学位論文要旨



No 124724
著者(漢字) 増田,寛志
著者(英字)
著者(カナ) マスダ,ヒロシ
標題(和) ミネラル栄養価を高めたイネの作出に関する研究
標題(洋)
報告番号 124724
報告番号 甲24724
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3434号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農学国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西澤,直子
 東京大学 教授 妹尾,啓史
 東京大学 教授 大杉,立
 東京大学 教授 小林,和彦
 東京大学 准教授 山川,隆
内容要旨 要旨を表示する

鉄と亜鉛はヒトにとって必須の栄養素である。世界保健機関によれば鉄欠乏症と亜鉛欠乏症の人々は、世界にそれぞれ20億人いると言われており、公衆衛生上の重要な問題として国家主導による大規模な対策が望まれている。そこで、世界の半数の人々が主食とするコメの鉄・亜鉛を増加させた品種を作出し、流通させれば、鉄欠乏や亜鉛欠乏の克服に大きく貢献できると考えられる(博士論文・第1章)。

ヒトにおける鉄、亜鉛の一日あたりの必要量と各国の白米消費量を考慮し、白米中の鉄含有量を10倍に、亜鉛含有量を2.5倍に増加させることを目標とした。

種子中の鉄含有量を増やす一つの方法として、鉄肥料の葉面散布による施肥が考えられる。香川県の農家の協力を得て鉄肥料の葉面散布の圃場実験を行った結果、白米中の鉄含有量が1.5倍に増加した。しかしながら、より効率よく種子中の鉄を増加させるには、施肥よりも植物の遺伝的性質自体を改良する遺伝子組換えの手法がより効果的であることが示唆された。

また、イネの鉄・亜鉛の濃度を調べたところ、白米に相当する胚乳組織における濃度が低く、葉や穂軸、ぬか等における濃度が非常に高いことが分かった。したがって、登熟期に根から吸収した鉄や亜鉛を、食用となる胚乳組織へ輸送する能力をいかに強化するかが重要であると考えた(第2章)。

当研究室では、長年にわたってイネにおける鉄・亜鉛の吸収と体内輸送に関する研究を行ってきた。そこで博士課程における研究ではこれまでの研究成果をもとにイネ種子中の鉄・亜鉛含有量の増加につながりうる遺伝子と、それを発現させるためのプロモーターを決定し、イネに導入することにより、鉄・亜鉛強化米の作出を目指した。このために表1にある四つの方法を考えた。

方法1に関しては、すでに後藤らによってGluBpro-Ferritinを用いた形質転換イネの作出と解析が報告されており、種子中の鉄含有量が2倍から3倍に増加することが確認されている(Goto et al.1999 Net. Biotech. 17: 282-286)。ただし、この方法だけでは前述の目標には至っていない。また、フェリチンをさらに多く発現させても鉄含有量はそれ以上増加せず、鉄の吸収や体内輸送能力を強化しなければいけないことが示唆されていた(Qu et al. 2005 Planta. 222:225-233)。

そこで、筆者はまず方法3に従い、オオムギのムギネ酸類生合成酵素遺伝子のゲノム断片のうち、HvNAS1、HvNAS1+HvNAAT-A,-B、IDS3をそれぞれ導入した3種類の形質転換イネを用いて、2006年度、東北大学の複合生態フィールド教育研究センターの隔離圃場にて黒ボク土壌での栽培検定を行った。その結果、IDS3ゲノム断片を導入した組換えイネの白米における鉄、亜鉛含有量がそれぞれ1.4倍、1.35倍に増加した(掲載論文1;第3章)。

次に、上記の方法1と方法3を組み合わせ、高鉄米1を作出した。鉄貯蔵タンパク質であるフェリチン遺伝子を胚乳特異的に発現させるコンストラクトと、オオムギのムギネ酸類生合成酵素遺伝子のゲノム断片、HvNAS1、HvNAAT-A,-B、IDS3を同時に導入したイネを作出した。ベクターには、将来的に実用化された場合を念頭に入れ、形質転換後に選抜マーカー遺伝子を外すことが可能なマーカーフリーベクターを用いた。約100系統の形質転換体を作出し、3世代に渡って金属含有量の測定と選抜を行った。その結果、導入した4つの遺伝子すべてが発現する系統が得られ、白米の鉄含有量が2倍から4倍に増加した。(第4章)。

