学位論文要旨



No 124702
著者(漢字) 古川,聡史
著者(英字)
著者(カナ) フルカワ,サトシ
標題(和) トラフグの高成長に関する遺伝学的および分子生物学的研究
標題(洋)
報告番号 124702
報告番号 甲24702
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3412号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 西田,陸
 東京大学 教授 鈴木,謙
 東京大学 教授 松永,茂樹
 東京大学 准教授 落合,芳博
内容要旨 要旨を表示する

トラフグTakifugu rubripesのゲノムは、サイズが約400 Mbとヒトの約8分の1でありながら、ほぼ同数の遺伝子を持つという特徴から、脊椎動物ではヒトに続いてその概要配列が明らかにされた。一方、トラフグは水産上重要な魚種の1つで単価が高い。しかしながら、天然魚の漁獲高はわずかで市場ではほとんどが養殖魚で占められおり、さらに近年では海外での養殖生産の伸びや寄生虫の蔓延などで、わが国のトラフグ養殖生産は苦戦を強いられている。したがって、わが国では品種改良による効率的なトラフグ養殖が期待され、民間業者により高成長と目される系統(以下、高成長系と略記)が選抜育種されつつあるが、その遺伝的な性質は明らかでなく、系統も完全ではない。高成長形質に複数の遺伝子座がかかわっていると仮定すると、連鎖地図に基づく量的形質遺伝子座(quantitative trait loci, QTL)解析を行う必要がある。連鎖地図の作製には、数塩基単位の繰り返し配列で多型性をもちゲノム中に普遍的に存在するマイクロサテライト(以下、MS)がDNAマーカーとしてよく利用される。一方、候補遺伝子を絞り、目的の形質を遺伝子レベルで明らかにする方法もよく利用される。近年、多くの脊椎動物でインスリン様成長因子(insulin-like growth factor, IGF)が体サイズを決める例が報告されており、このIGFはトラフグの高成長に関与する分子の有力候補である。

以上のような背景の下、本研究では、トラフグを対象にMSマーカーを開発し、連鎖地図を作製して高成長のQTL解析を行った。次に、IGFのcDNAクローニングと発現解析を行って成長との関連性を調べたもので、得られた研究成果の概要は以下の通りである。

1. ゲノムデータベースを用いたマイクロサテライトマーカーの作製

公開されているフグゲノムデータベースv3.0を対象にMSを抽出するためのコンピュータープログラムを作成した。本データベースはscaffoldと呼ばれる数百から百万bp程度のゲノム配列の断片からなるが、本研究ではデータベースv3.0のscaffold 1 -25につき、MS遺伝子座の分布を調べた。その結果、2塩基リピートのMSの密度にscaffold間で約2倍の差があった。また、リピート回数の少ないMSは各scaffoldに多く存在したが、リピート回数が多くなるに従ってMSの数が減少することも明らかになった。Scaffold 1 - 25に含まれる2 - 5塩基を単位とするMSは異なるリピート数のものも含めて計408個で、平均して74.5 kbに1つのMS座があることがわかった。この割合でトラフグゲノム中にMS座が分布すると仮定すると、トラフグのゲノムサイズは約400 Mbであることから、5000個以上のMS座があると推測される。

次に、抽出したMSの隣接領域にプライマーを設計し、2003年2月に山口県下関市の南風泊漁港に水揚げされた対馬産天然トラフグの中、ランダムに選んだ4個体の肝臓から調製したゲノムDNAを鋳型としてPCRを行った。さらに、アガロースゲルおよびポリアクリルアミドゲル電気泳動により、抽出したMSのDNAマーカーとしての有効性を調べた。その結果、検討した251 MS座のうち約60%の148座において個体間で多型を示し、その有効性が認められた。

2. トラフグ家系の作出

連鎖地図作製およびQTL解析のためにトラフグの交配を行った。まず、民間から供与された高成長系雄と福井県産天然雌魚の卵で人工授精し、受精卵を海水中で強く曝気して孵化させてF1世代を得た。飼育は受精卵の段階から東京大学で行い、水温は20°Cに保った。孵化後はシオミズツボワムシ、ブラインシュリンプおよび固形ペレットを成長段階に応じて飽食給餌した。1 cm前後のF1生体および3 cmまで成長した死亡個体の計69個体をエタノールで固定し、連鎖地図作製用試料とした。次に、3年以上飼育して成熟間近のF1雄魚1個体[以後、バッククロス(BC)用精子提供雄親とする]の飼育水温を3ヶ月かけて20°Cから12°Cまで下げ、この温度でさらに2ヶ月間飼育を続けた。次に、2ヶ月かけて水温を12°Cから16°Cまで上昇させた後、この温度で飼育を続けて催熟を試みたところ、排精が認められたので、ペレット法により凍結精子を計650粒調製した。凍結精子に海水を滴下して顕微鏡下で観察したところ、精子の高い遊泳活性がみられた。さらに、その凍結精子を用いて2008年に熊本産天然雌魚との交配を行い、BC世代を得た。得られたBC世代はF1と同様の方法で飼育した。

