学位論文要旨



No 124755
著者(漢字) 藤田,直己
著者(英字)
著者(カナ) フジタ,ナオキ
標題(和) ラット脊髄損傷モデルにおける鼻粘膜鞘細胞(OECs)移植とトレッドミルトレーニングが機能回復、病理組織学的変化及び神経栄養因子発現におよぼす影響
標題(洋)
報告番号 124755
報告番号 甲24755
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3465号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西村,亮平
 東京大学 教授 小野,憲一郎
 東京大学 教授 佐々木,伸雄
 東京大学 教授 中山,裕之
 東京大学 准教授 望月,学
内容要旨 要旨を表示する

脊髄損傷は人のみではなく、獣医領域においても症例が多く、重症例では生涯にわたって不自由な生活を余儀なくされる。脊髄損傷により機能不全が生じる原因は、損傷部位での神経細胞の損傷ではなく、主の脊髄軸索の断裂ならびに脱髄による神経回路の破綻に起因する。末梢神経の場合には軸索の断裂や脱髄が生じてもシュワン細胞(Schwann Cells:SCs)が軸索を進展させ、髄鞘を再形成することが可能であるが、中枢神経である脊髄は再生が不可能であると考えられてきた。しかし近年、中枢神経にも再生能力自体は備わっているが、中枢神経の環境が軸索の再生を妨げていることが明らかにされた。

従来、脊髄損傷に対して様々な治療法が試みられてきたが、その中で近年細胞移植による脊髄再生療法が注目されている。細胞移植に用いる細胞としては、増殖率が高く、多分化能を持つ各種幹細胞(骨髄幹細胞、胚性幹細胞、体性幹細胞など)のほか、SCsや嗅神経鞘細胞(Olfacory Ensheathing Cells:OECs)も有望視されている。特に、嗅神経を取り巻くように存在し、哺乳類の成熟後も繰り返す嗅神経の再生を誘導していることから脊髄再生への応用が期待され、脊髄損傷モデル動物へのOECs移植実験では運動機能の有意な改善や再髄鞘化の促進が認められている。また、中枢神経においてアストロサイトと共存が難しいSCsに比べ、元来中枢神経にも存在するOECsは脊髄への移植を考えた場合、より有利であると考えられており、最も期待できる材料の一つであるといえる。

一方、従来の脊髄損傷治療においては、術後のリハビリテーションは必須であり、残存している機能の維持や回復に寄与すると考えられてきた。近年、脊髄損傷モデル動物を用いたトレッドミルトレーニングや水泳によるリハビリテーションが脊髄に与える影響を組織学的あるいは生化学的に検証した報告も増えてきており、脊髄における神経栄養因子の発現上昇や神経の可塑的変化による神経回路の再構築などの概念が提唱されており、新たな治療法とともに、リハビリテーションの重要性も再認識されている。特にトレッドミルトレーニングは最も研究が多く行われているリハビリテーション法であり、近年は免負荷式トレッドミルトレーニングも開発されるなど、注目されているリハビリテーション法である。

しかし、移植療法とリハビリテーションの併用における機能改善や脊髄への影響を検討した報告はほとんどなく、OECs移植の臨床応用を考えた場合、移植後にリハビリテーションは必須であると考えられるが、お互いの効果がどのように作用しあうかは不明な点が多い。リハビリテーションにより脳由来神経栄養因子(Brain Derived Neurotrophic Factor : BDNF)やニューロトロフィン3(Neurotrophin-3 : NT-3)の発現上昇がみられることや、OECsの生存や動態にこれらの因子が関与していることも示唆されていることから、OECs移植後のリハビリテーションにより何らかの変化がもたらされる可能性は高いと考えられる。

これらのことを背景として、本研究ではラット脊髄損傷モデルにおけるOECs移植とトレッドミルトレーニングを併用し、それらが生体に与える影響を評価することを目的とし、以下の検討を行った。

1) 脊髄損傷ラットを作成し、OECs移植およびトレッドミルトレーニングを行い、運動機能の改善の程度を評価した。(第3章)

2) OECs移植およびトレッドミルトレーニングが及ぼす効果を損傷部における病理組織および神経栄養因子の発現量から評価した。(第4章)

3) 後根神経性より得たニューロンを用い、OECsと供培養し、神経栄養因子がニューロンやOECsに与える影響をIn Vitroで評価した。(第5章)

