学位論文要旨



No 124734
著者(漢字) 矢野,初美
著者(英字)
著者(カナ) ヤノ,ハツミ
標題(和) 在来造園樹木アオキの遺伝的タイプとその分布特性に関わる人為的要因
標題(洋)
報告番号 124734
報告番号 甲24734
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3444号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生圏システム学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武内,和彦
 東京大学 教授 井出,雄二
 東京大学 准教授 大黒,俊哉
 東京大学 准教授 後藤,晋
 東京大学 准教授 山本,勝利
内容要旨 要旨を表示する

1.研究の目的と背景

近年、外来種問題の顕在化や地域景観保全に対する関心の高まりから、造園緑化における在来種の利用が推進され、今後も利用種数や取扱量の増加が見込まれている。しかし、遺伝的起源の異なる在来種を導入した場合には、主に交雑によって地域の遺伝的固有性が消失する可能性がある。さらに、里地里山など二次的自然環境においても、地域個体群に遺伝的撹乱が生じないよう配慮すべき場所が多く存在すると指摘されている。しかし、人間活動の卓越する地域でさまざまな用途に利用されてきた造園植物、とくに樹木においては、これまで都市的環境への耐性、審美性や生産効率などが重視され、その遺伝的起源が問題とされることはほとんどなかった。そのため、造園樹木の生産・流通・植栽の場における遺伝的起源や遺伝的撹乱の実態は明らかにされていない。

以上の現状をふまえ、本研究では自然分布集団の葉緑体ハプロタイプ(以後、ハプロタイプ)と倍数性(以後、ハプロタイプと倍数性を合わせ、遺伝的タイプとする)に明瞭な遺伝構造がみられ、古くから造園樹木として利用されてきたアオキを対象として、遺伝的起源とその分布特性に関わる人為的要因について明らかにする。まず、アオキの生産地において、遺伝的起源に対する生産者の意識や生産個体起源を把握するとともに(2章)、植栽由来の非自生型ハプロタイプ個体の逸出および自生由来個体との交雑可能性を検証したうえで(3章)、都市・農村地域で他地域から導入されたハプロタイプ個体の生育割合と自然環境要因、人為的要因との関連性を解明し(4章)、遺伝的起源を考慮した在来造園樹木の利用のあり方について考察を行う。

2.遺伝的起源からみた造園樹木アオキの生産と流通

造園樹木として利用されるアオキの遺伝的起源を把握することを目的とし、主要な生産地である九州地方および関東地方22か所の生産現場で用いられている親木について、生産者の利用個体の起源に対する認識を把握するとともに、遺伝的タイプに基づく親木の起源を調査した。

その結果、22生産者のうち、生産者自ら山採り(自然分布する集団から親木を採取)を行っているのは4生産者のみであり、残りの18生産者は、譲渡されたあるいは購入した個体を親木として利用し、ほとんどはその起源を把握していなかった。また、親木の遺伝的タイプを解析した結果、両産地ともに、自生集団とは異なるハプロタイプの個体が生産されており、九州地方では74%、関東地方では41%が地域外に起源を持つ個体であった。なかでもB1-4xという遺伝的タイプを持つ個体は22生産者のうち20生産者が利用しており、特定の遺伝的起源を持つタイプが広く流通している実態が明らかになった。

以上のような、生産個体と生産地周辺地域の自生集団の遺伝的タイプに乖離をもたらす原因として、生産効率や管理の簡便性、鑑賞用の形質(葉の斑入り模様等)維持のための挿し木増殖、生産者間での親木交換等が考えられた。さらに、同一圃場から複数のハプロタイプ個体が区別されることなく生産・出荷されている状況から、植栽現場においても異なるハプロタイプの個体が同所的に植栽されている可能性が強く示唆された。

3.非自生型ハプロタイプ個体の逸出と異なるハプロタイプ個体間の交雑可能性

1)非自生型ハプロタイプ個体の植栽と逸出

実際の植栽現場において、異なる遺伝的タイプの混在がみられるのか、また、非自生型遺伝的タイプが周辺環境へ逸出しているのかを明らかにするため、野外の植栽、自生個体の遺伝的タイプを調査した。茨城県つくば市・土浦市において、商業的流通を経た個体が植栽されていると想定される市街化区域内の、民家の庭・生垣、街路・公園等の植栽個体と孤立林内の自生個体、人為的導入がないと想定される市街化調整区域内の農地周辺に残存する樹林内および自然公園(筑波山)内の自然分布個体をそれぞれ採取し、非自生型遺伝的タイプ個体の植栽・生育場所を調査した。

その結果、本調査地で検出された個体は全て4倍体であり、ハプロタイプは、関東地方に自生するJaと関東地方には自生しないB1の2種類であることがわかった。B1タイプ個体は、市街化区域における植栽個体の54%、孤立林内の72%を占め、さらに市街化調整区域内の樹林10か所のうち7ヶ所で検出され、全体では31%を占めていた。一方、自然公園内の自生個体は全てJaタイプであった。

