学位論文要旨



No 124781
著者(漢字) 返,拓利
著者(英字)
著者(カナ) オガエリ,タクノリ
標題(和) 造血幹細胞に及ぼすWAVE2の影響
標題(洋)
報告番号 124781
報告番号 甲24781
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3201号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北村,俊雄
 東京大学 教授 三宅,健介
 東京大学 准教授 田村,智彦
 東京大学 特任講師 眞鍋,一郎
 東京大学 講師 今井,陽一
内容要旨 要旨を表示する

幹細胞は1個の細胞が分裂の結果2種類以上の細胞系統に分化 (多分化能)可能であると同時に幹細胞自体も産生可能であり(自己複製能)、結果として自身が絶える事なく生体内の状況に応じて分化、自己複製を調整し必要な細胞を供給する能力をもつ。造血幹細胞も自己複製能力とともに骨髄のニッチと呼ばれる特定の微小環境で骨髄球系、T細胞、B細胞など様々な血球へと分化する能力をもっている。この細胞は分離することが比較的容易で倫理的にも問題が少ないことから組織幹細胞の中でも最も精力的に研究され、その高い骨髄長期再構築能は骨髄移植や遺伝子治療など広く臨床の場で用いられている。しかし、未分化性の維持や分化メカニズムが明らかにされていないためex vivoでの維持・増幅はほぼ不可能な状況である。これまでの研究から骨髄移植を行った場合、造血幹細胞は骨髄へのホーミング、骨髄ニッチへのロッジング、そして増殖と多方向へのlineage分化(repopulation)のステップを経て、最終的に長期再構築能力を示すことが知られている。

造血幹細胞の機能は骨髄内でCXCR4、c-Kit、インテグリンを含む統合されたシグナルによりコントロールされているわけだが、これらのシグナルの下流で機能する分子にRho guanosine triphosphatases(GTPases)がある。Rho family GTPasesにはRho、Rac、Cdc42が属する。RacとCdc42はアクチン重合の初期段階で働き、細胞接着、伸展、移動、そして細胞の形態パターンに必要な分子としてよく知られているほか、胚の発生やがんの転移などにも働く重要な分子である。アクチン重合はインテグリン等に代表される細胞外からの刺激に反応して引き起こされ、1)細胞の先導端が、糸状突起 (フィロポディア、filopodia)と呼ばれる内部に密なアクチンフィラメントの束を含んだ突起を形成し、2)その後、糸状突起を骨格として、その間を埋めるように葉状仮足 (ラメリポディア、lamellipodia)と呼ばれる内部に網目状のアクチンフィラメントを含んだ平滑な辺縁を持った構造へと変化する〔12〕。Actin related protein 2/3(Arp2/3)複合体はこれらの細胞骨格変化の形成に必須であり、Wiscott-Aldrich syndrome protein(WASP)/ WASP Family Verprolin-homologous protein(WAVE)ファミリータンパク質により活性化される。

WASP/WAVEファミリータンパク質はWASP、N-WASP (Neural WASP)、WAVE1-3(WAVEファミリー分子)の5つのタンパク質からなる。WASPとN-WASPはCdc42によって活性化され、糸状仮足を引き起こすことを、WAVEファミリー分子はRacによって活性化されて、葉状仮足形成を引き起こすことが明らかになっている。

WAVEファミリー分子はRacの下流で葉状仮足形成に必要不可欠な因子であることが知られている。このことは結果的にArp2/3複合体を活性化し、葉状仮足形成へと変化する。WAVEファミリー分子の上流に位置するRac1とRac2は造血細胞系列に発現しているが、hematopoietic stem and/ or progenitor cells(HSPCs)においてはその機能は区別されている。Rac1欠損 HSPCsは造血系の再構築能や増殖能力が欠けている。一方、Rac2欠損HSPCsは早期生着能力には障害がみられないが、骨髄ニッチでの保持能力が低下していることがあきらかになっている。これらの研究によりHSPCsのホーミング、engraftment、造血幹細胞および前駆細胞の動態を理解するための道を開いたといえるが、造血幹細胞においてRacの下流でどの分子が働いているのかという課題は現在のところ不明である。造血幹細胞にはWAVEファミリー分子のうち、WAVE2のみ発現がみられた。そこでこれまで報告のないアクチン重合と未分化な造血幹細胞においてRacの下流に位置するWAVE2に焦点をあて、どのような分子機能があるかどうかを解析した。

