学位論文要旨



No 124738
著者(漢字) 遠藤,墾
著者(英字)
著者(カナ) エンドウ,ツトム
標題(和) ブタ卵の減数分裂過程におけるヒストンアセチル化制御機構の解析
標題(洋)
報告番号 124738
報告番号 甲24738
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3448号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 内藤,邦彦
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 准教授 松本,芳嗣
 東京大学 准教授 田中,智
 東京大学 准教授 青木,不学
内容要旨 要旨を表示する

ヌクレオソーム構成単位のコアヒストンを形成するヒストンH3・H4のN末端には、正電荷をもつアミノ酸残基を多く含むドメイン(ヒストンテイル)が存在し、この部位はアセチル化・メチル化等の様々な化学修飾を受ける。特にリジンのアセチル化はクロマチン構造の変化や遺伝子発現の制御に関与し、H3・H4それぞれ、4ヶ所ずつのアセチル化部位が知られる。

哺乳類の体細胞では、間期で形成されたクロマチン全体のアセチル化レベルは、分裂期の間も変化せずに維持されるため、体細胞分裂においてヒストンアセチル化は、親細胞の遺伝子発現パターンを娘細胞に伝えるための"細胞記憶"として働くものと考えられている。

近年マウス卵において、減数分裂開始前であるGV期のクロマチンではヒストンアセチル化が多くみられるが、核膜消失後から第二減数分裂中(M2)期までの間に、ヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)の働きにより、どのリジンもクロマチン全体で脱アセチル化されることが報告された。このクロマチン全体の脱アセチル化は、体細胞にはみられないため、体細胞分裂で維持されていた"細胞記憶"の消去に働く可能性が示唆されている。またマウス卵では、HDAC阻害剤を用いてこの脱アセチル化を阻害すると、M2期の染色体異常と受精後の産仔率が低下するため、クロマチン全体の脱アセチル化は卵染色体の形成にも重要であることが示唆されている。卵特異的な脱アセチル化が、生殖細胞の全能性の再獲得や減数分裂期のクロマチン構造に関与するならば、減数分裂の進行に伴って厳密な制御を受ける必要があると考えられる。しかしながら現在のところ、この脱アセチル化を制御する機構については全く明らかになっていない。そこで本研究では、減数分裂の進行が緩やかなブタ卵を用い、卵特異的な脱アセチル化の制御機構を明らかにすることを目的とした。

【第1章 ブタ卵減数分裂過程におけるアセチル化状態の変化】

現在のところ卵特異的な脱アセチル化は、核膜消失からM2期にまでの、どの時期に起こるかは明らかでない。そのため、卵特異的な脱アセチル化の制御機構を解明するためにまず、脱アセチル化が減数分裂期のいつ起こるかを特定する必要があると考えられた。そこで、ブタ卵減数分裂過程でのヒストンアセチル化状態の詳細な変化を、アセチル化ヒストン抗体を用いた免疫染色法により解析した。その結果、GV期にみられるクロマチンのアセチル化状態は、核膜消失後まで維持されるが、第一減数分裂中(M1)期で脱アセチル化されることがわかった。興味深いことに、第一減数分裂後・終(AT1)期において、クロマチンは高アセチル化されていた。この結果は、M1期で起こった脱アセチル化がその後も維持されるのではなく、AT1期で一時的なアセチル化を経て、M2期で再び脱アセチル化されることを示している。これにより、卵特異的な脱アセチル化はM1期で起こるが、そのアセチル状態は分裂ステージごとに劇的に変動することが明らかになった。そのため卵特異的な脱アセチル化は、卵の細胞周期によって厳密な制御を受けている可能性が考えられた。

【第2章 卵特異的な脱アセチル化と、細胞周期関連因子の関連性】

哺乳類卵の減数分裂過程では、細胞周期関連因子であるM-phase promoting factor(MPF)やmitogen-activated protein kinase(MAPK)の活性化によって、核膜が消失し、さらに種々のタンパク質の活性が制御されることが知られている。特にMPFは、M1期で活性化し、AT1期で一時的に活性レベルは下がるものの、M2期で再び活性化することから、第1章で明らかになったアセチル化レベルの変化と非常によく相関がみられる。このため、卵特異的な脱アセチル化はこれらの細胞周期関連因子によって制御される可能性が考えられた。一方で、脱アセチル化は核膜消失後に起こることから、クロマチンが核外に存在する因子と接触の機会を持つことで脱アセチル化を引き起こす可能性も考えられた。そこで、卵特異的な脱アセチル化は、MAPKやMPFの活性に制御されるのか、それとも単に核膜の消失がきっかけとなって起こるのかを調べることにした。そのために、MAPKやMPFが活性化する前のブタGV期卵の核膜を、顕微操作により人為的に破壊し、脱アセチル化が起こるかを解析した。その結果、核膜を破壊したGV期卵は、MAPKやMPFの活性化が起こっていないにもかかわらず、本来M1期で起こるはずの脱アセチル化が観察された。これにより、卵特異的な脱アセチル化はMAPKやMPF活性に制御されないこと、つまり、核膜さえ消失すれば脱アセチル化が起こることが明らかになった。この結果は、GV期の核外に存在する因子が、卵特異的な脱アセチル化に重要であることを強く示唆している。

