学位論文要旨



No 124728
著者(漢字) 宇都木,玄
著者(英字)
著者(カナ) ウツギ,ハジメ
標題(和) 森林群落の葉群構造が林冠光合成生産量に及ぼす影響 : 特に葉傾角の影響について
標題(洋)
報告番号 124728
報告番号 甲24728
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3438号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農学国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田内,裕之
 東京大学 教授 小林,和彦
 東京大学 教授 丹下,健
 森林総合研究所 研究コーディネーター 石塚,森吉
 森林総合研究所 地域研究監 丸山,温
内容要旨 要旨を表示する

地球温暖化の予測精度を向上させるため、全球気候モデルと陸域生態系炭素循環モデルとの統合化が進められている。陸域生態系炭素循環モデルは、これまで光合成を行う葉層を単層あるいは陽葉・陰葉の2層として扱っている。一方、陸域面積の30%を占める森林生態系の林冠は垂直的な階層構造を示すことが特徴であり、光条件や個葉の生理機能は垂直的に変化する。このことから、近年、個別の森林生態系の炭素循環モデリングに多層モデルが用いられるようになってきた。しかし各階層のパラメータが必要なことが広域への拡張に大きな障害となっている。そのため、森林生態系の炭素循環モデル、とくに林冠光合成モデルにおける林冠の単層的扱いが、総光合成生産量(GPP)の推定にどの程度の不確実性をもたらすか検証する必要がある。とくに、葉傾角(水平面からの仰角)については実測が困難なため、多層モデルにおいても一般に球面体角度分布(spherical distribution、平均葉傾角57度)が仮定されている。

そこで本研究ではGPPの推定に際して単層的に取り扱われてきた葉傾角に注目し、その頻度分布や垂直分布を考慮することの有効性を、タイプの異なる森林で検討することとした。日本の代表的な森林タイプとして針葉樹人工林(40年生ヒノキ人工林)と、広葉樹天然林(92年生のシラカンバが優占する落葉広葉樹林)を選定した。各林分において葉傾角が林冠光合成速度に及ぼす影響を明らかにするためには、葉群構造と個葉の光合成生理機能を測定し、林冠光合成モデルを作成する必要がある。モデルでは実際の測定に基づいた林冠構造や光合成速度に関わる多くの変数を関数化し、現実に即した林冠光合成速度が得られる必要がある。モデルの構築後、葉傾角に関わる変数を操作することにより、葉傾角の林冠光合成速度の影響を明らかにする事ができる。

林冠内の光強度は光合成速度を規定するだけでなく、葉温にも影響を及ぼす。従って林冠光合成モデルに重要な構成要素の一つは、林冠内の光透過確率を推定することである。光は散乱光と直達光に分離することができ、両者が別々の様式で林冠内に入射し、光合成速度及び葉温に影響を及ぼす。葉傾角は林冠内の光透過確率に影響を与えるだけでなく、光入射角と葉傾角のなす角度によって葉表面の光強度を決める重要な要因である。さらに葉面に入射した光エネルギーは光合成を駆動するエネルギーになり、光強度に対する光合成速度の反応が林冠光合成速度を決定する。このように林冠光合成モデルにおいて、林冠構造を機軸とした直達光・散乱光別の林冠内光入射様式と、個葉の光合成能力を明らかにする必要がある。

本研究では第一章で研究の背景と目的を明らかにした後、第二章では葉量と葉量の垂直分布構造、葉傾角の林冠内頻度分布と垂直分布構造を明らかにした。第三章では直達光と散乱光を分離する手法を検討し、葉面積の季節変化と林冠構造から、直達光と散乱光別に林内の光透過確率を推定した。第四章では個葉の光合成能力を解析し、ヒノキ人工林では光-光合成曲線を、また落葉広葉樹林では光合成の生化学モデルの変数を明らかにした。第五章では第四章まで測定した林冠構造と個葉光合成速度を組み合わせた林冠光合成生産量(GPP)推定モデル(V-CProd多層モデル)を開発し、葉傾角がGPPに与える影響を明らかにした。

