学位論文要旨



No 124726
著者(漢字) 権,純一
著者(英字)
著者(カナ) クォン,スンイル
標題(和) ベラドンナのサリチル酸メチル化酵素遺伝子AbSAMT1の発現に関する研究
標題(洋)
報告番号 124726
報告番号 甲24726
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3436号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農学国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 山川,隆
 東京大学 教授 西澤,直子
 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 教授 難波,成任
 東京大学 准教授 吉田,薫
内容要旨 要旨を表示する

1. 序

植物は動物と違い、病原性因子に対し免疫反応として抗体を作ることができない。そこで自分を守るために防御メカニズムが備わっており、ウイルスや細菌、糸状菌などの病原菌に感染すると即座に感染部位で存在する非病原性因子により病原性因子を認識し、それに対応する過敏感細胞反応(hypersensitive response ; HR)による細胞死を起こして物理的に病原菌を封じ込める。そして、リグニン化による細胞壁の肥大やファイトアレキシンの合成、桂皮酸経路及びイソコリスミン酸経路(ICS)関連遺伝子群の発現に伴うサリチル酸(salicylic acid ; SA)の合成などの防御反応を開始する。蓄積したSAは侵入菌の細胞壁を分解してエリシター分子を遊離させるキチナーゼやグルカナーゼなど下流の病原性関連タンパク質(pathogenesis-related protein ; PR protein)遺伝子を誘導して局所的な病害抵抗性を示すことが知られている。

感染葉で誘導されたSAは抵抗性応答シグナルとして篩管を通って全身的に伝達され、感染組織から離れた未感染組織においても新たな病原性因子の攻撃に備えて、防御態勢を整える。それは植物が生き残るための重要な機構で全身獲得抵抗性(Systemic acquired resistance ; SAR)と呼ばれる。植物における重要な免疫応答であり、広い範囲の病原菌に対して植物体全体が再感染に対する抵抗性を獲得する。

そのメカニズムに関する研究は、1990年にタバコ植物にタバコモザイクウイルスを感染させたところ内生SAの濃度が上昇したことからSARの内生シグナルであることが報告された。その後、1997年Shulaevらによりタバコモザイクウイルスを感染させたタバコの葉からメチルサリチル酸(サリチル酸のカルボキシル基がメチル化されたメチルエステル体 ; MeSA)が放出され、隣の個体にSARをもたらす揮発性シグナルであることが報告された。SAはサリチル酸メチル化酵素(S-adenosyl-L-methionine : salicylic acid carboxyl methyltransferase ; SAMT)によってメチル化されると考えており、生成されたMeSAはシグナル物質として各組織から放出される。草食動物による摂食傷害応答シグナル及び香気成分として昆虫誘引シグナル、さらに病原菌に対する病害抵抗性誘導シグナルとして機能することが確認されている。その時から、SAMTが注目されるようになり、シロイヌナズナとイネで解析が進んでいる。また、植物種によってはSAMTの発現様式が異なり、シロイヌナズナ、イネ、タバコ、トマトは抵抗性誘導を伴い、葉などで発現誘導が確認されたが、それ以外の植物では花の匂いの成分合成酵素として発現が誘導されている。

最近では遺伝子組み換えタバコを用いた研究から、SAMTを欠損させた株を用いるとウイルスの感染部位から離れている部位に関してSARのシグナルが伝達されないことが確認された。その結果から、MeSAがSARの内生シグナルである可能性が示唆された。現在までの様々な研究から、SAMT酵素が植物の病害抵抗性誘導に重要な役割を担っていることが示された。

これまでに、ナス科の薬用植物 A. belladonna の毛状根培養細胞においてSA処理により、SAのカルボキシル基をメチル化する酵素、AbSAMT1の発現が誘導され、MeSAを生成することを見出された。そこで、本研究ではAbSAMT1の機能を解析することを目的として、AbSAMT1のSAに対するメチル基転移機能及びその生成物MeSAと基質であるSAの病害抵抗機能をふまえて、A. belladonnaによけるAbSAMT1の発現解析を行った。