【第3章 卵特異的な脱アセチル化に関与するHDACの特定とその細胞内局在】

現在までに哺乳類のHDACは17種類以上のアイソフォームが同定されており、タンパク質の相同性から、主にクラスI~IIIのファミリーに分類される。近年マウス卵を用いた解析から、GV期の核内にはクラスIファミリーであるHDAC1が存在し、この核内に存在するHDACが卵特異的な脱アセチル化に関与するのではないかと考えられている。では、なぜGV期の核内にHDACが存在するにもかかわらず、核膜消失後に脱アセチル化が起こるのだろうか。第2章の結果から核外因子の重要性が示唆されたため、GV期の核内HDACは不活性であり、核外因子により活性化されることが考えられた。そこで、卵内のHDAC活性の変化をCyclex HDAC assay kitにより測定したところ、GV期の卵内にはすでに高HDAC活性が存在し、その活性は核膜消失前後で変化しないことが示された。次に、核と細胞質を顕微操作により分離し、それぞれのHDAC活性を測定したところ、GV期の核内には十分なHDAC活性が存在したことから、核内HDACは核外因子により活性化されるわけではないことがわかった。興味深いことに、GV期の核外にも、核内と同じだけの高HDAC活性が存在した。そこで、核外には核内と別のHDACが存在しているのではないかと考え、分離した核と細胞質の両方にクラスIHDAC阻害剤であるvalproic acid(VPA)を処理し、HDAC活性を測定した。その結果、VPAにより核内のHDAC活性はほぼ完全に阻害されるが、核外の活性はほとんど阻害されないことから、核外にはクラスI以外のHDACが多量に存在することが示唆された。このため、核外に存在する因子は、核内HDACの活性化因子でなく、HDACそのものである可能性が考えられた。そこで、核内の大量のクラスI活性が、本当に卵特異的な脱アセチル化に関与するかを解析した。まず、ブタ卵をVPA処理し、核内のクラスI活性を阻害したが、M1期では脱アセチル化が起こっていた。さらに、GV期の核を除去した卵に体細胞核を注入したとき、体細胞クロマチンが脱アセチル化されるかを解析したところ、注入後の体細胞クロマチンは核膜消失に伴い、クロマチン全体の脱アセチル化が誘起された。以上より、核内のHDACは卵特異的な脱アセチル化に必要なく、核外に存在するクラスI以外のHDACが必要なため、核膜消失後に脱アセチル化が起こることが強く示唆された。

【第4章 卵特異的な脱アセチル化とヒストン交換反応の関連性】

哺乳類卵のGV期の核外の遊離ヒストンはクロマチンのヒストンと交換反応を起こすことを示唆する報告がみられることから、なぜGV期のクロマチン全体のアセチル化レベルは減少せずに維持されるのか、また、核膜消失後のクロマチン全体の脱アセチル化はヒストン交換によって引き起こされ得るのかを検証した。まず、H4のN末端から20番目までのアミノ酸残基を欠失させた変異型H4にFlagタグを付加した融合タンパク質(ΔH4-(1-20)-Flag)をGV期卵の細胞質に発現させ、Flag抗体による免疫染色を行ったところ、ΔH4-(1-20)-Flagは6時間後に卵クロマチンに取り込まれることが示された。この結果から、GV期において遊離ヒストンは、アセチル化ヒストンだけが選択的に卵クロマチンに取り込まれるわけではないことが示唆された。次に、GV期においてΔH4-(1-20)-Flagを取り込んだクロマチンを抗アセチル化ヒストン抗体で免疫染色したところ、ΔH4-(1-20)-Flag取り込み後のクロマチンのアセチル化蛍光強度は、取り込み前と同程度であった。ΔH4-(1-20)-Flagは抗アセチル化ヒストン抗体では認識されないため、ΔH4-(1-20)-Flagを取り込んだクロマチンのアセチル化蛍光が減少しないという結果から、GV期おけるヒストン交換はクロマチンのごく一部分でしか起こらないために、クロマチン全体のアセチル化レベルの低下が検出されないことが示された。一方で、核膜消失後のブタM2期卵の細胞質中にin vitroで精製したH4-Flagタンパク質を顕微注入し、Flag抗体による免疫染色を行ったところ、6時間後もクロマチンにFlag蛍光は観察されなかった。このことから、核膜消失前のGV期に比べ、核膜消失後であるM2期のクロマチンではヒストン交換はほとんど起こっていないことが示された。つまり、核膜消失後のクロマチン全体の脱アセチル化は、ヒストン交換反応により誘起されるのではなく、核外のHDACが直接的にクロマチンに結合することで起こるという機構が強く示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

