学位論文要旨



No 124719
著者(漢字) 田中,潤治
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ジュンジ
標題(和) キノン添加修正クラフト蒸解におけるキノン化合物の作用動態に関する研究
標題(洋)
報告番号 124719
報告番号 甲24719
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3429号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,雄二
 東京大学 教授 磯貝,明
 東京大学 准教授 江前,敏晴
 東京大学 講師 横山,朝哉
 筑波大学 准教授 大井,洋
内容要旨 要旨を表示する

クラフトパルプ工場においてパルプを効率的に製造することは大変重要であり,このような技術としてキノン化合物の蒸解助剤としての添加や,修正クラフト蒸解が知られている。本研究では,修正クラフト蒸解と言う進化の過程にあるクラフト蒸解を前提として,蒸解助剤としてのキノン化合物の可能性を明らかにし,適切なキノン添加修正クラフト蒸解法を見いだすことを第一の目的とした。さらに,蒸解の進展に沿ってキノン化合物の存在形態と作用を明らかにすることを通じて,キノン化合物の効果発現機構として提案されてきた触媒的な酸化還元サイクルを実証的に再検討することを第二の目的とした。

第2編では,修正クラフト蒸解における,キノン化合物の添加効果を検討した。まず,修正クラフト蒸解に対応した研究用木材蒸解装置を開発し,修正クラフト蒸解を模した蒸解を広葉樹について行ったところ、従来法によるクラフト蒸解よりもカッパー価が低減し、修正クラフト蒸解の効果を再現することができた。クラフトパルプの,次に,修正クラフト蒸解において,パルプ収率を効果的に向上させるためのキノン化合物添加方法を検討した。キノン化合物としてDDA(1,4-ジヒドロ-9,10-ジヒドロキシアントラセンのジナトリウム塩)を用いた結果,DDAを蒸解開始時に一括して添加する場合の方が,分割添加する場合よりもパルプ収率が高いことが確認された。さらに,修正クラフト蒸解の特徴の一つである白液の分割添加において,活性アルカリの分割比がキノン化合物の効果にどう影響するかを検討した。その結果,現在の修正クラフト蒸解で行われている白液の分割比率の範囲(第1の白液分割比率が30~70%)では,DDAによるパルプ収率向上効果は,白液を一括して添加した場合と同等かそれ以上であった。最後に,修正クラフト蒸解の特徴の一つである蒸解初期における黒液の一部抽出において,抽出された黒液に含まれるキノン化合物を定量し,その後の蒸解への影響について検討した。蒸解釜内部の全液量に対して約27%の黒液を抽出したが,これに伴うキノン化合物の抽出率は最初に添加した量の5~8%程度であったため,黒液の抽出に伴う蒸解釜内のキノン化合物量の減少は小さいと判断した。

第3編ではキノン添加クラフト蒸解を行い,蒸解過程におけるキノン化合物の作用動態の検討を行った。3種類のキノン化合物を用いてクラフト蒸解を行い,キノン化合物のチップ内外への分布および蒸解の進展に伴う変化を比較した。その結果,蒸解初期において,蒸解の進展に伴ってキノン化合物の大幅な減少が見られたが,チップに吸着したキノン化合物はほとんど減少しなかった。キノン化合物として水溶性のものと非水溶性のものを用いたところ,いずれも全回収率はほとんど同じように推移していったが,水溶性のキノン化合物であるAHQ(9,10-アントラヒドロキノン)およびDDAは非水溶性のキノン化合物であるAQ(9,10-アントラキノン)と比べて、チップに吸着された量が相対的に高かった。この結果は,キノン化合物は水溶性の形で添加した方の効果が現れやすいことを示唆しており、このことは実際に脱リグニンならびにパルプ収率が向上したことによって確認された。次に,修正クラフト蒸解を想定して,蒸解途中で添加した場合のキノン化合物の分布や,蒸解途中で追加した白液がキノン化合物の分布に与える影響を検討した。その結果,蒸解途中で添加したキノン化合物は,蒸解開始時に添加した時に比べてチップ内部に浸透する割合が少なかった。この結果は蒸解途中で添加したキノン化合物は添加効果が低いと言う第2編の蒸解実験結果を説明する。