ヒノキ人工林及び落葉広葉樹林において、林冠内の葉傾角頻度分布は楕円体角度分布(e分布:Ellipsoidal distribution)を用いて近似できることができた(Fig. 1)。また林冠を垂直方向に多層化した場合、各層内のe分布はそれぞれ明瞭に異なった。葉傾角の垂直分布は林分毎に異なるが、基本的に林冠梢端で急な葉傾角を示し、林冠下部に向けて水平に近づくことがわかった。またこの葉傾角の垂直的な変化は、林冠梢端から林冠下部に向けての積算葉面積指数と相関関係にあった。これらの生態的な意義は、森林全体として光を効率的に獲得するための構造であると考えられた。

大気圏内の開放地(つまり林冠の直上)における直達光と散乱光の分離手法として、アメリカで開発されたErbsモデル(Erbs1982)が日本においても適切なモデルであることが明らかとなった。葉面積指数(LAI)の季節変化は、常緑の針葉樹林であるヒノキ人工林においても明瞭に生じており、年間のLAIは6.09±0.5(SE)の範囲であった。一方落葉広葉樹林では、LAIの最大値は5.91であり、6月上旬から8月下旬まで安定したLAIを示した。また春先の開葉に伴うLAIの増加傾向は、開葉の観察と全天空写真を利用して高い精度で再現すことができた。両林分ともにLAIの季節変化はユリウス暦(正月を起算日とした積算日数)で近似でき、これらからのデータ及び葉面積の垂直分布、葉傾角頻度分布に基づき、散乱光と直達光の林床への入射確率を推定するモデルを作成することができた。またモデルによる計算値は実測値をよく表すことができた。

ヒノキ人工林では単葉の光-光合成速度の関係を表す最大光合成速度(AmaxA)、見かけの光量子収率、葉呼吸量(Rd)を調べた。AmaxAとRdの林冠内の垂直変化及び季節変化は、葉面積重(LMA)及び気温から推定することができた。また見かけの量子収率は、LMAや環境条件と相関関係を示さなかった。LMAは林冠内で明瞭な垂直分布を示し、林冠下部にかけてLMAは小さくなった。このLMAの垂直分布は季節変動を示し、春先から秋にかけてLMAは増加し、冬にかけて減少した。

落葉広葉樹林では、林冠梢端から下部にかけてLMAや単位葉面積あたりの窒素濃度が減少した。その垂直分布は高さを変数とした漸近回帰関数で表すことができ、飛田ら(2007)によって発表されたFarquharタイプの光合成生化学モデルのパラメータ(Farquhar et al. 1980)の垂直分布を明らかにする事ができた。

以上の研究成果に基づき、林冠総光合成生産量推定モデル(V-CProd多層モデル)を開発した。このモデルは、林冠層別に直達光を受光する葉面積及び散乱光を受光する葉面積を分離し、林冠総光合成生産量を推定できることが特徴である。このモデルを用い、林冠光合成モデルにおける葉傾角の単層的取り扱い、及び葉傾角頻度分布の球面体角度分布(spherical distribution)の仮定が、林冠総光合成生産量の推定値にどの程度不確実性を与えるのか検討した。

葉傾角の楕円体角度分布モデルが短期間(秒レベル)の林冠総光合成生産量(CGPP)に及ぼす影響を解析した。林冠を一層として単層化した楕円体角度分布モデルの場合、葉傾角頻度分布の差異が高太陽高度かつ強光条件下においてCGPPに大きな影響を及ぼした。一方弱光条件ではその影響が低下した。また林冠を多層化した楕円体角度分布モデルによるCGPPと、林冠を単層化した楕円体角度分布モデルによるCGPPの差は僅かであった(2%)。

