No | 124761 | |
著者(漢字) | 井上,茂之 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | イノウエ,シゲユキ | |
標題(和) | キネシンスーパーファミリータンパク質KIF5Cの構造生物学的解析 | |
標題(洋) | Structural analysis of Kinesin Superfamily Protein KIF5C | |
報告番号 | 124761 | |
報告番号 | 甲24761 | |
学位授与日 | 2009.03.23 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(医学) | |
学位記番号 | 博医第3181号 | |
研究科 | 医学系研究科 | |
専攻 | 分子細胞生物学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 背景と目的 キネシンスーパーファミリータンパク質(KIFs)は, 細胞内で微小管をレールとして膜小器官やタンパク質複合体などのカーゴを能動的に必要な部位まで輸送するモータータンパクであるが, 特異的カーゴの認識・結合・脱着機構には不明な点が多い。 カーゴを運んでいないKIFは, そのtailが自身のモーターを阻害するauto-inhibition機構によりエネルギーの消費を抑えることが報告されている。その本質はヌクレオチド交換の阻害とされ, この阻害にはKIFのtail領域中でよく保存されている"IAK"領域が必須であることが生化学的にわかっているが, その構造的分子機構は未解明のままである。またヌクレオチド交換の中間状態である無ヌクレオチド状態のKIFの構造は未だに明らかになっていない。 本研究は, 神経細胞内に特異的に分布するKIF5Cを対象にし, このauto-inhibitionによる"休止状態"の立体構造をX線結晶解析にて解明することにより, auto-inhibitionの原子レベルでの機構を明らかにすることを目的とした。 方法 ・KIF5Cコンストラクトの作製, 発現, 精製 tail領域コンストラクトT1 (772-956aa), T2 (816-956aa), T3 (772-926aa), T4 (816-926aa), モーター領域コンストラクトM1 (1-332aa), M2 (1-372aa) を大腸菌BL21(DE3)を用いて発現させた。精製は固定化金属アフィニティクロマトグラフィ (IMAC) と陽イオン交換クロマトグラフィを組み合わせて行った。 ・動的光散乱 M1-T3複合体の結晶化を目的とし, その結晶化能を推定するためM1とT3のモル比をM1:T3 = 2:1, 1:1, 1:2と変化させたM1-T3混合溶液を準備し, その粒径分布の測定を動的光散乱にて行った。 ・結晶化, X線回折データ収集および構造決定 蒸気拡散法でM1-T3混合溶液の結晶化を試みた。結晶化条件の決定はsparse matrix法で行った。 X線回折データ収集はPF-AR NW12A (Photon Factory)のシンクロトロンビーム光源で行った。位相は分子置換法により決定し, 精密化を行い, 分子モデルを構築した。 さらにM1との結合能およびATPase活性阻害能をもつtailペプチドP1 とのM1-P1複合体を結晶化し, M1-T3と同様にX線回折データ収集と構造決定を行った。 結果 ・KIF5Cコンストラクトの精製条件の最適化 T3はIMAC後, 陽イオン交換クロマトグラフィを行い, 階段状のNaCl濃度勾配で5つのUV吸光度のピークが観察され, 吸光度が最大となるピークで目的タンパクが分離よく高純度で得られた。 M1は陽イオン交換にてNaClの直線状勾配で高純度の分離が達成できた。 ・動的光散乱を用いた結晶化能評価 M1とT3をモル比2:1および1:1で混合した場合, 多分散度%Pdはそれぞれ36.3 %, 38.7 %であった。いずれも単一ピークではあるが %Pdが30 %以上と高く, 結晶化に不適であると予想された。1:2のモル比で混合した場合は %Pdが23.1 %と小幅単一のピークが得られ結晶化に適すると判断した。またこのモル比では溶液中の分子の粒径が約18 nm→15.1 nmと他のモル比で混合したものよりも小さくなっていることもわかった。 ・結晶化, X線回折データ収集および構造決定 M1-T3混合溶液からモル比1:2, 2M硫酸アンモニウム, 0.1M クエン酸ナトリウム pH5.5, という結晶化条件で結晶が得られた。