学位論文要旨



No 124732
著者(漢字) 藤木,宣成
著者(英字)
著者(カナ) フジキ,ノブミチ
標題(和) 遺伝学的手法を用いた外来フジツボ、アメリカフジツボおよびヨーロッパフジツボの分布拡大要因に関する研究
標題(洋)
報告番号 124732
報告番号 甲24732
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3442号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生圏システム学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 岡本,研
 東京大学 教授 日野,明徳
 東京大学 教授 井出,雄二
 東邦大学 教授 風呂田,利夫
 北里大学 教授 加戸,隆介
内容要旨 要旨を表示する

フジツボ類は海岸生態系を構成する重要な生物群の一つである。アメリカフジツボAmphibalanus eburneusとヨーロッパフジツボAmphibalanus improvisusは外来フジツボであるが、日本各地の内湾を中心に分布の拡大が確認され、そのため内湾生態系への影響が指摘されている。フジツボ類は固着性であり、いったん付着すると生息場所の移動が不可能であるが、浮遊幼生期をもつため、幼生分散を通じた分布拡大や地域個体群間の遺伝的交流が可能である。そのため、アメリカフジツボおよびヨーロッパフジツボの分布拡大について検証するためには、これらフジツボの幼生分散がどの程度おこなわれているかを知ることが重要であると考えられる。しかし現状では幼生の種同定が不可能なため、野外調査で幼生の分散について調べることは困難である。近年では幼生期をもつ生物の多くで、成体の遺伝情報から分布拡大や個体群間の交流について調べる手法がとられていることから、アメリカフジツボとヨーロッパフジツボの幼生分散に関して調べるためにも、遺伝学的手法を用いることが有効であると考えられる。

このようなことから、2種の外来フジツボの分布拡大要因を調べるため、まず東京湾内のフジツボ類の分布を調べ、これら外来フジツボ2種の分布特性を明らかにした。次に各地域の成体がもつ遺伝情報の類似性を比較し、分布拡大要因としての幼生分散の可能性について調べることを目的とした。

1. 東京湾におけるフジツボ類の分布

東京湾内の558地点においてフジツボ類の分布を調査した。出現地点数の多い順にシロスジフジツボFistulobalanus albicostatus、タテジマフジツボAmphibalanus amphitrite、イワフジツボChthamalus challengeri、アメリカフジツボAmphibalanus eburneus、ドロフジツボFistulobalanus kondakovi、クロフジツボTetraclita japonica、ヨーロッパフジツボAmphibalanus improvisus、サンカクフジツボBalanus trigonus、オオアカフジツボMegabalanus volcano、アカフジツボMegabalanus rosaの10種が出現し、このうちタテジマフジツボ、アメリカフジツボ、ヨーロッパフジツボが外来種であった。湾奥部にのみ出現した種はアメリカフジツボ、ドロフジツボ、ヨーロッパフジツボ、外湾部にのみ出現した種はクロフジツボ、オオアカフジツボ、アカフジツボ、湾全域に出現した種はシロスジフジツボ、タテジマフジツボ、イワフジツボ、サンカクフジツボだった。各地点でのフジツボ類の種組成の類似度に基づくクラスター解析を行った結果では、調査地点は「開放海岸」と「遮蔽海岸」に分けられた。アメリカフジツボとヨーロッパフジツボは湾奥部の遮蔽海岸に分布が限られた。