第3章 OECs移植およびトレッドミルトレーニングを行ったラット脊髄挫傷モデルにおける運動機能評価

脊髄を挫傷させたラットに嗅球より採取、培養したOECsの移植およびトレッドミルトレーニングを施し、運動機能改善を評価した。重度脊髄損傷ラットでは、トレーニング開始後3週間目の運動機能評価でOECs移植とトレッドミルトレーニングを併用した群(OEC-trained群)で有意な運動機能回復が認められた。OECs移植あるいはトレッドミルトレーニング単独ではどちらも行わなかった群と比較し改善傾向は認められ、重度脊髄損傷モデルにおいてはどちらの治療法も単独では機能回復効果が低いが、併用することで相加的な効果があることが示唆された。

第4章 OECs移植およびトレッドミルトレーニングを行った脊髄挫傷モデルラットの損傷部における病理組織学的検討と神経栄養因子発現量の評価

トレッドミルトレーニングを行うことにより、BDNFやNT-3といった神経栄養因子のmRNAレベルが損傷部より尾側の脊髄で上昇し正常化することが報告されており、またこれらの因子は中枢神経系における髄鞘形成や軸索伸展などにも寄与していることが知られている。さらにOECsの成長や動態にも関与していることを示唆する報告もあり、第2章の結果が損傷部に移植したOECsがこれらの因子により何らかの影響を受けた可能性があると考え、損傷部の病理組織学的評価と神経栄養因子のmRNAレベルを評価した。病理組織学的検査ではOECs移植の有無にかかわらず損傷部における再髄鞘化が認められたが、OECs移植を行った群で有意に多くの再髄鞘化像が観察された。また白質の残存量についてもOECs移植を行った群で多く認められ、移植したOECsによる再髄鞘化の促進および軸索の保護作用が示唆された。しかし、リハビリテーションの有無による組織像の変化は認めらなかった。一方、損傷部における神経栄養因子のmRNAレベルを定量的リアルタイムPCRで測定したところ、リハビリテーションを行うことで損傷部においてもBDNFの発現レベルが有意に上昇し、正常化したことが示された。しかし、NT-3はほとんどすべてのラットにおいて発現上昇が認められた。神経成長因子(NGF)、ニューロトロフィン4(NT-4)、グリア由来神経栄養因子(GDNF)、網様体神経成長因子(CNTF)においてはOECs移植あるいはトレーニングによる変化は認められなかった。以上の結果より、OECs移植とトレッドミルトレーニングを併用した重度脊髄挫傷モデルの運動機能改善においてトレーニングによる神経栄養因子発現の上昇がOECsの髄鞘形成能力を促進させることが示唆された。

第5章 OECsと神経細胞の供培養における神経栄養因子の作用の検討

前章までの結果より、神経栄養因子の存在はOECsの髄鞘形成能力に影響を与える可能性が示唆されたことを受け、In vitroにおける評価を行った。ラットの後根神経節より採取培養した神経細胞とOECsを各種神経栄養因子(NGF、BDNF、NT-3、NT-4、GDNF、CNTF)を5,10,50 ng/ml含有する培養液中で共培養し、髄鞘マーカーであるミエリン塩基性タンパク(Myelin Basic Protein : MBP)の発現と神経突起成長の程度を免疫蛍光染色で評価した。MBPの発現はBDNF存在下でもっとも多く認められ、BDNF発現量の上昇によるOECsの髄鞘形成促進が示された。また、濃度の変化による有意差は認められなかった。神経突起成長促進はNGFで最も顕著であった。前章でほとんどの個体で発現上昇が認められたNT-3においては有意な変化は認められず、本研究からはその役割は不明であった。

以上の結果より、重度脊髄損傷ラットにおいては、OECs移植あるいはトレッドミルトレーニングでは運動機能回復効果が低かったが、併用することで有意な運動機能改善が認められた。トレッドミルトレーニングを行うことでBDNFの発現レベルが上昇し、正常レベルに保たれることが示された。病理組織において併用したラットの損傷部位では髄鞘形成がより多く認められたが、In Vitroにおける検証からBDNFの発現レベル上昇が髄鞘形成の促進に関与している可能性が示唆された。

このことから、臨床応用においてもOECs移植後に積極的なリハビリテーションを行うことが推奨され、脊髄再生医療において移植療法とともにリハビリテーションの重要性を再認識する必要があると考えられた。しかし、ラットにおける運動機能改善は有意差が認められたものの、臨床的に十分な回復が期待できる程度ではなく、脊髄再生の治療法には、今後さらなる検討が必要であると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

