学位論文要旨



No 124712
著者(漢字) 西田,和弘
著者(英字)
著者(カナ) ニシダ,カズヒロ
標題(和) 植物被覆による乾燥地の農地保全に関する研究
標題(洋)
報告番号 124712
報告番号 甲24712
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3422号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物・環境工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塩沢,昌
 東京大学 教授 蔵田,憲次
 東京大学 教授 宮崎,毅
 東京大学 教授 溝口,勝
 東京大学 准教授 西村,拓
内容要旨 要旨を表示する

1.序論

乾燥地、半乾燥地の灌漑農地では、根圏への塩類の集積とそれに伴う塩害が生じ問題となっている。このような土地では、灌漑排水設備の導入により塩類集積を防止する必要があるが、これは必ずしも容易では無い。そのため、多くの農地は耕作放棄され、塩類集積がさらに進行し、深刻な土壌劣化が引き起こされている。そこで、塩類集積の防止法として、植物被覆による農地の保全方法が注目されている。しかし、植物の導入がどのように塩類集積に影響を与えるかに関して,科学的に十分な検討はなされていない。私は、土壌表面への高濃度の塩類集積を防ぎ、それに伴う土壌劣化を防止することが、植物による農地保全効果であると考えた。これには、土壌-植物-大気連続体(SPAC)における水・塩移動に基づいた評価が必要であると考える。そこで、本研究では、植物被覆による農地保全効果を,SPACの水・塩移動のメカニズムに基づき評価すること,を目的とした。

2.小麦を用いた蒸散・根の吸水に伴う塩類集積過程の評価

二章では、地下水位一定のポット実験と,SPACモデルによる数値解析により蒸散・根の吸水に伴う塩類集積過程の比較を行った.

実験は自然光温室(温度25度,湿度70%に制御,自然光)で行った.庄内砂丘砂を充填したポット(高さ60cm,内径20cm)に,春小麦を播種し水道水で十分生育させた.実験ポットは,NaCl濃度4.6g/lの塩水を供給する塩水供給ポットを5つ,水道水を供給する対照ポットを1つの計6ポット用意した.播種後43日目に,塩水を十分に灌漑し土壌水を塩水に置換した後,マリオット管を接続し,地下水位一定の元で下部からのみの塩水供給を開始した.地下水位は47cmとし,表面に乾燥層が形成され土壌面蒸発が小さくなる条件とした.塩水供給ポットは,塩水供給から7,12,16,22,27日後に1ポットずつ解体し,5cm毎の塩濃度,体積含水率,根長密度の測定,および葉の水ポテンシャルの測定を行った.また,マリオット管の重量変化より日蒸発散速度を測定した.以下に数値計算の基礎方程式を示す。

水移動は,根の吸水項Sと等温水蒸気移動を含むRichards式で表される.塩移動は,移流分散式で表される.

(1)

(2)

θ:体積含水率,h:マトリックポテンシャル,ho:浸透ポテンシャル(土壌水の塩濃度Cより計算),K:不飽和透水係数,Kv:水蒸気輸送係数,x:鉛直下向き座標,t:時間.D:溶質分散係数,q:液状水フラックス,

根の吸水は,葉の水ポテンシャルhlと土壌水の水ポテンシャル差で生じ,次式で表される.蒸散速度Etは,可能蒸散速度PEtと相対的な気孔の閉鎖程度を表す関数f(hl)の積で表される.

(3)

(4)

(5)

Rs,Rp:土壌と植物の抵抗.

数値計算方法は、(3)(4)式より(5)式を満たすhlをニュートン・ラフソン法で決定した.そして,(1)(2)式を差分法で離散化し(1)(2)(5)式が満たされるまで反復計算によりh,C, hlを解いた.砂丘砂のK,θ, D,小麦のf(hl)は別途測定したものを用いた.初期・境界条件は実験と同様に与えた.空間刻み0.5cm,時間刻み6minとし実験終了時(27日目)まで計算した.

Fig.1に塩分量・塩濃度分布の実測値と計算値を示す.塩供給開始時には表面に近い上部に塩は集積したが,時間が経過すると上部での集積は停止し深い位置に塩が集積した.根の吸水の計算値をFig.2(a)に示す.根の吸水は,初めは根長分布(Fig.2.b)に対応し,根の多い上部において大きいが,時間が経過するにつれ上部の吸水は低下し,下部の吸水が増加する傾向がみられた.これらより,根の吸水に伴う塩類集積過程では,塩濃度が低い時は,塩類は,根の多い上部に多く集積するが,塩濃度が上昇すると,土壌水と植物のポテンシャル差が減少するため,上部の吸水は阻害されそこでの塩類集積は停止すること,そして,根の伸張により吸水量が増加する下方で,塩の集積が増加することが明らかになった。