3. 連鎖地図の作製および仔魚期における高成長のQTL解析

MSマーカーおよびF1世代個体から抽出したDNAを用いてPCRで各MS座のDNA断片のサイズから遺伝子型を決定し、各MS座間の独立性の検定および組換え価の推定を行った。その結果、雌で23の連鎖群(linkage group, LG)上に88のMSマーカー、雄で14のLG上に59のMSマーカーを含む連鎖地図が作製できた。他の脊椎動物と同様に、雌雄間で組換え率に違いがある領域がみられた。また、同一染色体上でタンデムにクラスターを形成していると報告された速筋ミオシン重鎖遺伝子(MYH)のMYH(M86)とMYH(M939)およびMYH(M2126)とMYH(M1646)の近傍に存在するマーカーそれぞれ、fms86とM939ms2およびM2126ms2とM1646ms1は、異なるLG内で緊密に連鎖していた。

次に、BC世代を用いて簡易的なQTL解析法の1つであるバルク法で高成長に関連している遺伝子座の探索を行った。まずBC世代の孵化38日後の仔魚期の70個体を採取し、全長および体高を測定した。全長および体高の平均および標準偏差はそれぞれ9.40 ± 1.22 mmおよび2.69 ± 0.37 mmであった。次に、採取した70個体につき12のMSマーカーにおける遺伝子型を決定した。その中、全長が最大の10個体のlong(Ln)群と最小の10個体のshort(Sh)群および体高が最大の10個体のhigh(Hi)群と最小の10個体のlow(Lw)群を選び出し、4群の対立遺伝子の頻度が集団全体における対立遺伝子の頻度から有意にずれていないかどうかを検定した。その結果、予想に反してSh群およびLw群において高成長系雄に由来するMSマーカー座がそれぞれ1つずつ連鎖不平衡を示したが、成長度の高い群では連鎖不平衡は認められず、高成長と連鎖する遺伝子座の同定には至らなかった。今後はさらに多くのMS座を抽出して連鎖解析を行う必要があると考えられる。

4. 仔魚期における成長と関連遺伝子の解析

東京大学で飼育していた3歳齢のトラフグの各組織より、全RNAを抽出してcDNAを合成した。このcDNAを鋳型に2種類のIGF、IGF-1およびIGF-2のcDNAクローニングを行った。その結果、IGF-1については全翻訳領域の182アミノ酸残基をコードするcDNA 2536 bp(ポリAテール含む)を得た。決定した塩基配列とゲノムデータベースから抽出された配列の間で翻訳領域中に1箇所のミスセンス変異がみられ、非翻訳領域でも2塩基の置換および2箇所の欠失がみられた。演繹アミノ酸配列は、既報のオオクチバスMicropterus salmoidesおよびボラMugil cephalusのIGF-1とそれぞれ86%および85%のアミノ酸同一率を示した。IGF-2については212アミノ酸残基をコードするcDNA 760 bpを得た。既報のトラフグIGF-2の配列と合わせ全翻訳領域の塩基配列が明らかになったが、3'末端のポリAテールまでの配列は決定できなかった。演繹アミノ酸配列では既報のIGF-2の配列との間で1残基の置換がみられた。

次に、F1世代作出に使用した親世代2個体、F1世代のBC用精子提供雄親およびBC作出に使用した雌親の間で、イヌでIGF-1の発現量の調節により体サイズを制御すると報告されたIGF-1のイントロン1に変異があるかどうかを調べた。しかしながら、決定した493 bpのイントロン領域につき4個体間で多型はみられなかった。

次に、BC世代トラフグのLn群とSh群およびHi群とLw群につき、リアルタイムPCRによりIGF-1およびIGF-2各遺伝子のmRNA蓄積量を比較した。その結果、IGF-1ではLn群のmRNA蓄積量はSh群のそれの約1.4倍(P < 0.005)、Hi群のmRNA蓄積量はSh群のそれの約1.3倍(P < 0.05)と、いずれも有意に高かった。一方、IGF-2では各群間で発現量に有意な差はなかった(P > 0.05)。これらの結果から、トラフグにおいてもIGF-1の発現量増加により高成長が誘導されることが示唆された。

以上、本研究により、トラフグにおいてゲノムデータベースを用いることでDNAマーカーを用いた連鎖地図が容易に作製できることが示され、それを元にQTL解析できることが示唆された。さらに、トラフグ仔魚の成長速度にIGF-1の発現が関わっていることが強く示唆された。本研究は、高成長系トラフグの遺伝的性質の一端を明らかにしたもので、魚類の分子生物学に資するのみでなく、ゲノム解析を利用した選抜育種の進展に寄与するところが大きいと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

