学位論文要旨



No 124745
著者(漢字) 金,花子
著者(英字)
著者(カナ) ジン,ファズ
標題(和) ブタとヤギの黄体における抗アポトーシス因子の性周期と妊娠期間中の発現変化
標題(洋) Changes in Expression of Anti-apoptotic Factor, Cellular FLICE-like Inhibitory Protein, in Porcine and Caprine Corpus Lutea during Estrous Cycle and Pregnancy
報告番号 124745
報告番号 甲24745
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3455号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 眞鍋,昇
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 局,博一
 東京大学 教授 西原,眞杉
 東京大学 教授 内藤,邦彦
内容要旨 要旨を表示する

哺乳類の卵巣には、胎児期に有糸分裂を終えて減数分裂を途中で停止した卵母細胞を上皮細胞が包む原始卵胞が数十万個含まれ、性周期毎にその一部が発育を開始し、成熟後排卵に至る。しかしこの過程でほとんどの卵胞が選択的に閉鎖し、排卵に至るのは1%に満たない。排卵後に卵胞は黄体となり、妊娠した場合は妊娠黄体として妊娠の維持につとめ、妊娠しない場合は速やかに退行する。黄体の発育と維持および的確な退行は、妊娠の維持あるいは性周期の起動に支配的な役割を果たす。家畜では黄体の退行に異常があるために性周期が乱れたり停止したりすることによって排卵不全に陥って不妊となり、効率的な増産が阻害されることが多く、適切に黄体を退行させる手法を開発することが重要な課題であり続けてきた。しかし、黄体の維持と退行を調節している分子機構には種族差があることが知られており、かつ未だに不明な点が多い。近年の研究から、卵胞の選択的閉鎖は顆粒層細胞のアポトーシスによって支配的に調節されていること、および顆粒層細胞では細胞死リガンド/受容体系(主にFas ligand/Fas系が発現している)に依存するアポトーシスシグナルの細胞内伝達を阻害する抗アポトーシス因子(cellular FLICE-like inhibitory protein: cFLIP)が発現しなくなった場合に細胞が死滅することなどが分かってきている。この抗アポトーシス因子には2種類のスプライシングバリアントがある。長いcFLIPLの構造はプロカスパーゼ-8(FLICEとも呼ばれ、分子内に2つのdeath effector domain: DEDとタンパク分解酵素ドメインをもつ)と似た構造をしており、分子内に2つのDEDとタンパク分解酵素様の偽酵素ドメインをもつ。短いcFLIPSは偽酵素ドメインをもたず、2つのDEDのみをもつ。cFLIPLは主にプロカスパーゼ-8と、cFLIPSは細胞死受容体の直下にあって分子内に2つのDEDをもつアダプタータンパク(Fas-associated death domain: FADD)と各々のDED同士がホモフィリックに結合することを介して複合体を形成する。これによってFADDとプロカスパーゼ-8との会合が阻害され、その結果としてプロカスパーゼ-8の活性化が阻止されてアポトーシスシグナルの細胞内伝達が阻害される。このようにして卵胞の顆粒層細胞の生存と死滅を制御している抗アポトーシス因子が、卵胞と同様に細胞死リガンド/受容体系が発現している黄体でも細胞の生存と死滅の制御に関わっているのではないかと考え、完全性周期動物でありかつ重要な家畜であるブタとヤギを材料として本研究を始めた。その結果、卵胞の細胞が再分化して形成される黄体の細胞でもcFLIPが細胞の生存と死滅の制御に関して重要な役割を果たしていることが分かった。

第一章では、食肉処理場で得た経産ブタの卵巣を材料として性周期にともなう黄体におけるcFLIPの発現の推移を調べた。黄体の形態および同じ卵巣に含まれる卵胞のステージにもとづいて性周期ステージを初期(黄体発育期)、中期(黄体機能期)および後期(黄体退行期)に分類した後、黄体を個別に切り出し、4分割した。この一部を用いて個々の黄体のプロゲステロン濃度をELISA法にて測定して黄体のステージを確定した。残りを用いて個々の黄体におけるcFLIPLとcFLIPSのmRNAとタンパクの発現レベルを各々RT-PCR法とWestern blot法にて調べた結果、これらのいずれもが黄体の退行に伴って低下した。さらに残りの個々の黄体組織から連続組織切片を作製し、免疫組織化学染色法にてcFLIPおよび細胞分裂の指標であるproliferating cell nuclear antigen(PCNA)の局在を、TUNEL染色法にてアポトーシス細胞の局在を調べた。性周期初期と中期の発育期と機能期の黄体ではともに多くのPCNA陽性黄体細胞が観察されたが、TUNEL陽性細胞はほとんど観察されず、明確なcFLIP陽性反応は黄体細胞に確認された。しかし、性周期後期の退行期の黄体ではPCNA陽性黄体細胞はほとんど観察されず、多くのTUNEL陽性黄体細胞が観察され、微かなcFLIP陽性反応が一部の黄体細胞に観察された。これらの結果から、ブタの黄体においてはcFLIPの発現は黄体退行に伴って低下しており、発育期および機能期の黄体では黄体細胞におけるアポトーシスシグナル伝達を抑制して細胞死を阻止することで黄体退行を阻害していることが推測された。