2. A. belladonnaの植物体における様々なエリシター処理によるAbSAMT1の発現解析

AbSAMT1の発現誘導はA. belladonnaの毛状根培養細胞にSAを投与することでその生成物であるMeSAが確認され、その反応経路推定された。しかし、その応答反応を植物体でも再現するために、毛状根培養細胞で行った条件を元に植物体での反応を確かめた。植物において抵抗性を誘導することが知られている抵抗性誘導化合物を処理し、SAの蓄積を伴う抵抗性誘導化合物(BIT)と蓄積を誘導しない化合物(BTH、CMPA)、二つケースに分けて実験を行った。まず、SAの処理により植物の葉からAbSAMT1の発現が誘導され、その酵素により生合成されるMeSAの濃度も増加した。また、内生SAの蓄積を誘導するBIT処理のみ、AbSAMT1の発現誘導が認められた。これらの結果から、A. belladonnaの毛状根培養細胞での発現誘導が植物体でも再現できた。また、SAR誘導化合物処理による応答反応にAbSAMT1の誘導が起きたことで、SAのシグナル伝達機構にある役割を担っていることが考えられる。

植物の抵抗性反応と共に誘導される遺伝子であることを確認するために、A. belladonnaにHRを誘導し、抵抗性遺伝子により認識される非病原性菌と植物に病原性を示す親和性病原菌を感染させ、その応答反応を観察した。二つの菌に対してAbSAMTの発現が誘導され、その生成物も検出された。これは、植物において病原性菌を認識する主動遺伝子といての役割と、環境に左右されやすい微動遺伝子としての二つの応答反応に働くことが示唆された。

最近、同様な酵素群に関して、植物の病傷害応答反応に関連する誘導因子による発現誘導が報告されている。そこで、病傷害応答反応に関連するMeJAの処理を試みた。その結果、イネ、またはシロイヌナズナと同様な応用反応が検出された。しかし、報告例がまだ少ないことや、その機能について様々な報告が出されている現状から、推測が難しい。そこで、組換え植物を作製し、解析することで植物の中での機能を明確に知ることができると考えた。

2. AbSAMT1の過剰発現株と抑制株を用いた発現解析

SABAMT群の酵素に関しても遺伝子組換え植物を利用した解析が進められてきた。現在、NtSAMT1とOsBSMT1に関しては組換え植物を用いた研究の結果が2007年に報告されている。また、その二つの植物種ではSABAMTが花の匂い成分合成酵素ではなく、植物の抵抗性に関わっている酵素であることで知られている。しかし、他の植物では組換え植物を利用した例がなく、その事例がまだ十分ではない。そこで、同じく植物の抵抗性応答反応に関連性が示唆されたAbSAMT1を用いて過剰発現と抑制株を試みた。

組換え植物での発現解析をRT-PCRを利用して行った。過剰発現株に導入したAbSAMT1と抑制株に導入したAntisense-AbSAMT1の発現をRT-PCRを行い、そのゲル写真を画像解析ソフトであるImageJ 1.41(Wayne Rasband ; National institutes of Health, USA)を用いて、比較解析を行った。そして、野生株にSA 1mMを処理した時の発現量と比較し、その量より多く発現し、生育状態が良いものを選抜した。発現量が野生株にSA 1mMを処理した時一番高かった12時間目の発現量 (30)を超えているラインを選抜した。その結果、過剰発現株は14ライン(3、4、7、12、13、14、15、22、23、24、25、26、27、28、30)、抑制株は16ライン(7、9、10、13、15、16、17、18、19、20、21、22、24、25、25'、27)を得た。これらの組換え植物に対して前述べた様々なエリシターを処理し、野生株との差異を観察し、AbSAMT1の機能を推測した。