以上のように、植栽場所、周辺の市街化が進んだ孤立林、人為的導入のない農村地域の樹林において、異なるハプロタイプを持つ個体が同所的に生育している実態が明らかになった。とくに、人為的導入のない樹林における非自生型ハプロタイプ個体の生育は、種子散布による逸出を強く示唆しており、樹林内での交雑および交雑個体の他の樹林内への散布の可能性が考えられた。

2)異なるハプロタイプ個体間の交雑可能性

異なるハプロタイプの個体が同所的に生育する状況下における交雑可能性を検証するため、野外に自然定着した雌6個体(Jaタイプ4個体、B1タイプ2個体)に、雄3個体(Jaタイプ1個体、B1タイプ2個体)の花粉を人工的に受粉させた。

受粉時の初期花数に対する受粉に成功した花数の割合(受粉成功率)を調べた結果、各交雑組合せの平均授粉成功率は、Ja×Jaが81.2%、Ja×B1が75.3%、B1×Jaが85.3%、B1×B1が78.6%であった。一般化線形モデルで解析した結果、1個体を除き受粉成功率はハプロタイプ間で有意な差が認められなかった。以上から、Ja、B1の異なるハプロタイプ間で交雑可能であることが確認された。

4.都市・農村地域における非自生型ハプロタイプ個体の樹林内定着要因

人為的に導入された非自生型遺伝的タイプ個体と自生型遺伝的タイプ個体の同所的生育を回避するために、どのような場所において同所的生育リスクがあるか明らかにすることを目的とし、樹林内に自然定着し生育するアオキ個体の遺伝的タイプと樹林の立地特性との関係を広域スケールで解析した。

東京湾に面する千葉県船橋市から茨城県つくば市の筑波山麓まで約800 km2を対象として、人工衛星データを用いて作成した土地被覆図からArcGISによって樹林パッチを抽出した。対象地域を約2km四方のメッシュに分割し、その中心部分四方からランダムに1ヶ所の樹林パッチを選び、アオキ個体を採取するとともに、樹林パッチの立地特性を調査した。その結果、本調査地で検出された個体は全て4倍体であり、ハプロタイプは、関東地方に自生するJaと関東地方には自生しないB1の2種類であることがわかった。アオキの生育が確認された90か所の樹林パッチのうち、65か所でB1タイプが生育し、全802個体の約30%を占めていた。B1タイプの生育と立地条件の関係を解明するため、各樹林パッチにおけるB1タイプの出現割合を目的変数、当該樹林パッチから半径500m内の周辺森林面積率および市街地面積率(ランドスケープレベルの要因)、地形、樹林パッチの面積・形状、樹林管理の有無、市街化区域からの距離、1980年代初頭から現在までの林相変化の有無(パッチレベルの要因)を説明変数とし、二次メッシュ単位の地域区分をランダム要因(ランダム切片)として入れた一般化線形混合モデルを構築し、AICを用いてモデル選択を行った。その結果、B1タイプ個体の出現割合を高める要因として、ランドスケープレベルでは低い周辺森林面積率、パッチレベルでは斜面を除く地形タイプ、樹林管理および林相変化のあることが挙げられた。対象地で林相変化が生じた樹林の多くはアカマツ林を中心とした台地上の平地林であり、マツ枯れや農用林としての利用・管理の停止後の遷移の進行により優占種が交代していることが確認された。このような林相変化の過程で樹林外に生育するJaタイプと植栽由来のB1タイプが同時期に林内へ侵入したために、B1タイプの出現割合が高くなっていると考えられた。また、現在樹林管理が行われている樹林パッチでは、林床管理により林内環境の撹乱が樹林外からの侵入機会を増加させていると考えられる。一方、斜面林では積極的な利用や管理が行われなかったために、当該樹林パッチ外からの侵入機会が少なく、相対的にB1タイプ個体の出現割合が低いものと考えられた。

5.総合考察

本研究では、在来造園木アオキについて、非自生型ハプロタイプ個体が導入され、周辺樹林内へ侵入・定着することにより、地域自生個体と交雑する可能性があることを明らかにした。また、人為的に導入された非自生型ハプロタイプ個体の出現割合は、周辺の森林面積率等のランドスケープレベルでの要因だけでなく、樹林管理や林相の変化等のパッチレベルでの局所的な要因にも影響を受けることが明らかになった。以上のことから、野外樹林における非自生型ハプロタイプ個体の増加は、その供給源である造園樹木の生産流通量と、受容側の樹林周辺のランドスケープレベル・パッチレベルの条件という双方の効果により引き起こされると考えられる。

本研究の結果、遺伝的起源を考慮した造園樹木の利用にあたっては、(1)各生産地周辺の自然分布域から調達できる場合においても、商業的価値や生産効率等の人為的要因から遺伝的起源の乖離が生じて可能性があるため、遺伝的起源を考慮した植栽を行う際には採取起源の明らかな個体を利用すること、(2)自生集団が生育する地域に在来造園種を導入する際には、地形や周辺土地利用、植栽地周辺樹林の林相や管理体制等について侵入・定着の可能性を検討する必要があると示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