次に年間の林冠総光合成生産量(GPP)に及ぼす葉傾角の楕円体角度分布モデルの影響を解析した。林冠を一層として単層化した楕円体角度分布モデルの場合、平均葉傾角を9~71度まで変化させても、GPPの差異は最大で11%しか見られなかった。球面体角度分布(平均葉傾角57度)から計算されたGPPは、両林分において実測値のGPPに対して2.1~2.6%の過大評価であった。既存の木本の葉傾角測定値を調べると、本研究も含めて全ての研究例で球面体角度分布の平均葉傾角より小さかった。これらのことから、現状の光環境条件下において球面体角度分布モデルからGPPを計算した場合、GPPは数パーセントの過大評価となる可能性が指摘できた。また葉傾角の楕円体角度分布モデルに垂直分布を与えて計算したGPPは、単層的取り扱いによるGPPと1%しか異ならなかった。これらのことから、本研究で調査した場所の平均的な光環境条件(生育期間中の午前11:00の平均的な光合成有効放射束密度は960~990μmolm(-2)s(-1))を前提にした場合、林冠総光合成生産量推定モデルに葉傾角の詳細な選択や多層化は必要ないと考えられた。この原因として両林分において強光条件となる時間が年間の生育期間に対して短いことが考えられた。

そこで強光条件が長期間続くと考えられる乾燥地において、葉傾角のGPPに与える影響を計算した。データは西オーストラリア内陸部の乾燥地で得られた光環境条件、ユーカリ(Eucalyptus camaldulensis)の光合成能力及びその葉傾角頻度分布である。この結果、平均葉傾角を9~71度まで変化させた場合、楕円体角度分布モデルによるGPP推定値の差異は20%まで増大し、また球面体角度分布から計算されたGPPは実測値のGPPに対して5%の過大評価となった。

これらのことから地球環境変動によって光環境条件が好転する(光が強くなる)と予想される森林生態系では、葉傾角の生産量に与える影響が大きくなると考えられる。また乾燥地や熱帯林のように強光条件が予想され、平均葉傾角が小さい(水平葉が多い)植物群落では、球面体角度分布(spherical distribution)の利用によるGPPの推定値は過大評価になると考えられる。従って多樹種に渡って葉傾角のデータセットを用意することは、より高精度に広範囲で利用可能な炭素収支予測モデルの開発に貢献することができると考えられた。

Fig. 1 落葉広葉樹林における、林冠全体(A)、上層区(B)、中層区(C)、下層区(D)における葉仰角頻度分布[Wg(α)、縦棒]と楕円体角度分布モデル[e(α)]による近似曲線

審査要旨 要旨を表示する

地球温暖化の予測精度を向上させるため、全球気候モデルと陸域生態系炭素循環モデルとの統合化が進められている。陸域生態系炭素循環モデルは、これまで光合成を行う葉層を単層あるいは陽葉・陰葉の2層として扱っている。一方、陸域面積の30%を占める森林生態系の林冠は垂直的な階層構造を示すことが特徴であり、光条件や個葉の生理機能は垂直的に変化する。このことから、近年、個別の森林生態系の炭素循環モデリングに多層モデルが用いられるようになってきた。しかし各階層のパラメータが必要なことが広域への拡張に大きな障害となっている。そのため、森林生態系の炭素循環モデル、とくに林冠光合成モデルにおける林冠の単層的扱いが、総光合成生産量(GPP)の推定にどの程度の不確実性をもたらすか検証する必要がある。とくに、葉傾角(水平面からの仰角)については実測が困難なため、多層モデルにおいても一般に球面体角度分布(平均葉傾角として57度)が仮定されている。

そこで本研究ではGPPの推定に際して単層的に取り扱われてきた葉傾角に注目し、その頻度分布や垂直分布を考慮することの有効性を、タイプの異なる森林で検討することとした。論文の中では、第一章で研究の背景と目的を明らかにした後、第二章では葉量と葉量の垂直分布構造、葉傾角の林冠内頻度分布と垂直分布構造を明らかにした。第三章では直達光と散乱光を分離する手法を検討し、葉面積の季節変化と林冠構造から、直達光と散乱光別に林内の光透過確率を推定した。第四章では個葉の光合成能力を解析し、ヒノキ人工林では光-光合成曲線を、また落葉広葉樹林では光合成の生化学モデルの変数を明らかにした。第五章では第四章まで測定した林冠構造と個葉光合成速度を組み合わせた林冠光合成生産量(GPP)推定モデル(V-CProd多層モデル)を開発し、葉傾角がGPPに与える影響を明らかにした。

ヒノキ人工林及び落葉広葉樹林において、林冠内の葉傾角頻度分布は楕円体角度分布を用いて近似できることができた。葉傾角の垂直分布は林分毎に異なるが、基本的に林冠梢端で急な葉傾角を示し、林冠下部に向けて水平に近づくことがわかった。これらの生態的な意義は、森林全体として光を効率的に獲得するための構造であると考えられた。