3.芝の蒸散と裸地面蒸発に伴う塩類集積過程の比較

3章では、植物の蒸散と裸地面蒸発に伴う土壌内の塩類集積過程の違いを評価することを目的とし、浅い地下水位を持つ地下水位一定のポット実験を行った。

植物には、土壌表面を葉で被覆するのに適していると考えられる、密集して生育する芝、ひめのと、好塩性のあも青の二品種を用いた。実験は、自然光の温室で行った。実験手順は、二章の実験とほぼ同様に行い、塩水供給を行う塩水供給ポットを、三種類×3ポットずつ、水道水供給を行う対照ポットを同様に三種類×1ポットずつ用意した。地下水位は30cmで一定とし塩水は7.5g/lのNaCl溶液を与えた。塩水供給ポットは、塩水供給後27,64日後に解体し、サンプリングを行った。二章同様に、蒸発散量、葉の水ポテンシャル、サンプリング時に、土壌水の体積含水率分布,塩分量分布、を測定した。

裸地ポットの塩濃度は,土壌の表面において上昇し、約120g/lと非常に高い値となった。一方、芝ポットの塩濃度では、根の吸水によって塩類集積が生じるため、裸地ポットよりも下方において塩濃度上昇が見られた。逆に、表面では裸地ポットの二分の一から三分の一の低い濃度を示した。この結果より、裸地では土壌表面の土壌水の濃度が高濃度に濃縮されること、植生下では、根の周囲に塩が集積し、表面の濃度は裸地よりも低濃度になることが明らかになった。

4.SPACモデルを用いたシミュレーションによる塩類集積過程の比較

四章では、SPACモデルにより、実験を行うことが困難な、様々な地下水位、土性、植物被覆の有無の違い,による蒸発散量、塩類集積過程、塩濃度分布を比較し、これまでの結果の一般化を行った。

シミュレーションには2章で用いたモデルを用いた。基礎方程式は、土壌中の水移動に関しては、Rihcards式、塩移動について、移流分散式、根の吸水モデルは、SPACモデルを用い、蒸散速度は、可能蒸散速度×蒸散比、裸地面蒸発速度は等温蒸発とした。植物には、二章で用いた小麦の特性を、土壌には、庄内砂丘砂と黒ボク土の特性を与え、大気の条件は、可能蒸発散速度を6mm/day,相対湿度を30%と与えた。

Fig.3に、地下水・初期状態の塩濃度を2g/l,地下水位を100cmにおける、塩類集積時の裸地と植物被覆下の土壌水の塩濃度分布変化を示す。裸地条件では、塩濃度は表面でのみ上昇した。表面の濃度は、40日目には飽和濃度(360g・l)に達し、それ以降は、表面に塩が析出した。一方、植生下では、塩濃度は根圏全体で上昇した。表面の塩濃度は700日目においても27g/lと、裸地よりも1オーダー低い値に維持された。この結果より、裸地条件下では、土壌水の塩濃度が飽和濃度になり、塩が析出したとしても塩類集積は停止せず、また塩は蒸発の生じる表面にほぼ全てが集積するため、表面には高濃度の塩類集積が生じるが、植物被覆下では,吸水によって下がりうる土壌水の水ポテンシャルが、必ず植物の水ポテンシャルよりも高い値になるため、植物が生きている限り、植物被覆下では裸地ほどの高濃度の塩類集積は生じないことが明らかになった。

5.植物被覆による農地保全のメカニズムの考察

5章では、植物被覆による農地保全効果のメカニズムを考察し本研究の成果をまとめる。裸地条件下では,土壌表面に高濃度の塩類集積が生じるため、ソーダ質化や土粒子の分散などの土壌劣化が起こる。しかしながら、植物被覆下では、表面の塩濃度上昇が遅くなると共に、表面の濃度が裸地よりも低濃度に保たれるため、土壌の劣化が防止される。また、裸地条件下では、降雨があると、表面の透水性が低下し、浸透能が大きく低下する。浸透能の低下は、降雨量が蒸発散量より多い条件においても,上向きの水移動を発生させ,塩類集積を引き起こすため、局所的な塩類集積を引き起こすと考えられる。一方、植物は、こうした、高濃度の塩類集積による土壌の透水性の低下を防ぐと共に、植物の根の効果により透水性を高めるため、浸透能の低下に伴う塩類集積の発生を防ぐと考えられる。

以上より、植物被覆による農地保全効果は、土壌表面の高濃度の塩類集積とそれに伴う土壌劣化を防止すること、浸透能の低下を防止し、それに伴う塩類集積を防止することにあると結論づける。このメカニズムにより植物被覆は乾燥地の土壌を守る。従って、塩類集積により耕作放棄された農地では、収量を期待出来なくとも植物を導入することが良い。

Fig.l (a) Salt content, (b) Salt concentration profiles

Fig.2 (a) Root water uptake rate, (b) Root density

Fig.3 (a) Salt content, (b) Salt concentration, profiles

審査要旨 要旨を表示する

乾燥地,半乾燥地の灌漑農地では,根圏への塩類の集積とそれに伴う塩害が生じ問題となっている.塩類集積の防止のためには灌漑排水設備を導入することが不可欠であるが,これは必ずしも容易ではない.そのため,多くの農地は耕作放棄され,塩類集積がさらに進行した深刻な土壌劣化が引き起こされている.そこで,塩類集積防止法として,土壌表面を植物で被覆する方法が注目されている.この方法は乾燥地において経験的に知られた方法であるが,根圏の塩類集積過程に与える影響に関して,科学的に十分な検討はなされていなくそのメカニズムは明らかでない.本研究は,植物被覆による農地保全効果を,土壌-植物-大気連続体(SPAC)の水・塩移動のメカニズムに基づき明らかにしたものである.