さらに、方法2に従い、オオムギのニコチアナミン合成酵素遺伝子HvNAS1をイネのActinプロモーター制御下で過剰発現させた。形質転換イネを作出し解析した結果、T1植物体における地上部のニコチアナミン含有量は、非形質転換体に比べて5倍から 20倍に増加した。またT2種子の白米中の鉄含有量が3倍に、亜鉛含有量が2倍に増加した系統が得られた(投稿準備中;第5章)。

次に、方法4に従いトランスポーターを利用して植物体内の金属元素の輸送能力を高めることにより、種子中の鉄・亜鉛を増加させることを試みた。まず亜鉛トランスポーターであるOsZIP4を過剰発現させれば、植物体内における亜鉛の輸送が活発となり種子の亜鉛含有量が増加するのではないかと考えた。しかしながら根における亜鉛含有量は10倍に増加したものの、予想に反して茎葉と種子における亜鉛含有量は5分の1に減少した(掲載論文2;第6章)。

また、OsYSL2は二価鉄ニコチアナミンのトランスポーターであり、鉄の篩管輸送に関わると考えられている。このOsYSL2の発現抑制体を解析したところ、白米中の鉄含有量が3割減少していた。そこで、OsYSL2がイネの種子への鉄の輸送に重要な役割を果たすことが示された。しかしながらOsYSL2の過剰発現体の場合にも、種子の鉄含有量は約2割減少した。OsZIP4とOsYSL2の過剰発現体の結果より、トランスポーター遺伝子を利用する場合は単に過剰発現させる方法は有効ではないと考えられた(第7章)。そこで、イネの維管束や胚乳組織の表層に強く発現し、イネの登熟期において白米にショ糖を多量に輸送するのに必須なショ糖のトランスポーターであるOsSUT1の発現特性に着目した。このOsSUT1のプロモーター制御下でOsYSL2を発現させたところ、白米における鉄含有量が2倍から4倍に増加した(第8章)。

最後に、上記の知見に基づき方法1,3,4を組み合わせた。フェリチンを胚乳特異的に発現する遺伝子配列、ニコチアナミンを過剰発現する遺伝子配列、OsSUT1プロモーター制御下でOsYSL2を発現させる遺伝子配列等を同時にイネに導入し、高鉄米4または高鉄米5を作出した。その結果、白米における鉄含有量を最大で約6倍に増加させることに成功した(第9章)。

結論として、亜鉛含有量を2.5倍に増加させるという目標は、おそらくニコチアナミン合成酵素を過剰発現させれば達成可能であることが示唆された。また、方法1,3,4を組み合わせたところ鉄含有量が最大で6倍に上がったことから、これにもう一つ何らかの方法を組み合わせれば鉄含有量を10倍にするという目標もおそらく達成可能であると考えられた。本研究により得られた知見はイネのみならずコムギやトウモロコシなどの他の重要な穀物にも応用可能である。本研究の成果が、ミネラル栄養価を高めた作物を作出することにより世界の鉄欠乏や亜鉛欠乏の人を減少させることに貢献することを期待している(第10章)。

1. Masuda, H., Suzuki, M., Morikawa, K.C., Kobayashi, T., Nakanishi, H., Takahashi, M., Saigusa, M., Mori, S. and Nishizawa, N.K. (2008) Rice 1:100-108.2. Ishimaru, Y., Masuda, H., Suzuki, M., Bashir, K., Takahashi, M., Nakanishi, H., Mori, S., and Nishizawa, N.K. (2007) J.Exp.Bot. 58: 2909-2915

表1 イネの白米中の鉄・亜鉛含有量を増加させるための方法

図1 ミネラル含有量増加戦略の概要と非形質転換体に対する鉄・亜鉛含有量の増加率

審査要旨 要旨を表示する

鉄と亜鉛はヒトにとって必須の栄養素である。世界保健機関によれば鉄欠乏症と亜鉛欠乏症の人々は、世界にそれぞれ20億人いると言われており、公衆衛生上の重要な問題として国家主導による大規模な対策が望まれている。そこで、世界の半数の人々が主食とするコメの鉄・亜鉛を増加させた品種を作出し、流通させれば、鉄欠乏や亜鉛欠乏の克服に大きく貢献できると考えられる(第1章)。ヒトにおける鉄、亜鉛の一日あたりの必要量と各国の白米消費量を考慮し、白米中の鉄含有量を10倍に、亜鉛含有量を2.5倍に増加させることを目標とした。

