学位論文要旨



No 124739
著者(漢字) 佐藤,晋也
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,シンヤ
標題(和) バイオインフォマティクスによるエピゲノム解析
標題(洋) Bioinformatic Analysis of Epigenome
報告番号 124739
報告番号 甲24739
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3449号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 特任教授 八木,慎太郎
 東京大学 准教授 今川,和彦
 東京大学 准教授 高橋,伸一郎
 東京大学 准教授 山内,啓太郎
 東京大学 准教授 田中,智
内容要旨 要旨を表示する

序論

エピジェネティクスとは「塩基配列の変化を伴わず,細胞世代を超えて継承される遺伝子機能の変化」を研究する学問である.哺乳類のからだを構成する細胞は,同一のゲノムを利用しながら,それぞれが特徴的な遺伝子群を発現する.遺伝子発現のプロフィールは細胞世代を超えて継承され,分化の過程で変化しうる.エピジェネティック系は主にDNAメチル化とヒストン修飾により制御されている.DNAメチル化は安定で,DNAメチル基転移酵素によって親鎖DNAから娘鎖DNAに継承される.DNAのメチル化は多くの場合遺伝子発現を抑制する.DNAメチル化は転写因子による短期間の遺伝子発現制御と異なり,持続的な遺伝子制御と考えられている.ヒストン修飾は比較的安定なものから短時間で変化するものまで報告されている.ヒストン修飾は約60種類存在するが,DNAメチル化は唯一のゲノム修飾である.DNAメチル化に依存したヒストン修飾機構が存在する.したがって,DNAメチル化情報はヒストン修飾を含むエピジェネティック変化を知るための重要な情報となる.ゲノム上には組織・細胞によってメチル化状態が異なる領域(T-DMR)をプロモーター領域などにもつ遺伝子が多数発見されている.

ゲノム全域におけるエピジェネティック状態の総体はエピゲノムと呼ばれる.本研究はゲノム広域のT-DMR情報を取得・解析する方法の開発を目的とした.第1章では,遺伝子領域におけるT-DMRを網羅的に取得する系(D-REAM: T-DMR profiling with restriction-tag mediated amplification)を開発し,これを用いて肝臓と脳の比較で得られる肝臓低メチル化T-DMRを得た.得られたT-DMR情報を遺伝しデータベース,発現データベースを初めとする種種のデータベースと比較・照合することで,プロファイリングを行った.第2章では,ES細胞と成体臓器の脳、肝臓,腎臓とを比較することで,ES低メチル化T-DMR, ES高メチル化T-DMRを同定し,得られたT-DMR情報のプロファイリングを行った.さらに得られたT-DMR情報をもとに,近年作出されたiPS細胞ならびにその前駆細胞におけるメチル化状態を解析し,ES細胞との類似性,相違性を検証した.

第1章 網羅的T-DMR解析系の確立

DNAメチル化感受性酵素とDNAタイリングアレイを組み合わせ,ゲノム広域のメチル化状態を知ることができる.制限酵素HpyCH4IVを用い,マウスプロモーター領域における約17万の認識配列におけるメチル化情報をアレイシグナルとして取得できるD-REAMを開発した.

D-REAMで得られたシグナルをMAT(Model-based Analysis of Tiling-array)を用いて肝臓と脳のメチル化プロフィールを比較した.脳と比較して低メチル化状況にあるT-DMRシグナル(T-DMRtag)は約4,000検出され,このT-DMRtagをプロモーター領域に持つ遺伝子約2,000が同定された.オントロジー解析の結果,これらの遺伝子群は肝臓で特異的に働く代謝ネットワーク上にある遺伝子,肝臓で働くと考えられる代謝関連のオントロジーを持つ遺伝子が濃縮された.この濃縮は転写開始点近傍にCpGアイランドを持たない遺伝子群においてより顕著であった.さらに配列解析の結果,CpGアイランドを転写開始点近傍に持たない遺伝子群においては,肝臓で機能するHnf1, Hnf4aなどの転写因子の認識配列を持つ遺伝子が有意に含まれた.

CpGアイランドを転写開始点近傍に持つ遺伝子群については,T-DMRは転写開始点の下流に多く存在し,下流に持つ遺伝子がより遺伝子発現と相関した.