序論(第1章)に続き第2章では,まず,地下水位を制御したポット実験により,小麦の葉の水ポテンシャルと蒸散比(実蒸散/可能蒸散)の関係を測定した.小麦の蒸散比は,葉の水ポテンシャルが-2.0 MPaで蒸散比0.5,-3.0 MPaで蒸散比0.3となった.そして,この関係を経験式で表した.次に,これと独立の実験で,小麦の根の吸水に伴う土壌中の塩分量・塩濃度の変化を測定した.土壌中の塩は,初期では根の多い上部において多く集積し下部にはほとんど集積しないが,塩濃度が上昇すると上部の塩類集積は停止し下方において塩類集積が起こることが明らかになった.そして,根の吸水に伴う塩類集積過程を表現可能な数値計算モデル(SPACモデル)を作成し,計算結果を実験結果と比較することで検証した.ここで作成したSPACモデルは土壌中の水移動についてはRichards式,塩移動については移流分散式,根の吸水についてはオームの法則型モデル,蒸散については蒸散比モデルを用いることで,土壌中の水・塩移動,根の吸水,蒸散を考慮したものである.SPACモデルによる計算結果は,実験結果と比較的良い一致を見せ,実験による塩類集積過程を良く表現した.根の速度の計算値は,初め根の多い上部で高い値を示したが,時間の経過と共に上部の根の吸水速度は低下した.以上の結果より,根の吸水に伴う塩類集積過程では,初期においては根が多く根の吸水速度が高い上部に多量の塩が集積するが,下部では上部への移流によって塩が上部に運ばれるため根の吸水があったとしても塩分量は増加せずほぼ一定となること,時間が経過すると上部では塩濃度上昇によって根の吸水が阻害されるため塩集積が停止するが,下部では上部への移流が停止するため塩集積が始まること,土壌水の水ポテンシャルは根の吸水によっては葉の水ポテンシャル以下にならないことが明らかになった.

3章では,浅い地下水位を持つ地下水位一定のポット実験により,植物の蒸散と裸地面蒸発に伴う土壌内の塩類集積過程の違いを評価した.ポット表面が芝で覆われているポットと,表面が裸地状態のポットを用意し,ポット内の塩濃度・塩分量分布がどのように異なるかを調べた.裸地状態のポットの塩濃度は,土壌の表面のみで上昇した.表面の土壌水の塩濃度は飽和濃度(360g/l)となり,表面では塩が析出した.一方,芝ポットの塩濃度は,根の吸水によって塩類集積が生じるため,裸地ポットよりも下方においても上昇した.また,表面の濃度は裸地ポットより低い濃度(100g/l)となった.この結果より,裸地では土壌表面の土壌水の濃度が高濃度に濃縮されること,植生下では,根の周囲に塩が集積し,表面の濃度は裸地よりも低濃度になることが明らかになった.

4章では,2章で作成したSPACモデルを用いたシミュレーションにより,実験を行うことが困難な,様々な地下水位,土性,植物被覆の有無の違い,による蒸発散量,塩類集積過程,塩濃度分布を比較した.シミュレーション結果は,3章の実験結果と同様に,裸地下では土壌表面において土壌水が高濃度に濃縮されるが,植物被覆下では吸水によって下がりうる土壌水の水ポテンシャルが,必ず植物の水ポテンシャルよりも高い値になるため,植物が生きている限り裸地ほどの高濃度の塩類集積は生じないことを示した.この結果より,植物被覆下の塩類集積過程がSPACの基礎理論により説明可能であることが示唆された.

5章では,総括として,植物被覆による農地保全効果のメカニズムを考察した.裸地では,土壌表面に高濃度の塩類集積が生じるため,ソーダ質化や土粒子の分散などの土壌劣化が起こること,植物被覆下では,表面の塩濃度上昇が遅くなると共に,表面の濃度が裸地よりも低濃度に保たれるため,土壌劣化が防止されることが考えられた.また,裸地では,降雨があると表面の透水性・浸透能が低下するため,塩類集積が生じるが,植物被覆下では,高濃度の塩類集積による土壌の透水性の低下が防止されるため,浸透能の低下に伴う塩類集積の発生が防がれると考えられた.以上より,植物被覆による農地保全効果は,土壌表面の高濃度の塩類集積とそれに伴う土壌劣化を防止すること,浸透能の低下を防止し,それに伴う塩類集積を防止することにあると考察した.

以上のように本研究は,植物被覆による乾燥地の農地保全効果を,室内実験,物理モデルによるシミュレーション,水移動に関する基礎理論に基づく解析により明らかにしたものである.その結果はオリジナリティが高く,乾燥地の農地保全上重要なものである.よって審査員一同は本論文を博士学位に値するものと認めた。

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