学位論文要旨



No 124754
著者(漢字) 平松,竜司
著者(英字)
著者(カナ) ヒラマツ,リュウジ
標題(和) マウス生殖腺の時空間的性決定機構の解析
標題(洋)
報告番号 124754
報告番号 甲24754
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3464号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 九郎丸,正道
 東京大学 教授 眞鍋,昇
 東京大学 教授 内藤,邦彦
 東京大学 准教授 金井,克晃
 東京大学 准教授 田中,智
内容要旨 要旨を表示する

受精卵がどのようにして個体へと形作られていくのか。その発生過程は大きく分けて以下の4つの相、1: 成長(growth)、2: 分化 (differentiation)、3: 形態形成(morphogenesis)、4: パターン形成(pattern formation)に分けられる。これらの過程を高次に進んでいくことにより個体へと発生して行くが、個体においても各種の細胞は全て完全な遺伝子セットを有しており、このことは遺伝子活性の制御こそが上記の過程において重要であることを意味している。これまでに発生過程における多くの遺伝子の機能が報告されてきたが、中には自身の発現制御が器官形成の方向を大きく決定する遺伝子も存在する。その遺伝子の1つの例が、Y染色体上の性決定遺伝子Sryである。マウスにおいて、Sryは胎齢11.0日から12.0日まで、一過性に、生殖腺の中央部から両端部へという特徴的なパターンを示しながら発現し、未分化生殖腺を精巣へと分化誘導する。このSryの発現を引き金として、Sox9、 Fgf9、 Dhh、 Misなど多くの精巣特異的遺伝子の発現が誘導され、また、生殖腺体腔上皮の増殖、中腎細胞の移入、血管の形成、グリコーゲン顆粒の蓄積、精巣索の形成など様々な精巣特異的な形態変化が一気に進んでいく。このSryを引き金とする精巣分化過程は、発生の方向が遺伝子活性の制御により決定されていることを明確に示すものであり、そのメカニズムを解析することは発生のダイナミクスの理解に大きくつながる。そこで本研究では、Sryの機能解析のための新規のin vitro実験系を開発するとともに、時間的空間的に特徴的な精巣分化パターンに着目し、性分化初期過程のメカニズムについて解析を試みた。

第1章精巣分化誘導における時間的な分化機構の解析

(1) Sry誘導可能な新規血in vitro実験系の確立とSryが精巣分化を誘導することができる臨界期の決定。

現在までにSryによる精巣誘導可能な油in vitroの実験系は報告されていない。そこで本研究では、熱ショック蛋白Hsp 70.3をプロモーターに用いた、Hsp 70.3-Sryトランスジェニック(SryTg)マウスを作出し、Sry解析のための新規のin vitroの実験系を確立した(図1)。このマウスラインのXX/SryTgは通常飼育下において妊性を持つ正常な卵巣に成熟するが、生殖腺が未分化な時期(胎齢11.0日頃)に熱処理によりSryの一過性発現を可能にし、器官培養により精巣へと分化誘導することができる。この実験系はin vitroでのSryによる性転換(XX精巣)誘導系として、また哺乳類におけるHspプロモーターを用いた形態形成誘導モデルとして初めての実験系である。

未分化生殖腺に熱処理を加えることで、Sryの発現を一過性に誘導し、性転換(XX精巣)をin vitroで誘導できる。

Sryは胎齢11.0~12.0日に一過性にXY生殖腺に発現するステージ特異的なパターンを示す。そこで、(1)の熱処理によるSry発現誘導系を用いて、Sryを本来の発現ステージ(胎齢11.0~12.0日)から時期をずらして発現を誘導し、Sryの精巣分化誘導がどの時期で機能するか検討した。その結果、Sry発現初期の12-14ts (tail somite stage、尾節数から算出; 胎齢11.0-11.2日)ではSryは正常に機能し、XX生殖腺を精巣へ分化させるが、15-16ts(胎齢11.25-11.4日)ではその機能が著しく低下し、一部個体が卵精巣(中央部のみ精巣様構造)に分化、さらに後期のステージである17ts(胎齢約11.5日)以降では、Sryは機能せず、卵巣へと分化した(表1)。このことから、未分化生殖腺から精巣への分化に関わるSryの機能は12-14ts、すなわち性分化期初期の6時間に限られていること(臨界期)が明らかとなった(図2)。