トラフグTakifugu rubripesのゲノムは、サイズが約400 Mbとヒトの約8分の1でありながら、ほぼ同数の遺伝子を持つという特徴から、脊椎動物ではヒトに続いてその概要配列が明らかにされた。一方、トラフグは水産上重要な魚種の1つで、単価が高い。しかしながら、天然魚の漁獲高はわずかで市場ではほとんどが養殖魚で占められおり、さらに近年では海外での養殖生産の伸びや寄生虫の蔓延などで、わが国のトラフグ養殖生産は苦戦を強いられている。したがって、わが国では品種改良による効率的なトラフグ養殖が期待され、民間業者により高成長と目される系統(以下、高成長系と略記)が選抜育種されつつあるが、その遺伝的な性質は明らかでなく、系統も完全ではない。そこで本研究では、トラフグを対象にマイクロサテライト(MS)マーカーを開発し、連鎖地図を作製して高成長の量的形質遺伝子座(quantitative trait loci, QTL)解析を行った。次に、インスリン様成長因子(insulin-like growth factor, IGF)のcDNAクローニングと発現解析を行って成長との関連性を調べた。

まず、公開されているフグゲノムデータベースv3.0を対象にMSを抽出するためのコンピュータープログラムを作成した。本データベースはscaffoldと呼ばれる数百から百万bp程度のゲノム配列の断片からなる。その結果、2塩基リピートのMSの密度にscaffold間で約2倍の差があった。また、リピート回数の少ないMSは各scaffoldに多く存在したが、リピート回数が多くなるに従ってMSの数が減少することも明らかになった。次に、抽出したMSの隣接領域にプライマーを設計し、2003年2月に山口県下関市の南風泊漁港に水揚げされた対馬産天然トラフグの中、ランダムに選んだ4個体の肝臓から調製したゲノムDNAを鋳型としてPCRを行った。さらに、アガロースゲルおよびポリアクリルアミドゲル電気泳動により、抽出したMSのDNAマーカーとしての有効性を調べた。その結果、検討した251 MS座のうち約60%の148座において個体間で多型を示した。

次に、連鎖地図作製およびQTL解析のためにトラフグの交配を行った。まず、民間から供与された高成長系雄と天然雌魚の卵を人工授精しF1世代を得た。1 cm前後のF1生体および3 cmまで成長した死亡個体の計69個体をエタノールで固定し、連鎖地図作製用試料とした。次に、3年以上飼育して成熟間近のF1雄魚1個体[以後、バッククロス(BC)用精子提供雄親とする]の催熟を試みたところ、排精が認められたので、ペレット法により凍結精子を調製した。凍結精子に海水を滴下して顕微鏡下で観察したところ、精子の高い遊泳活性がみられた。さらに、その凍結精子を用いて熊本産天然雌魚との交配を行い、BC世代を得た。

MSマーカーおよびF1世代個体から抽出したDNAを用いてPCRで各MS座のDNA断片のサイズから遺伝子型を決定し、各MS座間の独立性の検定および組換え価の推定を行った。その結果、雌で23の連鎖群(linkage group, LG)上に88のMSマーカー、雄で14のLG上に59のMSマーカーを含む連鎖地図が作製できた。次に、BC世代を用いて簡易的なQTL解析法の1つであるバルク法で高成長に関連している遺伝子座の探索を行った。まず、BC世代の孵化38日後の仔魚期の70個体を採取し、全長および体高を測定した。全長および体高の平均はそれぞれ9.40 ± 1.22 mmおよび2.69 ± 0.37 mmであった。次に、採取した70個体につき12のMSマーカーにおける遺伝子型を決定した。その中、全長が最大の10個体のlong(Ln)群と最小の10個体のshort(Sh)群、および体高が最大の10個体のhigh(Hi)群と最小の10個体のlow(Lw)群を選び出し、4群の対立遺伝子の頻度が集団全体における対立遺伝子の頻度から有意にずれていないかどうかを検定した。しかしながら、Sh群およびLw群において高成長タイプの対立遺伝子が有意に多く出現するという、予想とは逆の結果を示すMSマーカー座がそれぞれ1つずつ見つかった。

飼育中の3歳齢のトラフグの各組織より、全RNAを抽出してcDNAを合成した。このcDNAを鋳型に2種類のIGF、IGF-1およびIGF-2のcDNAクローニングを行った。その結果、IGF-1については全翻訳領域の182アミノ酸残基をコードするcDNA 2536 bp(ポリAテール含む)を得た。IGF-2については212アミノ酸残基をコードするcDNA 760 bpを得た。既報のトラフグIGF-2の配列と合わせ全翻訳領域の塩基配列が明らかになった。F1世代作出に使用した親世代2個体、F1世代のBC用精子提供雄親およびBC作出に使用した雌親の間で、IGF-1の493 bpのイントロン領域についても4個体間で多型はみられなかった。次に、BC世代トラフグのLn群とSh群、およびHi群とLw群につき、IGF-1およびIGF-2各遺伝子のmRNA蓄積量を比較した。その結果、IGF-1ではLn群のmRNA蓄積量はSh群のそれの約1.4倍(P < 0.005)、Hi群のmRNA蓄積量はSh群のそれの約1.3倍(P < 0.05)であった。一方、IGF-2では各群間で発現量に有意な差はなかった(P > 0.05)。

以上、本研究は、トラフグにおいてゲノムデータベースを用いることでDNAマーカーを用いた連鎖地図が容易に作製できることを示し、それを基にQTL解析を行うことができることを示唆した。さらに、トラフグ仔魚の成長速度にIGF-1の発現が関わっていることを強く示唆したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/25053