遺伝子組換え植物は野生株と同様な条件でPseudomonas syringae pv. tabaci(Pst) を感染させ、感染後、48時間で感染葉を回収した。その後、RT-PCRによりSARにより発現が予想されるPR proteinを観察した。

PR2(a) proteinの発現は野生株でも弱かったことから、過剰発現株、または抑制株でもPstの感染により発現が誘導されることが期待されなかった。他の二つ、PR2(b)、PR1(b) proteinの発現は誘導されたことから、その二つの遺伝子をマーカー遺伝子として使用した。野生株ではPstの感染により、HRが誘導されAbSAMT1の発現も増加したことは確認された。また、PR2 proteinの発現も同様に誘導された。しかし、過剰発現株ではそのPR proteinの発現が弱い株が確認され、その中でもSAにより誘導が促進されることが知られているPR1 proteinの発現が抑制された株が観察された(ライン12、13、14、23、30)。その発現の差が約50%低くなった。逆に抑制株ではその発現様式が少し異なり、野生株より、少し高くなっている株が見つかった(ライン20、24、25)。

内生SAの濃度を上昇させることが知られている抵抗性誘導化合物であるBITを処理し、SA増加が遺伝子組換え植物ではどのような影響を与えるか、またはその増加したSAによりその下流の遺伝子であるPR proteinの発現は誘導されるかなどを検討した。

過剰発現株は、NahG(salicylic acid hydroxylase)を導入した組換え植物と同様な作用があることが示唆されている。NahGは内生SAをカテコールに変換し分解するが、過剰発現株では、内生SAをMeSAに変換することが予測され、SAにより誘導されるSARの反応が抑制される可能性が示唆された。逆に抑制株では、内生SAの変換経路であるメチル化を防ぐことで、内生SAの濃度の上昇が生じ、SARのマーカー遺伝子の発現誘導が敏感に現れる可能性があると考えられた。今回の実験では、その結果を明確に確認することができなかったが、それと類似な反応は確認された。

3. タパコにおけるNtSAMTの発現解析

タバコはA. belladonnaとは同じナス科であり、NtSAMTとAtSAMT1の遺伝子配列の相同性は高い。そこで、NtSAMTの誘導にSAが因子として働くかどうかを検討するため、SAとBIT処理を行った。その結果、N. tabacum cv. Xanthi はSAとBITによりNtSAMT発現が誘導され、揮発性MeSAも検出された。また、SARのマーカー遺伝子と共に発現が誘導されることも一つの特徴として確認された。しかし、N. benthamianaに関しては誘導が見られなかった。

これまでの結果から、NtSAMTの発現誘導は抵抗性反応に深く関係する可能性が示唆された。

4. 総括

AbSAMT1の発現誘導は他の植物で報告された事と同様なエリシターで発現額人され、さらにSAとSAを蓄積することができる抵抗性誘導化合物により発現が誘導された。これは、植物の抵抗性の誘導に重要な役割を担っていることが示唆された。また、発現誘導がSARだけではなく、病傷害応答反応に関わる因子に関しても同様な発現誘導を示した。これは一つだけの機能ではなく、複数の機能を担っている可能性を示唆する。また、組換え植物を用いた実験では、SAの役割を補助したり、逆に抑制したりすることが予測され、類似な応答反応は確認されたものの、抵抗性反応が一つだけが原因で起きることではないことと、主動遺伝子と微動遺伝子の応答反応などが複雑に関係することで、その詳細な解析が必要であった。

AbSAMT1の発現解析により、植物の抵抗性応答反応において、高濃度に蓄積されるSA濃度を減らす解毒作用と、病傷害応答反応を円滑に動かすための役割を担っていると考えられる。今後、その機能が他の植物においても観察されることを期待する。