第二章では、ブタの妊娠黄体と性周期卵巣の白体におけるcFLIPの発現を調べた。妊娠中のブタの卵巣から個々の黄体と白体を切り出し、4分割した。妊娠ステージは胎児の体長から推定した。第一章と同様に、個々の黄体と白体におけるプロゲステロン濃度を測定するとともに、cFLIPのmRNAとタンパクの発現レベルを各々RT-PCR法とWestern blot法にて調べ、局在を組織化学的に調べた。妊娠黄体においてもcFLIPは黄体細胞に局在しており、そこではPCNA陽性黄体細胞がわずかに観察されたが、TUNEL陽性細胞は観察されなかった。cFLIPLとcFLIPSのmRNAとタンパクの発現レベルは、性周期の機能期の黄体と比較して低かったが、一定のレベルを保ち、それが妊娠期間を通じて維持されていた。白体においては、PCNA陽性が観察される線維芽様細胞と血管内皮細胞にのみcFLIPが発現し、他では観察されなかった。これらから妊娠を維持する役割を果たしている妊娠黄体の黄体細胞ではcFLIPが高発現して黄体の退行を防いでいるが、瘢痕組織である白体においては発現していないことが分かった。

第三章では、東京大学附属牧場で飼育しており、反芻類のモデル動物としても貴重であるシバヤギを用いて、性周期にともなう黄体におけるcFLIP発現の推移を調べた。超音波画像診断法にて成ヤギの卵巣における卵胞と黄体の形態変化を連日観察して性周期を決定した。排卵日を0日として、性周期の初期(3日後:黄体発育期)、中期(8日後:黄体機能期)および後期(17および20日後:黄体退行期)のヤギの頸静脈から採血した後、麻酔下に卵巣を摘出した。末梢血漿中プロゲステロン濃度を測定して性周期を確定するとともに、第一章と同様に黄体のプロゲステロン濃度を測定するとともにcFLIPのmRNAとタンパクの局在および発現の推移を調べた。ヤギの性周期黄体においても、TUNEL陽性黄体細胞が観察されずPCNA陽性の増殖黄体細胞が多数観察される初期の発育期黄体、およびTUNELとPCNA陽性がほとんど観察されない中期の機能期黄体(盛んにプロゲステロンを産生しており、黄体中および末梢血漿中プロゲステロン濃度がともに高い)の黄体細胞において強いcFLIP陽性反応が観察された。性周期後期のPCNA陽性黄体細胞が観察されずTUNEL陽性黄体細胞が多数観察される退行期には黄体退行にともなってcFLIP陽性反応が減少した。生化学的に調べた結果でも、発育期および機能期黄体ではcFLIPのmRNAとタンパクの高発現が認められ、退行にともなって急激に減少した。これらの知見から、ヤギにおいてもcFLIPは黄体細胞においてアポトーシスシグナル伝達を阻害することで生存因子として働き、黄体退行の調節に関わっていると考えられた。

第四章では、妊娠中のシバヤギの黄体におけるcFLIPの発現の推移を第三章と同様にして調べた。交配日を0日とし、妊娠の初期(19日後)、中期(31および92日後)および後期(142日後)のヤギの血液と卵巣を採材した。妊娠の初期から後期まで黄体中および末梢血漿中プロゲステロン濃度がともに高く維持されていた。妊娠期間を通じて、黄体ではTUNELとPCNA陽性がほとんど観察されず、高いcFLIP陽性反応が観察された。生化学的に調べた結果からも、妊娠期間中を通じて黄体では高いcFLIPのmRNAとタンパクの発現が確認された。これらの所見から、ヤギにおいても妊娠期の黄体ではcFLIPが生存因子として働き、妊娠の維持に貢献していると考えられた。本研究によって、cFLIPは、重要な家畜であるブタおよびヤギの性周期中および妊娠期間中の黄体細胞においてアポトーシスシグナルの伝達を阻害することで生存因子として働き、これの生存と死滅の制御に支配的に関わっており、このことを介して黄体退行の調節に重要な役割を果たしていると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