本研究では骨髄、脾臓、胸腺由来の血球細胞におけるWAVEファミリー分子の発現解析を行った。また、WAVE2ホモノックアウトマウスは胎生致死で骨髄からCD34-KSL細胞を分離することが不可能なため、WTマウスにおいてRNAiの手法を用いてCD34-KSL 細胞に強く発現しているWAVE2をノックダウンさせた。その後コロニーアッセイでin vitroでの血球分化障害の有無の検証、cell proliferation assay、cobblestone area-forming assay、in vivoでは骨髄移植を行い、長期再構築能および早期ホーミング能力解析をおこなった。さらにcell cycle関連分子の発現解析、phalloidin stainingを行った。

本研究によって造血幹細胞においてRNAi法を用い、87%という非常に高いノックダウン効率が得られた。WAVE2をノックダウンしても造血幹細胞のin vitro、in vivoにおける増殖(メチルセルロース、液体培地での培養系)や各血球lineageへの分化障害はみられなかった。しかし、WAVE2をノックダウンすることにより造血幹細胞の骨髄移植後の生着能力が著しく阻害されていた。これはWAVE2の上流にあるRac1欠損HSPCsの表現型と類似している。さらにWAVE2をノックダウン造血幹細胞におけるホーミング後の骨髄内での増殖がコントロールと比較して著しく阻害されていることがあきらかになった。Rac1欠損HSPCsの解析では骨髄内での増殖阻害があるかどうかは不明だが、骨表面へのlocalizationが野生型と比較して軽度に阻害されていることから結果的に骨髄移植後の生着能力障害につながっていると考えられる。また、cell cycle関連分子の発現をreal-time PCRを行って解析したところ、WAVE2をノックダウンすることによりコントロールと比較してCyclin D1の発現がやや減少し、p27(Kip1)の発現は3倍以上の上昇がみられた。このことにより、骨髄内でのcell cycle arrestが起こり、長期再構築能に影響を与えたと考えられたが、PI染色によるcell cycle assayではWAVE2ノックダウンによるcell cycle arrestは観察されなかった。

WAVE2ノックダウンをすることでcell cycle関連分子の発現変化が観察され、なおかつ移植後早期の骨髄内での増殖障害がみられたことから細胞外環境、例えばストローマ細胞などが存在する条件によってはWAVE2ノックダウンによる造血幹細胞の機能低下が起こるのではないかと考え、cobblestone area-forming assayをおこなった。あらかじめ6-well plateに10T1/2細胞を播種し、50Gyの放射線照射を行った後に1 wellあたり100個ずつのGFP陽性-CD34-KSL細胞をソーティングした。形成されたcobblestone areaを計数した結果、興味深いことにWAVE2ノックダウンをすることで形成されるcobblestone areaの数はコントロールと比較して有意に減少していることが明らかとなった。このことからWAVE2ノックダウンによって造血幹細胞の機能低下、つまりストローマ細胞の下にもぐりこむ能力やもぐりこんだ後の増殖能力に障害が引き起こされることが示唆された。メチルセルロースや液体培地での培養条件では血球細胞の増殖能力は正常であったことから、ここにみられる造血幹細胞の機能低下はストローマ細胞依存性であることが考えられる。

