学位論文要旨



No 124762
著者(漢字) 小田柿,敦士
著者(英字)
著者(カナ) オダガキ,アツシ
標題(和) モーター分子KIF1Bβの機能解析
標題(洋) Functional Analysis of Kinesin Superfamily Protein KIF1Bβ
報告番号 124762
報告番号 甲24762
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3182号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 教授 岡部,繁男
 東京大学 教授 宮崎,徹
 東京大学 講師 栗原,由紀子
 東京大学 教授 森,憲作
内容要旨 要旨を表示する

背景

キネシンファミリータンパク質(KIFs)は微小管上をATP依存に移動する分子モーターであり、細胞内物質輸送や細胞分裂において重要な働きをしていることが知られている。その中の一つであるKIF1Bにはオルタナティブスプライシングによる2種類のアイソフォーム(KIF1BαとKIF1Bβ)が存在し、これまでにα isoformはミトコンドリア、β isoformはシナプス小胞前駆体の輸送に関与していることが明らかになっている。しかし、KIF1B欠損マウスにおいて脳の発達異常などが観察され、これらはミトコンドリアやシナプス小胞の輸送が障碍されることのみでは説明することができないことから、KIF1Bにこれまで知られていない新たな機能が存在することが示唆されていた。

そこで本研究では、KIF1B欠損マウスにみられる脳の発達異常を詳細に解析し、この解析結果とKIF1Bの生化学的および細胞生物学的解析結果を併せることにより、KIF1Bの未知の機能を明らかにしようとした。

研究方法・対象

本研究では、まず解剖学的および組織学的手法を用いてKIF1B欠損マウスの脳の表現型を野生型と比較した。それとともにKIF1Bの遺伝子座にLacZレポーター遺伝子を組み込んだマウスを用いてKIF1Bの脳内における発現パターンを調べた。

次にKIF1Bにより輸送されるタンパクを同定するために、免疫沈降したサンプルをマススペクトロメトリーを用いて解析し、同定されたタンパク質の中からKIF1B欠損マウスの表現型を説明でき且つKIF1Bの発現パターンと合致するものを選別し、被輸送候補タンパクとした。

さらにこの候補タンパクが実際にKIF1Bによって輸送されているか確かめるために、フローテイションアッセイや免疫沈降法、免疫細胞染色、micro RNAを用いたKIF1Bβのノックダウン実験を行った。

結果

KIF1B欠損マウスの解剖学的・組織学的解析

KIF1B欠損マウスの胎児(E18.5)の脳を外観的に野生型と比較すると、嗅球が著しく縮小しており、また脳全体が10%程度小さかった。脳の組織切片を観察すると、KIF1B欠損マウスの脳では、神経前駆細胞がその発生部位である線条体側脳室周辺領域(Striatal Subventricular Zone, SVZ)から嗅球へ移動する途上(Rostral Migratory Stream, RMS)に大量に蓄積していることが明らかになった。このことからKIF1B欠損マウスにおける嗅球形成不全が神経前駆細胞の移動不全に起因することが示唆された。一方、KIF1Bβの相同タンパクであるKIF1Aの欠損マウスではこのような脳の形成不全は観察されなかった。

KIF1Bの脳内発現パターン

マウス胎児(E16.5)の脳におけるKIF1Bの発現を調べたところ、KIF1Bの発現は線条体側脳室周辺領域(Striatal Subventricular Zone, SVZ)から嗅球脳質側領域(Olfactory Ventricular Zone, OVZ)にかけての領域(RMS)に多く認められた。

抗KIF1Bβ抗体による免疫沈降

KIF1Bの機能的な被輸送タンパクを同定するために、マウス新生児の脳ホモジェネートから抗KIF1Bβ抗体による免疫沈降を行い、共沈したタンパクをマススペクトロメトリーで解析したky)IF1Bbmily Protein KIF1Bb

ところ、これまでに知られていたシナプス小胞タンパクの他にNCAM-180が同定された。ポリシアル酸(polysialic acid, PSA)で細胞外ドメインが修飾されたNCAM-180(PSA-NCAM)が嗅球への細胞移動に必須の因子であることから、KIF1B欠損マウスの表現型を説明しうるNCAM-180がKIF1Bの機能的被輸送タンパクの一つであることが推察された。さらにNCAM-180の共沈がKIF1Bβに特異的であることを、抗KIF1A抗体および抗KIF3A抗体を用いた免疫沈降をコントロールとして、抗PSA-NCAM抗体を用いたウェスタンブロット法で確認したところ、PSA-NCAMと共沈するのはKIF1Bβだけであることが明らかになった。