ヒストンH3・H4はDNAの高次構造であるヌクレオソームのコアヒストン構成単位である。そのN末端には様々な化学修飾を受けるヒストンテールが存在し、この部位のアセチル化はクロマチン構造の変化や遺伝子発現の制御への関与が示唆されている。

近年マウス卵において、減数分裂開始前(GV期)のクロマチンではヒストンが高度にアセチル化されているが、減数分裂開始後の第二減数分裂中期(M2)までにクロマチン全体で脱アセチル化されることが報告された。この現象は体細胞にはみられないため、体細胞で維持されていた"細胞記憶"の消去による全能性の再獲得や、卵特異的な染色体の形成に働く可能性などが示唆されている。この卵特異的脱アセチル化は減数分裂の進行に伴い厳密に制御されていると想像されるが、現在まで、この制御機構は全く不明である。本研究は、減数分裂の進行が緩やかなブタ卵を用い、卵特異的な脱アセチル化制御機構の解明を目的としたものである。

第1章では、アセチル化状態の変化を免疫染色法により詳細に調べ、GV期のアセチル化状態は、核膜消失後まで維持されるが、第一減数分裂中期(M1)で脱アセチル化されることを示した。さらに第一減数分裂後期・終期(AT1)では、クロマチンは一時的にアセチル化され、M2で再び脱アセチル化されることを示した。この結果から、卵特異的な脱アセチル化はM1で起こるが、その後分裂ステージごとに劇的に変動しており、卵の細胞周期によって厳密な制御を受けている可能性を示唆した。

第2章では細胞周期制御因子であるM期促進因子(MPF)の活性変動が、第1章で示したアセチル化レベルの変化とよく相関していることから、この脱アセチル化がMPF活性によって制御されている可能性を検討した。脱アセチル化は核膜消失後に起こることから、MPF活性とは無関係にクロマチンが核外因子と接触することで引き起こされる可能性も考えられたため、ブタGV期卵の核膜を顕微操作により人為的に破壊し、脱アセチル化が起こるかを解析した。その結果、核膜を破壊したGV期卵は、MPFが活性化していないにもかかわらず、本来M1期で起こるはずの脱アセチル化が観察された。これにより、卵特異的な脱アセチル化はMPF活性に制御されるのではなく、核膜さえ消失すれば起こること、さらにGV期の核外に存在する因子が、卵特異的な脱アセチル化に重要であることを示唆した。

マウスGV期卵の核内にはヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)が存在し、これが卵特異的な脱アセチル化に関与すると考えられている。ではなぜGV期の核内にHDACが存在するにもかかわらず、核膜消失後に脱アセチル化が起こるのか。第3章ではこの疑問の解明に取り組んだ。まず核外にHDAC活性化因子が存在する可能性を考え卵のHDAC活性変化を測定したが、GV期の卵には既に高HDAC活性が存在し、核膜消失前後で変化しないことを示した。次に、核と細胞質を顕微操作により分離し、GV期の核外には核内と同程度の高HDAC活性が存在し、この核外HDACは核内HDACとは異なるクラスに属することを示した。この結果から卵特異的脱アセチル化に核内ではなく核外HDACが関与している可能性が考えられた。そこで、GV期卵の核を除去して細胞質のみとし、これに体細胞核を注入したところ、体細胞クロマチンは核膜消失に伴い、クロマチン全体で脱アセチル化が誘起された。以上より、核内HDACは卵特異的脱アセチル化に必要なく、核外HDACが重要であることを初めて明らかにした。

第4章では卵特異的な脱アセチル化とヒストン交換反応の関連性について検討を加えた。H4のN末端から20番目までのアミノ酸残基を欠失させた変異型H4をGV期卵の細胞質に発現させた結果、この変異体H4は卵クロマチンに取り込まれることから、GV期の遊離ヒストンの取り込みには、ヒストンアセチル化、さらにヒストンテールは関与しないことを示した。またこの時のヒストンアセチル化レベルを測定しGV期おけるヒストン交換はクロマチンのごく一部分でしか起こらないことを示唆した。一方、核膜消失後のブタM2卵の細胞質中にin vitroで精製したH4-タンパク質を顕微注入し、核膜消失後のM2のクロマチンではヒストン交換はほとんど起こらず、核膜消失後のクロマチン全体の脱アセチル化は、ヒストン交換反応では起こりえないことを示唆した。

以上、本研究は哺乳類卵の減数分裂過程におけるヒストンアセチル化の制御機構の一端を明らかにした初めての報告であり、発生生物学分野における学術的な面のみならず、近年のバイオテクノロジーに対する応用面においても貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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