得られたT-DMRにおけるメチル化状態を腎臓,脾臓にて解析したところ,Hnf1の標的遺伝子にあるT-DMRの一部は腎臓でも低メチル化状態にあり,一部は肝臓特異的に低メチル化状態にあった.

すなわち,低メチル化T-DMRを有する遺伝子は転写因子とそれらの標的遺伝子より構成されていることがわかった.つまりエピゲノムは細胞・組織に特異的で,それらの機能を規定し,維持するための礎となっていることが明らかとなった.

第2章 多能性幹細胞のメチル化プロフィール解析.

D-REAMとMATを用い,マウスの胚性肝細胞(ES細胞)と成体脳,肝臓,腎臓を比較することで,T-DMRtagを取得した.3組織と比較することで得られる,ES細胞で特異的に低メチル化状態にあるT-DMRtagは約2,000検出され,これらをプロモーター領域に含む遺伝子が約1,000検出された.その結果,ES細胞を特徴付ける遺伝子群は,CpGアイランドを転写開始点近傍に持つものを多く含んでいることが明らかとなった.これらT-DMRのメチル化状態は遺伝子の発現と相関し,その相関はT-DMRを転写開始点の下流に持つものについてより顕著であった.また,興味深いことにES細胞の多能性に関わる転写因子Pou5f1, Nanogを中心とする転写制御ネットワーク上の転写因子,ならびにその標的遺伝子が含まれていることが判明した.

一方,ES細胞で高メチルか状態にあるT-DMRtagを持つ遺伝子群はES細胞では発現が抑制傾向にあり,ヒストンH3K27トリメチル化修飾状況と相関していた.これらの遺伝子群は脳,肝臓,腎臓において,特異的に機能する遺伝子が含まれ,また肝臓で特異的に機能する転写因子Hnf4a, ならびにその標的遺伝子が含まれた.このように,ES細胞では細胞・組織特異的な機能がエピジェネティクス系で抑制されていることが明らかになった.

ES細胞で得られたT-DMRを基に,iPS細胞ならびに前駆細胞とES細胞とのメチル化プロフィールを比較したところ,ES細胞で機能する遺伝子群についてはiPS細胞でも同様に低メチル化であり,その一部は前駆細胞でも低メチル化であった.同様にES細胞で高メチル化状態にある遺伝子群もiPS細胞では同様な高メチル化であった.このように,ES細胞とiPS細胞は基本的には近似したDNAメチル化プロフィールを示すことが証明された.

一方,肝細胞由来のiPS細胞で,肝臓で重要な機能を担うHnf4a, ならびにその標的遺伝子が低メチル化状態にあるものなども存在した.これらのT-DMRについては前駆細胞においても低メチル化状態にあり,前駆細胞のプロフィールを継承している可能性が示唆された.以上の結果から,第1章で観察された低メチル化T-DMRと細胞で機能する遺伝子群との関連はES細胞においても得られた.さらに高メチル化T-DMRが他の組織で機能する転写制御系に広範に現れることが明らかとなった.

総合討論

本研究では広域ゲノムのDNAメチル化解析法D-REAMを開発した.T-DMRメチル化情報をもとにメチル化上納のプロファイリングを行い,低メチル化T-DMRは,その細胞で機能する遺伝子に現れ,逆に高メチル化T-DMRは他の細胞で機能し,その細胞では機能しない遺伝子に現れることを明らかにした.すなわち,DNAメチル化プロフィールは,機能すべき遺伝子における低メチル化と,機能すべきでない遺伝子における高メチル化の組み合わせの分子基盤になっているのである.また,メチル化プロフィールは細胞固有のものであり,細胞の同定や評価などに利用できると考えられる.以上,エピゲノムが細胞の機能に広範密接に関与する,重要な情報であることが示された.

審査要旨 要旨を表示する

DNAメチル化はエピジェネティック制御系の主要機構であり、転写因子による短期間の遺伝子発現制御と異なり、細胞世代を越えた安定的な遺伝子機能の制御記憶装置として働く。これまで、Restriction Landmark Genome Scanning 法を主体に、ゲノム上には組織・細胞によってメチル化状態が異なる領域(T-DMR)が多数存在することが示唆されている。しかし、RLGSの方法論的限界から全T-DMRの同定には至っておらず、さらなる迅速な方法の開発が望まれていた。様々な生物の全ゲノム配列が解読されたが、今後の生命科学の基盤として、ゲノム全域のエピジェネティクス状態の総体(すなわち、エピゲノム)に関する情報を整備しなければならない。本論文はエピゲノム研究を視野に、ゲノム全域のT-DMRのDNAメチル化情報を取得・解析する方法の開発を目的としている。