フローテイションアッセイ

マウス新生児の脳ホモジェネートをNycodenz密度勾配によって分画し、KIF1BαおよびKIF1Bβ、KIF1A、PSA-NCAMの分布パターンをウェスタンブロット法で確認したところ、相同タンパク同士であるKIF1AとKIF1Bβの分布パターンは一致し、かつPSA-NCAMの分布パターンと重なることが示された。一方、KIF1Bαのパターンは全く異なるものになった。この結果、KIF1Bの二つのアイソフォームのうちKIF1BαはPSA-NCAMの輸送に関与しておらず、KIF1Bβのみがこれに寄与していることが示唆された。

免疫細胞染色

KIF1Bβ神経細胞内で実際にPSA-NCAMを輸送しているか確かめるために、抗KIF1Bβ抗体あるいは抗KIF1A抗体と抗PSA-NCAM抗体によるDIV8培養海馬神経の二重染色を行った。その結果、KIF1BβはPSA-NCAMは軸索内で共局在したのに対し、KIF1Aは共局在しなかった。このことからKIF1BβがPSA-NCAMを輸送する特異的なモーター分子であることが示唆された。

免疫細胞染色(2)

KIF1B欠損マウスの細胞で実際にPSA-NCAMの局在に異常が認められるか確かめるために、野生型およびKIF1B欠損型の培養神経細胞を抗PSA-NCAM抗体で染色し、比較した。その結果、野生型では細胞膜および神経突起の先端にPSA-NCAMが局在したのに対し、KIF1B欠損型では細胞体に蓄積した。このことから、KIF1B欠損マウスの神経細胞では確かにPSA-NCAMの細胞表面への局在が障害されていることが示された。

RNAiを用いたKIF1Bβノックダウン実験

KIF1βがPSA-NCAMの細胞内局在に寄与していることを確かめるために、NCAM-180-EGFPを発現させた神経細胞にKIF1Bβに対するmiRNAを同時に強制発現させ、NCAM-180-EGFPの局在をコントロールと比較した。すると、コントロールではNCAM-180-EGFPは細胞膜および神経突起の先端に局在したが、KIF1Bβをノックダウンした細胞ではKIF1B欠損型と同様に細胞体への蓄積が認められた。このことからKIF1BβがNCAM-180の局在に寄与していることが明らかになった。

考察

KIF1Bと脳の発達

以前の報告および本研究から、KIF1B欠損マウスが嗅球の形成不全をはじめとした様々な脳の形態的異常を示すことが明らかになった。しかしKIF1Bβの相同タンパクであるKIF1Aの欠損マウスではこのような脳の形成不全は観察されず、またKIF1Cの欠損マウスでも目立った異常が全くないことが報告されている。このように脳形成への関与はKIF1サブファミリーに共通する機能ではなく、KIF1Bに特異的な機能であることが判明した。脳の形態的発達に寄与するキネシンはこれまで報告されておらず、この発見は組織形成における細胞内物質輸送の役割を解明する足掛かりとなると考えられる。

KIF1BβとKIF1Aの相違点

これまでKIF1Bβは神経細胞において相同タンパクであるKIF1Aと同様にシナプス小胞前駆体を細胞体からシナプス終末へ輸送するという機能が明らかにされており、そのためKIF1AとKIF1Bβとの補完的な類似性が広く受け入れられていた。しかし本研究において、KIF1Aの欠損マウスでは嗅球形成が正常であり、また抗KIF1A抗体を用いた免疫沈降でPSA-NCAMが共沈しないことが明らかになった。このことからPSA-NCAMの輸送はKIF1Bβ特異的なものであり、したがってKIF1BβはKIF1Aと全く異なる未知のタンパク輸送機構を担うことが示唆された。今後この新規のタンパク輸送機構を解明していくことが新たな課題となっていくと考えられる。