第4編では,蒸解の進展に伴うキノン化合物の分布の変化を,酸化型(キノン)および還元型(ヒドロキノン)に分けて調べることを試みた。その結果,蒸解初期には還元型のキノン化合物が多く検出された。その後,蒸解の進展に伴い,酸化型のキノン化合物が多く検出されるようになった。蒸解途中でキノン化合物を添加した場合,チップ内部と外部の黒液から得たキノン化合物は,いずれも酸化型として多く検出された。以上の結果から,蒸解の全過程にわたってキノン化合物の酸化還元サイクルが効率的に機能しているわけではないことが明らかになった。

そこで、第5編ではキノン化合物の酸化還元サイクルの機能を向上させることを目的として,蒸解中期以降に多く存在する酸化型キノン化合物を還元するための還元剤(デンプンまたは木材チップから溶解したヘミセルロース成分)を用いる実験を行った。まず,リグニンモデル化合物を用いてキノン添加クラフト蒸解を行い,還元剤(デンプン)の添加によってモデル化合物のβ-O-4結合が促進されていることが認められた。次に,ユーカリ材を用いてキノン添加修正クラフト蒸解を行い,還元剤添加による脱リグニンの効果を検討した。その結果,蒸解の途中で溶解ヘミセルロース成分を添加した場合,わずかではあるがカッパー価が未添加と比較して低下したものの、明確な添加効果が発現されるためには多量のヘミセルロースが必要とされるため、現実の蒸解工程に適用するのは困難だと思われた。一方、デンプンの添加効果は観測されなかった。

第6編では,キノン化合物が持つ酸化還元サイクルの機能を向上させる研究の続編として,蒸解初期における多糖類の還元性末端の酸化安定化に関する検討を行った。まず,あらかじめ還元性末端を安定化(還元安定化)したセルロースを用いてモデル蒸解を行い,セルロース回収率への効果を検討した。その結果,水素化ホウ素ナトリウムで還元性末端を安定化したセルロースを用いて蒸解を行った場合は,セルロース回収率が約17%向上したのに対して,キノン化合物を添加した場合のセルロース回収率は約2.5~4.5%の向上であった。多糖類にもともと存在している還元性末端を安定化させることが,パルプ収率の向上に大きく寄与することが示された。次に,多糖類の酸化安定化と脱リグニンの促進の両方に有効と思われる酸化還元電位を有し,かつ水溶性で酸化型のキノン化合物(SEAQ)を合成した。SEAQ添加クラフト蒸解を行ったところ,現在パルプ工場で多く用いられているDDAよりも,モル当たりの効果としてはパルプ収率の向上が大きかった。

第7編では,これまで得られた知見を基に,クラフト蒸解におけるキノン化合物の効果を高めるため,蒸解を行う前にキノン化合物の浸透処理を行った。まず,蒸解と同じ液比を用いる条件(i) と蒸解よりも低い液比を用いる条件(ii)のそれぞれについて、浸透処理の最適な条件(キノン化合物の種類,浸透温度,浸透時間,活性アルカリ添加率,液比)をラボ実験により検討した。パルプ収率の向上効果を比較したところ,総じて、(i)の条件では浸透処理による効果はあまり見られなかったが,(ii)の条件では浸透処理を行うことによって,カッパー価の低減およびパルプ収率の向上が認められた。

以上,本研究では蒸解の進展に沿ったキノン化合物の存在形態を明らかにし,キノン化合物の触媒的な酸化還元サイクルを活性化するための検討を行うことにより,修正クラフト蒸解を前提とした蒸解助剤としてのキノン化合物の可能性,そして適切な蒸解法を見いだすことができた。

審査要旨 要旨を表示する

クラフトパルプ工場においてパルプを効率的に製造するために,キノン化合物の蒸解助剤としての添加や,修正クラフト蒸解が多く導入されている。現在,クラフトパルプ工場に用いられているキノン化合物として,水溶性のDDA(1,4-ジヒドロ-9,10-ジヒドロキシアントラセン)と非水溶性のAQ(9,10-アントラキノン)が挙げられる。本研究では,修正クラフト蒸解におけるキノン化合物の可能性を明らかにし,適切な蒸解法を見いだすことを第一の目的とした。さらに,キノン化合物の効果発現機構として提案されてきた触媒的な酸化還元サイクルを実証的に再検討することを第二の目的とした。

