布しなかった。これら2属のマイクロプランクトンサイズの窒素固定者と小型窒素固定者では、分布域に違いが認められ、前者は比較的局所的に出現するのに対して後者は広範な海域に普遍的に分布した。また、前者の窒素固定量が高い測点では、後者の窒素固定量が相対的に低かった。Trichodesmium spp.やR. intracellularisは、小型窒素固定者に比べてリン酸塩濃度が高く、成層が発達した海域で卓越したことから、小型窒素固定者に比べて光量やリン酸塩濃度に対する依存性が大きいことが示唆された。

2002年7月には東シナ海においてTrichodesmium spp.の赤潮が認められ、藻糸数は7.8 × 104 ~ 2.6 × 106 L(-1)と極めて高い密度で分布した。同海域で得られたTrichodesmiumの窒素固定活性平均値 (2.61 pmol N h(-1)藻糸(-1)) を適用すると、この赤潮では最大で95 μmol N L(-1) d(-1)の窒素固定となり、本研究において観測された小型窒素固定主体の群集の活性よりも遙かに高かった。従って、Trichodesmium spp. の窒素固定量は小型窒素固定者に比べて時空間的な変動性が大きく、定常時には小型窒素固定者と同程度あるいはそれ以下であるが、偶発的に小型窒素固定者を遙かにしのぐ大きな活性を示すと考えられる。

このように観測から、Trichodesmium spp.およびR. intracellularisと小型窒素固定者では、分布生態に違いがあることが明らかになったので、Trichodesmium spp.、R. intracellularis、ナノシアノバクテリアについて現場海域から単離株を作製し、その増殖と窒素固定活性の特性について実験的な解析を行った。

ナノシアノバクテリアはフィリピン海よりクローン株を単離した。この株の増殖速度は、水温28°C、光量300 μmol m(-2) s(-1), 光周期14L10D、窒素欠乏海水培地で0.52 d(-1)であった。活性は、夜間にのみ認められ暗期中央期で最も高かった。暗期の平均窒素固定活性は1.68 ± 0.50 fmol N cell(-1) h(-1) であった。他方、東シナ海から得たT. erythraeum ECS0305株と、大西洋由来のT. erythraeum IMS101株の増殖速度は、上記と同じ培養条件下でそれぞれ0.10 d(-1)、0.11 d(-1)と、ナノシアノバクテリアに比べて低かった。培養株の窒素固定活性は明期にのみ認められ、活性は明期中央期から2時間のうちに最高となった。明期の窒素固定活性はECS0305株で2.34±0.60 pmol N h(-1) 藻糸(-1)、IMS101株で2.65±0.64 pmol N h(-1)藻糸(-1)であった。R. intracellularisは、東シナ海からHemiaulus membranaceus に共生する1株が得られ、約2ヶ月間維持に成功した。この株は26°C、300 μmol m(-2) s(-1)、16L8D、窒素欠乏培地に25 μMのNa2SiO3を添加した培地で、増殖速度は最大1.17 d(-1)、明期中央6時間の平均窒素固定活性は0.52±0.01 pmol N heterocyst(-1) h(-1)であった。このように、光量や栄養塩が十分な場合、Trichodesmiumの増殖速度は、ナノシアノバクテリアやR. intracellularisに比べて低いことが明らかになった。

以上、本研究により、西部北太平洋熱帯・亜熱帯海域では、ピコ・ナノプランクトンサイズの種が重要な窒素固定者となっていること、特に、ナノシアノバクテリアの寄与が大きいことが初めて明らかになった。また、これらの小型窒素固定者は、マイクロプランクトンサイズの窒素固定者とは異なる生態、異なる環境応答特性をもつことが示唆され、このような海洋に出現する窒素固定者の多様性は、貧栄養海域における窒素固定が様々な海域、環境条件下で行われることを可能にしていると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

