学位論文要旨



No 124771
著者(漢字) 小田,賢幸
著者(英字)
著者(カナ) オダ,トシユキ
標題(和) クライオ電子顕微鏡を用いた鞭毛ダイニン-微小管複合体の三次元再構成
標題(洋) Three-dimensional structures of the flagellar dynein-microtubule complex by cryoelectron microscopy
報告番号 124771
報告番号 甲24771
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3191号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡部,繁男
 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 教授 片山,栄作
 東京大学 教授 渡邉,すみ子
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景

鞭毛は真核生物が持つ複雑な細胞小器官であり、細胞外に水流を生み出すことによって様々な生命現象に関わっている。近年注目されている現象としては、発生の左右非対称性の決定に関わるノード流や腎臓における水流センサー機能とその遺伝疾患であるpolycystic kidney diseaseが挙げられる。鞭毛が波打つ運動はATPをエネルギー源とするモータータンパク質の鞭毛ダイニンによって引き起こされている。ダイニンがどのようにメカノケミカルエネルギー変換を行っているのか理解することは大変重要なことである。

鞭毛や繊毛の内部には軸糸(axoneme) と呼ばれる構造があり、微小管が周辺に9本、中央に2本が収まっている (図1A)。この 9 本の周辺微小管の間には軸糸ダイニンが存在し、ATP の加水分解で得られるエネルギーを使って A微小管と B微小管の間に滑り運動を起こす。軸糸ダイニンは、その位置から内腕ダイニンと外腕ダイニンに分けられる(図1A,B)。 1965年の発見以来、外腕ダイニンについて多くの生化学的または構造学的研究がなされてきた。 外腕ダイニンは分子量 2MDa の大きなタンパク複合体で、α、β、γの 3 つの重鎖と 2 つの中間鎖、10 ほどの軽鎖からできている (図2)。重鎖の 4500 アミノ酸のうち、C末端側 2/3 は 6 つの AAA+ドメインからなる頭部と、ATP依存的微小管結合部位であるストークが占める。中間鎖は3つの重鎖を束ね、ATP非依存的微小管結合部位を形成する。

これまでダイニンがどのようにモーター活性を持つのかについての議論は微小管と結合していないダイニンの構造変化をnegative stainingを用いて二次元的に解析した研究が中心となっていた。より生理的条件に近いデータを得るには微小管と結合したダイニンの三次元構造変化を観察する必要があった。この条件を満たすために、私はin vitroで再構成した外腕ダイニンと微小管の複合体をクライオ電子顕微鏡で撮影し、そのATP依存的構造変化を三次元レベルで観察することに成功した。

実験の方法

鞭毛を持つ植物プランクトンであるクラミドモナスから鞭毛を単離し、高濃度のカリウム塩で外腕ダイニンを溶出した。バッファー交換後、ダイニンを濃縮しチューブリン二量体と混合して30℃で共重合させた。その後、スクロースクッション超遠心法によりダイニン-微小管複合体を精製した。

精製した複合体を直径2ミクロン程度の穴の開いたカーボン膜に吸着させ、-180℃の液体エタンで急速凍結した。この凍結試料をクライオ電子顕微鏡で撮影し、無固定無染色の原子顕微鏡像を得た。

得られた写真は自作のプログラムによって小さなフィラメント断片に切り出され、三次元再構成に必要な角度及び平行移動パラメータを与えられた。これらの断片画像に対してBrandeis大学のDr.Grigorieff研究室より公開されているFREALIGNプログラムを用いてパラメータ補正と三次元再構成を行った。

補足実験として、ダイニン-微小管複合体の急速凍結レプリカの作成や水溶液中での微小管滑り運動観察を行った。

実験結果

チューブリンと外腕ダイニンを共重合すると、すでに1979年にHaimoらによって報告されている通り、二本の微小管がダイニンによって架橋され、捻れ構造をもつ複合体が形成された(図3)。この捻れ構造により複合体の360°すべての方向からの投影像を得ることができた。また、この複合体上には軸糸上と同じく24nm周期でダイニンが規則正しく並んで微小管に結合していたため、データ解析がより容易になった。微小管上を一列に並んでいるダイニンがモーター活性を有することは、溶液中で実際に微小管がダイニン列の上を滑ることを観察して証明した。また、α鎖の欠失変異株から外腕ダイニンを抽出して同様に複合体を作り、野生株と変異株の三次元像の比較から複合体における重鎖の並び順が軸糸内と同じであることを確認した。

この複合体にATPとバナジン酸を加えると、ATPの加水分解によって生じるリン酸とVaイオンが入れ替わりADP+Pi状態を維持したまま試料の撮影をすることができる。これによりapo状態(図4A)だけでなくADP+Pi状態(図4B)の電子顕微鏡像を得ることができた。

これら2種類の異なるヌクレオチド状態の構造を比較することによって、これまで知られていなかったダイニンの三次元構造変化を観察することができた(図5:モデル)。 α、β、γの 3 つの重鎖の内、α鎖は可動性が高すぎたため構造を比較するに至らなかった。γ鎖はほとんど構造変化を起こしていなかった。β鎖はその頭部の重心が3.7nm B微小管方向に移動し44°内側へ傾いた。これによりapo状態において14nmあったβ鎖とB微小管との距離が10nmになった。