近年、外来種問題の顕在化や地域景観保全に対する関心の高まりから、緑化等植物導入の際には在来種の利用が促進されつつあるが、人間活動の卓越する地域の在来造園樹木においては、都市的環境への耐性、生産効率などが重視され、その遺伝的起源が注目されることはほとんどなく、生産・流通・植栽の場における遺伝的起源や遺伝的かく乱の実態は明らかにされていない。この現状をふまえ、本研究では自然分布集団に明瞭な遺伝構造のあるアオキを対象として、造園樹木の生産地において、遺伝的起源に対する生産者の意識や生産個体起源を把握するとともに(2章)、植栽由来個体の逸出および自生由来個体との交雑可能性を検証したうえで(3章)、都市・農村地域で他地域から導入された遺伝的タイプ個体の生育割合と自然環境要因、人為的影響の関連性を解明し(4章)、造園樹木としてのアオキの利用のあり方について考察を行った。

2章では、アオキの主要な生産地である九州地方、関東地方22か所において、生産者の利用個体の起源把握実態と、倍数性および葉緑体ハプロタイプに基づく親木の遺伝的起源を調査した。その結果、22生産者のうち、自ら山採りしたのは4生産者のみで、18生産者は、他者から入手した個体を利用しており、ほとんどはその起源を把握していなかった。また、利用個体のうち、九州地方では74%、関東地方では41%が地域外に起源を持つ個体であった。

3章では、まず、茨城県つくば市および土浦市において、民家の庭・生垣の植栽個体、街路・公園等の植栽個体、また樹林内に自然定着した個体、自然公園内の自然分布個体を採取し、非自生型葉緑体ハプロタイプ個体の植栽・生育場所を調査した。その結果、関東地方に自生しないB1タイプ個体は、植栽個体の54%を占め、樹林11か所のうち8ヶ所で自然定着していた。人為的導入のない樹林における非自生型遺伝的タイプ個体の生育は、種子散布による逸出を強く示唆していた。次に、異なる遺伝的タイプの個体が同所的に生育する状況下における交雑可能性を検証するため、2つの遺伝的タイプ個体について、野外に自然定着した母親個体6個体(Jaタイプ4個体、B1タイプ2個体)と花粉親3個体(Jaタイプ1個体、B1タイプ2個体)を用いて交配実験を行った。初期花数に対する受粉成功花数の割合(受粉成功率)を調べた結果、1個体を除き受粉成功率は遺伝的タイプ間で有意な差が認められず、Ja、B1の遺伝的タイプ個体間で交雑可能であることが示唆された。

4章では、人為的に導入された非自生型遺伝的タイプ個体の樹林内定着割合に関わる要因について明らかにすることを目的とし、樹林内に自然定着し、生育するアオキ個体を採取し、その遺伝的タイプを判別した。その結果、90か所の樹林地のうち、65か所で非自生型遺伝的タイプ個体が生育しており、802個体のうち約30%を占めていた。また、個体を採取した樹林パッチから半径500m内の周辺森林面積率および市街地面積率、市街化区域からの距離、地形、樹林パッチ面積・形状、樹林管理の有無、1980年代初頭から現在までの樹林における林相変化の有無を説明変数、樹林内におけるB1タイプの出現割合を目的変数として、一般化線形混合モデルを作成しモデル選択を行った結果、B1タイプ個体の出現割合は、周辺森林面積率、地形、林相変化の有無に影響を受けていた。

本研究では、野外樹林地における非自生型遺伝的タイプ個体の増加は、その提供源である造園樹木の生産流通量と、受容側の樹林周辺の要因の相乗効果により引き起こされると考えられ、本研究から導かれる造園樹木の利用のあり方としては、(1)生産地周辺の自然分布域から調達可能でも、商業的価値や生産効率等の人為的要因から遺伝的起源の乖離が生じて可能性があるため、遺伝的起源を考慮した植栽を行う際には採取起源の明らかな個体を利用すること、(2)特に、被食散布種子を持つ在来造園樹種を自生集団が生育する周辺地域に導入する際には、例えば市街化区域、市街化調整区域のような人為的土地区分スケールだけではなく、地形や周辺土地利用、樹林地の林相等についてサイトスケールからも逸出可能性を検討することが考察された。

以上要するに、本研究は、全国規模で広く利用されている在来造園植物の遺伝的起源に着目し、生産から植栽後の逸出まで一連の流れをふまえ解析した実証的研究であり、在来造園植物種導入のあり方を検討する上での重要な示唆を与えるものとして高く評価できる。本研究の今後の展開と、本研究と同様の他の植物種に関する研究蓄積により、その成果は今後も利用種数や取扱量の増加が見込まれている在来造園植物種における、生産・流通システムの再構築や空間的植栽計画論に応用可能である。よって、審査委員一同は、博士(農学)の学位を与えるのに十分値する論文であると判断した。

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