(2) Sryの精巣形成誘導能の臨界期はFgf9/Wnt4の発現バランスにより決定される。

Sryが精巣分化誘導能を持つ臨界期が12-14tsに限局している要因を詳細に検討した。その結果、i)臨界期以降においてSry発現を誘導すると、21ts(胎齢11.75日)まではSox9の発現を誘導できることが明らかとなった。しかし、そのSox9の発現は一過性にとどまり、その後の発現は維持されなかった。また、精巣分化の初期過程に特異的に起こる中腎から生殖腺への細胞移入や体腔上皮の増殖形態変化も認められなかった。

ii) 臨界期以降におけるSry発現では、Fgf9/Wnt64の発現レベルのバランスが雌型(Fgf9低/Wnt4高)のままであり、雄型(Fgf9高/Wnt4低)に変化できなかった。このことから、Fgf9/Wnt4の発現レベルのバランスはSryにより直接制御されないことが示された。iii) FGF9とsFRP2 (Wntシグナル拮抗因子)の添加およびWnt4ノックアウトマウスでの解析により、Fgf9 Wnt4の発現バランスを雄型(Fgf9高/Wnt4低)に変えると、臨界期以降におけるSry発現でも、セルトリ細胞およびライディッヒ細胞の分化、精巣索の形成を誘導できることから、Sryの精巣形成誘導能の臨界期はFgf9/Wnt4の発現バランスにより決定されることが明らかとなった。

以上のことは、XXでWny4の発現が15tsより上昇することとも一致しており、XYでのSryによる精巣分化の決定から直ぐに、XXにおいてもWnt4により卵巣分化の決定がなされることを示すものである。(図3)

第2章精巣分化誘導における空間的な分化機構の解析

(1) 精巣の分化は、生殖腺中央部から開始し、生殖腺全体へと広がって行く。

様々なステージで取り出したマウスXY生殖原基を前部、中央部および後部の3つの領域に分割し、培養を行った。その結果、12-14ts(胎齢11.0-11.25日)から取り出した生殖原基では、中央部の培養片は高い精巣分化能を示すのに対し、前部と後部の培養片は、その約70%で精巣形成が阻害されていた(図4A)。15ts以降から取り出した生殖原基では、前部と後部でも高い精巣分化能を示した。一方、三分割した12-14tsの前部、中央部、後部の生殖腺断片を、再び1つの生殖腺に構築して培養した結果、前部と後部でも中央部と同等に精巣形成が誘導された(図4B)。以上、精巣分化は中央部に始まり、前部と後部へと誘導能が広がること、すなわち中央部がXY生殖腺全体の精巣分化を誘導していることが判明した。

(2) 中央部からのFGF9シグナルにより、生殖腺全体が精巣分化へと進行する。

中央部から前/後部へ広がる精巣分化パターンを制御する因子を検討した結果、

i) 細胞の移動や細胞間相互作用によるものではなかった。

ii) 前部と後部でもSryおよびSox9の発現は誘導されるが、その後のSox9の発現は中央部と比べて低いレベルのままであった。

iii) FGF9添加により前部と後部の精巣分化誘導能が中央部と同等のレベルに回復した。一方、FGFシグナル阻害により、中央部から前/後部への誘導能の広がりが抑制された。

iv) 解は中央部から発現を開始し、前/後部へと広がる。

これらの結果から、中央部から分泌されたFGF9が、前/後部の精巣分化誘導能を高めることにより、生殖腺全体が精巣分化へと進行することが明らかとなった(図5)。

以上の結果は、Sryが正常な精巣分化を誘導するためには、その発現時期、発現部位の制御が正しく行われる必要があることを意味している。このことは発生過程における遺伝子活性制御の重要性を改めて強調するものであるとともに、今後の生殖腺性分化の研究において、Sryの特微的な発現パターンがどのように制御されているのか、その同定が最重要課題の1つであると考えられる。

図1. HSP-SryTgマウスを用いた、in vitroでのSry発現と精巣形成誘導系の確立

図2. Sryが精巣分化を誘導できる臨界期は12-14ts

XYでのSryの発現は12-24ts(胎齢11.0-12.0日)であり、発現初期(灰色の部分)が重要であることが示された。

表1. 各発生ステージにおける、Sryによる精巣分化誘導率

12-14tsにSryの発現を誘導したXX生殖腺においてのみ、高率に精巣分化を誘導できた。

図3. SRYの機能と臨界期

12-14ts(胎齢11.0-11.2日)でのSry発現により、Sox9の発現およびFGF9シグナルの上昇によるSox9発現の維持、精巣策形成が誘導される。Wnt4が発現を開始する15ts以降では、Sry発現によりSox9の一過性の発現は誘導できるものの、FGF9シグナルの上昇は誘導できず、精巣分化は誘導できない。

図4. 精巣分化は中央部により誘導される。

A: 12-14tsのXY生殖原基を前部・中央部・後部の3つに分割し培養すると、中央部のみ高い精巣分化能が観察された。

B: 一度分割した生殖原基片を再び1つの生殖原基に構築し培養すると、前部・後部でも高い精巣分化能が確認された。再構築の際、中央部にROSA26マウスより取り出した生殖原基を使用し、標識した。