第1章ではDNAメチル化情報を網羅的に取得する新たな解析法、T-DMR profiling with restriction-tag mediated amplification法(D-REAM)を開発した。D-REAMは、任意のDNAメチル化感受性酵素とDNAタイリングアレイを組み合わせた方法である。D-REAMによる肝臓と脳の比較から約4000のT-DMRシグナル(T-DMRtag)が得られ、これらは約2000遺伝子のプロモーター領域に同定された。オントロジー解析の結果、これらの遺伝子群には肝臓で特異的に働く代謝ネットワーク上にある遺伝子や、肝臓で働くと考えられる代謝関連の遺伝子が含まれることが明らかになった。また、Hnf1やHnf4aなどの肝臓特異的転写因子の遺伝子、さらにはそれらの標的遺伝も含まれていた。転写因子遺伝子とそれらの標的遺伝子がT-DMRを有し、細胞・組織の特異的な機能の制御と維持の基礎となっていることがD-REAMの開発と利用で初めて明らかになったのである。T-DMRは転写開始点の上流以外に、下流にも多く存在していることも明らかになった。

第2章では、前章で完成したD-REAMと解析ツールを基に、多能性幹細胞のメチル化プロフィール解析が行われた。まず、マウスの胚性肝細胞(ES細胞)と成体脳、肝臓、腎臓を比較することで、ES細胞で特異的に低メチル化状態にあるT-DMRtag(ES hypo-T-DMRtag)約2000が検出された。これらは約1000遺伝子のプロモーター領域に存在する。ES hypo-T-DMRtagを含む遺伝子群には、ES細胞の多能性に関わる転写因子Pou5f1、Nanogを中心とする転写制御ネットワーク上の転写因子ならびにその標的遺伝子が含まれていることが判明した。また、ES hypo-T-DMRtagはCpGアイランドを転写開始点近傍に持つものが多く、メチル化状態は遺伝子の発現と相関していた。その相関は、T-DMRが転写開始点の下流に存在する場合に、より顕著であった。

一方、ES細胞で高メチル化状態にあるT-DMRは、ヒストンH3K27トリメチル化修飾状況と相関しており、それらの遺遺伝子発現はES細胞で抑制傾向にあった。その中には成体臓器の特異機能に関わる遺伝子が含まれており、ES細胞ではこれらの遺伝子もエピジェネティクス系で抑制されていることが明らかになった。

次に、ES細胞で得られたT-DMR情報を基に、人工多能性幹細胞(iPS細胞)ならびにその前駆細胞とES細胞とのメチル化プロフィールが比較された。ES細胞で機能する遺伝子群についてはiPS細胞でも同様に低メチル化であった。同様にES細胞で高メチル化状態にある遺伝子群もiPS細胞で高メチル化傾向にあった。このように、ES細胞とiPS細胞は近似したDNAメチル化プロフィールを示すことが世界で初めて証明された。さらに、肝細胞由来のiPS細胞と胎児繊維芽細胞由来のiPS細胞のDNAメチル化プロフィールも得られた。両iPS細胞のDNAメチル化プロフィールはごく近似しており、クラスター解析の結果、ES細胞のDNAメチル化プロフィールとは異なったクラスターを形成した。一方で、肝臓由来iPS細胞では肝臓で重要な機能を担うHnf4a、ならびにその標的遺伝子が低メチル化状態にあるなど、胎児繊維芽細胞由来iPS細胞にはない特徴も浮き彫りにされた。これらのT-DMR情報から、iPS細胞には依然として前駆細胞のエピジェネティクス情報を持ち越しているゲノム領域が存在することが示唆された。

以上、本論文では、新たなDNAメチル化解析法D-REAMを確立し、DNAメチル化プロフィールが、遺伝子発現制御の分子基盤になっていることを明らかにした。そして、DNAメチル化プロフィールが細胞種固有であることを利用して、ES細胞やiPS細胞などの同定や評価に利用できることを証明した。これらの発見は、細胞・組織のゲノムによる制御の基礎として重要であるばかりでなく、応用科学にも重要な視点を提供している。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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