重度脊髄損傷は発生頻度の高い疾患であるが、損傷された中枢神経は基本的に再生せず、失われた機能を回復させることは難しいと考えられてきた。しかし近年、再生阻害のメカニズムが徐々に解明され、それを克服できる可能性が示されるようになった。その中で細胞移植療法は最も期待される治療法の一つであるが、とくに嗅神経(鼻粘膜)鞘細胞(OECs)移植は、動物実験レベルで軸索再生や再髄鞘化に伴う運動機能回復が示されたことに加え、倫理面や方法論などから現在のところ臨床応用に最も近い移植材料と考えられる。しかし、実際の症例で著効を示した報告はまだなく、他の治療法との組み合わせなどにより、さらに再生能を高める必要があると考えられる。一方、近年脊髄損傷後のリハビリテーションが脊髄の可塑性変化を促進し、運動機能の改善を導くことが明らかにされている。可塑性変化の要因として、損傷脊髄での神経栄養因子発現上昇が挙げられているが、これらの因子はOECsの生存能力や軸索再生の機能を高めるとの報告もあることから、、OECs移植にリハビリテーションを組み合わせることにより脊髄の機能回復効果が相加・相乗的に増強されるとが期待できる。

以上の背景から本研究では、臨床的な脊髄損傷の病態に最も近いとされる脊髄挫傷モデルラットを用い、OECs移植とトレッドミルトレーニングを組み合わせた場合の運度機能回復効果を検討し、さらにその機序を病理組織学的検討ならびに神経栄養因子発現解析と神経栄養因子の細胞レベルでの機能から評価した。

まず、中等度および重度脊髄挫傷モデルに対し、OECs移植とトレッドミルトレーニングが運動機能に与える影響を評価した。OECs移植とトレーニングの組み合わせ治療を行った群、どちらか単独の治療を行った群、どちらも行わなかった無治療(対照)群に分けて評価したところ、単独の治療ではどちらのモデルにおいても改善傾向はあったが、対照群と比べて有意差はなかった。一方、組み合わせ治療を行った場合、重度挫傷モデルにおいて、移植後2週目以降に有意な運動機能回復を示した。以上から、OECs移植後のトレーニングによる機能回復効果の増強が示された。なお、中等度挫傷モデルは、自然回復が強く生じ、重度脊髄障害のモデルとして適切でないと考えられた。

次に、このような結果に至った機序を解析するために、上述の検討で使用した重度脊髄挫傷モデルの損傷部位における病理組織学的評価と神経栄養因子発現解析を行った。病理組織学的評価では、残存組織がOECs移植により増加する傾向が認められたが、移植したOECsの生存はトレーニングを組み合わせた群でも確認できなかった。神経栄養因子発現解析では、組み合わせ治療を行った群でBDNFの有意な発現上昇が認められたが、OECsと神経栄養因子の発現上昇の直接的関連性は明らかにできなかった。以上の結果から、明確な解答は示せなかったが、組み合わせ治療による有意な運動機能回復の機序に、OECsによる残存組織の増加と、BDNFによる軸索の機能的可塑性変化の促進による相加的作用が考えられた。

BDNFのOECsに対する効果を検討するため、in vitroの解析も行った。すなわち今回用いたOECsとDRGニューロンを共培養し、BDNF添加による有突起細胞数と神経突起長の変化について検討した。しかし、それらの値はBDNF濃度により変化せず、今回移植に用いたOECsではBDNFによる軸索伸展効果の増強はなかったと考えた。

以上より、本研究ではラット重度脊髄挫傷モデルにおいて、OECs移植とトレッドミルトレーニングによる運動機能の有意な改善が示され、OECsによる残存組織の増加とBDNFの発現上昇による残存軸索の機能的な可塑性変化が考えられた。しかし、in vitroで今回移植に用いたOECsはBDNFにより軸索伸展能の増強を示さなかったことも含め、それらの直接的関連性は不明であり、今後この点についてより詳細な検討を加えるとともに、OECsの損傷部での生存能力や機能回復効果、さらにリハビリテーションが脊髄やOECsに与える影響について、検討を続ける必要があると考えられた。

以上本研究は、重度脊髄損傷例に対して細胞移植療法とリハビリテーションの組み合わせが相加的な機能回復を導く可能性をin vivoおよびin vitroの両面から示したものであり、学術上、臨床応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)論文として価値あるものと認めた。

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