2. 外来フジツボ2種の広域個体群間の遺伝的変異

東京湾に出現した外来フジツボ3種のうち、分布が湾奥部に限られていたアメリカフジツボとヨーロッパフジツボについて、広域の個体群間の遺伝的交流を明らかにするため、各地域個体群がもつミトコンドリアDNAの類似性について調べた。アメリカフジツボは東京(夢の島、越中島、芝浦、お台場、多摩川河口)、神奈川(横浜)、静岡(清水港、浜名湖)、愛知(藤前干潟)、大阪(新淀川河口)、兵庫(住吉川河口)、広島(本川河口)、佐渡から採集し、ヨーロッパフジツボは東京(葛西臨海公園、多摩川河口)、静岡(清水港)、名古屋(藤前干潟)、大阪(新淀川河口)、兵庫(住吉川河口)から採集した。アメリカフジツボはミトコンドリアDNAのCOI領域、ヨーロッパフジツボはミトコンドリアDNAのD-loop領域の塩基配列を比較対象領域とした。アメリカフジツボのCOI領域については関東では15のハプロタイプが、関西では12のハプロタイプが検出され、関東と関西で共通のハプロタイプは7あった。ハプロタイプ多様度(hd)の値は0.2731から0.8106とあまり高くはなく、塩基多様度(Pi)の値は0.0048から0.0017と低かった。各個体群間の遺伝的分化係数(Fst)は東京・神奈川・静岡・愛知と大阪・兵庫・広島の多くの個体群間で有意な差を示した。そこで東京・神奈川・静岡・愛知の個体群を関東個体群、大阪・兵庫・広島の個体群を関西個体群とし、関東と関西の個体群の遺伝的分化係数(Fst)を求めたところ、0.06952と有意な差がみられた。また、個体群間の遺伝距離(dxy)を用いた近接結合法によるクラスター分析をした結果でも、日本におけるアメリカフジツボの遺伝的個体群構造は関東と関西の個体群に大きくわけられた。ヨーロッパフジツボのD-loop領域については、関東では14のハプロタイプが、関西では11のハプロタイプが検出され、関東と関西で共通のハプロタイプは6あった。ハプロタイプ多様度(hd)の値は0.5758から0.7とあまり高くはなく、塩基多様度(Pi)の値は0.0062から0.0127と低かった。アメリカフジツボと同様に、各個体群間の遺伝的分化係数(Fst)は東京・静岡・愛知と大阪・兵庫の全ての個体群間で有意な差が認められたことから、東京・静岡・愛知の個体群を関東個体群、大阪・兵庫の個体群を関西個体群とし、関東と関西の遺伝的分化係数(Fst)を求めたところ、0.2651で有意な差がみられた。また、個体群間の遺伝距離(dxy)を用いた近接結合法によるクラスター分析をした結果、アメリカフジツボと同様にヨーロッパフジツボの遺伝的個体群構造は関東と関西の個体群に大きくわけられた。これらの結果から、アメリカフジツボ、ヨーロッパフジツボともに関東と関西の個体群間では幼生分散を通じた遺伝的交流はないか、あったとしても頻繁ではないと考えられた。

3. 外来フジツボ2種の東京湾内地域個体群間の遺伝的変異

ミトコンドリアDNAを用いた手法では東京湾内の地域個体群間の遺伝的変異は検出されなかった。そこで高変異性遺伝子マーカーであるマイクロサテライトマーカーを開発し、作製したマイクロサテライトマーカーを用いて、東京湾内のアメリカフジツボとヨーロッパフジツボの地域個体群間の遺伝的変異を比較した。アメリカフジツボは江戸川放水路(東京都)、越中島(東京都)、海老取川(東京都)、ヨーロッパフジツボは葛西臨海公園(東京都)、豊洲(東京都)、多摩川河口(東京都)で採集した個体を用いた。開発したマイクロサテライトマーカーはアメリカフジツボで1組、ヨーロッパフジツボで2組だった。これらのマーカーの個体群間の遺伝的類似性について調べたところ、アメリカフジツボの遺伝的分化係数(Fst)は各個体群間で0.052から0.074と有意な値となった。ヨーロッパフジツボでも遺伝的分化係数(Fst)は各個体群間で0.058から0.072と有意な値となった。これらの結果から、両種とも場所ごとに遺伝的に異なる集団の存在が確認され、外来フジツボ2種の東京湾内地域個体群は幼生分散を通じた遺伝的交流があまり頻繁ではないことが示唆された。

本研究で行った東京湾内の分布調査から、アメリカフジツボとヨーロッパフジツボの分布は湾奥部の遮蔽海岸に限られることが明らかとなった。またマイクロサテライトマーカーを用いた解析から、これらの外来フジツボ2種の東京湾内地域個体群は、幼生分散を通じた遺伝的交流が頻繁ではないことが示唆された。さらにミトコンドリアDNAに基づく解析結果からは、関東と関西の個体群間で頻繁な遺伝的交流は認められなかった。これらのことは外来種であるアメリカフジツボとヨーロッパフジツボの日本国内での分布拡大は、幼生分散による可能性は低く、むしろ船体付着などによる人為的移動によるものの方が重要であったことを示唆している。したがって今後の両種の分布拡大を防止するための対策を考える際には、国内での分布のモニタリングだけでなく、船体付着についても考慮する必要があると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