図5. 精巣分化は生殖腺中央部から開始し、FGF9により分化能が前/後部へ広がる。

審査要旨 要旨を表示する

性分化は、雄性化シグナルと雌性化シグナルのバランスの上、未分化生殖原基から精巣/卵巣が分化する、「可塑性」を持つ機構である。そのため、性分化異常症は性転換から外性器異常まで広範に渡り、また高頻度で発生しており、医学・獣医学的、また社会的に極めて大きな問題である。哺乳類の性分化は、Y染色体上の精巣決定遺伝子Sryにより、遺伝的に厳密に制御されている。マウスにおいて、Sryは胎齢11.0日から12.0日まで、一過性に、生殖腺の中央部から両端部へという、時間的・空間的に特徴的なパターンを示しながら発現し、未分化生殖腺を精巣へと分化誘導する。このSryの発現を引き金として、 Sox9、 Fgf9、 Dhh、 Misなど多くの精巣特異的遺伝子の発現が誘導され、また、生殖腺体腔上皮の増殖、中腎細胞の移入、血管の形成、グリコーゲン顆粒の蓄積、精巣索の形成など様々な精巣特異的な形態変化が一気に進んでいく。しかしながら、Sryが同定されてから既に20年近くが経過している現在においても、性分化初期過程のメカニズムについては、未だ多くが明らかとされていない。発生過程において「遺伝子がいつ・どこで発現することにより正常な発生を誘導するか。」は最も重要な問題の一つであり、Sry発現の時間・空間的パターンがどう精巣分化に関わるかに着目することで、性分化初期過程が時間的・空間的にどのように進行していくかを明らかにすることは、性分化過程の解明に大きくつながる。そこで本研究は、新規のin vitro実験系として、熱によるSry発現誘導系、および分割組織もしくはそれらの再構築による器官培養系を開発し、性分化初期過程のメカニズムについて時間的および空間的に検討したものである。

第1章では、Sryがいつ発現することが精巣分化誘導に必要かという時間的問題を検討した。先ず、熱ショック蛋白Hsp 70.3をプロモーターに用いた、Hsp 70.3-Sryトランスジェニック(SryTg)マウスを作出し、Sry解析のための新規のin vitroの実験系を確立した。この実験系は熱処理により、Sryの発現および性転換(XX精巣)の誘導を人為的に制御できる実験系であり、この系を用いることで、様々な発生ステージでSryを誘導し、それぞれのステージで精巣分化が誘導できるかを検討した。その結果、性分化初期の12-14ts (tail somite stage; 胎齢11.0-11.2日)でしかSryはXX精巣を誘導できず、それ以降は卵精巣ないし卵巣へと分化したことから、SryがXX未分化生殖腺を精巣へ分化誘導できるステージ(臨界期)は12-14ts、すなわち性分化期初期の6時間に限られていることを明らかにした。さらに、Wnt4遺伝子を1アレル欠損させると、臨界期以降におけるSry発現でも精巣分化を誘導できることから、この臨界期はWnt4により決定されることを明らかにした。以上のことは、XXでWnt4の発現が15tsより上昇することとも一致しており、XYでのSryによる精巣分化の開始から6時間後には、XXにおいてもWnt4により卵巣分化が開始することを明確に示すものである。

第2章では、Sryが中央から両端へ発現するという空間的パターンに着目し、生殖原基の分割培養法および再構築培養法を用いて、精巣分化が空間的にどのように進行するかを検討した。その結果、胎齢11.0日~11.2日において、生殖腺の中央部は両端部に比べて有意に精巣分化能が高いこと、再構築培養により、中央部が両端部の精巣分化能を高めることが明らかとなった。これらの結果は、精巣の分化は、生殖腺中央部から開始し、生殖腺全体へと広がって行くことを示している。さらに、中央部から前/後部へ広がる精巣分化パターンを制御する因子を検討した結果、FGF9添加により前部と後部の精巣分化誘導能が中央部と同等のレベルに回復する一方、FGFシグナル阻害により、中央部から前/後部への誘導能の広がりが抑制された。これらの結果から、中央部から分泌されたFgf9が、前/後部の精巣分化誘導能を高めることにより、生殖腺全体が精巣分化へと進行することが明らかとなった。

以上の結果から、マウスの性分化過程は、卵巣分化因子であるWnt4が発現する数時間前には精巣決定因子Sryが中央部に発現し、Fgf9を介して生殖腺全体を精巣分化へと進行させていくという、時間的空間的な性分化メカニズムが示された。ヒトや家畜における性分化異常症の発症機序は、20%程度しか解明されていないが、この結果は、遺伝子の機能ドメインだけではなく、その発現制御領域の解析が発症機序の解明に大きくつながることを強く示唆するものである。また、転写因子と液性因子が時間的空間的に、互いに相互作用を奏でながら発生の方向性を決定していくという、発生のダイナミクスを示す、明確なモデルであるとも考えられる。これらの研究成果は、獣医学学術上貢献するところが少なくない。よって,審査委員一同は,五論文が博士(獣医学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/26744