家畜の卵巣には、胎児期に有糸分裂を終えて減数分裂をディプロテン期で停止した卵母細胞を上皮細胞が包む原始卵胞が数十万個含まれ、性周期毎にその一部が発育を開始するが大部分は選択的に閉鎖し、1%未満が排卵にいたる。排卵後、卵胞は黄体となり、妊娠した場合は妊娠黄体として妊娠維持につとめ、妊娠しない場合は速やかに退行して次の性周期を起動する。黄体退行に異常があると性周期が乱れたり停止したりするため受精障害や排卵不全に陥って不妊となり家畜を効率的に増産できなくなるので、適切な黄体退行制御法を確立することが家畜臨床繁殖学領域では重要な課題であり続けている。黄体の維持と退行を調節している分子機構には種族差があり、未だに不明点が多い。これまでに、黄体の前駆組織である卵胞の選択的閉鎖は卵胞上皮細胞における細胞死リガンド・受容体依存性アポトーシスによって支配的に調節されていること、健常卵胞の上皮細胞ではシグナル伝達が抗アポトーシス因子(cellular FLICE-like inhibitory protein: cFLIP)によって阻害されており、これの発現が停止した場合に細胞が死滅して卵胞が閉鎖することなどが分かってきている。しかし排卵後に卵胞の細胞が再分化して形成される黄体の細胞においてもこのような細胞死制御機構が働いているか否か不明である。

申請者は、重要な家畜のうち多胎動物であるブタと単胎動物であるヤギを用いて、性周期中と妊娠期間中黄体の黄体細胞における抗アポトーシス因子の役割を生化学的および組織化学的に調べた。なお、ブタとヤギともに黄体細胞には細胞死リガンド(Fas ligand: FasL)と受容体(Fas)が発現していたが、これらはいずれの時期の黄体にも発現していた。はじめに、食肉処理場で得た経産ブタ卵巣から黄体を切り出し、各々におけるプロゲステロン(P4)濃度を指標にして性周期初期(黄体発育期)、中期(黄体機能期)および後期(黄体退行期)に分類した。FasL・Fas依存性シグナルを受容体直下で阻害するcFLIPにはスプライシングバリアントのcFLIP long form(cFLIP1)とshort form(cFLIPs)があるが、黄体発育期と機能期の黄体細胞にはcFLIP1 mRNAとタンパクが高発現していたが、退行期に低下した。退行黄体の瘢痕組織である白体においてはcFLIPsが血管内皮細胞や線維芽細胞で検出されたが、性周期進行にともなって低下して消滅した。妊娠ブタ卵巣の黄体においてもcFLIP1が高発現していた。ブタの発育期と機能期の性周期黄体と妊娠黄体の黄体細胞においてcFLIP1がシグナル伝達を阻害して細胞死を阻止することで黄体退行を停止させていると考えられた。つぎに、反芻類のモデル動物としても貴重なヤギを用いて研究を進めた。超音波画像診断法による卵胞と黄体の形態変化の継続観測と末梢血漿中P4濃度を指標として性周期を精密に決定し、黄体におけるcFLIP発現の性周期にともなう推移を調べた。初期と中期の黄体の黄体細胞にはcFLIP1とcFLIPsのmRNAとタンパクが高発現していたが、後期には低下した。ヤギでは妊娠の初期、中期および後期を通じて黄体中と末梢血漿中P4濃度が高く維持され、黄体細胞のcFHP1とcFLIPsは高発現し続けたが、出産後速やかに退行した。ヤギにおいてはcFLIP1とcFLIPsが性周期および妊娠黄体の黄体細胞においてシグナル伝達を阻害する生存因子として働いて黄体退行を停止させていると考えられた。

以上のように新規知見を含む申請者の研究によって、重要な家畜であるブタおよびヤギの性周期中および妊娠期間中の黄体において抗アポトーシス因子cFLIPがシグナル伝達を阻害することで生存因子として働き、黄体維持機構に支配的に関わっているが、スプライシングバリアントが種族間で異なることが分かった。申請者の研究業績をとりまとめた論文の内容および関連事項について試験を行った結果、審査委員一同が博士(農学)の学位を受けるに必要な学識を有する者と認め、合格と判定した。

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