X線回折の結果, 空間群P212121 (斜方晶系), 格子定数a = 71.4 A, b = 71.7 A, c = 181.0 A, 分解能50-2.97 A, R(sym) = 0.072, I/σ = 13.0, Completeness = 95.2 %, Redundancy = 7.2であった。 精密化, モデル構築の結果 (R-factor = 0.25, R(free) = 0.32), 単位格子中に二分子のモーターが認められた。 一方はnucleotide binding pocket中にADPのみが存在し(Mgは存在しない), もう一方は (Mg-ADP過剰にも関わらず) 無ヌクレオチド状態であることがわかり, ヌクレオチド交換における詳細な構造変化が明らかになっているKIF1Aと比較すると,α3へリックスのC末端側がpocketから大きく隔てられた状態にあることがわかった。 tailの電子密度は観察されなかったため, より結晶化が容易と思われたM1-P1複合体を構造解析した結果, 一方のモーターのα3へリックスのN末端側にP1と思われる密度が出現しており, さらにnucleotide binding pocket内はADPの密度は見られず, 無ヌクレオチド状態であった。またin silicoでKIF5C-微小管複合体の原子モデルを作成したが, KIF5C, 微小管双方の結合面が完全にかみ合う構造を呈しておりstrong binding状態の可能性が高いことがわかった。 考察 ・DLSによる多分散度の測定による結晶化能の推定 DLSで単分散とされたタンパク質溶液の約80%が結晶化したという報告がある。 M1-T3の混合溶液ではモル比1:2の混合で %Pdの劇的な改善と粒径の減少が見られた。 このモル比で立体構造の均一化が生じたと考えられ, KIF5Cのauto-inhibitionにおけるM1とT3との結合に際し一分子のM1に二分子のT3が関与して安定した複合体を形成していると推測できる。今回はtailの立体構造が明らかになっておらず, モーター領域とtail領域間の相互作用の詳細も構造的に示されていないため, 今後T3単体およびM1-T3複合体の構造解析を追加することにより, 立体構造変化の存在を明らかにできると思われる。 ・KIF5Cのauto-inhibitionの分子機構 KIF5Cのtailによるauto-inhibitionは, モーター領域のADP/ATP交換過程が阻害される結果生じることが生化学的に示されている。 今回得られた構造ではtailの構造は明らかになっていないが, モーターの構造をKIF1AのADP放出前と比較するとα 3 へリックスが15°程度pocketから離れる方向に回転し, ADP放出後との比較でも7-8°程度の回転が認められた。またヌクレオチドをpocket内に安定化する役割を持つMg(2+)-stabilizerの結合も完全に切れ, その結果 pocketは大きく"開"状態に固定されたままであり, 加えてその内部は無ヌクレオチド状態であった。 またin silicoでの微小管とのドッキングによる結合面の様子から, 今回の構造はstrong binding状態である可能性が高いこともわかった。 M1-P1複合体では上記の構造変化に加え, モーターのα3へリックスN末端側にtailペプチドと思われる密度が新たに認められたことから, これらの構造変化はtailとの混合によって引き起こされたことが示唆され, その場合自身のtailがα3へリックスの回転, 変形やMg2+-stabilizerの解離を誘導, 維持していると予想される。この状態ではヌクレオチドは自由にpocket内に出入りすることができるが, α3へリックスが大きく開き, Mg2+-stabilizerの結合が切れているためにpocketを閉じる事ができず, ATPをpocket内にとどめておくことができない。その結果ATP加水分解のサイクルが進まない。これがKIF5Cの自身のtailによるモーターのADP/ATP交換過程の阻害の分子機構, すなわちauto-inhibitionのメカニズムの本質だと推測することができる。 結論 本研究では重要なKIFsの一つであるKIF5Cに関して, 無ヌクレオチド状態の構造を初めて明らかにし, auto-inhibitionのメカニズムについて新しいモデルを示した。 M1とT3の混合溶液から結晶を得ることができた。この結晶のX線回折データを分子置換法で解析し, tailの構造は観察されなかったが, モーターのnucleotide binding pocket内が無ヌクレオチド状態であること, α3へリックスがnucleotide binding pocketから離れる方向に大きく回転していること, さらに Mg(2+)-stabilizerの結合も完全に切れていることがわかり, pocketは"開"状態に固定されたままであることが判明した。