巨核球、血小板においてはRac1の下流でWAVE2がエフェクター分子として機能していることが示唆されたため、造血幹細胞においても同様の現象が起きている可能性が考えられる。この仮説が正しいとすれば造血幹細胞においてWAVE2をノックダウンすることで細胞表面のアクチン重合が阻害される可能性がある。そこでphalloidin stainingで細胞膜表面に集積するF-アクチンを染色した。スライドガラスにpoly-L-lysineとBSAをコーティングした条件ではWAVE2をノックダウンしてもアクチン重合の阻害は観察されなかった。しかし、BSAではなくfibronectinをコーティングし、細胞外刺激が存在する条件ではWAVE2ノックダウンによりアクチン重合の阻害が観察された。このことはRac欠損HSPCsで観察されたようなアクチン重合障害と表現型が一致する。

本研究では非常に3個に1個が造血幹細胞であるCD34-KSL細胞を使用しており、Rac1コンディショナルノックアウトマウス解析では造血前駆細胞を使用している。1匹のマウスから得られる細胞数がCD34-KSL細胞ではマウス1匹あたり1000個程度ということもあり、解析方法の改良が必要になるが、造血幹細胞においてWAVE2ノックダウンではRac1欠損状態の場合と類似した表現型がいくつか観察されたことからRac1の本質的なエフェクターはWAVE2であることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

造血幹細胞の機能は骨髄内でCXCR4、c-Kit、インテグリンを含む統合されたシグナルによりコントロールされているわけだが、これらのシグナルの下流で機能する分子にRho family guanosine triphosphatases(GTPases)がある。Rho family GTPasesにはRho、Rac、Cdc42などが属しており、特にRhoA、Rac1、Cdc42に関しては精力的に研究が行われてきた。WAVEファミリー分子の上流に位置するRac1とRac2は造血細胞系列に発現しているが、hematopoietic stem and/ or progenitor cells(HSPCs)においてはその機能は区別されている。Rac1欠損 HSPCsは造血系の再構築能力や増殖能力が欠けている。一方、Rac2欠損HSPCsは早期生着能力には障害がみられないが、骨髄ニッチでの保持能力が低下していることが明らかになっている。これらの研究によりHSPCsのホーミング、engraftment、造血幹細胞および前駆細胞の動態を理解するための道を開いたといえるが、造血幹細胞においてRacの下流でどの分子が働いているのかという課題は現在のところ不明である。2007年に著者らの報告によって巨核球からの血小板放出にはRacの下流に存在するWAVE1、WAVE2がそれぞれ異なった役割を果たすことにより血小板放出を制御しているということが明らかになった。また、造血幹細胞にはWAVEファミリー分子のうち、WAVE2のみ発現がみられた。そこでこれまで報告のないアクチン重合と未分化な造血幹細胞においてRacの下流に位置するWAVE2に焦点をあて、どのような分子機能があるかどうかを解析し、下記のような結果をえている。

1.マウス骨髄、脾臓、胸腺の各血球lineageにおける半定量RT-PCRを用いたWAVE1、WAVE2、WAVE3の発現解析を行った結果、造血幹細胞を含むCD34-KSL分画においてWAVE2のみ発現がみられた。また、免疫染色によるCD34-KSL細胞のWAVE1、WAVE2、WAVE3発現解析の結果、RT-PCR解析の結果と同様WAVE2のみ発現がみられたことから、WAVE2が造血幹細胞において何らかの重要な働きを担っていることが示唆された。

2.WAVE2ホモノックアウトマウスは血管新生の不良により胎生10.5日までに死亡するため、FG12レンチウイルスベクターにWAVE2shRNAの配列を組み込み、ノックダウンの手法を用いた。ノックダウン効果は87%という高い効率が得られた。コントロール、WAVE2ノックダウン細胞を用いてin vitroメチルセルロースコロニーアッセイを行った結果、コロニーの形成能力、in vitroでの血球分化能力に関してWAVE2ノックダウンの影響はほとんどないということが明らかとなった。

3.competitive repopulation assayを行い、WAVE2ノックダウンによる骨髄再構築能およびin vivoでの血球分化能力について検証した。その結果、WAVE2ノックダウンすることで骨髄再構築能は著しく低下した。しかし、in vivoの血球分化能力に関してWAVE2ノックダウンの影響はほとんどないということが明らかとなった。

4.造血幹細胞の移植後早期の骨髄内環境における挙動を解析するため、独自にEarly repopulation assayを構築した。コントロールおよびWAVE2ノックダウンした造血幹細胞を移植し、3日目、5日目、7日目において骨髄細胞を採取し、メチルセルロースで培養を行った。その結果、移植後早期のホーミングにはWAVE2は関与していないが、骨髄生着後の増殖にWAVE2が関与していることが示唆された。

5.メチルセルロースを用いた培養系ではWAVE2をノックダウンしても血球細胞の増殖能力に影響がないことが明らかとなった。次に液体培地での培養系でWAVE2ノックダウンによる血球細胞の増殖能力を検証した。その結果、メチルセルロースと同様に液体培地での培養系でも血球細胞の増殖能力にWAVE2は関与していないことが明らかとなった。

6.cell cycle 関連分子の発現解析を行った。半定量RT-PCR解析の結果、WAVE2ノックダウン造血幹細胞ではcyclin D1、p21cip1の発現量はコントロールと比較して減少していたが、p27Kip1に関しては3.1倍の発現上昇が観察された。Rac1を欠損細胞ではp21Cip1の発現減少、p27Kip1の発現上昇が起こるということがすでに報告されているため、この点ではWAVE2ノックダウンと表現型は一致する。また、WAVE2ノックダウン細胞ではcell cycle arrestはおきていないことが明らかとなった。

7.WAVE2ノックダウンをすることでcell cycle関連分子の発現変化が観察され、なおかつ移植後早期の骨髄内での増殖障害がみられたことから細胞外環境、例えばストローマ細胞などが存在する条件によってはWAVE2ノックダウンによる造血幹細胞の機能低下が起こるのではないかと考え、cobblestone area-forming assayをおこなった。その結果、WAVE2をノックダウンしてもcobblestone areaは形成されていたが、その数に関してはコントロールと比較してWAVE2ノックダウンをすることで有意に減少していることが明らかとなった。これにより、ストローマ細胞の存在下ではWAVE2ノックダウンによる造血幹細胞の機能不全を引き起こすことが明らかとなった。

8.最後に細胞膜表面に集積するF-actinのphalloidinによる染色を行った。Rac1の下流でWAVE2がエフェクター分子として機能しているのであればWAVE2をノックダウンすることでアクチン重合が阻害されるという仮説を立て、実験を行った。その結果、fibronectinのような細胞外基質が存在する条件ではコントロールと比較してWAVE2ノックダウン細胞ではアクチン重合が阻害されることが明らかとなった。Rac1欠損においてもアクチン重合が阻害されることも報告されている。

9.まとめると、WAVE2ノックダウンにより造血幹細胞移植後の骨髄再構築能が著しく低下することが明らかとなった。この現象はストローマ細胞やインテグリンなどに依存する増殖、つまりintra marrowでの増殖が阻害されたためと考えられ、この考えを支持する結果がEarly repopulation assayである。WAVE2の上流に位置するRac1ではRac1を欠損することで骨内膜への局在に障害が起こり、そのことがWAVE2ノックダウンと同様に最終的に骨髄再構築能の低下につながっていると考えられる。

結果的に骨髄再構築能の低下、cell cycle関連分子の発現様式、アクチン重合の阻害などRac1欠損とWAVE2ノックダウンでは表現型が類似しているため、造血幹細胞においてもRac1の下流でWAVE2がエフェクター分子として中心的な役割を担っていることが示唆される。

以上、本論文はこれまで報告のなかった造血幹細胞におけるRac1の下流分子に関して詳細な解析を行った。この論文は造血幹細胞の機能制御につながる知見を見出すことに多大な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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