考察

ダイニンの三次元構造変化を微小管に結合した状態で観察する方法を確立したことは、ダイニンの研究において大きな前進である。同時期にトモグラフィーを用いて三次元再構成を行った研究が発表されたが、私の結果よりも解像度は低く、何よりも構造変化を観察することはできていなかった。軸糸はATPとバナジン酸を加えても円周上にある半分のダイニン列がADP+Pi状態になり、残り半分はapo状態のままであるから軸糸を用いてATP依存の構造変化を観察するのは今後も困難であろう。

この研究結果において最も興味深いのは、β鎖の構造変化の方向が軸糸の微小管の滑り運動と垂直になっていることである。つまり何らかの機構により90°の運動方向変換が行われていることが示唆される。私はこの変換にはストークドメインが関与していると考えている。ストークドメインとは重鎖の頭部からB微小管へ伸びているcoiled-coilドメインのことであり、その先端部はATP依存的に微小管に結合する。このストークドメインそのものは酵素活性をもっておらず、頭部のATP分解酵素からエネルギーやアロステリック効果が伝達され、微小管の滑り運動が起こると推測されている。ストークドメインは非常に細く可動性が高いため、今回の研究では可視化することができなかった。そこで私は微小管とβ鎖の頭部との距離に注目した。構造変化によりこの距離は14nmから10nmに短くなる。これとストークドメインの予想されている長さ(15nm以下)を組み合わせて考え、"power pull model"仮説を立てた。(図6)

ストークの長さが一定であると仮定すると、ADP+Pi状態ではストークは微小管に対して40°の角度をなす。この状態からapo状態に移行すると、3.7nm の距離の変化は微小管に結合しているストークの角度の変化となり、微小管に結合した先端は 7 nm プラス方向に引っ張られるはずである。仮説を検証するためには、将来、ストークを抗体等でラベルし、ストークの動きをみる必要があると考えている。

これまでダイニンのモーター活性を説明する最も有力な仮説はLeeds大学のDr.Burgessチームによって提唱された"power stroke model"である。これは微小管に対して重鎖の頭部が回転することによりストークがスイングするという仮説である。この仮説は背景で述べたように微小管と結合していない状態のダイニンの二次元構造変化をnegative stainingによって観察した結果に基づいている。今回の私の結果からは解像度の限界により頭部が回転しているのかどうか明確に言うことができなかった。この論文の発表後、抗体やビオチン化ATPによって頭部のラベリングを試み、現在有意な結果を得ている。

図1

図2

図3

図4

図5

図6

審査要旨 要旨を表示する

鞭毛は真核生物が持つ複雑な細胞小器官であり、細胞外に水流を生み出すことによって様々な生命現象に関わっている。そして、 鞭毛が波打つ運動はATPをエネルギー源とするモータータンパク質の鞭毛ダイニンによって引き起こされている。本研究では植物プランクトンであるクラミドモナスの鞭毛を用いて、ダイニンのモーター活性を構造生物学的に解析した。

1.1979年にHaimo et al.によって、ダイニンとチューブリン二量体を混合して共重合させると二本の微小管がダイニンによって架橋された特殊な複合体を形成することが発表された。この複合体が捻れ構造を有している性質を利用して、クライオ電子顕微鏡による3次元像の再構成を行った。

2.SDS-PAGEによりダイニン-微小管複合体が外腕ダイニン複合体を構成するすべてのタンパク質を含んでいることを確認した。

3.急速凍結ディープエッチング法により、ダイニン-微小管複合体のプラチナレプリカを作成し、電子顕微鏡によりダイニンの規則的な配列を観察した。ネガティブステイン法およびクライオ凍結法により、ダイニンが24 nm周期で並んでいることを観察した。

4.Total internal reflection fluorescence microscopyにより、ATP依存的に微小管がダイニン-微小管複合体の上を滑ることを観察した。これにより複合体のダイニン列がモーター活性を有していることが確認された。

5.捻れ構造をもつ複合体の2次元投影像をクライオ電子顕微鏡で撮影した。それを断片化した上で、複合体の最大径から回転角を計算し逆投影法により3次元再構成を行った。

6.α重鎖が欠損した変異株からダイニンを抽出し、同様にダイニン-微小管複合体の3次元再構成を行った。野生型の複合体の構造との比較により、3種ある重鎖の並び順序が鞭毛内と同じであることが示された。

7.ヌクレオチド依存的なダイニンの構造変化を観察するために、ATP加水分解サイクルをバナジン酸で停止させ、ADP+Pi状態にあるダイニン-微小管複合体の3次元再構成を行った。

8.Apo状態とADP+Pi状態の3次元再構成像の比較から、ヌクレオチド依存的にβ重鎖のヘッドドメインが3.4 nmの移動と44°の傾斜を起こすことが観察された。

9.従来支持されていた仮説ではダイニンのモーター活性は重鎖のヘッドドメインが回転することによるものとされていた。8で述べた結果により、ヘッドドメインが微小管の長軸に対し垂直方向に移動することがダイニンのモーター活性に重要であることが分かった。

ダイニンはその大きな分子量と不安定な構造により、構造生物学的研究が困難であった。本研究によりダイニンが微小管に結合した生理的条件に近い状態で3次元構造変化を観察することができた。本研究は、ダイニンという脳神経から生殖に至るまで多くの生命現象に関わる重要なタンパク質の機能を理解する上で重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値すると考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/24396