学位論文要旨



No 124769
著者(漢字) 羅,紋眞
著者(英字) Ra,Moonjin
著者(カナ) ラ,ムンジン
標題(和) 代謝標識を用いた質量分析によるLPS刺激後の非リン酸化とリン酸化ペプチドの同定と定量
標題(洋) Identification and quantitation of nonphospho- and phosphopeptides after LPS stimulation by mass spectrometry using metabolic labeling
報告番号 124769
報告番号 甲24769
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3189号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮崎,徹
 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 教授 児玉,龍彦
 東京大学 教授 井上,純一郎
 東京大学 准教授 宮澤,恵二
内容要旨 要旨を表示する

生体内の種々の機能の多くはタンパク質レベルで制御されており、病気の発症のメカニズムやその病態の把握においても、疾患特異的なタンパク質を解析するプロテオーム解析が重要である。プロテオーム解析法の一つに質量分析 (Mass Spectrometry, MS) を用いる方法がある。MS は、プロテアーゼ等を用いて得られるペプチドの分子量や MS/MS によって生成されるペプチドのフラグメントイオンから配列の解析を行うことによって、タンパク質の同定や定量、翻訳後修飾の解明が可能なため、盛んに利用されている。

翻訳後修飾の1つであるリン酸化は細胞内情報伝達や遺伝子発現、細胞周期、アポトーシスなど細胞内の多くの過程を可逆的に制御している。タンパク質のリン酸化について調べることは生命現象を理解する上で重要な研究の1つである。これまでにタンパク質のリン酸化について調べる様々な手法が開発されてきている。しかし実サンプルで新規リン酸化部位を見出すのは容易ではない。

一方、前処理の過程やMSでのイオン化の過程等で生じるばらつきを補正する目的で、MSによる定量解析では様々な手法が開発されている。この実験で用いた代謝標識法では2つのサンプルうち、一方のサンプルを安定同位体元素で置換した培地中で細胞を培養することで、その細胞が産生するすべてのタンパク質が安定同位体標識されることを利用した。すなわち、安定同位体ラベルされたタンパク質と非標識タンパク質を混合して測定すると、安定同位体によって増加した質量差を有するピークペアが観測され、この強度比から相対的な存在比が得られる。

今回の研究で、リン酸化ペプチドの濃縮、MSの条件、代謝標識を用いた定量解析の仕組みでリン酸化部位の同定、リン酸化の変動と定量解析を同時におこなう手法を確立した(Figure 1)。

この方法を用いて、炎症細胞modelとして、マクロファージに分化させたTHP-1細胞でLPS(Lipopolysaccharide)刺激後、cytosolicとmembrane画分を代謝標識を用いた質量分析による様々なタンパク質の同定やリン酸化修飾の解析を行った。

リン酸化タンパク質を網羅的に調べることは、タンパク質を同定することに比べて困難である。なぜなら細胞内ではリン酸化されるタンパク質よりも、されないタンパク質の方が多いのでリン酸化されないペプチドをできるだけ排除する必要がある。様々なリン酸化ペプチドの濃縮方法が報告されているが、まだ完全ではない。今回我は酸化チタンを用いて、酸性アミノ酸基とリン酸基との区別をするために、TFA(trifluoroacetic acid)などの強酸を用い、疎水的作用を減らすために有機溶媒濃度を80%に高めることによって市販品より簡単な方法で精製効率を高めた。この手法の有効性を確かめるため、リン酸化ペプチドを濃縮したあと、CIP(calf intestine phosphatase)で反応させたものをMALDI-TOF MSで確認した結果、ほとんどのピークが脱リン酸化されることを確認した(Figure 2)。

リン酸化ペプチドの97-99%を占めるリン酸化セリン・スレオニン酸基を含んだペプチドをプロテオミクスで汎用されているイオントラップ型装置でMS/MSを行うとリン酸基が脱離したイオンが非常に強く検出され、他のフラグメントイオンの強度が弱いため、同定が難しくなる。そのうえ検索エンジンの仕組みを考えても、リン酸基の有無を考慮させる条件で検索すると誤った結果を招く可能性が増える。そこで我はMS/MSを行った後さらにNeutral loss scan(H3PO4, 98Da)に相当するペプチドを選択的にMS/MS/MSを行うという手法を用いることによって、信頼性の高いリン酸化ペプチド部位の同定ができた(Figure 3)。