ヒノキ人工林では単葉の光-光合成速度の関係を表す最大光合成速度(AmaxA)、見かけの光量子収率、葉呼吸量(Rd)を調べた。AmaxAとRdの林冠内の垂直変化及び季節変化は、葉面積重(LMA)及び気温から推定することができた。また見かけの量子収率は、LMAや環境条件と相関関係を示さなかった。LMAは林冠内で明瞭な垂直分布を示し、林冠下部にかけてLMAは小さくなった。このLMAの垂直分布は季節変動を示し、春先から秋にかけてLMAは増加し、冬にかけて減少した。

落葉広葉樹林では、林冠梢端から下部にかけてLMAや単位葉面積あたりの窒素濃度が減少した。その垂直分布は高さを変数とした漸近回帰関数で表すことができ、飛田ら(2007)によって発表されたFarquharタイプの光合成生化学モデルのパラメータ(Farquhar et al. 1980)の垂直分布を明らかにする事ができた。

以上の研究成果に基づき、林冠総光合成生産量推定モデル(V-CProd多層モデル)を開発した。このモデルは、林冠層別に直達光を受光する葉面積及び散乱光を受光する葉面積を分離し、林冠総光合成生産量を推定できることが特徴である。このモデルを用い、林冠光合成モデルにおける葉傾角の単層的取り扱い、及び葉傾角頻度分布の球面体角度分布の仮定が、林冠総光合成生産量の推定値にどの程度不確実性を与えるのか検討した。

葉傾角の楕円体角度分布モデルが短期間(秒レベル)の林冠総光合成生産量(CGPP)に及ぼす影響を解析した。林冠を一層として単層化した楕円体角度分布モデルの場合、葉傾角頻度分布の差異が高太陽高度かつ強光条件下においてCGPPに大きな影響を及ぼした。一方弱光条件ではその影響が低下した。また林冠を多層化した楕円体角度分布モデルによるCGPPと、林冠を単層化した楕円体角度分布モデルによるCGPPの差は僅か(2%)であった。

次に年間の林冠総光合成生産量(GPP)に及ぼす葉傾角の楕円体角度分布モデルの影響を解析した。林冠を一層として単層化した楕円体角度分布モデルの場合、平均葉傾角を9~71度まで変化させても、GPPの差異は最大で11%しか見られなかった。これらのことから、本研究で調査した場所の平均的な光環境条件を前提にした場合、林冠総光合成生産量推定モデルに葉傾角の詳細な選択や多層化は必要ないと考えられた。

一方、強光条件が長期間続くと考えられる乾燥地(西オーストラリア内陸部)において、葉傾角のGPPに与える影響を計算した。ユーカリ林の場合、平均葉傾角を9-71度まで変化させた場合、楕円体角度分布モデルによるGPP推定値の差異は20%まで増大した。

これらのことから地球環境変動によって光環境条件が好転する(光が強くなる)と予想される森林生態系では、葉傾角の生産量に与える影響が大きくなる事を示唆した。また乾燥地や熱帯林のように強光条件が予想され、平均葉傾角が小さい(水平葉が多い)植物群落では、既存のモデルによるGPPの推定値は過大評価になり、林冠光合成量を推定する場合に葉傾角を考慮すべき場合があることを明らかにした。

以上、申請者は現行の光合成推定モデルに対して、葉傾角の重要性を指摘し、葉の空間分布より新たな林冠光合成モデルを開発した。これによって、葉傾角がGPP(総光合成生産量)に及ぼす影響を解析し、湿潤温帯域では現行モデルでも精度的に問題がないことを確認したが、低緯度地帯や乾燥地域では、葉傾角を考慮したモデルが有効であることを示した。本研究は、森林の炭素固定量(光合成量)を推定する際の問題点を抽出し、より高精度なモデルを提示したもので、これは今後温暖化・沙漠化による大きな環境変動が予測される条件下において、より有効な推定モデルの開発という点で科学の進歩に寄与したと言える。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として十分に価値があるものと認定した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/33066