学位論文要旨



No 124767
著者(漢字) イシュティアーク,ムハマド
著者(英字) ISHTIAQ,Muhammad
著者(カナ) イシュティアーク,ムハマド
標題(和) 強力なセリンプロテアーゼ阻害剤AEBSFの新規標的としてのCdh1遺伝子プロモーター
標題(洋) Cdh1 promoter as a new target for the action of AEBSF, a potent serine protease inhibitor
報告番号 124767
報告番号 甲24767
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3187号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 栗原,裕基
 東京大学 特任教授 渡邊,すみ子
 東京大学 准教授 金井,克光
 東京大学 教授 森,憲作
 東京大学 教授 齋藤,泉
内容要旨 要旨を表示する

線維芽細胞は、細胞間マトリックスタンパクへの結合(足場)を失うと、細胞周期G1期に増殖を停止し、やがてAnoikisと呼ばれる細胞死に至る。以前、複製開始点の活性化に必須なCdc6タンパクが分解を受け消失することが、足場消失に伴うG1期停止機構の一つであることを当研究室で見出したが、最近、足場消失に伴うCdc6タンパクの分解がセリンプロテアーゼ阻害剤AEBSFによって極めて効果的に抑制されることを見出した。その結果、Cdc6タンパクの分解がセリンプロテアーゼによって行われている可能性が浮かび上がったが、私は、この分解抑制が、M期/G1期でCdc6をユビキチン化しプロテアゾームでの分解を促すCdh1-APC複合体のE3サブユニットであるCdh1タンパクの転写プロモーターの抑制によることを見出した。AEBSFは、PMSFに代わるセリンプロテアーゼの安定かつ特異的非可逆的阻害剤として化学合成され、長年その目的に使用されてきた薬剤であるが、近年、特定のストレスによる細胞死に対し強い抑制効果を発揮することから、このプロセスにセリンプロテアーゼの関与が指摘されてきた。当研究はAEBSFの新しい作用標的の解明に重要な突破口を開くと共に、既成概念を覆し、これらの研究の結論の再検討を迫るものである。

結果

AEBSF処理による足場消失に伴うCdc6の分解の抑制は、Cdh1タンパクの消失を伴う

Cdc6を強制発現させたマウス胎性線維芽細胞を足場の無いメチールセルロース培地で培養すると36時間以内にCdc6タンパクが消失するが、ほとんどの細胞がG1期に入って増殖停止する24時間時にAEBSFを加えて更に培養を継続するとプロテアゾームの阻害剤で抑制したのと近いレベルまでにCdc6タンパクのレベルが回復した。この時、足場消失時にCdc6タンパクを分解するユビキチン化酵素の一つであるAnaphase Promoting ComplexのE3サブユニットであるCdh1のタンパクが同時に消失していた。

Cdh1の強制発現によりAEBSF処理によるCdc6の分解抑制は減弱する

そこで、このAEBSF効果に対するCdh1の強制発現の効果を見たところ、Cdc6の分解抑制が著しく減弱していた。この結果は、AEBSF処理による足場消失に伴うCdc6の分解の抑制は、当処理によってCdh1の発現抑制が引き起こされることによって起こることを示唆している。

AEBSF処理によってcdc6の転写産物が減少する

そこで、メチールセルロース倍地で培養中のcdh1遺伝子の転写産物のレベルとそれに対するAEBSF処理の効果を、定量的PCR法を用いて検討した。その結果、72時間の培養中無添加の場合cdh1転写産物のレベル若干減少したが、24時間目でAEBSFを添加したところ、24時間後に3分の1に減少しその24時間後には元のレベルに回復した。この回復は、AEBSFの水溶液中の半減期が6時間であるあることと矛盾しない。以上の結果は、cdh1遺伝子の転写を抑制するか転写産物を不安定化するかのいずれかによって、AEBSFが足場消失時に起きるCdc6タンパクの分解を抑制していることを示唆している。

AEBSFは、転写開始複合体の形成そのものではなく、転写調節因子によるプロモーターの活性化のステップを標的としている

次に、ccd1遺伝子プロモーターを単離し、リポータープラスミドに繋ぎ線維芽細胞にトランスフェクトし活性を測定したところ、AEBSF処理によってプロモーター活性が1/5~1/10に低下することが分かった。そこで、欠損変異体の作製しコアープロモーターあるいはエンハンサーを欠損したリポータープラスミドの挿入後、アッセイした結果、AEBSFに対する反応領域は、コアープロモーター領域ではなく上流のエンハンサー領域にあることが判明した。そこで、AEBSFに対して最もよく反応する-297bp~+132bpの cdh1遺伝子プロモーター断片の中の既知のエンハンサーをそれぞれ置換変異によって不活化し、AEBSFに対する反応性を調べたところ、3個のうち-293bpにあるSp1部位の変異では、転写活性が著しく低下すると共にAEBSFに対する反応性が完全に消失することが判明した。したがって、このSp1部位と重なり合った配列がAEBSFの標的となる転写活性化因子の結合部位であると考えられた。

考察

AEBSFはPMSFに代わる安定かつ特異的なセリンプロテアーゼの阻害剤として開発された薬剤である。この薬剤は、これまで細胞ストレスによる細胞死を抑制する作用があることがこれまで報告され、この細胞死の誘導にセリンプロテアーゼ関与している可能性が指摘されてきたが、今回私はこの薬剤が、遺伝子の転写制御を標的にできることを見出した。具体的な標的遺伝子は、細胞周期のG1期でS期開始因子の分解を行うことによってG1からSへの進行を制御するユビキチンリガーゼのコアサブユニットをコードするcdh1遺伝子である。 プロモーター解析によってAEBSFに対する反応領域は、コアープロモーター領域ではなく上流のエンハンサー領域にあることが判明した。さらにこの反応領域の同定を試みたところ、転写開始点上流293bpに存在するSp1部位と重なり合った配列が、AEBSFの標的となる転写活性化因子の結合部位であることが判明した。現在、この転写活性化因子の同定には至っていないが、当研究は、この薬剤の新規標的の同定に大きな突破口を開くと共に、ストレス細胞死におけるセリンプロテアーゼの関与の可能性に再検討を迫るものと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

足場を除くと、細胞はG1期に停止し、同時に複製開始因子Cdc6タンパクの分解がおこる。本研究は、セリンプロテアーゼの安定阻害剤として開発された小分子化学物質AEBSFがCdc6タンパクの分解を阻止する機構の解明を試みたもので、下記の結果を得ている。

1.AEBSFによる処理で、G1期で働きCdc6を壊すAPC/C(cdh1)ユビキチンリガーゼの基質認識サブユニットであるCdh1の発現が著しく抑制される。

2.Cdh1の発現抑制は、転写抑制による。

3.AEBSFによるCdh1の発現抑制は、リポーターを繋いだプロモーターアッセイ系でも観察される。

4.Cdh1遺伝子のコアープロモータは、AEBSFに対して感受性を示さない。

5.Cdh1プロモータに存在する既知の各エンハンサーについて、置換変異を行い検討したところ、転写開始点の293塩基上流のSp1配列と重なり合う配列が、AEBSFに対する感受性を示すのに必要であることが判明した。

6.この配列を認識する哺乳動物の転写因子は知られていない。

以上、本論文はセリンプロテアーゼの安定阻害剤として開発されたAEBSFの全く新しい標的分子と作用機構を明らかにした。 これまで多数の報告があるAEBSFによる細胞死抑制効果の作用機構の解明にも新たな突破口を開く極めてオリジナリティーの高い研究であると評価でき、学位の授与に値するものと考えられる。

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