また、Adenylyl cyclase associated protein1(CAP1)の293-311の残基SGPKPFSAPKPQTSPSPKの3つのリン酸化基サイト、306-Threonine、307-Serineと309-Serineを同時に区別しながら同定できた。さらに、Protein transport protein Sec61 beta subunitの場合、PGPTPSGTNVGSSGRSPSKの12-Sernineリン酸基と18-Sernineリン酸基も今回の研究で同時に同定できた。

今回の解析で3つのリン酸化ペプチドを新たに同定することができた。Amphiphysinの240-255の残基からAFTIQGAPpSDSGPLRの249-serine、Leukocyte common antigen precursorの 969-981の残基からNRNpSNVIPYDYNRの972-serine、Adenylyl cyclase associated protein1(CAP1)の178-217の残基からHVDWVKApYLSIWTELQAYIKの185-Tyrosineのリン酸化ペプチド部位を同定することができた。

これまでのリン酸化ペプチドの変動解析ではリン酸化ペプチドだけの変動解析が一般的であった。しかし、これでは細胞内でのリン酸化の割合は決定できない。つまり100%リン酸化されるわけではなく、同じペプチド鎖でもリン酸化されているものと、されていないものが混在している。そこでリン酸化ペプチドのみではなく、非リン酸化ペプチドも同時に同定することによってリン酸化ペプチドの割合の変動解析ができた。このリン酸化の割合の変動解析によって今まではなかった個々のペプチドにおけるリン酸化の変動割合を得ることが可能になった。

特に、Adenylylcyclase associated protein1(CAP1)の場合、N末端は adenylyl cyclaseのC末端と結合するほか、CAP1のC末端はアクチンと結合して、LPSによって誘発されたTNF-α生産において、アクチン細胞骨格の重要性が報告されている。今回の研究で同じ残基からの3つの異なるリン酸化されたサイトと今まで報告がなかった1つのリン酸化されたサイトがこの研究において観察されたことから、LPS刺激で、生体内の各リン酸化部位での役割が異なっているという重要な事実が明らかになった。(Figure 4)。

今回の研究で、5minと30minのLPS刺激後、THP-1細胞におけるリン酸化の変動解析を行った結果、下記の結果を得た(Table 1)。

重要な5つのリン酸化の変動を表した結果、LPSによるリン酸化の変動は早い時間で起こることが分かった(Figure 5)。時間によるリン酸化の変動はLPS刺激における細胞内情報伝達について様々な可能性が予想される。

さらに、LPSの刺激によるタンパク質の解析では同定された74個の cytosolic protein、95個 のmembrane proteinの中、27個の cytosolic proteins と39個のmembrane proteinに2倍以上の変動がみられた。

この方法はタンパク質のリン酸化解析に非常に有効であると思われ、これまでリン酸化修飾の報告がないタンパク質の同定やリン酸化修飾が予測されていないアミノ酸部位におけるリン酸化の同定も可能であると考えている。本研究の結果から、今後この手法がリン酸化変動解析に有効な方法となりうることを確信している。

さらに新たにリン酸化の変動割合を得ることが可能になったことは非常に重要でリン酸化の割合の変動解析によって生体内のリン酸化の役割の研究に役に立つと考えている。また、LPS(Lipopolysaccharide)研究はTLR4(Toll-like receptor4)と関連して多く研究されている。しかしプロテオミクス手法で網羅的な解析の報告は少ない。この研究による網羅的なLPS作用におけるタンパク質の変動解析とリン酸化ペプチドの変動解析で炎症細胞におけるリン酸化の細胞内情報伝達についてさらに詳細に考察できると考えている。

Figure l. Schema of the strategy used for identification of phospho Mated proteins

Figure2. MALDI-TOF MS spectra (a) In-solution digested membrane fraction from THP-1 cells contains 10% of OVA,α-,and β-casein as control, respectively, (b) Purified phosphopeptides after elution from TIO2. (c) Alkaline phosphotase treatment of peptides. The -80Da or multiples of -80Da mass shift of mass spectral peaks due to the loss of phosphate moiety after the dephosphorylation

Figure3. (a) MS/MS spectrum of a phosphorylated peptide. The loss of phosphoric acid was strongly observed in MS spectra (b) MS/MS/MS spectrum of the phosphopeplide matched with the amino acid sequenee SGPKPFSAPKPQTpSPSPK ftom (Q01518) Adenylylcyclase-associated protein1

Figure4. An activation profile of three singly-phosphopeptides SGPKPFSAPKPQTSPSPK and HVDWVKAYLSIWTELQAYIK from Adenyiyl cyclase-associated protein1 (CAP 1) upon LPS stimulation.