またin silicoでの微小管とのドッキングから結合面が完全にかみ合っている様子が明らかになり, 今回の構造はstrong binding状態である可能性が高いことも示唆された。さらにM1結合能およびATPase活性阻害能をもつtailペプチドP1とM1複合体の結晶化より, M1のα3へリックスN末端側にP1が嵌り, これが一連の構造変化を引き起こしているという可能性を示した。 これらの結果からpocketはATPが入ってきてもそれを捕獲できずに無ヌクレオチド状態が維持され, それ以上ATP加水分解サイクルの反応を進めることができないことが推測され, auto-inhibitionの新しいモデルを提唱できた。 今まで無ヌクレオチド状態のモーターの構造はその不安定性のため明らかになっていなかったが, 今回の結果からこれらの構造変化を誘導しているのが自身のtailであると考えられる。これがKIF5CのtailによるADP/ATP交換過程の阻害, すなわちauto-inhibitionの中心的分子機構である可能性が示唆された。 | |
審査要旨 | 本研究は細胞内の重要なモータータンパク質であるキネシンスーパーファミリータンパク質(KIFs) のうち, 神経細胞内に特異的に分布するKIF5Cを対象にし, tail領域が自身のモーター領域を阻害することでエネルギー(ATP)消費を抑えるauto-inhibitionの分子機構を明らかにするため, X線結晶構造解析による立体構造の解明を試みたものであり, 以下の結果を得ている。 1. KIF5Cのモーター領域コンストラクトM1とtail領域コンストラクトT3の混合溶液から結晶を得, この結晶のX線回折データを分子置換法で解析したところ, tail領域の構造は観察されなかったが, モーター領域のnucleotide binding pocketが無ヌクレオチドの状態であり, さらにα3へリックスがMg-ADP状態 (weak binding状態) と比べてpocketから離れる方向に15°程度回転していること, Mg(2+)-stabilizerの結合も完全に解離していることがわかり, pocketは"開"状態であることが判明した (モデルA)。 2. α4へリックスの軸の傾きや長さからstrong binding状態であることが示唆されたため, strong binding状態のKIF1Aと微小管の複合体の電子顕微鏡像に今回のモデルAをフィッティングさせin silicoでのドッキングによるKIF5C-微小管複合体モデルを作成した。その結果KIF5C側の結合面の凹凸と微小管側の結合面の凹凸が完全にかみ合う構造を呈しており, strong binding状態である可能性が高いことがわかった。 3. M1とtailペプチドP1の複合体を結晶化しX線回折データを分子置換法で解析した。M1のみの結晶 (モデルB) と比較するとM1-P1複合体ではM1のα3へリックスのN末端側に新たな電子密度が嵌り込むように出現し, これがP1と考えられた。またnucleotide binding pocketはモデルAと同様に"開"状態かつ無ヌクレオチド状態であった (モデルC)。今まで無ヌクレオチド状態のモーター領域の構造はその不安定性のため明らかになっていなかったが, この結果から一連の構造変化を誘導, 維持しているのが自身のtail領域であると考えられた。 4. モデルCを用いてモデルAと同様にin silicoでのKIF5C-微小管複合体モデルを作成したところ, tailの作用部位はKIF5Cと微小管の結合面に影響しないことがわかった。 5. 上記より, tailの作用により一連の構造変化が生じるとKIF5Cはヌクレオチドがpocket内に入ってきても捕獲できずに無ヌクレオチド状態が維持され, その結果ATP加水分解サイクルの反応が進まなくなる。これがKIF5Cのtail領域によるADP/ATP交換過程の阻害, ひいてはauto-inhibitionの中心的分子機構であることが示唆され, これまでに示されているauto-inhibitionのメカニズムとは異なる新たなモデルを提唱できた。 以上, 本論文はモータータンパク質KIF5Cに関してX線結晶構造解析により無ヌクレオチド状態の構造を明らかにし, その構造変化からauto-inhibitionの分子機構について新たなモデルを提唱したものである。本研究はKIFsによる細胞内輸送に関する一連の制御機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ, 学位の授与に値するものと考えられる。 | |
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