第一の検討として,修正クラフト蒸解に対応した研究用木材蒸解装置を用いて修正クラフト蒸解を行い,パルプ収率を効果的に向上させるためのキノン化合物添加方法を比較した。その結果,キノン化合物を蒸解開始時に一括して添加する場合の方が,分割添加する場合よりもパルプ収率が高いことが確認された。

これを検証するため,第二の検討ではキノン添加クラフト蒸解を行い,蒸解釜内チップおよび黒液を3つのフラクションに分け,蒸解過程におけるキノン化合物の分布を調べた。その結果,蒸解初期において,蒸解の進行に伴うキノン化合物の大幅な減少が見られたが,チップ外の黒液に存在していた部分に比べて,チップ内部に存在していた部分の減少は小さかった。3種類のキノン化合物を用いて比較を行ったところ,蒸解初期において水溶性のキノン化合物は十分に洗浄した後クロロホルムで抽出して採取した部分への分布が多かった。したがって,蒸解途中で添加したキノン化合物は蒸解開始時に添加したものに比べて,チップ内部に浸透する割合は少なかった。

以上の結果より,キノン添加クラフト蒸解では,蒸解開始時にできるだけ多くのキノン化合物をチップ内部に浸透させるのが有効と考えられたため,第三の検討として,蒸解を行う前にキノン化合物の浸透処理の導入を試みた。まず,蒸解と同じ液比を用いる条件で浸透処理を行ったところ,効果はあまり見られなかった。次に,浸透液中のキノン化合物濃度を高めるために,蒸解よりも低い液比を用いる条件で浸透処理を行ったところ,カッパー価の低減およびパルプ収率の向上が認められた。この結果より,蒸解開始時における、原料チップ内のキノン化合物濃度を高めることで効果が向上することを実証した。

第四の検討として,第二の検討で行った蒸解の進展に伴うキノン化合物の分布の変化を,酸化型(キノン)および還元型(ヒドロキノン)に分けて調べることを試みた。その結果,蒸解初期には還元型のキノン化合物が多く検出された。その後,蒸解の進展に伴い,酸化型のキノン化合物が多く検出されるようになった。この結果から,蒸解の全過程にわたってキノン化合物の酸化還元サイクルが効率的に機能しているわけではないことが明らかになった。

そこで,キノン化合物の酸化還元サイクルの機能を向上させるために,第五の検討として,蒸解中期以降に還元剤を用いる実験を行った。リグニンモデル化合物を用いたキノン添加クラフト蒸解では,デンプンの添加によってモデル化合物のβ-O-4結合の開裂が促進されていることが認められた。しかし,ユーカリ材を用いたキノン添加修正クラフト蒸解では,デンプンおよびヘミセルロースの添加による効果は見られなかった。

一方,蒸解初期における多糖類の還元性末端の酸化安定化に関する検討も行った。まず,あらかじめ還元性末端を安定化(還元安定化)したセルロースを用いてモデル蒸解では,セルロース回収率が約17%向上したのに対して,キノン化合物を添加した場合は0.25%の添加率であっても回収率の向上は約2.5~4.5%であった。したがって,多糖類にもともと存在している還元性末端を安定化させることが,パルプ収率の向上に大きく寄与することが示された。したがって,キノン化合物の酸化還元サイクルは、蒸解途中においてその機能を向上させるよりも、蒸解開始時においてその機能を向上させる方が効率的であることを示した。

このように本研究では、蒸解助剤を用いた効率的な脱リグニン法を開発する上での方向性を明確に示すことができた。その結果は既存の化学パルプ製造工程の改良・効率化に寄与するだけでなく、イオウを用いないパルプ化法の開発と言う抜本的な技術革新への道を示したものと高く評価できる。また、この成果は今後バイオマスの化学的利用を図る上でも貴重な示唆に富んだものである。従って、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/25048