Table1 Number of identified phosphopeptides and phosphorylation ratio changed

Figure 5. An activation profile upon LPS stimuiation. (a) RNA biding protein Raly, (b) Nucieophosmin, (c)Leukocyte common antigen precursor, (d) Amphiphysin, (e) Actine, cytoplasmin 1 ,and (f) DnaJ homolog subfamily C member5.

Table2. Number of identified proteins with LPS for 24hrs.

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、タンパク質の機能調節に重要な役割を果たしている翻訳後修飾の一つであるリン酸化修飾の網羅的な変動解析方法を確立するために、マクロファージに分化させたTHP-1細胞でLPS刺激後、cytosolicとmembrane画分を代謝標識を用いた質量分析(Mass Spectrometry, MS)による様々なタンパク質の同定やリン酸化修飾の解析を行い、下記の結果を得た。

1.リン酸化ペプチドの濃縮するためには、二酸化チタンを用いた。特に酸性アミノ酸基とリン酸基との区別をするために、TFA(trifluoroacetic acid)などの強酸を用い、疎水的作用を減らすために、有機溶媒濃度を80%に高めることによってS/N比を高くすることができ、市販品より簡単な方法で精製効率を高めた。

2.この手法の有効性を確かめるため、リン酸化ペプチドを濃縮したあと、CIP(calf intestine phosphatase)で反応させたものをMALDI-TOF MSで確認した結果、ほとんどのピークが脱リン酸化されることを確認した。このことからこの方法はリン酸化ペプチドの精製法として有効であると思われる。

3.MS/MSを行った後、さらにNeutral loss scan(H3PO4, 98Da)に相当するペプチドを選択的にMS/MS/MSを行うという手法を用いることによって、信頼性の高いリン酸化ペプチド部位の同定ができた。

4.MS を用いてリン酸化ペプチド解析を行ったところ、マクロファージに分化させたTHP-1細胞で5分でのLPS刺激でcytosolic画分から61個、membrane画分から49個のリン酸化ペプチドを同定することができた。30分より5分での刺激で約2倍のリン酸化ペプチドが同定され、その中変動が見られたリン酸化ペプチドは約30%であった。

5.さらに、リン酸化修飾の報告がなかったAmphiphysinから249-serine残基、Leukocyte common antigen precursorから 972-serine残基、Adenylyl cyclase associated protein1(CAP1)から185-Tyrosine残基がリン酸化修飾されたペプチドを新たに同定した。

6.特に、Adenylyl cyclase associated protein1(CAP1)の場合、同じ残基からの3つの異なるリン酸化されたサイトのリン酸化の減少と今まで報告がなかった1つのリン酸化サイトのリン酸化の増加がこの研究において観察されたことから、LPS刺激での生体内の各リン酸化部位での応答や役割が異なっているという重要な事実が明らかになった。

7.MS を用いてタンパク質解析を行ったところ、マクロファージに分化させたTHP-1細胞で24時間でのLPS刺激でcytosolic画分から74個、membrane画分から95個のタンパク質を同定した。その中変動が見られたタンパク質はそれぞれ27個、39個であった。今回の解析で、新たに多くの変動が見られたタンパク質を同定することができた。

以上、本論文はリン酸化修飾において、LC-MS/MS を用いた解析方法から、複数のタンパク質の同定と同時にリン酸化修飾基やリン酸化修飾部位の同定が可能になった。さらに、既知のリン酸化修飾タンパク質だけでなく、リン酸化修飾されると報告がなかったタンパク質のリン酸化修飾も解析する包括的な方法を確立することができた。本研究は、リン酸化修飾の生理的な役割やタンパク質の機能解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク