学位論文要旨



No 124775
著者(漢字) 福島,章顕
著者(英字)
著者(カナ) フクシマ,フミアキ
標題(和) NMDA受容体の欠損による海馬CA3領域の神経細胞の興奮性の亢進
標題(洋) Ablation of NMDA Receptors Enhances the Excitability of Hippocampal CA3 Neurons
報告番号 124775
報告番号 甲24775
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3195号
研究科 医学系研究科
専攻 機能生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,憲作
 東京大学 准教授 尾藤,晴彦
 東京大学 准教授 橋本,浩一
 東京大学 准教授 松崎,政紀
 東京大学 准教授 坂井,克之
内容要旨 要旨を表示する

脳の一部である海馬は記憶に重要である。中でもCA3野だけは、CA3錐体細胞が他のCA3錐体細胞に投射するという反回性回路を有するため、同期発火を生じやすくなっている。この同期発火は海馬脳波の発生、記憶の形成、てんかん発作の発生に寄与すると思われている。海馬スライスを用いた実験から、NMDA受容体によるシナプス伝達の強化が同期発火の誘発に必須であると考えられてきた。本研究では、実際の生体内でNMDA受容体はCA3野の同期発火に寄与しているのかどうかを明らかにすることを目的とした。

私は遺伝子ターゲティング法を用いてCA3領域のNMDA受容体を欠損することを試みた。CA3領域に強く発現するGluRy1(KA-1)遺伝子座にCre組換え酵素をノックインしたGluRy1-Creマウスを新潟大学の崎村建司教授より譲り受けた。このマウスは生後第1週から海馬CA3領域で選択的にCre組換え酵素が発現することが示されている。一方で、NMDA受容体の必須な遺伝子であるGluRζ1(NR1)遺伝子座の第19,20エクソンをはさむようにloxP配列を挿入したfGluRζ1マウスを作成した。これら2つの系統を掛け合わせて変異体マウスを作成した。

変異体マウスでNMDA受容体の発現をin situ hybridization法で調べたところ、生後7日から海馬CA3領域で選択的にGluRζ1 mRNAが欠損していた。変異体のCA3領域に残存するGluRζ1 mRNAはGAD67 mRNAと共局在したことから、遺伝子欠損はCA3領域では興奮性神経細胞で限局して生じていた。さらに、免疫組織化学法により、CA3領域において生後14日までにタンパク質の欠損が生じることが示唆された。最後に、機能的なNMDA受容体電流が消失していることを確認するため、CA3錐体細胞でパッチクランプを行い、NMDA受容体応答とAMPA受容体応答を計測したところ、変異体マウスではNMDA応答だけが完全に消失していた。以上の結果から変異体マウスでは、生後14日から海馬CA3錐体細胞のNMDA受容体が欠損していることが明らかとなった。

次に、変異体マウスのCA3錐体細胞の形態学的特徴に変化がないかどうかを調べるため、組織学的解析を行った。ニッスル染色、VGluT2、カルビンジン免疫染色から、それぞれCA3領域の錐体細胞層、網状分子層、透明層といった層構造に変化は認められなかった。また、ゴルジ染色より、樹状突起の分枝やシナプス密度に有意な変化は認められなかった。ゴルジ染色では必ずしもすべての樹状突起に染色が行渡らず、また複雑に走行する樹状突起の正確なシナプス密度を計測することは難しい。そこで、CA3領域の単一錐体細胞をEGFPの強制発現により可視化し3次元立体再構築により解析した。しかしながら、樹状突起の分枝、スパインの分布、および軸策終末の分布に有意な変化は認められなかった。さらにシナプスのマーカーであるGluR1とPSD-95の分布、および介在神経細胞のマーカーであるGAD67、パルブアルブミン、カルレチニンなどの分布にも明確な差は認められなかった。ゆえに生後2週目までNMDA受容体の発現が残っていることで、神経回路形成はある程度保たれていると思われた。

カイニン酸は歯状回-CA3シナプスを強く刺激し、てんかん発作を引き起こすことが知られている。そこで、カイニン酸誘発発作を利用してCA3領域の興奮性を検討することにした。変異体にカイニン酸を投与したところ、変異体ではてんかん発作の発症閾値が低下していることが明らかになった。また、てんかん発作の発症によって誘発されるFosの発現は変異体マウスで有意に低いカイニン酸濃度で誘導された。以上の結果はこの変異体マウスがてんかん発作になりやすくなっていることを示している。

てんかん発作は神経細胞の同期発火で生じるため、海馬の局所脳波を解析した。ウレタン麻酔下における対照群の海馬では低い振幅の様々な脳波が観察されるのに対して、変異体では振幅の大きな、持続時間が20-30ミリ秒のスパイク様の活動(以下、EEGスパイク)が観察された。EEGスパイクは約5秒に1度の頻度で周期的に生じていた。EEGスパイクの発生源を探るため、海馬から皮質にかけて16点同時記録を行い、電流源密度解析を行った。結果、EEGスパイクではCA3錐体細胞層、およびCA1錐体細胞層に吸い込みが認められた。しかしながら、CA3領域の上流に当たる歯状回では吸い込みは認められなかった。以上のことから、EEGスパイクはNMDA受容体が欠損しているCA3領域で発生し、下流のCA1領域に伝わっていくということが想定された。

EEGスパイクがCA3領域でどのように生じているのかどうかを明らかにするため、ガラス微小電極を用いてEEGスパイクとマルチユニット活動を同時に計測した。EEGスパイクを基準にして観測されたマルチユニット活動を並べるPETH解析を行ったところ、EEGスパイクが生じているときにマルチユニット活動が非常に多くみられることが明らかになった。この結果は、EEGスパイクがCA3領域の神経細胞が多数同期発火することで発生することを示唆している。また、EEGスパイクはCA1領域のマルチユニット活動とも強く相関しており、CA3領域で引き起こされた同期発火は下流のCA1にも同様に同期発火をもたらすことが示唆された。一方で歯状回では相関は認められず、歯状回の神経細胞はEEGスパイクと同期して発火していなかった。以上から、変異体マウスはCA3領域の神経細胞が過剰に同期発火していることが明らかになった。

変異体の錐体細胞にどのような変化があるのかを検討した。まず、CA3錐体細胞の基本的な発火特性である入力抵抗、静止膜電位、膜容量をホールセルパッチクランプ法で調べたところ、有意な変化は認められなかった。次に興奮性・抑制性シナプス電流のバランスに変化があるかどうかを、AMPA作動性電流とGABA作動性電流を解析したところ、そのバランスにも変化は認められなかった。これに合致して、AMPA受容体やGABA合成酵素の発現量に大きな変化は認められなかった。最後に後過分極電流を計測したところ、変異体マウスにおいて非常に減少していた。この電流は、細胞内にCaイオンのキレーターを投与すること、あるいはKイオンをCsイオンで置換することで消失したことから、後過分極電流だと確認された。ゆえにNMDA受容体は興奮性シナプス電流のほかに、後過分極電流による抑制を引き起こすことができ、この抑制も変異体で減少していることが明らかになった。

変異体マウスではCA3錐体細胞のNMDA受容体が幼若期(生後14日)から欠損しているため、その表現型は錐体細胞の発達異常で生じた可能性が想定される。そこで、ウイルスを用いて成熟したマウスでの遺伝子欠損を試みた。アデノ随伴ウイルスにCre組換え酵素をコードさせ、8週令のfGluRζ1マウスのCA3領域に投与した。投与後14日目のマウスCA3領域を免疫染色したところ、投与部位では9割以上の神経細胞でCre組換え酵素の発現が認められ、GluRζ1の免疫反応はほぼ完全に消失していた。同様の方法でCA3の10箇所にウイルスを投与したところ、CA3領域全体の4-7割の領域でNMDA受容体が欠損させることができた。ウイルスを投与した半数以上の実験群のマウスで、EEGスパイクに似た脳波が認められた。ウイルス投与マウスはEEGスパイクの振幅に個体間のばらつきが認められたが、これはNMDA受容体の欠損領域の広さのばらつきが原因だと考えられる。観察されたスパイクの電流源密度解析を行った結果、CA3錐体細胞層に吸い込みが認められ、CA3領域の神経活動がその発生源であることが明らかになった。一方で、同じウイルスを投与した野生型マウスでスパイク様活動はまったく観察されなかった。この実験ではCMVプロモータを用いてCre組換え酵素を発現させているため、表現型が興奮性神経細胞上のNMDA受容体の欠損によるのか、あるいは抑制性神経細胞上の受容体の欠損によるのかは明確には区別できていない。しかしながら、以上の結果は、EEGスパイクの発生に、発達期からのCA3領域のNMDA受容体の欠損は必ずしも必須ではないことを示唆している。

本研究により、CA3領域のNMDA受容体は、生体内ではリカレントネットワーク全体の興奮性を抑制していることが明らかになった。このような現象はCA1領域での欠損では認められず、CA3領域に特徴的なものである。この現象の機構は完全には明らかではないが、以下の3つの理由が考えられる。第一に、発達期からのNMDA受容体の欠損による異常である。しかしながら発達期からの欠損は必ずしも興奮性の亢進に必須ではないことを実験的に明らかにした。第二に、NMDA受容体依存的なシナプス可塑性の阻害に原因がある可能性が考えられる。生体内のCA3シナプスでは長期抑圧が絶えず起こり、興奮性を抑制している可能性がある。最後に、NMDA受容体からの抑制性のシグナルがネットワークの興奮性を抑えている可能性があり、その説明のひとつとしてNMDA受容体の活性は後過分極電流を誘発することを検討した。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は記憶に重要な海馬のCA3領域において、NMDA受容体は神経細胞の同期発火に寄与しているのかどうかを明らかにすることを試みたものであり、下記の結果を得ている。

1、Cre/loxPシステムを用いて、CA3領域特異的なNMDA受容体の欠損マウスの作成に成功した。

2、カイニン酸誘発発作を利用してCA3領域の興奮性を検討したところ、変異体ではてんかん発作の発症閾値が低下していることを明らかにした。同様の結果を活動依存的な遺伝子の発現により確認した。

3、組織染色、免疫組織化学、EGFPの発現などにより神経細胞の形態を可視化することで、CA3領域の解剖学的特徴に変化がないことを示した。

4、変異体の海馬局所野右派を解析することでEEGスパイクの発生を発見した。さらに電流源密度解析により、EEGスパイクはCA3領域で発生していることを示した。EEGスパイクとマルチユニット活動を同時に計測することでCA3領域の神経細胞が過剰に同期発火していることを明らかにした。

5、変異体のCA3錐体細胞の入力抵抗、静止膜電位、膜容量に変化はないことを示した。また、AMPA作動性電流とGABA作動性電流を計測し、興奮性・抑制性シナプス電流のバランスに変化がないことを示した。変異体マウスのCA3錐体細胞でNMDA受容体依存的な後過分極電流による抑制が減少していることを示した。

6、Cre組換え酵素をコードしたアデノ随伴ウイルスを、8週令のfGluRζ1マウスのCA3領域に投与することで、成獣での遺伝子欠損を確立した。ウイルスを投与したマウスで、EEGスパイクに似た脳波が発生していることを示した。電流源密度解析で、観察されたスパイクは、CA3領域に発生源であることを明らかにした。

7、野生型の成獣マウスのCA3領域にNMDA受容体阻害剤を投与すると、カイニン酸誘発発作になりやすいことを示した。

以上、本論文は海馬CA3領域においてNMDA受容体がネットワークの興奮性を抑制していることを明らかにした。本研究は海馬CA3領域におけるNMDA受容体の新たな機能を提示し、今後の記憶・学習へのNMDA受容体の役割の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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