審査要旨 要旨を表示する

植物は病原菌に感染すると過敏感細胞反応による細胞死を起こして物理的に病原菌を封じ込める。また、サリチル酸の生合成などの防御反応を開始し、蓄積したサリチル酸が植物体中に病原性関連タンパク質の生産を誘導して局所的な病害抵抗性を示す。それは全身獲得抵抗性と呼ばれ、植物における重要な免疫応答であり、広い範囲の病原菌に対して再感染の抵抗性を獲得する。このときサリチル酸はメチル化され、病害抵抗性誘導シグナルとして機能することが知られている。本論文はベラドンナにおいてこのサリチル酸メチル化酵素遺伝子AbSAMT1 の発現について論じたものである。

序論で研究の意義と目的を述べたのち、第1章ではベラドンナの植物体における様々なストレス処理によるAbSAMT1の発現解析を行なった結果を示した。外来サリチル酸の処理により植物の葉からAbSAMT1の発現が誘導され、試みた抵抗性誘導化合物の中で、内生サリチル酸を蓄積する化学物質であるBIT処理の場合のみ、AbSAMT1の発現誘導が確認されたことから、AbSAMT1の発現誘導には植物中でサリチル酸の蓄積が重要であることが考えられた。更に、病傷害応答反応のシグナル物質であるジャスモン酸メチルによる処理と物理的な傷害によりAbSAMT1の発現誘導も確認された。これらの結果から、AbSAMT1の発現誘導は植物の中で二つの異なる機能を有する可能性が推測された。ひとつは全身獲得抵抗性のシグナル物質の生合成であり、もうひとつは病傷害応答反応のシグナルを円滑に動かすために植物中に微量に存在するサリチル酸の濃度をさらに減らす役割であることが示唆された。

続いて第2章では AbSAMT1の発現誘導が全身獲得抵抗性にどのような影響を与えるかに関して具体的な解析を行うためAbSAMT1の過剰発現株と発現抑制株を作成し、病原性関連遺伝子の解析を検討した結果を述べた。遺伝子組換え植物に対し、野生株と同様な条件で病原菌Pseudomonas syringae pv. tabaci (Pst) を感染させた。その結果、過剰発現株ではサリチル酸により誘導が促進されることが知られているPR1の発現が抑制された株が観察された。逆に発現抑制株では野生株より、少し高くなっている株が観察された。これらの結果をまとめると、AbSAMT1はサリチル酸をサリチル酸メチルに変換することにより全身獲得抵抗性を制御することが可能であることが示唆された。

第3章では、タバコにおけるサリチル酸メチル化酵素であるNtSAMTの発現解析を行なった結果について述べた。タバコはベラドンナとは同じナス科であり、NtSAMTとAtSAMT1の遺伝子配列の相同性は高い。そこで、AbSAMT1と同様にNtSAMTの発現誘導に関しても様々な誘導因子を用いて発現解析を行った。その結果、病原性認識に関係するNの抵抗性遺伝子を持っているNicotiana tabacum cv. XanthiはA .belldonnanと同様な応答反応を示した。しかし、抵抗性遺伝子を持っていないNicotiana benthamianaに関してはNtSAMTと病原性関連遺伝子PR遺伝子の発現誘導が起きないか、または起きても低かった。これらの結果から、抵抗性遺伝子の有無がSAMTと病原性遺伝子の発現誘導に重要な役割を担っていることが示唆された。

第4章では総括を述べた。すなわちAbSAMT1の発現誘導は他の植物で報告されたものと同様なストレスで発現が確認され、サリチル酸により発現が誘導された。また、病傷害応答反応のシグナル物質であるジャスモン酸メチルによっても発現が誘導された。遺伝子組換え植物を用いた研究によりAbSAMT1はサリチル酸をサリチル酸メチルに変換することで全身獲得抵抗性のシグナル伝達を制御することが可能であることが示唆された。

以上、本研究は、ベラドンナのサリチル酸メチル化酵素遺伝子AbSAMT1の発現制御が、植物の抵抗性応答反応において、シグナル物質の生合成と病傷害応答反応を円滑に動かすための役割を示したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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