熱帯・亜熱帯海域の大部分は、成層が発達して表層の栄養塩類濃度が極めて低い貧栄養状態にあり、このような海域では窒素固定能をもつ生物が重要な基礎生産者である。海洋の窒素固定研究は、群体を形成するシアノバクテリアTrichodesmium属に集中して進められてきた。近年、ピコ・ナノプランクトンサイズの窒素固定者が広範に分布していることが発見されたが、これら新規の小型窒素固定者の生態学的知見は極めて乏しい。本研究は太平洋熱帯・亜熱帯海域において、小型窒素固定者の生態を、ミクロプランクトンサイズの窒素固定者と比較しながら明らかにすることを目的として行ったものである。審査においては、西部北太平洋熱帯・亜熱帯海域、東部太平洋熱帯・亜熱帯海域、および夏季の東シナ海における観測航海で得られたデータに基づく解析の妥当性および、得られた結果の水圏生物科学的意義および生物地球科学的意義に重点がおかれた。

まず、本研究では窒素固定の測定法について検討を行った。窒素固定活性の測定法にはアセチレン還元法と重窒素法があるが、培養終了後に窒素固定生物の査定をすることに重点をおき、本研究ではアセチレン還元法を採用したが、アセチレン中に夾雑するエチレンのために重窒素法に比べて感度が低いとされてきた。本研究では純度99.9999%のアセチレンを使うことで、生成するエチレン濃度の検出限界を従来法に比べて1桁下げ、さらに培養容器の気相部分の容積を海水容量に比べて増やすことで、検出感度を高めた。

西部北太平洋熱帯・亜熱帯海域と東シナ海では、観測を行った全測点で窒素固定活性が認められたのに対し、東部太平洋熱帯・亜熱帯海域では、活性が検出された測点はハワイ近傍の2点のみであったことから、先行研究の結果と併せて、太平洋熱帯・亜熱帯海域の窒素固定は西高東低の分布を示すことを示した。本研究で特筆されることは、西部北太平洋熱帯・亜熱帯海域において、黒潮および黒潮続流の南縁から北赤道海流域の塩分フロントの北縁までの亜熱帯循環域において、周辺海域に比べ高い窒素固定量が存在することを初めて明らかにしたことである。この海域では、シミュレーションで見積もられたダスト降下量が、より南方の海域と比べて高かったことから、ダストによる鉄供給を受けて窒素固定が高められと説明した。この窒素固定活性の高い海域ではリン酸塩が<100 nMと周辺海域と比べて極めて低濃度であったが、これは固定された窒素を利用する過程でリン酸塩が活発に消費された結果と解釈した。

調査海域における主要な窒素固定者は<10 μm画分にあった。この画分の窒素固定活性は、ナノプランクトンサイズの単細胞性シアノバクテリア(以下、ナノシアノバクテリア)の現存量と有意な相関を示したことから、ナノシアノバクテリアが主要な窒素固定者であるとした。さらに、ナノシアノシアノバクテリア以外にもこの画分にはこれまで知られていない窒素固定者が存在する可能性も示した。

一方、ミクロプランクトンサイズのTrichodesmium spp.とRichelia intracellularisは、夏季に高い現存量を示し、冬季には殆ど分布しないことなど、ミクロプランクトンサイズの窒素固定者と小型窒素固定者では、分布に違いがあることを示し、前者が局所的な出現であるのに対して、後者が広範な分布型であることを示した。また、前者の窒素固定量が高い測点では、後者の窒素固定量が相対的に低く、両者は異なる環境条件要求性をもつことを示した。

現場海域から単離したナノシアノバクテリア、Trichodesmium erythraeumとR. intracellularisの増殖特性についての培養株を使った実験的解析から、光量や栄養塩が十分な場合、T. erythraeumの増殖速度が、ナノシアノバクテリアやR. intracellularisに比べて低いこと明らかにし、研究海域におけるナノシアノバクテリアの広範な分布を増殖速度から説明した。

以上、本研究により、西部北太平洋熱帯・亜熱帯海域では、ナノシアノバクテリアが重要な窒素固定者であることを初めて明らかにした。また、これらの小型窒素固定者は、ミクロプランクトンサイズの窒素固定者とは異なる生態、異なる環境応答特性をもつこと、さらにこれまで知られていないピコ・ナノプランクトンサイズの窒素固定者の存在が示唆され、海洋に出現する窒素固定の多様性が、様々な海洋環境において窒素固定が行われることを可能にしていると結論した。このように本研究は太平洋亜熱帯海域の窒素固定と窒素固定者の生態に関して、新たな展開を与え、学術上も応用上も極めて貢献するところが大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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