海洋と陸域の接点である沿岸域は、漁業や工業などの幅広い産業に利用されているだけではなく、リクリエーションの場としても利用されており、人間活動にとって重要な場所となってきた。中でも海岸はアクセスのしやすさから、人々が海を認識するもっとも身近な場所といえる。海岸生態系を構成する生物群の一つに付着生物があるが、その中でもフジツボ類は代表的な海岸生物である。一方、日本沿岸の海岸生物群集においても、外来種のインパクトが懸念されている。アメリカフジツボとヨーロッパフジツボは外来フジツボであり、現在日本各地の内湾を中心に分布の拡大が確認されている。フジツボ類は固着性で、付着後の生息場所の移動は不可能であるが、浮遊幼生期をもつため、幼生分散を通じた分布拡大や地域個体群間の遺伝的交流が可能である。しかし現状では幼生の種同定が不可能であるため、分布拡大の実態や地域個体群の維持機構を幼生分散の観点から解明することができない。本研究ではこれら2種の外来フジツボについて、成体のミトコンドリアDNA、核DNA情報に注目し、その遺伝的変異から分布拡大要因と地域個体群の遺伝的交流について明らかにすることができた。

第1章では、東京湾内の558地点においてフジツボ類の分布を明らかにした。出現した10種のフジツボは、内湾部にのみ出現した種類、外湾部にのみ出現した種類、湾全域に出現した種類に大別され、各地点でのフジツボ類の種組成の類似度に基づくクラスター解析の結果、調査地点は「開放海岸」と「遮蔽海岸」に分けられた。アメリカフジツボとヨーロッパフジツボの分布は、内湾部の遮蔽海岸に限られることを明らかにした。

第2章では広域の地域個体群間の遺伝的交流を明らかにするため、成体のミトコンドリアDNAについて調べた。フジツボを東京、静岡、愛知、大阪、兵庫から採集し、アメリカフジツボについてはミトコンドリアDNAのCOI領域、ヨーロッパフジツボについてはミトコンドリアDNAのD-loop領域を比較対象領域として、各地域間のハプロタイプの類似性について検討した。アメリカフジツボのCOI領域については20のハプロタイプが、ヨーロッパフジツボのD-loop領域については19のハプロタイプが検出され、両種ともハプロタイプの類似性は、大きく関東(東京・神奈川・静岡・愛知)と関西(大阪・兵庫)に分けられた。両種とも3割程度のハプロタイプが関東と関西で共通であったが、関東と関西それぞれにのみ出現したハプロタイプが存在することも明らかになった。この結果から、2種の外来フジツボの関東と関西の個体群間では幼生分散を通じた遺伝的交流の頻度は低いことを明らかにできた。

第3章では、東京湾内の河口の局所個体群間の幼生分散を通じた遺伝的交流の有無を検討するため、高変異性遺伝子マーカーであるマイクロサテライトマーカーを開発した。作製したマイクロサテライトマーカーを用いて、東京湾内のアメリカフジツボとヨーロッパフジツボの河口の局所個体群間の遺伝的変異を比較した結果、両種とも江戸川河口、多摩川河口、夢の島などの局所個体群ごとに遺伝的に異なる集団が確認され、東京湾内の外来フジツボ2種は局所個体間で幼生分散を通じた遺伝的交流の頻度が低いことを示唆できた。

本研究の東京湾内の分布調査から、アメリカフジツボとヨーロッパフジツボの分布が湾奥部の遮蔽海岸に限られていることが明らかになったが、マイクロサテライトマーカーを用いた解析から、これらの外来フジツボ2種の東京湾内局所個体群は、幼生分散を通じた遺伝的交流が頻繁ではないことを示唆できた。さらにミトコンドリアDNAに基づく解析結果から、関東と関西の地域個体群間で遺伝的交流の頻度が低いことも明らかにできた。これらのことはこれら2種の外来フジツボの日本国内での分布拡大は幼生分散によるものではなく、船体付着などによる人為的移動によるものの方が重要であったことを示唆するものである。この結果を受け、今後の両種の分布拡大を防止するための対策を考える場合、国内での分布のモニタリングのみならず、船体付着について考慮する必要があるという沿岸生態系の保全への提言を行うことが可能となった。

以上本研究は、生物の分布という古典的生態学に、外来種の分布拡大という保全生態学的観点から、遺伝情報の解析という新たな研究手法を導入することで斬新な切り口を見いだすと同時に、海洋生物学の世界では一般的と考えられている幼生分散を通じたメタ個体群の成立が当てはまらない場合があることも示唆した。これらの成果は、沿岸生態学の新たな展開に資する部分が少なくない。したがって審査委員一同は、本研究を博士(農学)の学位論文として価値があるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/25059