種子中の鉄含有量を増やす一つの方法として、鉄肥料の施用が考えられる。鉄肥料の葉面散布の圃場実験を行った結果、白米中の鉄含有量が1.5倍に増加した。しかしながら、より効率よく種子中の鉄を増加させるには、施肥よりも植物の遺伝的性質自体を改良することが効果的であると考えられた。イネ種子の鉄・亜鉛の濃度を調べたところ、白米に相当する胚乳組織における濃度が低いことが分かった。登熟期に根から吸収した鉄や亜鉛を、食用となる胚乳組織へ輸送する能力を強化することが重要であると考えた(第2章)。

イネにおける鉄・亜鉛の吸収と体内輸送に関する研究の知見に基づいて、イネ種子中の鉄・亜鉛含有量の増加に寄与すると想定される遺伝子と、それを発現させるためのプロモーターを決定し、イネに導入することにより、鉄・亜鉛強化米の作出を目指し、以下のアプローチを考えた(表1)。

方法1に関しては、すでに形質転換イネの作出と解析が報告されており、種子中の鉄含有量が2倍から3倍に増加することが確認されているが、前述の目標には至っていない。また、フェリチンをさらに多く発現させても鉄含有量はそれ以上増加せず、鉄の吸収や体内輸送能力を強化しなければいけないことが示唆されていた。

そこで、まず方法3に従い、オオムギのムギネ酸類生合成酵素遺伝子のゲノム断片を導入した3種類の形質転換イネを用いて、東北大学の複合生態フィールド教育研究センターの隔離圃場にて黒ボク土壌での栽培検定を行った。その結果、IDS3ゲノム断片を導入した組換えイネの白米における鉄、亜鉛含有量がそれぞれ1.4倍、1.35倍に増加した(第3章)。

次に、方法1と方法3を組み合わせ、高鉄米1を作出した。鉄貯蔵タンパク質であるフェリチン遺伝子を胚乳特異的に発現させるコンストラクトと、オオムギのムギネ酸類生合成酵素遺伝子のゲノム断片を同時に導入したイネを作出した。ベクターには、将来的に実用化された場合を念頭に入れ、形質転換後に選抜マーカー遺伝子を外すことが可能なマーカーフリーベクターを用いた。約100系統の形質転換体を作出し、3世代に渡って金属含有量の測定と選抜を行った。その結果、導入した4つの遺伝子すべてが発現する系統が得られ、白米の鉄含有量が2倍から4倍に増加した。(第4章)。

さらに、方法2によって形質転換イネを作出し解析した。地上部のニコチアナミン含有量は、非形質転換体に比べて5倍から 20倍に増加した。またT2種子の白米中の鉄含有量が3倍に、亜鉛含有量が2倍に増加した系統が得られた(第5章)。

次に、方法4により、まず亜鉛トランスポーターを過剰発現させたが、予想に反して茎葉と種子における亜鉛含有量は5分の1に減少した(第6章)。また、二価鉄ニコチアナミンのトランスポーター遺伝子OsYSL2の発現抑制体を解析したところ、白米中の鉄含有量が3割減少した。以上の結果より、トランスポーター遺伝子を利用する場合は単に過剰発現させる方法は有効ではないと考えられた(第7章)。そこで、イネの維管束や胚乳組織の表層に強く発現し、イネの登熟期において白米にショ糖を多量に輸送するのに必須なショ糖のトランスポーターであるOsSUT1のプロモーター制御下でOsYSL2を発現させたところ、白米における鉄含有量が2倍から4倍に増加した(第8章)。

次に方法1,3,4を組み合わせた。フェリチンを胚乳特異的に発現する遺伝子配列、ニコチアナミンを過剰発現する遺伝子配列、OsSUT1プロモーター制御下でOsYSL2を発現させる遺伝子配列等を同時にイネに導入し、高鉄米4または高鉄米5を作出した。その結果、白米における鉄含有量を最大で約6倍に増加させることに成功した(第9章)。

本研究により得られた知見はイネのみならずコムギやトウモロコシなどの他の重要な穀物にも応用可能である。本研究の成果が、ミネラル栄養価を高めた作物を作出することにより世界の鉄欠乏や亜鉛欠乏の人を減少させることに貢献することが期待される(第10章)。

以上、本論文は植物の鉄と亜鉛栄養に関わる遺伝子を利用することによって、白米中のミネラル栄養価の高いイネの作出に成功したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

表1 イネの白米中の鉄・亜鉛含有量を増加させるための方法

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/34240