中枢神経系におけるKIF1Bβの機能

これまでの研究でPSA-NCAMは中枢神経系における細胞接着の制御因子であり、細胞表面のPSA-NCAMがもたらす負電荷同士の反発により細胞間接着が弱まることが明らかになっている。実際、細胞表面でのPSA-NCAMの発現制御は神経細胞の移動・定着や軸索の伸長、シナプス形成およびその可塑性に大きく寄与していることが知られ、またその他に概日リズムの制御に寄与していることも知られている。したがって本研究でKIF1BβがPSA-NCAMを細胞表面に輸送していることが明らかにされたことで、KIF1BβがPSA-NCAMと同様に、細胞移動、軸索伸長、シナプス形成および可塑性、概日リズム制御に寄与している可能性が強く示唆された。今後はKIF1Bβがこれらの現象にどの程度関与しているかを細胞生物学的および分子遺伝学的解析などを用いて明らかにしていくことが望まれる。

結論

本研究によって、モーター分子KIF1Bβが嗅球前駆細胞の細胞移動に必須の因子であるPSA-NCAMを細胞表面にまで輸送することが明らかになった。このことはKIF1B欠損マウスにおける嗅球形成不全とよく合致し、嗅球の正常発達におけるKIF1Bβの新しい機能を示唆している。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、キネシンモータータンパク質の一つKIF1Bβの分子レベルでの働きを解明するために、KIF1B欠損マウスの個体や神経細胞を材料として解剖学的、組織学的、生化学的、細胞生物学的な解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. 野生型とKIF1B欠損マウスの脳を比較した結果、KIF1B欠損型では嗅球の縮小が生じることが明らかになった。さらに組織学的解析によりこの嗅球形成不全がrostral migratory streamを通じた前駆細胞の移動が障害されていることによるものだと示された。

2. ゲノム上にLacZ遺伝子が組み込まれたKIF1B-3loxPマウスを用いて脳内におけるKIF1Bの発現を共発現したLacZを染色することにより解析したところ、KIF1Bは前駆細胞の移動経路上に多く発現していることが明らかになった。このことからKIF1B欠損マウスの嗅球縮小は前駆細胞自体に何らかの異常が現れることによって生じるということが示唆された。

3. マウスの脳ホモジェネートから抗KIF1Bβ抗体を用いて免疫沈降して得られたKIF1Bβ結合タンパクをマススペクトロメトリーで解析、同定したところ、嗅球形成に関与する因子NCAM-180が得られた。この結果が確かなものか調べるため、ポリシアル酸で修飾されたNCAM-180 (PSA-NCAM)に対する抗体を用いて、フローテーションアッセイおよび免疫沈降による解析を行ったところ、分画した組織中でPSA-NCAMは確かにKIF1Bβと同じフラクションに存在し、かつKIF1Bβと共沈することが示された。このPSA-NCAMとの共沈はKIF1Bβの相同タンパクであるKIF1Aでは認められなかった。

培養神経細胞に対し抗KIF1Bβ抗体および抗PSA-NCAM抗体による二重染色を行ったところ、KIF1BβとPSA-NCAMは軸索内で共局在していることが示された。一方、同様の実験を抗KIF1A抗体および抗PSA-NCAM抗体を用いて行ったところ、KIF1AとPSA-NCAMは軸索内で局在が全く異なることが示された。

5. 野生型とKIF1B欠損型の培養神経細胞におけるPSA-NCAMの局在を抗PSA-NCAM抗体を用いて細胞を染色することによって調べたところ、野生型では細胞膜および神経突起の先端にPSA-NCAMが局在したのに対し、KIF1B欠損型では細胞体に蓄積した。

KIF1Bβに対するmiRNAを用いてKIF1Bβをノックダウンした培養神経細胞のPSA-NCAMの細胞内局在をコントロール(scrambled miRNA)の神経細胞と比較したところ、コントロールでは細胞膜および神経突起の先端にPSA-NCAMが局在したのに対し、KIF1Bβノックダウン神経細胞では細胞体に蓄積した。

以上、本論文はモーター分子KIF1Bβが嗅球前駆細胞の移動に必須の因子であるPSA-NCAMを細胞膜および神経突起の先端にまで輸送することを明らかにした。そしてこのことはKIF1B欠損マウスの嗅球形成不全とよく合致している。本研究は嗅球の正常発達におけるKIF1Bβの新しい機能を示唆しており、学位の授与に値するものと考えられる。

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